06/11/27 22:08:34 nsxvIrT3
そういえば、伊達邸に討ち入りしたのは何藩の浪士だっけ?
417:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/28 00:19:55 vqRqbDme
>>416
確か神保相茂の家臣
418:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/28 12:29:41 B+wOVRgh
>417
トン
もう忠臣蔵の季節だな
419:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/28 12:52:45 ahlfWz+7
東軍が勝つわけないんだから。IFスレツマンネ。
豊臣300年の平和を作った豊国大明神様こそが最強。
420:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/28 13:29:21 Dyo4+1bg
で、倒幕の中心になった会津藩と奥羽列藩を残してしまったことについてはどーよ?
421:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/28 14:05:40 8q0DVxc6
一応、結城朝勝も参陣してたんだけど
422:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/28 17:54:28 ab2OiV8I
>>420
はっきりいえば潰して不穏な浪人を激増させるよりかは
減封して生き残らせてカツカツの暮らしをさせた方が
治安的にいい。
でも結果的には
どこぞの藩のように正月挨拶は「大阪征伐の儀はいかがいたしましょう」
と言わせてるような長ーい怨念も残したんだよね。
423:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/28 21:11:12 pBKGHps7
>>422
伊達の怨念も凄まじかったらしいぞ
生き残りのためとはいえ、あの正直者の政宗が家臣の元領地にすがって、秀頼にゴマをする屈辱を味わったからな
三成の奥羽コントロールは評価されてるが、あれでは恨みを買うのも当然
悪いけど、東軍が勝ってれば家康はもっと調和を大事にしたよ。家康の人格からしてね
424:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/29 00:06:03 87Y9tfxU
というかそもそも「数百年後の政治状況を見越せなかった事」を遡って
数百年前の施政を批判するのはちょっと無理があると思うぞ。
425:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/29 18:15:42 H5Fl5UrL
大名に対する政策とその弊害の因果関係がはっきりしているから、つい批判しているけれど、たしかにそうだね。
あの時点では、あの方法が「最良」といわずとも、かなりの良策だったんだろう。
「豊臣百年の計」という表現もあるけれど、(小規模の地域紛争があるとはいえ)実際のところ政権は300年続いたわけだし。
426:425
06/11/29 18:44:32 H5Fl5UrL
「計」をつかうなら「国家百年の計」という慣用表現か。
「豊臣の天下を百年とならしめるために云々」と言っていた。テレビで。
427:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/29 22:37:47 Tjr5bxb/
豊臣の天下っていっても東国の上杉、西国の毛利を抜きにしては
語れない安定だがな。
西の毛利は関が原の後、輝元が「六分の一殿」とか「安芸の山名殿」
という風評がたって、禍を恐れて大老筆頭を三成に譲ったが
毛利一族の力は、その後も豊臣や国政を動かし続けたし
奥羽の件についても上杉の存在がでかい。
景勝が「慶長元和の藤原秀衛」といわれるくらいに奥羽は上杉の
支配下におかれちゃった。
428:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/29 23:20:37 k/XbS1g5
>>427
なあ立花宗茂はどうしたんだっけ?
429:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/29 23:59:52 Tjr5bxb/
立花宗茂・・・
久留米の毛利秀包が秀秋が大阪に出て行った後、筑後博多52万石
を預かって・・その後小早川の家督とともに継承した。
ゆえに秀包の久留米領をどかして筑後一国24万石になっている。
豊臣政権で新たに鎮西探題を設けた際に
これに就任している。
ようは人材不足だった豊臣(ちゅうか三成)が外様でも信用できて
腕も立つ人材として白羽の矢が当たり九州の押さえになった。
なんせ肥前の鍋島も警戒必要だし
中国筋から豊後、伊予、筑前とくる毛利一門の背後を突く役割を担ってる。
奉行格というからご奉行と同列に政務を論じることも出来たという
重要な役割だ。
430:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/30 00:05:06 e5wFun/d
奉行格と言ったら、
織田信包も確か豊臣政権の最高顧問的立場で列席してるよな
「織田の老犬様」の異名で親しまれて、
淀殿・秀頼親子はもちろん三成からの信頼も厚かったとか?
詳しい事おせーて下さい
431:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/30 00:20:46 DqjITGnN
>>筑後博多52万石
ごめん筑前だったわww
中仙道の真田昌幸・信繁(幸村の異名があるな)も
大目付という役回りで同じく
毛利に対しても立花と同様の役回りを
上杉に対して担っている。
真田はなぜだか忍者の管轄を手広くやってる。
東軍にいた柳生を助けて召抱えたりだとか伊賀を飛び地で獲得したりとか
徳川のとこにいた服部半蔵とかを召抱えたりとかしてるしな。
裏真田とかいって剣術の得意な忍者を真田が扱ってるお話が
けっこうあるぞー
マンガだとカムイ外伝だとかあるし・・
映画だと深作欣二監督で中村錦之助とか松方弘樹とかでてた
「真田一族の陰謀」ってのがあった。
マンガで「子連れ狼」ってのがあるが、
もと公儀の高官だった拝なにがしとその幼い息子が
真田一族と争うというお話。
なお、現代版として週間マ●ガジンに“お●み松五郎”
てのがでている。
これは現代に続く拝一●の息子●五郎の末裔が
ヤンキーとして全国暴走族制覇とか学園支配を狙う真田十勇士と
激闘を繰り広げている。
バトルの後倒した相手を拝んでやるのが特徴。
432:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/30 00:35:30 DqjITGnN
>>430
伊勢の津に15万石で復帰(だったよな確か)してる。
が・・
長男の信重とは折り合いが悪くWW、信重は関が原で東軍に属するという
言い訳無用の親子喧嘩をやらかしてあと・・・
家督は3男信則そして彼に息子がいなかったので織田の名跡は
4男信当の子孫に・・・
長男の助命嘆願と人材不足の豊臣家で大阪城の勤めを
請われて信包は家督も譲り剃髪して老犬斎と号しながらも
丹波柏原3万6千石を与えられ奉行格という破格の待遇で
迎えられてる。
433:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/30 00:46:00 u/PwOkkg
おがみ松五郎すごい好きだったけどそんな設定だったのか。
すっかり忘れてた。
434:名無しさん@お腹いっぱい。
06/11/30 03:17:36 HGiGV+wv
何故秀頼は江戸の陣まで10年以上も徳川家を放置したのかって論議が
されてるようだけど、やっぱり淀君、千姫といった女衆の意向に
さしもの若関白も逆らえなかったというのがホントのトコらしいね。
実際江戸攻めの際、秀頼自身は秀忠・お江を城から救出し竹千代は
仏門に・・って前線の石田砲兵隊には指示を出してたらしいし。
・・・これはどうみても三成と左近の確信犯だな(笑)。
世間一般には秀頼って「非道関白」とか、ひどいのになると
「十五代関白将軍とならぶ凡庸人」みたいな言われ方をされてるけど
この事を考えると意外に秀頼って器量人だった気がする。
大体比較されてる十五代の豊臣秀喜にしたって大坂城を無血開場するなんて
「凡庸」どころか真の勇気が無いと出来ない英断だったろうし・・
とかく後世の評価というのは気まぐれなもんだと思うよ・・もっとも
秀喜の場合、長宗我部の所を脱藩した何とかっていう志士(名前忘れた・・
誰だっけ?)が実質的な立役者だったんだが・・それを差し引いてもね。
改めて秀頼や秀喜は再評価されてしかるべき武将だと思う。
ただし二人の評価と言っても「我亡き後、必ずイスパニア艦隊を持ってして
豊臣討伐を果たせ!」と遺言した伊達政宗と、300年後ホントにそれを実行
しちゃった伊達藩のスケールには到底及ばないが・・・
さすが「奥州(欧州)飛脚」の国だけの事はある(笑)。
435:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/01 19:55:20 loCs6w7E
>>434
維新の時に活躍した伊達と最上の実力は豊臣に隠しての
密貿易によるところが大きい。
伊達家正室愛姫の子でありながら家督を継げなかった頼宗が
江戸の陣の恩賞と(は名ばかりの)蝦夷地のうち10万石
に飛ばされ、そこからアラスカ領有して金山発掘に成功したあたりで
最上も北方入植によるシベリア開拓とロシアとの毛皮取引で
豊臣倒すくらいの力はできたろうね。
436:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/02 21:20:36 h1nZ5ek6
>>407
それはいくらなんでも電波。
関ヶ原以前に6人も息子がいたのに。
437:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/02 23:26:31 OlkAmiOG
そうだな。
種無しは秀吉だよ。
秀頼は、秀吉の子ではないというのが通説だし。
438:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/03 00:58:36 3gDlMxoD
いや、腹の中にもう一人子供がいて男子だったらしいぞ。
どっちにしてもそんな子作りしか能が無い男だよ家康は。
439:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/03 13:54:32 ttTytib+
それで関ヶ原で張り合ったんだから、立派といえば立派?
あの段階で豊臣に対抗できるのは徳川しかいないし。
440:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/04 14:51:29 wf8Tk0Kj
最上はずっと豊臣家をうらんでいたからね。
豊臣を倒したとき、千姫と義光の墓所に報告しに言った人も多いらしい。
北条家は1万石しかもってなかったくせに、ずっとうらんでいたのか市民まで動員して豊臣を襲撃する始末。
三成も頭はいいんだけど恨みを残さないことは考えなかったのかな?
441:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/04 22:06:39 bfOnubyB
日本史における三大忠臣として名高いのは
楠木正成
豊臣秀吉
石田三成
というのはまあ妥当ではあるし
日本史の三大美女として
淀殿がはいっているのはまいいとしても・・
日本史における三大逆賊として
源頼朝
明智光秀
徳川家康
なのは豊臣史観に偏った人選な気がする。
442:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/04 22:28:33 MX9b6EZW
辛い幼少時代を送りながら天下人秀吉に見初められ幸せを手にした淀殿は今でも女性の憧れの的だしな
443:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/04 23:41:57 6RzcDRF+
>>441
楠正成と石田三成はともかく、
豊臣秀吉は間違っても入らないだろ。
入れるなら(世間的に)大石内蔵助。
444:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/05 01:10:40 LEGqSoXq
>>443
誰すかそれ・・・・・?
445:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/05 01:34:16 /zYyHW8g
忠臣内蔵助ってくらいだからな。
446:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/05 08:28:03 Uj6CIk9A
三成公は神様だしな。
447:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/05 09:00:21 o1RzSeU4
神さまは家康公だお
448:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/05 11:45:12 cawzqQBT
>>443
戦前に出来た呼称だから今の概念とはあわないよな。
当時は天下人となっても頼朝なんかと違って将軍にならず
関白や太閤で通した秀吉は一応忠臣だったろうけど。
449:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/05 15:01:29 VkGEmQrA
それにしても役の後に出た大量の浪人達を日本人町の増強に充てた政策は巧いと思う。おかげで山田長政が南蛮に一大王国を樹立した。政策実行者は誰だっけ?
450:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/05 22:33:19 NTAO+/5U
アジアの各地に租界を創って有楽町の名前を残した織田信長の弟だっけ?
451:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/06 00:51:00 CnSB0UuL
何この西軍厨の妄想スレ。
家康が三成ごときに負ける訳ないじゃん。
家康の方が圧倒的に統率の数値が上だし。
452:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/06 06:12:27 sou4NRya
>>451
はいはい、東軍厨東軍厨
いい加減に現実を認めろよw
453:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/06 12:28:11 ObAgrqqq
>>451
典型的東軍厨キター!
