【考古】大豆痕跡5点発見 縄文農耕論の可能性高まる 山梨at SCIENCEPLUS
【考古】大豆痕跡5点発見 縄文農耕論の可能性高まる 山梨 - 暇つぶし2ch1:白夜φ ★
09/04/04 22:43:25
<大豆痕跡5点発見、縄文農耕論の可能性高まる 山梨>

2009.4.4 02:30
 
山梨県立博物館(山梨県笛吹市)などの研究チームが、約5000年前の縄文時代中期の土器から
栽培されたとみられる大豆の痕跡5点を発見した。同チームは1年半前、同時期の土器から大豆の
痕跡1個を発見したと発表し、穀物栽培は弥生時代(2500~3000年前)からという「定説」を
変えるかもしれないと注目を集めた。さらに今回、多数の小豆類やシソ属なども発見された。
専門家の間でまだ少数派の“縄文農耕論”に弾みがつくとともに、縄文人の食文化のイメージも変えそうだ。

(花岡文也)

「縄文時代に、大豆を栽培していたことがほぼ確実になった」。
大豆痕跡5点を発見した意義を、研究チームの中山誠二県立博物館学芸課長はこう説明する。

県立考古博物館や県埋蔵文化財センターなどの研究者5人は、1年半前に大豆痕跡が見つかった
縄文時代中期の酒呑場(さけのみば)遺跡(北杜市)に加え、同時代の女夫石(めおといし)遺跡(韮崎市)から
出土していた土器を調査。土器に残る痕跡にシリコンを流して型を取り、顕微鏡で調べていった。

野生の大豆は長さ4、5ミリで、水に浸しても最大約8ミリにしか膨らまないが、
発見されたのはいずれも10ミリ前後と大きかった。

これまで、より大きい大豆痕跡が熊本県と長崎県の縄文時代後期(約3500年前)の土器から見つかっていた。
研究に当たっている熊本大学の小畑弘己准教授(東北アジア先史学)は山梨県での発見の意義を認めつつ、
「縄文時代に中部地方で先に大豆が栽培され、九州に伝わった可能性もある」と指摘する。
                   ◇
山梨県北西部の2遺跡の土器からは、数多くの小豆類の種子も発見された。栽培種か野生種かの調査は
これからだが、「縄文時代中期に大豆とともに小豆類も使っていたことが明らかになった」(中山課長)。

青森県の遺跡で見つかった炭化したヒエを、縄文時代中期の栽培種の可能性が高いと指摘したことのある
国立歴史民俗博物館(千葉県)の西本豊弘教授(環境考古学)は「大豆の栽培はもう確実で、小豆類は
あまり例がなくおもしろい。縄文時代中期の考え方が変わる発見だ」とみている。

山梨県の研究チームはまた、約1000年さかのぼる縄文時代前期(約6000年前)の
天神遺跡(北杜市)の土器も調査。栽培大豆の野生種のツルマメと、野生種のシソ属
(エゴマ・シソ)を発見した。

中山課長は「栽培大豆の前段階の、野生のツルマメが見つかったのは初めて。縄文人は、香りが強く
殺菌作用のあるシソやゴマも食べていたのでは」と話す。縄文人の多様な食文化が浮き彫りになりつつある。
                   ◇
研究が進む一方で、新たな謎も浮かび上がった。

大豆痕跡のうち4点は、1年半前に見つかったのと同じ扁平(へんぺい)形だが、1点は現在
よく見る形の楕円(だえん)形。また、1年半前に大豆痕跡が発見された土器を九州国立博物館
(福岡県)でコンピューター断層撮影したところ、内部に大豆痕跡がもう一つ見つかったという。

「栽培が進む段階で品種改良したようだが、プロが作っていた土器に大豆が混ざるとは考えにくく、
信仰などで意図的に埋めたのでは」と中山課長は推測する。

「長野県などで発見するなど広がりの確認が必要」(西本教授)という課題も残っており、
縄文人が稲作の前に行っていたとみられる穀物栽培の、さらなる解明が待たれている。

記事引用元:産経ニュース(URLリンク(sankei.jp.msn.com)
URLリンク(sankei.jp.msn.com)


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