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◇「室町時代の大津波」裏付け? 気仙沼・大島で“痕跡”発見
宮城県気仙沼市の大島に残る「室町時代の大津波伝説」について、
その痕跡かもしれない「砂の層」を、同市を訪れた研究者が地質調査で見つけた。
仮に史実であれば、津波の記録が残されていない平安前期から江戸初期まで約750年の間に
発生していたことになり、三陸地方の津波周期の研究などに一石を投じる可能性もある。
調査したのは気仙沼市で11月開かれた「全国鳴砂サミットIN気仙沼」に参加するため来訪した
大阪市立大大学院の原口強・准教授。サミット前に島内数カ所でボーリング調査をした。
その結果、田中浜近くの地中に砂の層を発見した。
地元で独自に津波伝説の研究を続ける元高校長の白幡勝美同市教育長が、
近く学会で発表の準備を進めていることを知った原口准教授が地質調査を発案。
砂の層の存在を確かめ「詳しくは分からないが、津波が通った痕跡の可能性はある」と話した。
伝説によると、大島東岸に押し寄せた津波は低地を選びながら西岸まで到達した。
津波の通り道となった田中浜―浦の浜、小田ノ浜―浅根のラインで島が三つに分断されたとされている。
白幡教育長は小田ノ浜に残る津波の碑や大正期発刊の「大島村誌」などを基に研究を進めている。
島内での聞き取りで、外畑地区の「竹の下」という地名に「津波のときにタイが神社の杉に引っかかった」
との言い伝えがあることも分かり、「鯛(たい)の下」が由来とみている。
杉の切り株は数十年前まで実在したという。
「合柄(がっから)」という屋号の家も近くにあり
「津波で大量のカキ殻が打ち上げられた場所ではないか」と白幡教育長は推量している。
三陸沿岸では文献によって貞観の大津波(869年)や慶長の大津波(1611年)などが
知られているが、その間は文献に大津波の記録がない。
2009年12月03日木曜日
▽記事引用元
URLリンク(www.kahoku.co.jp)
河北新報社(URLリンク(www.kahoku.co.jp))
砂の層の発見場所
URLリンク(www.kahoku.co.jp)
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