三成が家康ごときに負けるわけないじゃんw
454:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/06 18:10:45 CnSB0UuL
>>452-453
お前ら、信長の野望とかやったことない戦国素人だろw
一度でもやったことのある奴なら、家康の方が圧倒的に統率の数値が高いことを理解してるはず。
統率の高い家康が負ける訳ない。
455:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/06 19:30:59 pGQqS3Mi
>>454
統率だけで戦に勝てるなら誰も苦労せん。大石田公の人望あればこそ、東西で挟み撃ちの戦略が活きたんじゃないか。
456:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/06 19:45:55 1BnMxGjl
>>454信長の野望?あー、家康マンセーのPが作ってるやつだろ。
457:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/06 22:29:26 YDcj1iaG
>>442
某ファッション誌でやっとエビちゃん特集が一段落・・と思いきや、
今度は「めざせ、淀ちゃん生活!」だってさ。
影響力有り過ぎるのも大概にしとけって感じだよ、ホント。
「京都に別荘建てて!」とかウチの嫁言い出すし・・
東軍厨になる気持ちわかるよ。
458:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/06 23:10:18 Q0CmPf4L
>>454
ノブヤボ厨乙。
459:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 03:29:16 6az/DO1T
今更だけど東軍厨の妄想というか発想の豊かさには兜を脱ぐよw
もし東軍が勝ってたら後は家康のやりたい放題・・残った豊臣恩顧を暗殺・改易
しまくる(暗殺って・・漫画?)だとか、そのくせ負けても毛利・上杉は生き残り島津に至っては
所領安堵だとか(そんなわけねえだろ!)、挙句の果てには豊臣が建立した鐘の
文字が不吉だって因縁つけて全国の大名従えた家康が秀頼・淀惨殺・・って
(おいおい鐘に因縁って家康幼稚園児かよ・・しかも都合良く千姫は助かるらしい)・・ある意味凄いわw
まあ、こういうゲーム脳史観はさておき、東軍が勝っていたらどうなっていたか
を冷静に考えるとやはり要衝の地を恩賞で確保したであろう福島正則と加藤清正が
秀頼公を守り立てていった事は疑いの無いところだろうね。
正直内府だったら「こいつらは僻地に・・」って画策する可能性もあるが、
当時の力関係からしてそんなバカな申し出を2人が受けるわけがない。
バランス的には徳川(加増で300万石位か?)と福島・加藤・浅野(福島120万石・
加藤80万石・浅野80万石位か?)らの戦力均衡も保たれたと思われるので
豊臣家を揺るがす突出勢力も現れず、緩やかに豊臣世襲が進んだと考えるのが
自然。
しかし当時徳川内部に「結城秀康」という火種があった事を考慮すると
もしかしたら福島幕府成立という可能性も無かったとは言い切れない。
(まあ、正則の代ではあり得ないし息子の能力考えても可能性は低いが・・)
あと小早川だが東軍勝利の場合でもやはりこの男がキーになったと思われるので
毛利取り潰し後のフォロー的な意味合いで西国に大所領を戴いていた
可能性が高い。福島・加藤と並び重要な職責を担ったであろう事は
まず固いところだろうね。
ありきたりの予測で申し訳ないが。
460:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:06:17 L6R3G75Y
>>459
漏れ的には東軍が勝っても、大阪城の毛利輝元との間で
和睦って線だと思う。
東軍厨いわく関が原で勝った東軍は輝元の領地安堵を保証して
開城させたというご都合設定をもちだしているが・・
ありえねーっ
どこの世界に敵軍の総大将の領地を保証するから城明渡せで
信用する馬鹿がいるというんだよ。
仮にも輝元は五大老の一人で西軍の総大将だよ・・
何考えてんのかねーっ東軍厨
まあ普通に東軍が勝っても、やすやすと開城するはずがない
のはあたりまえなので・・普通に毛利や上杉は生き残ると思う。
だから加藤福島とかの恩賞もすずめの涙くらいだろうね。
よくても所領も50万石は超えないとおもう。
461:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:17:38 vqMf+heq
輝元は神君家康公の武威を恐れ城を明け渡した。
まあ、ヘタレってことだよ。
本来改易となるところ、吉川広家が関ヶ原で内応していたお陰で、
周防・長門2カ国の減封ですんだ。
462:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:20:49 cnmjNBXW
どこのパラレルワールドだよww
463:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:24:10 L6R3G75Y
>>461
むしろヘタレならばなおさらにやすやすと大阪城を明渡すはずが無いだろ
命の保証も無いのにさ。
それに中途半端に敵軍の総大将を周防・長門で生き残らせるか?普通
464:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:24:30 vqMf+heq
>>462
いい加減西軍厨は現実を直視した方がいい。
465:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:28:05 cnmjNBXW
>>646お前wwだからお前はどこの平行世界の住人ですか?ww
466:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:28:57 cnmjNBXW
安価ミスった。>>464な。
467:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:29:54 vqMf+heq
>>463
そこら辺が神君家康公の慈悲深いところだお。
468:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:32:55 cnmjNBXW
だ~か~ら~、どこのパラレルワールドだよって聞いてるじゃないか。
469:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:34:39 L6R3G75Y
>>468
まあまあ家康を神君と呼んでいる段階で
ノブヤボやりすぎなのは明らかだろう。
ノブヤボのセオリーだしな神君家康ってのは。
470:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:35:42 vqMf+heq
気違い乙
471:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 22:37:47 cnmjNBXW
お前の方が気違いだろww
472:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/07 23:33:46 MQSdS5KD
どっちも落ち着け。所詮IFスレだ。
俺の考えでは、東軍が勝っても、毛利は生き残る!
なぜなら、家康を暗殺され、替え玉を立てた徳川家には、もはやそんな力は無い!
と俺の読んだ小説に書いてあった気がする。
473:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 07:37:34 XOQNg19r
お前が落ち着いて目欄見ろw
474:472
06/12/08 12:59:07 f6KTxSsY
ちなみにその、替え玉「家康」は、自分の都合で豊臣家をつぶす気は無いらしいよん。
475:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 13:02:58 5FU2bftX
東軍厨が妄想するイフなんだが、徳川が東海道と中山道に分進しないで
東海道一本だったらどうなっていたかな?これならもしかしたら東軍勝ててたんじゃ?
或いは逆に家康も一緒に中仙道一本だったらどうなったんだろうね?
476:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 13:12:03 YZeVZf7m
行軍速度が・・・
477:472
06/12/08 14:03:25 f6KTxSsY
石田家というか豊臣家内部での権力闘争に敗れた島左近が、小説では格好良かったよ。
徳川政権下、豊臣家存続のため、奮闘努力。
宮廷政治力が低いってことから、清廉な武将という色付けがされたんだろうね。
478:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 16:04:43 XOQNg19r
>>474の時点で気付けよw
479:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 16:46:01 NOpB/x7F
>>478
www
480:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 17:57:01 tVMTh3qQ
しかし狸マンセーの架空小説によくあそこまで本気になれるよな
リア厨だと信じたいんだがいい年こいたおっさんが
あれを書いてるとなると情けない
狸が軍を二分して進軍して主力3万は足止めを
食らいながら関ケ原に望み
重囲に陥りながら本陣を前進させ
豊臣恩顧の外様大名等も誰一人寝返らず
逆に関白の座を約束された秀秋が寝返り
西軍総大将の毛利家が動かないで
東軍の一方的な勝利で数時間で決した
ハリウッド映画かよw
481:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/08 20:04:22 f6KTxSsY
すこし話を変えて、もし関ヶ原で家康が逃げ遂せたら…。
関東にこもり、秀忠の率いていた部隊を駒に、一合戦に及ぶ気概をしめし、毛利は関東に入らず。
減封をうけるとはいえ、二~三国ぐらいは支配できるだろう。
敗戦の要因をつくった秀忠は廃嫡、高野山に入り、かわって秀康ないし忠吉が徳川家を継ぐ。
家康死後、やはり豊臣は徳川を攻めるだろうが、徳川にも国力が有る分、現実よりもうすこし抵抗できたと思う。
482:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/09 01:04:11 8Ts0O2vA
>>480
東軍が結束していたのは神君家康公の人望のお陰。
神君は当時既に伝説だった武田信玄とも戦ったこともあるし、
その時に海道一の弓取りという称号も得た。
三成ごときとは格が違う。
その家康から威嚇射撃を受ければ秀秋は寝返るだろ。ヘタレだからな。
毛利が動かなかったのは吉川広家が内応してたから。
要するに神君家康公はすげーてことだよ。
483:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/09 12:28:31 6MhWmlQd
>>482
ほう、海道一の弓取りってのは馬上で焼き味噌を作ったらもらえる称号なんかね?
484:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/09 17:25:52 FTTu6txK
>>482
だから仮にも一軍が威嚇射撃を受けただけで寝返る訳ねーだろ。
秀秋にはちゃんと取り巻きの武将もいたんだぞ。
みんな豊臣恩顧なのだからしてまかりまちがっても
秀頼公に弓引くことになる東軍加勢なんぞ100%ありえん。
それに吉川広家は毛利を支える重鎮だぞおい。
自分の家の当主が総大将なのに内応して毛利が無事にすむと
考えるほどのアホがかの小早川隆景公や秀吉公に一目置かれる
わけねーだろ。
485:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 13:14:35 N6gfab0X
あれ?
秀秋の西軍としての参戦は狸が銃撃して怒らせた事が原因じゃなかったっけ?
486:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 13:30:50 SJmwa3EK
いや、あれは秀秋公が東軍の全面攻勢の限界点を見極めている時に
家康が威嚇射撃を松尾山に向けたんだが
さすが用兵者家康とは思うがやぶへびだな
苦し紛れと読まれ秀秋公を始めとする西軍の全面攻勢を誘ってしまったんだな
487:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 13:43:54 /g6+zR4d
西軍があそこまで雑魚だとは思わなかった
たった数時間で完全敗北して三成らも捕縛されてしまうんとはね
家康もあまりに退屈だから小早川に鉄砲でも打ち込んで戦おうとしたら
逆に小早川の方が寝返っちまうんだからよほど家康が怖かったんだろう
でもそのおかげで江戸幕府ができて日本が安定したんだから
西軍連中も噛ませ犬としてはちょうど良かったな
488:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 13:44:57 YnPQayHr
>>487
仮想戦記乙!
489:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 14:50:06 SJmwa3EK
東軍が勝利したら、と言う趣旨のスレだから東軍厨でも構わないが
兵力差に包囲下におかれ数時間で圧勝はまず無理だな
490:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 15:13:16 /5FdE3w6
まぁ事実は小説より奇なり、というからありえなくはないと思うよ。
本能寺の変→中国大返しコンボ並の確率だと思うけどなw
491:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 15:42:46 O8voMQvl
西軍の圧勝だったというのが一般的な見解だが、
実際には勝敗は紙一重だったと思う。
もし、島津とかが積極的に戦わず、
家康との約束どおり吉川広家が毛利勢を戦わせず、
かつ小早川が寝返り、つられて脇坂・小川・赤座・朽木あたりまで寝返ってたら
東軍が勝ってたかもしれない。
492:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 15:44:04 M8tjylkP
なんかで処刑された家康は影武者で、
本物は中国に渡ってヌルハチになったって
聞いたけど本当か?
まあ家康厨の妄想って言われてるけどな
493:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 16:19:09 qDKaNOEw
水戸黄門の印籠の紋所の扇に月丸を
日の丸と勘違いしてる奴って結構多いのな
494:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 16:24:32 qDKaNOEw
おっと時代劇板のつもりが誤爆
495:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 18:14:45 CqHVxXhW
>>491
だから
>>島津とかが積極的に戦わず、
>>家康との約束どおり吉川広家が毛利勢を戦わせず、
>>かつ小早川が寝返り、つられて脇坂・小川・赤座・朽木あたりまで寝返ってたら
この段階で宝くじ1等当選する以上の確率を必要とする
相当なご都合主義なんだがな・・
496:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/10 19:52:00 ZBjjid2O
>>493
毎シリーズ、御側用人・木村長門守長成が悪役のアレか
江戸冬ノ陣での確執で、筆頭家老あぼーんの恨みが原因だよな
497:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/11 16:12:46 4YNunU3C
でも石田家って平安藤原氏みたいになったよね。東北にも奥州石田家あったし。
498:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/12 00:23:30 L8eCsDti
塙団右衛門と加藤嘉明の確執が好きだな。
関ヶ原で命令違反してまで突出した団右衛門を「大将の器に非ず」と嘉明が叱責するも、
結局東軍は負けて嘉明は没落、
戦場で最後まで踏みとどまった団右衛門は関白秀詮公の目に留まって取り立てられた。
秀詮公死後は遺領の一部を分けられて、小さいながらも独立大名に。
江戸の陣では江戸城に入場した浪々の嘉明に対し、一騎討ちを申し入れて
「やはり汝は大将たりえぬ」と断られたとか、「あやつが大名で儂が浪々の身とは」と慨嘆したとか。
嘉明父子は江戸城とともに運命を共にしたが、塙家も息子の代に家老と大喧嘩して取り潰されてしまうんだよな。
晩年の団右衛門は出家して、漢詩を詠んだり悪代官を懲らしめたりして風流と遊侠の日を過ごしたというのは、
講談の「鉄牛和尚漫遊録」のモデルとして有名だ。
499:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/12 17:22:40 jkLROLQw
大河の話になるが、今硫黄島の映画に出てる渡辺謙がやってた
大河ってなんだったっけ?すごい高視聴率だったそうだし、
今度借りようと思うんだけど。滝田栄のは「石田三成」、
津川雅彦のは「大一大万大吉」だよね。それはDVDで観た。
500:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/12 18:47:05 uCDSDjj0
あぁ、独眼龍重家
501:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 05:37:10 91mQNrpm
豊臣家の治世としては、重商主義なんだけど。
農業資本を、国力としていた徳川が負けたのも、
この時代の穀物の量はほとんど少ないからで
経済力が軍事力となっていた時代だったからだ。
なんつーか徳川だけが農業に主体を置いていたというのが面白いところなんだけど
秀吉が作り出した商業的なシステムには対抗なんて出来るわけが無い・
502:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/13 10:25:17 dmmJicCD
>>501
農業資本中心の世の中だったらさ、こんな感じになると思うよ。
収入少ない
↓
異常なまでの新田開発
↓
稲の品種改良も行う
↓
逆に田んぼが多くなり過ぎる
↓
せっかく開墾した新田あぼーん
そんなこんなで結局金の無駄使いになんのさ。
503:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/14 21:36:36 wRjiwIZK
>>495
一応、吉川の傍観って言うのは、無くはないよ。
勝気に逸る毛利本隊を、まだ早いとか、戦いの前には飯食っとけ、とか言って諌めただろ。
それが内応の約束の結果とは言いがたいけれど、兵力温存のために決戦に遅れ気味だったのは事実。
吉川の慎重さがもう少し過剰だったら、あのまま戦いに参加しなかったかもしれない。
504:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/15 04:36:31 Qkk8ARO7
あそこでしっかり弁当食って力つけたおかげで毛利軍は関ヶ原で大活躍したんだよな
世人は「宰相殿の力弁当」と呼んで持て囃したとか
505:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/17 22:38:53 qGfie4gT
安国寺の予言って2500年くらいまで予言してあるんだっけ。
あの死の間際に残した遺訓のような予言書。維新後に発見されたから偽者
だといわれてたけど、鑑定結果は桃山時代のもの。あれで豊臣が未来を予想しつつ政権を
運営していたらしいし。でも一巻に全五巻とあるのに、四巻と五巻が無いのが怪しい。
政府が恐れて封印したんだろうね。
506:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 08:38:00 i9ysGYfU
五島勉の飯の種
507:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 11:48:53 EGEjxf9A
維新の時に活躍した最上義照って北海道横断してロシア傭兵隊通称正兵隊を率いて活躍し
更に維新後の豊臣家の残党が蜂起した東北戦争においても活躍してるけど最後には暗殺されてるんだよね。なんで?
