09/12/01 23:33:10
今から40年も前の、昭和44年9月25日の小島貞ニ氏との対談で、
米団治について以下のように言っている。
米「 ~ 文字通りの上方落語のドン底のときになくならはったんです。」
小「その師匠のは前、やがて名継がなくてはならないでしょう。」(原文ママ)
米「米団治という名、どうしようかと思ってますねン。」
小「ひところ、あなたが桂三木助を襲名するというはなし、
すぐにでも実現するかと思ったんですが。」
米「あのはなしですか。あれにはいろいろ事情がありまして ~ やめたんです。」
小「もう今、その考えはありませんか。」
米「もう今さら、変えるのは・・・・・・と思いますなァ。
それよか、ウチの師匠の名前を、どないしようかと思うてます・・・・・・。」
この対談は、「米朝上方落語選」に載っている(ワッハの資料室にはあると思う)。
この米朝の発言に対して、米之助はじめ誰からも異議は出てなかった。
>>864
正蔵は海老名家が相撲の年寄名跡的に考えていた事と、
彦六の正蔵が、それを是認するかのような一札を入れていたという経緯がある。
まぁ、海老名家がおかしいと言えばそれまでだが。