09/12/03 23:11:57 5X26sQbz
>小田ノ浜に残る津波の碑や大正期発刊の「大島村誌」などを基に研究を進めている。
ここまではいいんだが。
>「竹の下」という地名に「津波のときにタイが神社の杉に引っかかった」
> との言い伝えがあることも分かり、「鯛(たい)の下」が由来とみている。
>「合柄(がっから)」という屋号の家も近くにあり
>「津波で大量のカキ殻が打ち上げられた場所ではないか」と白幡教育長は推量している。
この辺に危うさを感じてしまうのは俺だけか。日猶同祖論者に良くいる、
思い入れの余り日本語がみんなヘブライ語に聞こえてしまう先生を連想してしまうんだが。