これが第二次世界大戦まで続くしこりになって残ったんだけど。
508:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 18:09:06 bSyPTcYt
>>507
すまん、維新以後の話は、詳しくないから、別の人のレスを待ってくれ。
で、関ヶ原での疑問。
東軍勝利に必要な吉川と小早川の離反。
総大将の親族らが離反するってのは、ただ事ではない。
事実上毛利一族ではなくなってしまった小早川ともかくとして、
吉川が毛利本家と不和だった、なんて事実はあるのか?
でもなきゃこんな仮定はあまりにも無意味。
509:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 18:35:42 sZDh0q2n
>>508
吉川広家が傍観したままの場合、
西軍が勝てば当然毛利軍にとっても勝利、
万が一東軍が勝っても毛利軍が東軍へ肩入れしたことになり
悪くても取り潰しになることは無い、と目論んでいたという説もある。
510:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 19:26:13 nx8h7a58
広家公が東軍についたら毛利宗家は減封無し。って話が内府から
あったらしいね。
そうなったとしても、絶対に2国くらいに減封されたと思うがw
間違いなく安芸からは追い出されてたと思う。
511:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 19:54:39 1hbEOUUm
そうだろうねぇ。「は?本領安堵?敵の総大将にそんな寛大な処置するわけねえよm9(^Д^)プギャーーー」ってやりそうだな。
もしくはせこさで有名な家康の事だ、「俺のサインなんかねえだろm9(^Д^)プギャーーー」で、ってこんな仮想戦記あったよな?んで雪辱を期した毛利がってやつ。
512:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 20:06:06 Xs0vXBkh
律義で通っていた家康公が約束を破るわけないじゃんw
513:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 20:08:33 d4BhIJ22
>>511
せこさって、お前、講談に毒されすぎ
514:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 20:15:57 1hbEOUUm
東軍厨キタ━(゚∀゚)━!!
515:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 20:20:15 bSyPTcYt
>>509
事実だとしたら、なんという自信の無さ。
分かりにくい例えで恐縮だが、手ほんびきで、4点張りするようなもんだな。
516:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 20:23:23 z/T5sVEk
家康は律義者とかいうけどさ、太平の世に戦乱を起こして結果豊臣政権の弱体化を招いた事は事実じゃん。
関が原後は毛利・上杉なんて実質200万石超えてしまったし、秀吉政権下で均衡してた力関係を壊した罪は大きい。
天下一の奸臣だよ家康は。
517:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 21:35:50 Xs0vXBkh
奸臣てことはないだろ。
てか東軍が元々豊臣正規軍だし。
たまたま負けたから貶められてるに過ぎないだろ。
東軍が勝ってたら、家康公は今頃奸臣三成を除いた忠臣といわれてるだろう。
律義な家康公は秀吉との約束を違えることなどないだろうし、秀頼を一層盛り立てただろうな。
518:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/18 22:21:35 M6WtS13a
>>516
家康の場合は仕方あるまい。
あのコロは徳川だけが突出しすぎていた。
しかも周囲は朝鮮出兵での恩賞もでてないゴロツキがうじゃうじゃ・・
自分が天下を取らなくては徳川は早晩潰されると考えても不思議は無い罠。
毛利・上杉なんて徳川の起こした乱のおかげで
不満分子の整理、恩賞の元手もできて
そして豊臣恩顧の大半が徳川について失脚か改易になり
秀吉の定めた五大老五奉行は自然消滅してガタガタの時分に
天下第一等の大大名になってるから・・条件が違う。
むしろ力関係を壊したというより秀吉政権下で不安定だった
バランスを東の上杉と西の毛利で安定させた功労者だろう。
519:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/19 11:48:32 8hoR1P75
身を捨ててまでバランスを安定させた功労者、ってか。
まあ家康が勝っていたら、圧倒的な権力を握ったのは確実だろうね。
秀頼はお飾りというか神輿に過ぎなくなる可能性大。
520:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/19 18:28:22 mJG0UJ78
つうか普通にスルーされてるけど猛将関白秀秋オタとしては
幾らなんでも関ケ原で裏切ったと可能性があると言われては釈然としないな
若くして亡くなったが稀代の名将が裏切るかよ
521:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/20 00:19:40 AMkOJ5Rz
裏切る可能性を主張する人は、陣中にいた黒田側の人質を、内応のための連絡係とか目付と見てるんじゃない?
しかし名将というあたり、いくらかオタ臭を感じるなあ。
俺の場合、猛将という印象を超えないよ。
西軍が負けたら、信長の野望での猛関(てか関白になれない秀秋)の武力or統率は、70ぐらいまで落ちているんじゃない?
522:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/20 16:54:16 w0AyvJqQ
俺的には、池田輝政が凄いと思う。関が原の戦いで三河国吉田15万2000石を没収。その後、牢人。
他大名からの勧誘を断り続けたが、やがて石田三成の旗本になって、江戸冬の陣では、抜群の功績を
して、旧領三河国吉田15万2000石に復帰出来たのだから。あいつだけだよな。改易されて返り咲きしたの。
後、妻が家康の娘であったが、折り合いが悪く、関が原の戦いの後は離縁してるな。結局、1613年に死ぬん
だが、その際、輝政の死は世間では家康の呪いとも噂された。と言われているよな。
523:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/20 18:03:18 nrVpnNp3
輝政が築いた吉田城って別名ポンポコ城だっけ。世界遺産じゃなかったか?
524:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/20 22:12:48 zqQTMZUp
>>522
上のほうのレスにあるが加藤清正が牢人から会津の大名に復帰している。
どちらも江戸の陣で復活してるお。
追記すると黒田長政は廃嫡の上奉公禁止で追放処分
そのまま江戸の陣で死去
福島正則の場合は遠島だが、後に正則の子・正利は3000石
で旗本となってる。
525:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/22 18:53:13 hcYjs6xm
八丈島に流された天海かわいそう。
526:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 01:17:17 AP1sdUR8
三成が豊臣恩顧の大名に対しては厳しい処置を取れなかったってのもあるが
北政所が淀君に頭を下げ尾張出身者をかばったってのもあるらしいね
527:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 22:05:47 Fe3FxSw+
>>526
それは俗説だよ。
上のほうのレスにあるが淀殿も東軍への協力が理由で
大阪城から出され淀城に蟄居させられてる。
528:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/23 22:15:56 xcDujMYT
関ヶ原の後に淀が出産したという伝説は?
529:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 12:17:46 KzBffUeI
まあ西軍が勝ってくれたおかげで日本は世界最初の資本主義国家になったわけで
狸じゃそうはいかなかったな
530:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/24 16:00:34 bMo8iMd5
なんだかややこしいね。
531:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 19:28:04 6JGjEz42
誰か浅学でパソコンが使えない私のためにこのスレをまとめてくれる方はいないだろうか・・・。
532:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 20:42:10 fMnxf2Uh
日本中サルだらけになったけどな
533:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 21:45:21 bhc0yjmU
猿の列島
534:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 21:55:34 JuNjsy4h
ここは、ここは日本だったんだ!
豊臣の奴ら、豊臣なんかくたばってしまえ~~~!!!
砂漠のような砂浜には、くずれかけた大阪城が埋まっていたとさ。
何の話だ。
>>531
正月休みに期待してくれ。
俺ではない誰かが多分…。
535:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/25 21:57:13 JuNjsy4h
「なんてことだ! 豊臣の奴ら、豊臣なんかくたばってしまえ~~~!!!」
だな。
536:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/26 01:01:42 i4OPCId9
>>529
日本が世界最初の資本主義国家って自己評価高すぎだろ。
未だにOECDにすら加盟してないのに。
537:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/26 19:46:41 cSBvFsDK
>>536
日本の定義が曖昧なせいだろ。
独立した海外植民地は先進国に名を連ねてるが
旧本国は蝦夷地や九州は独立するわ、四国は割譲されるわで
未だにOECDにすら加盟してない。
538:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/26 19:57:42 cSBvFsDK
>>531
大雑把でよければ少々史実と東軍の勝利がいかに違うか
書いてみませう。
まず豊臣家最大の失敗といわれる朝鮮出兵の中途で豊太閤秀吉薨去
残されたのは幼い秀頼と生母淀君であり
政権運営のため
徳川家康、前田利家といった有力大名五名と
五人の奉行で合議していくことが決められた。
このとき朝鮮出兵せずに関東250万石の大封を抱え秀吉も一目置いた
家康が次の天下を狙うような動きを見せ
阻止しようとした前田利家も死んでしまい
家康は暴走
関東の腹背を撃つ位置になる会津太守にして五大老の一人
上杉景勝が家康に反発、ここに上杉征伐が起きるわけです。
で上方に残った毛利、宇喜多を味方にした石田三成が決起
上方に引き返した家康の軍勢と関が原で決戦する。
もちろん結果は三成らの西軍が圧倒的な大勝利を飾るわけですね。
539:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/26 20:13:51 cSBvFsDK
ところが、東軍勝利を信じ込む厨は小早川秀秋と吉川の内応裏切りで
東軍が勝利できたといっている。たしかに戦史的には両者が
家康を関が原に誘い出す為演技していた事実は語られているけどね・・。
ともかくこの合戦で前田 徳川、浅野が五大老五奉行から失脚
代わって小西、石田、安国寺が任命されるんです。
このため東軍厨は関が原の東軍勝利において、この3名を
河原で処刑するという展開は、もはやお約束のセオリーです。
で三成と北政所はけっこう良好な関係であったものの
浅野や木下家定が東軍に組した事実から責任追及はまぬがれず
宇喜多家の京都屋敷に匿われるのです。
一方これで淀君の権限が強まるかと思いきや
家康の上杉征伐に軍資金を出していた件、家康に西軍決起の
情報を漏洩した件、大野治長の助命の為
あとは妹夫婦を救うため秀頼の嫁に秀忠の娘千姫をという秀吉の遺言を
主張しだした政治音痴などが理由で
淀城に幽閉蟄居させられてしまいます。
毛利は巨大になりすぎることを警戒され元康、秀元、秀包、広家、安国寺、
村上水軍など参戦武将に直に恩賞を与えられ独立大名となり、
上杉も越後と山形を与えられるものの米沢30万石の直江は独立大名に
それでも毛利一門の総石高と上杉は最盛期の徳川を凌ぐ大大名になってしまいます。
第二の徳川として警戒されることを恐れ毛利と上杉は
大老筆頭の座を石田三成に譲ってしまいます。
540:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/26 20:21:38 cSBvFsDK
家康は処刑(実は生きていて南光坊天海として暗躍)
福島正則と(江戸の陣直前に松平秀康)が八丈島に流罪
黒田長政は廃嫡の上、武家奉公禁止の処分で追放
浅野は後に高家や旗本として豊臣家に仕えます。
高家筆頭の浅野上野介が赤穂の吉良47士に討たれる
有名な赤穂浪士で本家は断絶しますけど・・。
これも東軍厨では浅野の家臣47名が高家筆頭の吉良に討ち入るという
逆の話になってます。
で徳川は残りますが、後に警戒されれ方向寺の鐘銘を理由に
江戸の陣が起こります。
これまた東軍厨いわく家康の狸親父が大阪方を追い詰める為
寺の鐘銘を理由に大阪の陣を起こすとなってます。
541:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/26 20:38:28 cSBvFsDK
江戸の陣では加藤清正と池田輝政が(一説には三成に土下座)
石田家の客将として参加、戦後は会津と三河吉田の大名に
なっている。
関が原での没落組には、ほかに江戸の陣で
後藤又兵衛基次(旧主黒田長政)
塙団右衛門直之(旧主加藤嘉明)
細川五郎興秋(細川忠興の次男で勘当された父に変わり細川家を相続した)
小笠原権之丞(家康の隠し子)
がそれぞれ大名としてかつての主君を撃つというエピソードもある。
542:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/27 18:21:32 13/F6UwM
おれも少しまとめてみるか。
徳川から小早川の陣へ射撃したのが、小早川軍が徳川本隊を強襲するきっかけになったよね。
東軍勝利物語では、そのとき小早川軍が東軍に寝返る、というのが結構一般的みたい。
もしも東軍が勝利したら…。
現在のような経済中心国家にはならなかったんじゃないか、というのは大体の人が認めてる。
ほかには江戸が首都になったんじゃないかと言う人もいる。
権力闘争の面では、豊臣はつぶされると言う人もいれば、家康は執権政治をするんじゃないかと言う人もいる。
んなところかな。
543:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/27 20:12:55 XaabZpVl
徳川から小早川の陣へ射撃したのが小早川軍が東軍に寝返るきっかけってのが東軍厨の痛いところだよね。
というかそこまで無理をしなきゃ東軍が勝つシチュエーションが浮かばないんだろう。
敵に攻撃されたら反撃せず味方を攻撃なんてどこの世界にそんな軍隊あるんだよ。
秀秋はさすが秀吉とねねに目をかけられただけあって見事な武者ぶりだったらしいね。
関白になってからもうまく戦後のごたごたを押さえたしな。
早死にしたのが悔やまれる。もし秀秋が長生きしていれば豊臣政権も磐石になって豊臣時代はもっと長かっただろう。
544:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/27 23:48:19 v6AUytqt
>>540
赤穂吉良家って、どういう経緯で出来たんだっけ?
