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ブッダ釈尊が悟りを開いた決め手は、自ら独創したヴィパッサナー瞑想
(気づきの瞑想)である。ヴィパッサナー瞑想は南伝仏教にしか
伝えられていないとされるが、必ずしもそうではない。
むしろ、肥大化したパーリ・アビダンマの複雑な教義が、ヴィパッサナー
瞑想に必要な素直な心を失わせてしまった。隘路に迷い込んだヴィパッサナ
ー瞑想を再興したのは、伝統から離れた周辺から生まれている。
一人は、パーリ語経典の「アーナパーナサティ経」からブッダ釈尊の
ヴィパッサナー瞑想を再現したプッタタート比丘(あるいはブッダダーサ
比丘)であり、もう一人は自ら創作した「偈(ガーター)」を用いて日常的
なヴィパッサナー瞑想を実習するティク・ナット・ハン師である。
曹洞宗の坐禅と経行(きんひん)は、ブッダ釈尊の「坐るヴィパッサナー
瞑想」と「歩くヴィパッサナー瞑想」に由来する。だからこそ、
道元禅師ご自身は曹洞宗という名称は用いず、あくまでも釈迦そして
達磨から受け継いだ正伝の伝法(つまり、「正法眼蔵」)を説いたのだと
考えることができる。
鈴木一生の著書『さとりへの道』によれば、そうした符合に気づいたのか、
曹洞宗の若い僧侶たちが、南伝仏教のマハシ長老が存命の頃に、
マハシ瞑想センターでヴィパッサナー瞑想修行を始めたそうだが、
常夏の国での修行に堪えられず、わずかな期間で帰国したそうだ。
道元禅師の遺志を継ぐ覚悟で、再度、挑戦して欲しいものだ。
そして、是非、釈尊の教法である四沙門果の修行を現代日本に適合させて
蘇らせて欲しいものだ。