09/03/07 20:48:08
201X年、ついに立川流の将軍様・七代目立川談志が崩御。
一門全員一年間喪に服すが、その間に裏で跡目を巡り派閥争いが。
マスコミを喜ばせるような泥沼劇の派閥闘争後、
一般受けと知名度を優先して、立川志の輔が八代目を襲名。
上納金制度を廃し、開かれた立川流に生まれ変わることを宣言。
また、落語協会・落語芸術協会への歩み寄りも行い、
各団体より襲名に好意的なコメントをもらうが、
同時に、志の輔家元制に反対する一派が脱退し、松岡流を結成する。
本家筋では、野末など顧問を交え、一門の再構成とリストラ案を発表。
真打、二つ目に意見を聞き、芸が未熟すぎる立川キウイを全員一致で破門宣告。
唯一、キウイ破門に反対した吉川は、
反対者する者一人一人の家を回り、なんとか残してもらえる懇願するが
肉体的過労と精神的疲労により入院。そして後を追うように・・・
完全に後ろ盾を失い、四面楚歌となる。
以前であれば三遊亭一門への移籍もありえたが、
六代目・三遊亭圓楽はさほど立川流に愛着はなく、
前座であればという条件付で、キウイ移籍を伝える。
だが、前座16年半というプライドが邪魔をし、
あくまでも二つ目扱いにこだわり、交渉は決裂。
落語協会はもちろん、保険として昇太を通じて行った
落語芸術協会へのアプローチはすべて失敗。
落語家の道が絶たれ、天狗連扱いの快楽亭一門入門か、
獅篭の口ぞえで、名古屋の雷門一門への移籍の選択のみとなる。