確か、江戸の陣が終わった後だった気がするんだが、詳しいことが思いだせん。
545:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/27 23:58:09 WtSQE3en
>>543
ほんと、秀詮公は豊臣の世を守るために生まれてきたような感じだったな。
二人の養父に恥じぬ働きで「傑将関白」とはよく言ったもんだ。
その先鋒の松野重元もすごい。
家康本陣は愚か後方の中村・有馬勢を追い散らして
「松野主馬の勢はとどまるところなし」と賞賛された武功は関ヶ原随一と言ってもいいんじゃないかな。
546:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/28 19:30:51 B64oFCbJ
石川氏が維新まで続いて名君を連発した事を考えると改めて
石川数正って天才的な時勢の読みを見せたんだなぁと思う。
547:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 12:34:56 9KhAZ1Et
織田信衡って東軍が勝ってたら歴史にその名が出てくる事も無かっただろうな
548:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 17:45:53 4K+Wq6Sf
お前ら家康のこと馬鹿にしてるけど、
俺の地元の浜松では、民政に力を入れた名君として
今でも結構市民から慕われているぞ。
549:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/30 22:31:00 NXFankya
ところで東軍厨が大好きなIfモノって
なんでどれも家康が征夷大将軍に就任するの?
足利幕府の凋落を見ても
あの当時将軍職に権威があったとは思えないし
官位としても関白には到底かなわないよね?
「武家の棟梁うんぬん」っていう理由付けをよく聞くけど
ちょっと無理があるような。。。
550:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/31 01:09:27 embShsJz
>>549
家康が足利氏と同等の家格の源氏の名門新田氏の末裔を称したからじゃね?
田舎臭い家康が勝っても、上京して至尊の貴族になるとは思えないし、
それよりは関東で幕府を開く頼朝の二番煎じをするほうがキャラに合ってるし。
551:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/31 04:57:04 2exaUkju
豊国大明神様が在世中の時から家康が吾妻鏡の講釈を知識人から受けていた
という逸話が元となって実は将軍になる大志を抱いていたというのも根拠の一つだろうな。
しかしやはり頼朝公の再来といえば秀吉というのが常識だしな。
552:名無し議論スレにて投票方法審議中
06/12/31 18:17:48 qbcTUUwO
天下友達ネタ(・∀・)キター
たしか秀吉が兄貴分で頼朝が弟分の天下友達だな。
東軍厨いわく豊臣が関白だから簒奪にならないように印象つける為
征夷大将軍を望んだという設定らしい。
ある意味家康らしいセコさだな。
553:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/01 08:30:08 mtiHH0wu
征夷の元は敵があっての話なのに、秀吉様が安寧楽土とした時になにを敵だと言うのか。
554:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/04 22:20:15 UMlCRe/i
朝廷だったりして……。
555:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/05 18:40:01 mzs4OMw+
>>554
朝廷=豊臣家と考えるほうが自然だろう。仮想敵国として豊臣を考えてたんジャマイカ?
豊国大明神様いわゆる秀吉公は、母親が朝廷から故あって落ちぶれた萩中納言の娘
その御胤を身篭った父というのが正親町天皇であるというのは有名な史実。
ゆえに天皇家と摂関豊臣家は何代も姻戚なわけだし・・
朝廷を夷というのは天皇の御落胤である秀吉の家豊臣を夷とする考えなんでは?
556:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 09:21:25 ySdL0+kM
朝廷から頂いた官職を根拠に朝廷を滅ぼすわけは無いだろうけれど、
征夷大将軍就任→豊臣攻め、というのは大体のお話でセットになって語られているので、
やはり夷=豊臣家なのかな。
最近では「秀吉=後胤」説は、「徳川=源氏」説と同等かそれ以上に胡散臭いと言われているみたいだし、
嘘つきを滅ぼすという大儀名分は成り立つかもしれない。
557:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 11:04:33 DET9hIcI
>>553
葵三代では、敵とは「天皇をあがめない異国の者共、イスパニア然り、イギリス然り、オランダ然り、」
だそうだ。
558:556
07/01/06 11:26:45 ySdL0+kM
「秀吉=後胤」でなく「皇胤」の間違いだね。
>>557
家康も、秀吉のように海外に出兵する気かしら?
秀頼のように通商による勢力拡大にしときゃいいのに。
559:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 17:46:05 DET9hIcI
ドラマの話だから広げるつもりはないが、
前後の文脈から、
異国と折衝し、いざというときは武力で追い払うって意味使っている。
ま、言っていることは専守防衛だな。
実際、家康・秀忠はこの路線を行っているし。
560:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/06 18:48:23 ROXyUGkn
>>558
仮想戦記で天下太平になって浪人対策で家光が明に出兵する話があったぞ。
561:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/08 18:40:23 Bh1+4EyU
>>560
徳川家光かい?
家光といえば東軍厨いわく徳川幕府三代将軍になるのがお定まりの
人物ではあるが・・・
史実によれば江戸の陣において
「祖父(家康)や父(秀忠)は貴公らと同格の諸侯であり
太閤殿下のご恩顧への遠慮もあったが、
余が生まれたときには徳川は諸侯の座に無く不当に咎を受けていた。
余は生まれながらの謀反人である。
・・・・・・」
といふセリフを述べているのが、あまりに有名なあのお方?
セリフだけ聞けば
「さすがはかの天下の謀反人明智光秀縁の女を乳母に育った武士よ」
という光景ではある。
しかし実際のとこ戦場には一度も出ておらず馬にも乗れなかったそうですね。
562:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/08 19:26:39 o1Chu03u
敦賀六十八万石って西軍勝利の功労者の割りにその後ぱっとしないねやっぱ吉継が病を理由に三成大老の私的な相談役にとどまったのせいか
あと、息子の吉治と分家した木下頼継が不仲で、吉継死後一触即発になって。真田信繁と大老が直々に仲裁してなかったっけ?
563:sage
07/01/09 04:44:28 qvWuUZ87
やっぱり当主が早死にしちゃうとだめだね
吉継にしろ、小早川秀秋にしろ、西軍の功労者には多いのだが、当主死後には決まって
必ずと言っていいほどお家騒動で勢力減退してるもんな。
その点、小西行長は当時としては長命な70代までいきたし、堺町衆の後ろ盾もあって
紀州大納言家創始して、八代の行宗の時には関白だもんね。
長生きも戦国武将の大事な使命だね。
564:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/09 20:20:18 NpLY0Qhv
>>563
三成の息子を東軍に従軍させると言って安心させといて、実際はだまし討ちしたから、
その罰が当たって早死にしたんだよ。
565:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/09 21:19:33 2N0ApSjZ
ん?そんな事初めて聞いたな。
566:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 13:31:05 bcNqBbsR
>>563
紀州大納言家と言えば、長曾我部盛親御落胤(自称)の丸橋忠弥との関連は見逃せないな
567:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 13:36:35 /adIZE7l
くそ~ 関が原で東軍が勝ってたら、あの時九州を一人で席捲していた如水公は
その後の政権内でもっと重きをなしたはず。
ひょっとしたら勢いに乗って天下人にすらなったかもしれないのに。
豊国大明神存命中の頃の活躍を考えれば、それぐらい朝飯前で成し遂げそうな武将だった。
家康~ 半日で負けてんじゃねえよ!
568:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 13:42:17 sm7V0+Pj
息子がヘマ打っちゃったのもきつかったねぇ。
父に似ず調略下手だったもんだからその助命嘆願や
家臣の行き先探しに駆け回った挙句ぽっくりって感じだし。
569:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 13:52:26 Vau4s1kx
>>565
三成じゃなくて、吉継自身の子供のことだったかもしれないけれど、そんな話無かったっけ?
570:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 16:21:05 7+7QGryp
>>566
丸橋忠弥が色々怪しい動きをしたおかげで
長曾我部家は一時改易寸前までいったよね。
まぁ、なんとか持ち直してその後全盛期を築いたわけだけど。
ところで、四国イコール長曾我部のイメージのせいか
四国名物は長曾我部を冠したものが多いね。
でも正直「長曾我部うどん」とか
「長曾我部みかん」なんてのはどうかなと思うんだ。
この前別スレで「讃岐うどん」とかにした方がいいんじゃないのって
提案したら
「ばか、そんなんじゃ売れねぇだろ」って即レスされたよ。
571:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 23:30:52 Vau4s1kx
>>570
わざわざ讃岐なんて呼ばなくていいよ。
「長曾我部」が嫌なら、高松うどんでいい。
一般には讃岐って旧国名より、現在も使われている高松市って名前の方が有名だろ。
それに長曾我部の本拠地なんだし。
スレ違い失礼。
572:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/10 23:41:00 aRZWPPpI
坂 崎 直 盛 宇喜多秀家の従兄弟だが、東軍について改易された男。
浪人中に自ら坂崎って名前にしたらしいが、実際は秀家が同じ宇喜多姓を
名乗るなって事だったらしい。後の、大阪城の千姫略奪事件も凄いものがあったなw
東軍は痛い奴が多かった。よって、負けた。
他 ス レ で 誤 爆 し て 参 っ た 。
573:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 00:08:18 W6uK1DO3
>>572
「豊臣秀頼の謎」スレかあ。
東軍厨に難癖つけられる前に気づいてよかったね。
574:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/11 22:30:59 T03zqavu
>>572
泳いでカエレ
575:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/12 15:23:54 vUPr7E7T
ん?
「この」スレだと「泳いで参った」のは結城さんじゃね?
576:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 15:56:14 zKhuza3C
史実じゃ可児才蔵を討ち取って大名になった宮本武蔵だけど、東軍が勝ってたらただの名無し浪人で終わってたか?
577:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 16:26:39 9SXLdQXg
武蔵には晩年の芸術家としての側面もあるから、むしろもっと
クリエイティブな才能を花開かせてた可能性もあるかもな。
578:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 19:21:27 zT6e+Hdq
宮本武蔵って念願の大名になったくせに
宮仕えのストレスからか
夜中に刀振り回したり
何日も自室にこもって絵を描きまっくったりしたらしいね。
大坂城殿中でも周りから浮きまくってたっていう記録もあるし
浪人のままの方が幸せだったかも。
579:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 20:08:27 B/Ysr/JE
あまりにも趣味に没頭しすぎて、領内の財政を傾けちゃったしね。
死ぬまでに70万両の借金をこさえるのはどうかと。
二万石の小大名の癖になw
しかし、あの時代の芸術の一翼を担った功績は大だけどな。
580:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 20:40:54 zT6e+Hdq
70万両も借金してたのか。
武蔵は紙や硯、絵の具なんかの開発・改良にも功績があって
後世の我々は大変お世話になってるからなあ。
あんまり悪口は言えぬわな。
ところで武蔵が大名になれたのは
秀家公強いの後押しがあったらしい。
宇喜多騒動に懲りた秀家公が性格に問題がある武蔵を
体よく追っ払うために独立させたんだそうな。
581:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 23:03:35 3oz6Ztva
宮本武蔵に仕官して剣術奉行務めた佐々木小次郎だっけ?
道場の総取り締まりを兼ねて、武蔵の剣術上手をしる家臣たちも小次郎殿が上では
とささやかれて、晩年の武蔵の求心力の低下も如実に表してるけど、ついに
小次郎と武蔵は戦うことなかったな。やっぱ小次郎の方が強かったんだろうな。
まぁ二人とも脅威の出世だけど、東軍が勝ってたら100%他人のままだよ
582:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/16 00:54:00 NiwBp3lM
武蔵や小次郎の兵法なんてお座敷剣術だろ。
典膳島(舟島)の決闘で名高い御子神典膳とそれに打ち勝った柳生但馬こそ真の武芸者だ。
但馬は一見姑息だけど勝つことに対する執着心はまさに実戦剣術の神髄だし、
剣術のみならず禅にも深い造詣があって、禅僧になっても一流だったろうという評価もあるくらいだ。
まあ、数年前の大河ドラマのTAJIMAは出来悪かったみたいだけど。
583:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/16 15:52:52 DfKjoBtE
武蔵の代で70万両というとてつもない借金をしたが、二代目の宮本伊織がきちんと執政を行い
借金を全て返済、領内の治水などを行って、実質2万石の大名だったが、実高は10万石だったらしいな。
584:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/16 21:09:53 U33kiX7U
宮本伊織って そのご朝廷の剣術指南役までなったんじゃなかったけ?
