10/03/08 19:45:36 kNe1vjHF
例えば末期がんや怪我などで体に苦痛を感じている人でも、深い眠りに入っている時、
気絶している時、何かに物凄く集中している時には痛みを感じない。
これはどういうことかというと、痛みはそれを感じる「私」という意識が存在しない限り存在しない。
言い換えるなら、「痛み」は「私」の外にあるものであり、「私」=「痛み」ではない。
更に言い方を変えると、あなたが「痛み」を感じるとき、「痛み」と一体化した「私」があるのであって、
あなたが痛みに一体化しなければ痛みなど存在しないのである。
起きているとき、いくら痛みに悩まされるリュウマチに苦しんでいる人であっても、
深い眠りの中にあるとき、そこにあるのは完全な平和の状態だけだ。
人間の意識の本質とは、この平和な状態をいうのであって、それ以外の苦しみ、心乱される
出来事は、全てあなたが何事かに自己同一化することによって生じる錯覚なのである。
そして何事かに自己同一化するという状態のことを我々は自我と呼んでいて、
「我思うゆえに我在り」と勝手に考えて勘違いしている。
我がなければ苦痛もなにもないということは深い眠りで明らかなのに。
悟りとはこの「トリック」に完全に気がついてしまうことをいう。
闇夜で路上に落ちているロープを蛇だと勘違いして前に進めなくなっている人が、
太陽が昇ったらそれに気がついて、間違った認識が消えてなくなるような話だ。
細長いものが路上でとぐろを巻いているという事実は変わらないが、
それは今やあなたをおびやかす存在ではなくなったのである。
所詮この世は全てネタ。量子コンピューターの上で行われているRPGのような話だ。
全ての苦痛や悩みは、精神的なものも物理的なものも全てネタだ。道の上のロープのような話だ。