まあ指南役って言っても、公家相手になんの指南してるやらだけど。
でも そのおかげで二天一流が全国の大名に広まったことは確かだし、
開祖の武蔵の名も、戦国オタなら一度は聞いた事ぐらいある名前になったわけだ。
もし もし東軍が勝ってたら、武蔵なんて、「タケゾウって誰?」て言われるぐらい無名だっただろうよ。
585:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/16 23:49:07 uW0Rx0+m
>>583
その後凡君が五代続いても潰れなかったのは伊織のおかげだよ。
まあしかし、借金は膨らんでしまったわけだがw
借金踏み倒しギネス記録保持者だからな >宮本家
586:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 03:48:26 wfdIwa0k
宮本武蔵が大名まで出世できたのは、
山陰の忍を指揮していたからていうのは史実なの?
587:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 19:13:18 Ro+omOAD
>>586
武蔵自身も忍者だったって説もあるけど、美作出身だから忍者ってのはあまりにも単純すぎるよな。
滝川一益と同じくらい怪しい。
588:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 19:53:06 Xs8E31Ky
忍者は宍戸美作守だろう。通称、梅軒。
武蔵が剣術奉行公募したときに決勝で小次郎に負けたけど、その豪気さを秀頼さまが
気に入られて、その鎖鎌とかいう曲芸のような武術を習ったという。でも秀頼さまが
鎖鎌振り回したら、大野治長に刺さって、血だらけで大野が武術はお控えくださいと
諫言した話しは有名。それでも辞めなかったから大野は宍戸を逆恨みして算盤奉行に
したら、案外頭が良くて宍戸家は代々兵糧奉行したり算術家を輩出した。まぁ伝説っぽいけどな。
梅軒はなんでも出来たから諸国放浪の元忍者となってる。
それより秀頼公が気に入った吉岡一門の栄華のほうが凄いけどな。普通に大名になってる。
589:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 22:51:20 qMmjRNvB
>>588
大野治長は秀頼さまの側近で終わったが
小粒な逸話が多くて、全体の評価は悪くない。
(血まみれのまま諫言なんて普通できないもんな。)
東軍厨ご用達の仮想戦記において
彼が大坂の重要人物となっているのも
あながち無理な設定ではないと個人的には思ってる。
590:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/17 23:37:09 3ngDnDzT
>>586
全国の大名に仕官していった門弟のネットワークを使って、大名の動静をさぐっていたらしいな。
朝廷内では専らそっちの仕事で重宝がられていたと。
ちなみに、裏宮本という影の軍団を指揮して、諜報活動していたというのは、講談や
千葉真一のドラマだけの話らしい。
591:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/18 01:53:20 lw4PCNdS
>>590
影武者石田光成や漫画のTADAKATSU読んでると、
宮本=忍軍ってイメージが植えつけられてしまった罠。
特に後者は南斗の拳の作者の漫画演出が、歴史漫画じゃなくて格闘漫画レベルだったしな。
592:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 04:04:02 MmGFTbc6
でも武蔵って青年期の才蔵と一騎討ちとか、乱心した家臣を討ちすえたとか
三成と喧嘩したとかいうハデな剣豪イメージより、秀頼公に媚びうったり借金の
イメージが強いよなぁ。たしかに「剣術のご指南を」とかいって弟子送ったり大名達と仲良く
なりつつ、それを大阪にチクるのは裏方として重要かもしれんが、格好良い姿ではないな。
晩年に処世術をまとめた五輪の書がサラリーマンの人付き合いのマニュアルみたいになってるし。
そもそも剣術奉行公募とかいって、秀頼公の前でわざわざ御前試合開いてお祭り騒ぎしたり、
秀頼公に気に入られるようにいろいろと計算してるんだよな。武蔵は大名達には白い目で
見られてたのに、秀頼公も空気読めず武蔵のこと気に入っちゃって。空気読めないといえば
優勝した佐々木より、準優勝の宍戸を気に入ったとかな。逆に佐々木は真面目だから黙々と剣術に
励んで、茶道の利休、剣道の小次郎というように近代剣術様式を完成させた訳だけど。
小次郎がいなかったら、今みたいに剣道が国民的スポーツにはならないよ。
武蔵も剣術奨励したとかいうけど、実際は佐々木小次郎にまかせっぱなしだし、佐々木の功績も見逃せない。
それより、宍戸は基本は武蔵の家臣なのに秀頼からも禄貰ってる時期あったよな。
それを大野が例の”流血の諫言”の後に正そうと、武蔵からの禄のみにして直臣とした。
この時だよな、大野が乱心したのか宍戸を米奉行にしたのは。1代目の梅軒は普通だったが、
2代目3代目が算術に長けてて数学者として功績残した。まぁ無理もないよなギネス級の
借金重ねるわけだから、その収支報告まとめるのもギネス級に難儀な事だろう、それを
こなすわけだから相当な能力を求められるよな当然。ある意味、大野の凄いよ。
大野も結構、思いきったことするしな。秀頼公が「10万の兵を与えてみたい」と
言ったのも分かる気がする。これが元で仮想戦記で豊臣方の司令官になったりするが。
でも、大野、武蔵、宍戸、佐々木のコンビは面白いよな。時代劇みててこいつらが
出てくると平和到来って感じ。この間、「ひょうたん 豊臣三代」見ててこの四人のコントが
あって、どっかで「こんなキャラいたなぁ」と思ったらルパン三世に当てはまるんだよ。
武蔵=ルパン、宍戸=次元、小次郎=五右衛門、大野=銭方のとっつぁん。すげぇよ実在するとは。
本当に大野は「待ぁて~武蔵ぃぃい」って言ってたらしいし。名言だな。
でも名言第一はあれだよな、秀頼公のあれ。
明の使者が来て、返書に「倭」とあって秀頼公が我らは自国のことを倭とは呼ばないと
言って改めるように言ったときに、明の使者が「では改めて、国名は?」と聞いたら秀頼公が
「ひょっこりひょうたん島である!」と言ったという。最高だよな。大野が慌てて通訳の口塞いで
「に、日本国でよろしい、ひ、ひ、秀頼さまは日本国王である、そう記せ」と言ったという。
確かな記録にはあまり残ってなかったから伝説だったけど、去年あたり新しい記録が中国かどっかで
見つかったんだっけ?いろいろ日本側にない逸話があって、その中にあったとか。
つい長文になっちまったよ。大野厨なんでな、わりぃ。
593:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 04:47:23 kWm38TIf
日本史上稀にみる勤皇家であられた正一位関白太政大臣秀頼公が冗談でも日本国王なんて名乗るわけないだろ
逆賊足利義満とは違う
594:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 09:58:23 kKPvqHnJ
ひょっこりひょうたん島と言えば、反射的に結城秀康を思い浮かべるような頭になっちまった…。
繰り返しになるが「泳げよ、秀康!」
595:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 10:49:53 ETEHAet9
でも、関ヶ原で勝ったとはいえ、
豊家第三代の豊臣秀光がいなかったら、300年も持たなかったと思うよ。
現時の流れを汲む京極氏に養子に入り、
その後、順々に京極の人達を追い出し、羽柴に復姓、
豊臣の本姓もそのまま頂いてるから、
正一位源朝臣関白右大将秀光
史上初の右大将兼関白だからなぁ。
仇敵徳川氏の本拠の江戸に幕政の本拠を移した事などは、
よほど頭が良くないと出来ないよ。
豊家第四代・2代将軍羽柴秀綱は大したものだよ。
法制度を整えて、地方分権と中央集権のバランスを見事に確立したからなぁ。
596:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 14:17:21 NWEnegv/
豊家の代数って
秀吉-(秀次)-秀秋-秀頼で関白位なら殺生を数えて、歴代なら省かれるだよな
597:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 18:03:47 Zmm96oZa
ところでみんな
大坂城の南側に存在する
いわゆる「真田丸」についてはどう思う?
あれは真田親子が発言力拡大を狙って
大坂城は南側に弱点があるとか言って、無理やり築かせたものだろ?
そもそも太平の世にあれが必要だったとは思えんし
あの、とってつけた感丸出しのデザインのせいで
激しく大坂城の外観を損ねているように思えるのは
自分だけじゃないはずだ。
598:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 19:50:59 B7CpAgSS
真田親子じゃねえよ。
真田丸を築いたのは関ヶ原後ですでに父の昌幸は死去しており、大阪の陣に参加したのは息子の幸村だけ。
599:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 20:49:33 dxtouELn
大阪の陣?
これだからゆとりは…
600:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/19 22:46:26 8z9VBzPF
>>599
このスレは基本的に東軍勝利したらという仮定で成立するスレだから
>>598の発言は間違いともいえない。
しかし東軍厨は置いておいて>>587真田丸ね。真田親子は関が原の西軍勝利に
大きく貢献し江戸の陣でも活躍し
大老石田三成と重鎮大谷吉継の家の縁戚でありながら
今一歩政権の中にはいっていけなかったからね。
いろいろと大変だったようだ。
さすがに表裏比興の家とは言われなくなったが
前田宇喜多小早川や佐竹にならぶ大大名になったせいで警戒もされたしねー。
601:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/20 02:09:45 X4b3YkM9
なぁ、俺少し頭悪いから聞くけど今の皇居って江戸城だっけ?京都御所だっけ?大坂城だっけ?
602:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/20 09:17:48 GR2uV08t
>>601
おいおい。今上天皇が座すのは京の御所以外あると思うか?
603:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/20 17:03:20 7AH7w7an
大阪城へは時々行幸されるから、>>601みたいな疑問も生まれるのかもね。
何で「江戸城」という言葉が出るのかは理解できないけれど。
>>600
>>598は史実と「お話」の区別がついていないと言う可能性も…。
604:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/20 22:38:55 czLvuI3x
>>600
真田家は信之助命の嘆願に一戦も辞さずと大阪に向け強行に出たからね
それに記憶あやふやだが確か信之は江戸の陣で徳川の客将とならなかったか?
講談だったかも
605:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/20 23:54:40 AHcmyZuf
>>604
信之は江戸の陣で赤備の決死隊を率いて豊臣本陣に突入したんじゃないの?
伊達の騎馬鉄砲隊との戦いや、家光を連れて蝦夷まで逃げたっていうのは講談の話だったと思うけど。
606:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 00:18:05 nd5TDi20
>>605
あれ?それって山内一豊じゃなかった?
江戸の陣は意外と苦戦したらしく後年、大淀様が大規模な焚書をなさったからな
詳しい人頼む
607:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 00:19:15 gngjvRaS
あれ?徳川家光って秀頼を暗殺しようとしたけど、捕まったが、命は助けられて初代非人頭になったんぢゃないの?
代々、祖父や自分の幼名の竹千代を文字って代々、竹左衛門として非人頭を世襲したって歴史で学んだけど。
608:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 20:54:40 JA5UMU/i
>>606
信之が桜田門から出て伊達と当たり、山内が半蔵門から出て小西を叩き潰して豊臣本陣を挟撃したんじゃなかったっけ?
本陣前に陣取ってたの蜂須賀至鎮を討ち取ったのはその成果だったと思うよ。
しかし蜂須賀家も至鎮戦死のせいで17万石なんて小藩にされたのが残念だな。
正勝以来の股肱だったのに……
609:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 21:23:12 a25rDJC2
>>607
それ家光の名を騙った偽物だよ、本物は江戸の陣で殺されてる
まあ関東では徳川人気はあったみたいだから当時から生存説は多数あったようだね
で、件の犯人はどこの馬の骨か解らないような人物だったらしい
610:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 21:36:35 37WqiBX0
もし東軍が勝っていたら、誰が家康の跡を継いだんだろう。
秀忠中心に考えると、やはり秀忠が関ヶ原に間に合わずに奇跡的に勝ったのだったら秀康で、
間に合って勝ったのなら史実どおり秀忠かな。
逆に秀康中心に考えると、上杉相手に持ちこたえれば、やはり秀康が後継者になれたのかな。
秀康が跡を継いでいれば、家光に変わって忠直が徳川当主か…。
江戸城攻略に関与したくせに。
611:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 22:34:45 pMRJ5Jya
七本槍筆頭各は大坂鎮将と言われた脇坂安治だよな。
時々、福島が筆頭各として出ている資料みるとはぁ?という気になるよな。
確かに関ヶ原まで出世コースにいたが、後代の評価から見ると脇坂だろ?
そもそも、関ヶ原での敗北は福島の後退から始まったわけだし、
側面から突っ込んだ脇坂の功績は大きい。
脇坂は常に小勢ながら朝鮮でも関ヶ原でも大事な場面で勝っているからな。
親友の藤堂高虎を大谷吉継と一緒に助命嘆願したしたことからも、
義理人情に厚いことがわかるけどねぁ。
結局三河30万石。江戸の陣では大坂の留守番役だったし。
江戸の陣脇坂いったら一方面軍の大将まかせられたんじゃね?
豊臣譜代で一番戦闘経験あるんだから。
612:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/21 22:53:21 pMRJ5Jya
加藤清正って時々三成以上に奸臣扱いされるよな~。
でも、三成や直江の様に忠誠心が高い故に奸臣として見られる
のではなく、うまくゴマすりやったという印象しかないな。
自分の領土欲しい為に太閤の唐入りをそそのかしたとか。
七将の乱で三成追い落としたのも奉行職狙ったという話だし・・・。
特に奸臣の本領発揮したの関ヶ原で、東軍にいながら
自分が追い落とした三成となんやかんや言いながら連絡とっていたし。
で、大名復帰後も、太閤の血縁だって秀頼に近づいていたし。
得意の土木作業でせっせと豊臣家の金使ったし。
逸話でもあいつは裏切るんじゃないかって言われ
鳥羽・伏見の戦いで最初に裏切って『加藤の犬畜生』っていわれたんだっけ?
613:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 16:09:54 ofbXatOy
そもそも徳川家は家康が信康を殺した時点で終わってる。
自分の家の家督すら、個人的な好き嫌いで決めるような男が、
他家の家督相続に干渉しないわけがない。
長子相続を否定するような男が、武家社会を統括できるわけがないだろ。
614:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 16:23:25 qs0PWLI2
それを言えば幾ら宮家のご落胤であったとはいえ
出時が農民であった太閤殿下が見事に平定なされた
現代的な統治ではなく中華思想的な力の統治であるから
関ケ原後に東軍が勝ち、その後の身の処し方次第では統領たりえたろ
ただ情に弱く短気な家康が長期政権を築けたかどうかは疑問だがな
615:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 16:33:27 ofbXatOy
ちょっと話がそれるけど、柳生又右衛門はやっぱり日本一の剣豪だったと思うぜ。
宮本武蔵守なんてしょせん大名の殿様剣法だし、絵師や文筆家としての名声ばかり高くて、
又右衛門みたいな実戦経験はほとんどない。
616:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 16:50:39 ner0YIAS
可児才蔵倒したってのは大きいだろうし世間で言われるほど
殿様芸ではなかったと思うが、やっぱり又右衛門にはかなわんだろうな
ところで又右衛門の甥で、島左近の娘婿、柳生兵庫助利厳について詳しく知ってる奴いないか?
617:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 16:51:45 ZjRkKLZI
スレタイ通りに進めつつ実は>1の趣旨に合う展開なスレ
618:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 16:54:49 ofbXatOy
>>615
すいません、同じネタがすぐ前にありました。
619:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/22 19:40:33 hbenk8Cq
>>1
今気づいた。
実は俺たちは>>1の手の上で踊らされていただけかもしれん。
620:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/23 03:45:34 NChwuRt0
本拠地が大坂城なのに何で鳥羽伏見?
621:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/23 16:05:28 KEoVpIvS
>>620
東北から攻めてきたからじゃん
622:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/24 15:08:47 QHchPTBG
徳川って東北に信頼去れてたよな。なんで?
623:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/25 14:13:00 MAiif7Xl
>>617のレスが神過ぎてレスが少なくなった件について
624:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/25 15:23:04 HRD1d93/
東軍が勝つ訳ないやん。アホちゃうか。ぷげらっちょ
625:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/26 18:40:15 TU+6+rzh
>>623
ここは前からこんなかんじだよ。
神ネタが投入されたら一気に盛り上がるけど・・そうでないときは
大概この程度かと・・マジレスしてみる。
>>622
徳川の場合信頼されてたというよりも利用されてただけかと・・
関が原のときも徳川の没落と命運ともにしたのって皆無だぞ。
最上や堀は上杉と交戦したからだし
南部は伊達が西軍に寝返った際の生贄として潰されただけだし
江戸の陣のときなど奥羽諸侯で江戸側に味方した香具師など
皆無だ。関が原で潰れた堀や最上、南部ですら豊臣に
擦り寄って旗本や小大名としての復帰を果たしてるしなー。
626:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 19:26:37 p87gOP6S
age
627:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/02/04 19:45:39 O/L9dU7y
なんで今川氏真は天下を取れたのか
スレリンク(sengoku板)
628:人間七七四年
07/02/23 11:36:10 PfRERoem
ほしゅ
629:人間七七四年
07/02/25 02:48:18 Xl1LDDMr
24時間以内に異論が無ければ、
徳川家康が年齢を詐称し、秀頼の養子となって、
関白になるだろうと言うのが結論ということで。
630:人間七七四年
07/02/25 02:58:08 NNc5QX0i
それはないな…家康は秀頼の後見人となるも病死。その後秀頼率いる幕府軍が家康の息子秀康の守る江戸城を攻める。
秀康大勝。徳川家滅亡だな。
631:人間七七四年
07/02/25 03:10:57 kp/o/tea
てかそもそも秀吉は秀頼の正室に千姫を望んでたんだよな?
もうちょっと待ってそこから更に外戚として勢力伸ばせば良かったものを…
なんでもう少し辛抱強く待てなかったかな。
秀忠が不甲斐なかったのか一番の原因かね…軍事面はその通りとしても
政治分野ではそこまで見劣りするほどでもなかったと思うだがなぁ。
632:人間七七四年
07/02/25 17:16:08 Xl1LDDMr
>>630
秀康の大勝で徳川家滅亡…。
ってことは、結城家が天下を盗るってか。
633:人間七七四年
07/03/05 03:14:17 ZoSeRmsZ
保守
634:人間七七四年
07/03/13 19:22:02 eG5l4YiD
保守派の細川もりひろは、関ヶ原で殺された忠興の子孫だそうな。
関ヶ原で東軍が勝っていたら、やはり領地のある大分から立候補してたのかな?
635:人間七七四年
07/03/14 07:53:26 BNgrQJ1G
そういえば関が原後に伊達政宗はどうなったの?
636:人間七七四年
07/03/14 11:58:01 ots5X55t
いや~今週の大河は良かったねぇ。
あ、見逃した人の為にあらすじ貼っとくね。
第五十話『友、散る』
関が原より三年。余命幾許も無い状態となった吉継は官を辞し、領地越前敦賀で日を送っていた。
先の戦で百万石もの大禄を得た吉継は領地に善政を敷き、「覆面宰相」「常人よりものの見える殿」と讃えられる。
しかし、吉継の心は浮かばぬのであった……。
翌年春、ついに吉継は倒れる。激務を放り出した三成は大坂を下り敦賀に駆け込むのだが、床に伏した吉継に既に意識は無かった。
周りが止めるのを振り切り看病を務める三成。それは幼い頃からの友へ向けた、最後の思いやりであった。
二日後の黎明、三成の耳へと友の言葉が聞こえる。
「佐吉、戸を開けてくれぬか」
幼名で呼ぶその声はまごう事無き吉継のものだった。驚きながらも、小さく頷いた三成は庭に面した戸を開ける。
するとそこには、夜明けの薄紫の空に満開の桜という見事なまでの光景が広がっていた。
吹き込んでくる花びらに微笑みながら、吉継は言う。
「まばゆい程の神々しさよ。 ……亡き太閤殿下を思い出すのう、佐吉」
「目が……見えるのか紀之助!」
「フッ……とうとう最期らしいわ……」
「何を弱気な! わしらはまだ」
「聞け、佐吉! お主は徳川討ちを躊躇っておろう」
「……」
「徳川はいずれまた牙を剥く。 後手に回ってはならぬ。
約束したであろう……。 豊臣の名のもと戦無き世…を……」
「紀之助!」
「さらばじゃ、佐吉。 ……楽しき日々であったわ」
事切れた吉継と泣き崩れる三成。風に舞った花びらは二人へと降り注ぎ続けるのだった。
637:人間七七四年
07/03/14 13:07:43 LUZE/Tmi
。・゚・(ノД`)・゚・。
638:人間七七四年
07/03/14 13:13:00 67Ev3JMR
>>636
今週って、お前のカレンダー狂っているぞ。
もう3ヶ月も前wwwwwww
639:人間七七四年
07/03/14 13:15:37 8Iiaofod
けど大谷吉継死後に越前敦賀藩は改易されちゃうんだよね・・・
640:人間七七四年
07/03/14 13:18:35 LUZE/Tmi
>>635
奥州仕置で潰された和賀の残党を煽動して南部領に侵攻したよ
でも上杉の出羽侵攻には非協力的であまつさえ
裏で最上攻めで疲弊した上杉を叩き潰そうと画策していたことが発覚
「母の実家を捨てるのは忍びなかった」って言い訳して特にとがめだては無かったけど
せっかく切り取った南部領は、豊家の天領になって大して加増はされなかったはず
あと江戸の陣の時、最上家親の御家再興の仲介なんかもしてる
641:人間七七四年
07/03/14 13:35:13 LUZE/Tmi
>>639
吉継死後、木下頼継が吉治から自立を図ろうとした御家騒動だろ
三成と真田信繁が必死に駆けずり回って改易までは行かなかったが
吉治は蟄居、頼継は遠島、北ノ庄城は召し上げられて
領地は旧領の敦賀周辺の五万石弱まで減らされたよな
替わりに北ノ庄に入ったのは藤堂高虎の養子になってた丹羽長重の弟の
藤堂高吉だっけ?家名としての藤堂家はここで復活するわけで、
長重、吉継と脇坂安治に助命されて丹羽家に寄食してた高虎もそれに従って越前入りして
関ヶ原直後に生まれてた高虎の実子、高次の家も筆頭家老として存続している。
関ヶ原で大谷隊が藤堂隊を打ち破った事考えるとになんとも皮肉な話だよな。
まあ高吉も中々の善政をしいたらしいからそれが救いか。
642:人間七七四年
07/03/16 15:49:31 CwChQsVt
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643:人間七七四年
07/03/16 17:38:16 0m7KY26G
>>642
俺のせいだ…。
644:人間七七四年
07/03/17 03:38:08 E5mShpS0
しかし上杉は大活躍だったな
645:人間七七四年
07/03/20 13:27:49 DkHxFwM+
といっても、退却する秀康を追撃しただけだからなあ。
もし秀康がやる気満々だったら、ああも簡単には打ち破れなかった。
646:人間七七四年
07/03/21 18:51:18 WUSeUK6S
>>645
本来あのときの上杉の関東攻めは戦後の論功行賞を有利に進めるための
ブラフだからなー
当時の上杉は主力を越後と出羽に向けてて、
背後の伊達も警戒していた。
まさに小手先のついでで攻めたようなもんなのに、
その程度の小兵力に
慌てて退却し、挙句に追撃されてしまうとは・・・
秀忠は小大名だった真田に翻弄されるしww
よく、こんなんで天下を狙おうとたいそれたことを考えたもんだな
徳川家
647:人間七七四年
07/03/23 15:22:44 cJnomvWG
島原の乱の時、秀頼ってまだ生きてたんだっけ?
648:人間七七四年
07/03/23 17:37:57 apLxvvWY
>>647
秀頼様はすでにおくたばりになっておられました
649:人間七七四年
07/03/23 20:20:46 OMWzwdVU
>>635
伊達政宗は関ヶ原後、蔵にしまってあった金箔貼りの十字架担いで大阪まで
謝りに行ったって逸話が残ってるよね。
さすがの三成も苦笑してこれを許したそうな。
きっと太閤殿下が生きていた時のことを思い出して、懐かしく思ったんだろうな。
650:人間七七四年
07/03/23 21:50:00 ZFFnd98r
その後伊達家代々の家宝になったんだよね>金箔の十字架
子孫に不手際が有ったときにこれを使えばいいとさ
準備がいいんだかそうでないんだか
651:人間七七四年
07/03/23 23:14:38 ym2MOyep
初めて見たが
ネタ板のネタスレは惨いのう
652:人間七七四年
07/03/24 02:48:55 oA0IeNWX
>>650
仙台藩はその家宝の十字架を守るためだけに
わざわざ役職を作ったほどだからね。
そのあたりの事情を描いた
司馬遼太郎の「おお、十字架」は名作でつよ。
653:人間七七四年
07/03/26 09:02:15 PNZ/p433
>652
支倉常長が主人公の話だっけ?
654:人間七七四年
07/04/10 16:18:52 jXCd28uG
>>649
関ヶ原後に大阪で三成、ワロス。
655:人間七七四年
07/05/02 20:23:34 rk+9vE/q
前田利政と丹羽長重ってどうなったの?
656:人間七七四年
07/05/24 23:48:08 Zc/ne+TM
関ヶ原で西が勝った後、今川はどうなったんですかね?
今の静岡の発展を見ると、関ヶ原以降の今川の栄華があったことは間違いないと
思ってるんだけど。そこんとこどうなってるんでしょう?
教えてクンでスマソ。
657:人間七七四年
07/05/25 00:07:00 2TXnGR0s
静岡の発展は長束正家のおかげ
658:人間七七四年
07/05/25 00:35:07 cqvcyNiP
>>656
今川は武田と徳川に滅ぼされているからなあ・・・、
史実では寒河江一万石余に取り立てられているけど、
東軍が勝ったらまあ、家康が御伽衆位には取り立てるかもね。
多分、あのスレと勘違いしてるんだろうけど、
あくまでこのスレは関ヶ原までは史実、それ以後は東軍が勝っていたというIFスレ。
659:人間七七四年
07/05/26 03:19:03 OeoSTuNR
もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら・・・ん?
もしもって、東軍が勝ったんでしょ? 意味がわかんない。
西軍が勝っていたなら・・・なら解るんだけど。
660:人間七七四年
07/05/26 05:57:26 Rz9KLAQs
頭の弱い人だなあ
661:人間七七四年
07/05/26 08:48:31 OeoSTuNR
頭が弱くてゴメンね。
662:人間七七四年
07/05/26 15:29:37 bjECFEFA
>>656
関が原後の今川は清水港を整備して単独でブラジルとの人的交流を深めたじゃないか
お互いに移民を優遇した結果が今の静岡の結果だろ
663:人間七七四年
07/05/27 00:25:30 4JM9FQ2k
戦国時代ではありません。移動お願いします。
URLリンク(academy6.2ch.net)
664:人間七七四年
07/05/27 11:42:44 BJeLJL+x
>>662
だからそれは長束正家だって
本当、某スレと勘違いしているみたいだな
665:人間七七四年
07/07/09 07:48:41 q7C3yZ4i
保守
666:人間七七四年
07/08/04 13:16:33 Dgt1r2i0
あげ
667:人間七七四年
07/08/04 13:37:50 HED2FVpy
渡辺了は小さな城で関ヶ原をおこしたな。
668:人間七七四年
07/08/04 14:18:38 30mvQJF5
もしも関ヶ原で南軍が勝っていたら・・・
669:人間七七四年
07/08/04 14:54:09 m2FTFXCb
天皇家は南朝が…
って違う。
670:人間七七四年
07/08/04 17:40:29 BLJrmzyn
もし東軍が勝っていたら、江戸が大都市になっていたと言うレスがあるけど、それはちょっと無理が多過ぎ。
確かに関東平野は広大だが、江戸は山あり谷ありで都市建設自体が無理だろう。
地元の人以外は地名は知らないだろうが、四谷、千駄ヶ谷、渋谷、市ヶ谷など、集落は谷底に点在している。
おまけに利根川の治水が困難。
これをすべて解消するには、山を削り、海を埋め立て、利根川をどこかに持っていくしかない。
そんなの、まず無理だろ。大自然には人間は勝てない。
671:人間七七四年
07/08/05 14:02:37 RxGjdu4O
家康が江戸に居を構えたのはすでに北条氏が
開発を進めてたからじゃないの?あのドケチが自前で城下町開発する
必要があるところに居城を構えるとは思えない
672:人間七七四年
07/08/05 14:55:23 Eeks9E3X
家康は、旧領の金堀人夫の殆どを関東に拉致したんだろ。
特に甲斐の国の金山をみすみすそのまま秀吉に渡したくない。
で、関東に来たは良いが、彼らに仕事をやらなきゃならない。
しかたねえべさ。
山を削り、海を埋め立てて、大規模な土建工事を始めた訳さ。
甲斐の旧武田系の人民は、治水工事に詳しい人も多い。信玄時代から。
で、利根川の治水もやってのけた。流路変更。
かくして江戸は大坂並み、いやそれ以上の大都市になりえる素地が出来たって訳さ。
673:人間七七四年
07/08/05 23:00:32 YsPnxl03
関ヶ原の戦い=参院議員選挙
石田三成=中川秀直
徳川家康=小沢一郎
大阪冬の陣・夏の陣
豊臣秀頼=安部晋三
徳川家康=小沢一郎
674:人間七七四年
07/08/07 15:16:34 3BedJvrm
保守し候
675:人間七七四年
07/08/26 15:25:26 Us/G69hh
sageといて保守はないだろ。
関ヶ原で東軍が勝ったら、ありのままの歴史になったってことさ。
676:人間七七四年
07/08/28 02:54:37 QR7pBHfx
東軍が勝ってたら・・・
おいらの生まれ育った上田府が、100万都市になることはなかっただろう。
そういやお盆に女房の実家の江戸にいったけど、
いい感じに鄙びてて景色のいい場所だね。
江戸湾の入り江で、目黒っつうところのサンマがウマー。マジオヌヌメ
677:東海道五三次壱ノ宿出身在住
07/08/29 22:33:38 I6GedYUV
うちのかみさんも江戸の出やけど
関ヶ原の話題になると「家康は偉かった」て連呼すんねや。適わんわ。
んでな、目黒もやけど目白のサンマもうまいんやて。
どんな落語や、っちゅーねんな。
鮒寿司食えや!!!
あ、かみさん目ェ醒ましよったがあwせdrftgyふじこl
678:人間七七四年
07/08/30 10:42:10 MWFRVfBC
そういえば九州方面はどうなってたんだっけ?
黒田如水と大友・立花・島津・伊東連合軍の顛末ちょっと知らないんで
679:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/08/30 10:48:03 MWFRVfBC
>>567にあったわ済まん
俺江戸は旅行行った事無いなぁ
680:人間七七四年
07/08/30 15:13:13 5OpH6YYS
多分兵庫にある大坂ディズニーランドが静岡あたりに建てたと思われ
681:人間七七四年
07/08/30 21:42:54 yqpIMjj8
m河出身ですが田中吉政公が城下町開発で辣腕を振るった
ことから岡崎ですら家康が一番人気では無いんですよね
肥ゲだと初プレイは地元徳川で天下統一目指すのが定番w
682:砂岩か耳ね ◆oWrjcNwAas
07/09/02 00:16:49 q55A2GSX
>>678
こら、竜造寺を外すな。必死こいて守ってたんだから。
683:人間七七四年
07/09/02 21:24:22 lbOzT+g9
関が原で東軍が勝利できたと主張する輩は、どういう根拠で
勝てたといえるのか?と思うときがある。
徳川家康は五大老筆頭として天下の政務を太閤秀吉自らに委託されているのを
よいことに、勝手な縁組や難癖つけて征伐敢行とか
大阪城西の丸にはもう一つ天守閣造営
どうみても主家乗っ取りを企む君側の奸にしか見えない。
朝鮮出兵にも出ていないことから朝鮮出兵は家康が豊家消耗を
狙って秀吉公に吹き込んだという話は教科書にも載ってる有名な話だし
関白秀次に冤罪を、秀長や千利休の死も家康がやったというのは
豊家や諸侯の日記や資料に載っており普通の歴史ドラマの定番。
三成は義挙で立ち上がり豊臣政権の4大老4奉行が参加
大阪と京洛の上方をがっちり抑え、西国の錚々たる諸侯が
賛同、天下三兵法と謳われる直江兼続、島左近、真田昌幸がそろって
帷幕に加わり、東と西から家康を挟み撃ちという壮大な戦略を実現
兵站財務の天才の石田三成、増田、長束が名を連ね戦中戦後の政権運営にも
兵站他にも支障ない。
決戦の舞台となった関が原でも見事に布陣の段階で勝利は約束されていた。
西軍敗北の前提条件も名文も理由も皆無じゃないか。
684:人間七七四年
07/09/02 22:33:33 ZQNKzbhz
>>683は、このヌレを765回読み直して写経して斎戒沐浴の後、
腹を十文字にかっさばいて息絶える間際まで書き込むな。
ここは、そのように小学生でも知ってる史実を
大人ぶって書き込むスレッドではありません。
たわけうつけまぬけ
685:人間七七四年
07/09/03 01:03:39 /4WgRs20
そこまで言ってやるなよw
うーん、東軍が勝ってたら、キリスト教を完全に禁止してそう
貿易の利益とか考えずにさw徳川っていかにもそんな感じw
元小西領や宇喜多領だった所では今でもとりあえずキリスト教って人多いよな
686:人間七七四年
07/09/03 09:11:50 mcMwXi6j
関白秀秋公の活躍は周知のとおりだけどこの人
秀吉には冷遇されてたんだっけ?小早川隆景の死後
一度減封されてるよね。そのとき家康がとりなしてやや処分が軽くなったとか。
秀吉が長生きしてすんなり秀頼に政権が渡ってたら
この人関白にはなれなかっただろうし数奇な運命の人だよね
687:人間七七四年
07/09/03 23:44:30 Dkh1aV7y
幕末の新撰組とかの”左幕”思想って
ずっと幕府を左けるって意味だと思ってたけど、
実は、佐和山界隈の昔の人が三成の幼名から「左吉の幕府」
って親しみをこめていってた。
という話を民俗学の教授から聞いたんだけど、ほんと?ガセ?
7割方ガセだと思ってるんだけど。
688:人間七七四年
07/09/07 12:44:37 x1zC2Ot7
>>686
関白秀秋公、吉川広家、脇坂とかは相当に強硬な徳川処分を要求したらしい。
秀秋公なんぞ徳川に恩があるだろ?と不思議に思うほどに。
逆に三成や秀家とかは秀康の家督相続や忠輝とかの大阪預かりを決めて
徳川存続に奔走している。
でも逆にいえば強硬な主張したやつは後ろめたい取引があったと
かんぐっても仕方ないかもな。当時から東軍への取引があったと
暗いうわさがあったそうだし。
689:人間七七四年
07/09/09 13:44:19 GWjkXo1A
>>686
秀秋が減封されたのは、朝鮮での不甲斐なさだろう。
で、家康は、それは三成の讒言によるものだと吹き込んだらしい。
実は黒田長政もそうだ。このテで家康は武将を自派に取り込もうとした。
しかし、何で関ヶ原なんてマイナーな戦いを云々しているんだ、このスレ。
関ヶ原で勝てないと分かった段階で、家康は兵を引いている。これがうまくいってしまった。
退路を断つべきは吉川や毛利秀元だったはずだ。こいつらこそ、怪しいな。
その後の江戸の陣でも、吉川、小早川、毛利辺りは先陣を仰せつかったにも関わらず、半完成状態の江戸城を攻めあぐねている。
総大将の毛利輝元も優柔不断。毛利は実はみんな不甲斐ない。これが政局を揺るがした。
関ヶ原で決着がついていたら、九州の黒田如水の乱も、奥州の伊達政宗と上杉景勝の激闘もなかったはずで、ここで戦国時代は事実上終わっていたはずだった。
690:人間七七四年
07/09/09 15:50:07 fdRWxY2q
半完成状態とはいえ、江戸城は太田道灌の築いた名城だぜ。
八ツ山、世田谷、牛込、石神井、奥沢、葛西、などの支城も万全の配地、
家臣団の団結力も強固、江戸攻めは手こずって当然。
だいたい毛利勢に城攻めさせるのなんか、判断ミスか、意図的な罠だろ。
691:人間七七四年
07/09/10 02:34:32 ciW+RbiH
江戸冬の陣の毛利の采配に関して言えば、
上田の真田昌幸が、徳川についた信幸づてで内応の誘いを受けた話を忘れてマイカ?
真田の万が一を想定して、2万余を河越・箱根を中心に割いていたのを忘れてマイカ?
その状態で、毛利の城攻めが遅々としたのは仕方なし。
まあ、昌幸があの状態で裏切るはずはないけど、それだけ警戒されてたわけだ。
692:人間七七四年
07/09/11 04:02:40 DGXIA4oa
だけど第二次関ケ原で東軍が勝って徳川幕府が成立したのと、結局同じような歴史になったんでは。
693:人間七七四年
07/09/11 07:38:19 jogy4BTm
なんだよ徳川幕府って、幕府名は「地名+幕府」だろ、
まったく素人は何言い出すんだかかわからん。
ただ、えど幕府じゃあ語感が悪いんだよな、
かまくら幕府・むろまち幕府みたいに、やっぱり四文字じゃないと・・・。
694:人間七七四年
07/09/11 08:44:50 /S4utV9O
>>692
ツマラン
695:人間七七四年
07/09/11 10:13:22 wlEGnbld
>>689
東西どっちが勝っても10年くらいの混乱はあったはず。
家康が勝利して徳川の天下になったとして
豊臣政権を謀反によって簒奪したわけだから
とてつもない不安定で短期政権になったはず。
毛利の場合は、むしろ短期間で不満分子をあぶりだして
処断するチャンスだったとみていいのでは?
その証拠に関が原から1年間の騒乱の後は
江戸の陣以外戦がなかった。
696:人間七七四年
07/09/11 13:09:34 9JcYOi4h
>>20
亀だが井伊だろそれは
697:人間七七四年
07/09/13 02:16:32 UEv3hGkb
妄想と言われるかもしれんが、家康厨から一言言わせてもらうと小早川秀秋が静観していた事を、東軍調略を一手に引き受けていた黒田長政に文句言っているという史料が少なからず在るわけだから、松尾山斉射はやっぱり空砲だと思うがな・・・
ただ西軍は1500の手勢しか持たない島津義弘を厚遇して、それに義を感じた島津義弘の関ヶ原を縦横無尽に駆け巡る逸話は好きだがな。
698:人間七七四年
07/09/14 22:14:09 YRyQ+7N7
>>697
小早川秀秋が東軍に裏切るなどということを真に受けて命運をかけたほうが
アホウだろ。
家康に味方しても石高加増のみ、 西軍で戦えば石高加増プラス関白なんだぞ
まして家康は外様だし、外様の風下に立つわけないだろ豊臣一門なのに。
普通に考えても東軍に組して何が面白いのか?といいたいくらいだ。
そんなだから黒田長政と徳川家康は愚鈍だといわれるんだよ。
699:人間七七四年
07/09/14 22:19:42 YRyQ+7N7
>>697
どうやら吉川広家と小早川秀秋は、相当に反三成を表立って
公言しており、黒田長政と徳川家康への内応自体は約束していたようだ。
小早川など黒田の部下を軍監として入れてたそうだし。
が・・・それ自体西軍の謀略だったんだよ。
だから不利な関が原での不利な布陣に誘い込めた。
それが証拠に、徳川の鉄砲を合図に
南宮山と松尾山が動いたわけだし。
700:人間七七四年
07/09/15 08:22:30 n/N6px6R
関が原直前に起きた宇喜田家の内訌で出奔した人々の
その後ってここで語られてたっけ?
701:人間七七四年
07/09/17 11:49:56 at/xIrBm
>>697
どう好意的に解釈しても、西軍は島津勢を厚遇してないと思うぞ。
それに島津義弘のアレは、甥・重臣を犠牲にしての逃走劇だから。
西軍に義を感じているのならば、関ヶ原以後のいっそ潔いまでの撤退行は説明つかん。
702:人間七七四年
07/09/17 22:36:05 p17dO0Aw
>>700
いいえまだ語られてないです。
>>701
>>関ヶ原以後のいっそ潔いまでの撤退行
??島津は撤退なんぞしとらんぞ。
関が原で西軍が勝利を拾う際に、いっしょになって総攻撃に参加はしたけどな。
>>甥を犠牲
その甥は確か徳川本陣まで攻め込んで四天王の井伊を打ってるな。
その戦功で、独立大名として別個に領地をもらってる。
703:人間七七四年
07/09/18 10:00:17 HyAyYhuN
>>700
宇喜多秀家もあの件では大人げない
かなり執拗に追い回していたからなあ・・・
704:人間七七四年
07/09/19 02:12:39 EN1tf4oq
>>699
治部様の神算鬼謀っぷりには驚きだな。
てか最近司馬の関ヶ原を読み直したんだが、奸臣家康を倒したのに豊臣への忠義から朝廷からの官位を断り続け太閤殿下からいただいた治部少にあり続けた治部様をどうしてあそこまで悪辣に書けるかね?
確か参議、大納言、内府を蹴ったんだよね?
あとなんかあったっけ?
705:人間七七四年
07/09/19 21:15:55 5dkpjcre
>>704
作者の千葉遼太郎が関東出身だからだよ
706:人間七七四年
07/09/19 23:43:44 kRkrWUQ0
>>704
内府は無理だろww
かの西軍総大将であった毛利輝元すら
その官位は家康を思い起こさせると辞退したくらいだしな。
毛利輝元、上杉景勝、前田利政の三大老家による「御三家」
小早川秀秋、宇喜多秀家、徳川秀康の家門による「御三卿」
小西行長、佐竹義宣、織田秀信・信雄、真田昌幸・信繁(幸村)
島津義弘・豊久、徳川忠輝、伊達政宗・秀宗、長宗我部盛親といった
「武家精華成」の家柄
誰一人として内府の座は希望しなかった。
707:人間七七四年
07/09/20 01:06:21 G/9fP9EV
しかし、真田もだけど蜂須賀家もうまいことやったよな、
徳川と豊臣両天秤にかけて、どっちが勝って生き延びる作戦で、
息子と栄誉は失ったけど、結局ちゃっかり生き残っているんだから、
まったくたいしたもんだ。
・・・あれ勝ったの西軍だっけ?
708:人間七七四年
07/09/20 20:47:06 l3P1kmxg
関ヶ原後の官位ってどうなったっけ?
関白に秀秋で治部に三成で内府が空位で行長が権中納言位しか語られてないよね?
709:人間七七四年
07/09/21 20:17:43 j1AlcyMe
蜂須賀は阿波の古狸
710:人間七七四年
07/09/26 00:21:09 g6IoXSAg
家康の謀反を打ち破ったからこそ、秀吉の海外志向の精神はその後も貫かれ、
日本は政治、経済、文化面で西欧に遅れることなく繁栄し続けられたと思う。
江戸ジャイアンツを見ていると無性にそう思う。
「秀吉に対する家康」のごとく天下の阪神タイガースのライバルチームとされてはいるが・・
オーナーのツネナベは目先の恩賞金を積んでは、他チームの4番バッターとエースを
かき集めるが、彼らは、恩賞に目がくらんだだけで箔がついたと満足して適当にやってはやめていく。
生え抜きで育った選手はたまったものではないから。どんどんと大リーグに出ていってしまった。
徳川の世となっていたら、こんな具合に江戸ジャイアンツのごとき醜態をさらしたような気がする。
711:人間七七四年
07/09/26 02:46:29 +FqXVGbZ
とりあえずスレタイ通り、東軍が勝利したと仮定して
その後300年くらいの間の政治・経済・文化・軍事を語らない?
西軍が負けるはずがないと力んでる人たち。
もうちょっと想像力働かせろよ。
712:人間七七四年
07/09/26 10:06:22 c8nHwd5E
(豊臣政権継続で海外進出が盛んになるかは疑問だが)
みんなが言うように家康の保守的な面が色濃い政権になった場合
平安時代みたいに軍事的には弱体で独特の文化が発展するんじゃないか
きっと今みたいに高層ビルが味気なく並んだ都市じゃなくて
歴史ある町並みが文化遺産としてのこった感じになるだろうね
自分は今のビル街も好きなんだけど
713:人間七七四年
07/09/27 11:30:57 1Z68+kKp
>>711-712
東軍が勝利した場合、相当に不安定な天下になったと思う。
東軍が勝てば戦国の再来というのは関が原のイフでのセオリー
になってるぞ。
なんせ毛利一族は無傷で大阪城も抑えていた。
関が原で西軍が負けていても局地戦に過ぎないのだから
双方の和睦で妥協するしかないと思う。
つまり毛利家はそのまま残ってしまう。
しかも時間が過ぎていく間にも
前田は徳川の保障つきとかで北陸7カ国を抑えていったろうし
上杉は結局越後と最上は併合していたろうし・・
この大老家は政治的にも徳川と対等なのだから家康でも処置には困るだろう。
まして伊達と黒田も相当でかくなってたはずだし・・
なにより家康には主君にあたる豊臣勢力も残ってる。
室町幕府末期のような弱体な天下で家康一代で天下は乱れるという
結論は出てたはず。
714:人間七七四年
07/09/27 11:35:47 E6flp3BT
>毛利一族は無傷で大阪城も抑えていた。
これが最大の問題だよな。
よほどのご都合主義でもやらかさなきゃ毛利を削れないから
どうしても徳川による西国への支配力は低過ぎる。
そして日本の中枢は歴史に現れて以来基本近畿圏なわけで
そこを抑えずしての支配なんぞたかが知れてる。
715:人間七七四年
07/09/27 14:55:59 2wRtPiJ9
つ北条氏
よほどのご都合主義というとそれこそ輝元が家康より先に死んで
若年の実子と養子で家中が割れるくらいしかないな
お家騒動で弱体化してた宇喜多くらいはつぶせるだろうが…
宇喜多といえば小田原で太閤殿下を怒鳴りつけたことで有名な
剛直の勇士花房職之が関が原前に出奔して以降の活躍を描いた漫画
面白いんだけどSUKEBEEってタイトルはどうにかならないものかw
716:人間七七四年
07/09/27 22:40:05 IHu4d9s2
仮想戦記だと、将軍権力は安泰のまま
幕府は300年近く続くってことになってるけど
さすがにそれは難しいよな。
鎌倉の執権や室町の管領の例を鑑みるに
将軍家の形骸化は間違いないので
徳川譜代でどこが台頭するか予想しようぜ。
717:人間七七四年
07/09/28 12:37:42 3JHnbRye
>>将軍権力は安泰のまま
>>幕府は300年近く続くってことになってるけど
どうやったらそんな状況になるんだよ。
どう考えても毛利との和睦で豊臣、毛利には手つかず
上方の戦のせいで上杉も討伐しそこね、結果的に九州の黒田と
奥羽の伊達をのさばらせただけの結果の戦のあとで
将軍になったところで
1)徳川将軍の上には、主君としての豊臣摂関家が健在。
2)もともと徳川と同格、同等国力の毛利、前田、上杉も健在で
各地で地方権力、小幕府になってる。
3)九州の黒田と奥羽の伊達が100万石級になってると考えても
一筋縄ではいかないよな。
4)和睦しだいでは(というか徳川への楔として確実に)真田も中堅大名へ
なって関東の栓になってるだろうし
5)小国真田にやられるような二代目秀忠への不安は大きい
家康の子沢山が逆にお家騒動の原因になるだろう。
足利幕府の関東公方よりよほどやばい連中ばかりだ。
6)日本の中心である近畿圏が放置されるしかない幕府だし
豊臣がいるのだから京都所司代なんぞ置けんわな
7)家康も三河武士も商業や海外貿易への対応が鈍いか理解できてない
田舎武士である。時代遅れといわざるを得ない。
たとえれば今の時代に全社員に、携帯電話もインターネットも禁止してる
企業とでもいえばいいか。
はっきりいって室町幕府以下だぞ徳川幕府の不安定さ。
>>716多分家康が死んで秀忠の代になればすぐであろう。
718:人間七七四年
07/09/28 13:16:22 cg4rpddl
東軍厨としては3と7はなさそうだが……近畿の押さえで岐阜に
四天王の誰かが入ると予想。秀頼が成長した暁には鎌倉幕府における
承久の乱のようなものが起こってその勝者が最終的な覇権を握るだろう。
ところで毛利秀就と秀元の関係ってどうだったんだ?
719:人間七七四年
07/09/28 19:04:17 3JHnbRye
>>718
その慶長の乱みたいなの>>秀頼が成長した暁には
の場合家康死んでるぞ。
秀忠の場合だととても勝ち目は・・家康では勝てるだろうが
謀反の烙印押されるだろうし・・
毛利秀就が家督相続して秀元は周防長門二州36万余石として
毛利宗家の後見していた。
が内輪では緊張もあったらしく防長の城は山口を希望していたのに
宗家の疑惑の目を気にして萩にしている。
萩藩はその後、新田開発はもとより、ありとあらゆる殖産興業に勉め、
内高は100万石を超える状態になっていたという。
720:人間七七四年
07/09/30 14:45:51 sFwdHKxS
「東軍が勝っても、近代的な発展はなかった。群雄割拠に戻るだけ」がスレの結論?
俺はそうは思えないんだよ。
東軍が勝利していたらというIF、無知蒙昧といわれるかも知れないけど
江戸湾を中心とした大規模な町づくり・経済基盤づくりで、関東界隈が
相当発展する可能性はある。
毛利上杉の政治的な発言力は弱まるし、国替えだ何だで縮小せざるを得ないでしょ。
東北は伊達を中心に親徳川、東海はもともと家康の地盤だし好きに配置。
近畿は豊臣を中心に、周囲を小規模の大名群で構成。
それこそ加藤だ福島だって秀吉子飼いの武将は、
近畿から離れた広大な領国に移されるはず。
石田宇喜多島津毛利らが退去し、子飼いの武将が独立してしまった豊臣に、
残された人物はいないよな?
721:人間七七四年
07/09/30 22:33:42 N04n9O7N
>>720
関が原での主力は豊臣大名で
徳川勢力は秀忠が真田ごときに(当時はそれだけの勢力差があった。)
時間をとられてる。
これだけで徳川が思うようにできないのは明白だよ。
大阪城を抑える毛利との妥協もあろうし毛利は上杉を残して徳川の
けん制を図るであろうし・・
なにより豊臣大名がメインで勝った戦で徳川が天下人ですと
将軍に厚顔無恥にも就任し思うように再拝できるとは思えない。
722:人間七七四年
07/09/30 22:49:58 sFwdHKxS
じゃあ、東軍が勝っていたら
豊臣・徳川両頭を中心とした合議制で政治は決まっていくのかもな。
豊臣文治・豊臣武断、徳川文治・徳川武断・無派閥
みたく分かれて、浮動票の取り合いで京阪江戸を結ぶ政治宮廷劇が
以後300年くらい続くとみた。
武家による平安時代みたいなもんか。
723:人間七七四年
07/10/01 00:11:27 sKOd+B2i
少なくとも二度と合戦は起こせなくなるであろう。
関が原の二の舞は避けるであろうし、
あの合戦は東軍が勝つという前提に立つと1年くらいの長期戦
になるのは確実なので
(だって、どう考えても大阪城も京の朝廷も豊臣家も抑えてない
家康に短期決着は無理なんだから)
その間にある程度大勢力への収束が起きているはずなので
徳川としても直接戦仕掛けるよりは駆け引きで相手するはず
豊臣家の動向が不明だがな・・
少なくとも戦後豊臣と毛利の一体化が相当に進むだろうから
西国は豊臣毛利枢軸で安定して運営されていく、そして
西国はフロンドの乱以降の王政フランスみたく集権的な一体の国家として
逆に東国は征夷大将軍として徳川が一任されつつも
前田、真田、上杉、伊達そして徳川譜代が入り乱れ
神聖ローマ帝国のようなありさまに
とかを予想しているが・・
東国は