仏教 議論スレッド その4at PSY
仏教 議論スレッド その4 - 暇つぶし2ch251:前世は一在家
10/06/14 23:16:34 kNCl2rnW
>>249
>我執というなら、「自分の」苦にそれほどまでに執着した釈迦や、その釈迦や
>「自分の」悟りや解脱に執着しまくる仏教徒が一番。修行者の我執の姿を見よ。

貴兄はなぜ釈尊がそれほどまでに「苦」にこだわったのか一度でも考えましたか?

釈尊は菩薩の時に衆生救済の為の法を悟られたということでしょう。
換言しますと、釈尊は自分自身の為に「苦」にこだわったのではなく、
衆生済度(人類救済)の為に「苦」にこだわったということです。

その根拠として、「四諦」の法を悟った釈尊は涅槃に入らずに、35年間も
地方を歩き回って「四諦」と「八正道」を説いて回られたという行為、実践
されたという事実をあげましょう。

貴兄が仮説したように自己中心者であれば、35年も地道に辻説法を正精進
されるはずもないことは正見、正思惟にてお分かりでしょう。

それではFIFAに入ります。


252:神も仏も名無しさん
10/06/14 23:37:11 NGZi0AsC
>>251
>「四諦」の法を悟った釈尊は涅槃に入らずに

また、嘘八百を書き連ねやがって。

菩提樹下の成道から般涅槃までの45年間、
釈尊は涅槃を見続けたんだよ。
(レトリックとしての表現上なら)「涅槃にあり続けた」んだよ。呆け茄子が!

んとに糞野郎だな・・。
性根の腐り方では、宝珠とお前が東西の横綱だわ。(隠居の方がまだ純粋かもしれんwww)


気分悪い。 寝る ノシ

253:前世は一在家
10/06/15 00:00:26 dJkU/ala
>>252
>菩提樹下の成道から般涅槃までの45年間、 釈尊は涅槃を見続けたんだよ。

そうですね。
宇宙劫のかなたから涅槃に入っていたのに輪廻して、7回目の成道を演じてまで
釈尊は衆生済度をされたということでしょう。

7回目は45年間の説法と弟子の育成でしたか。


254:神も仏も名無しさん
10/06/15 01:01:02 1Xgrmuzb
>>251
>換言しますと、釈尊は自分自身の為に「苦」にこだわったのではなく、
>衆生済度(人類救済)の為に「苦」にこだわったということです。

釈迦が「異常に」苦にこだわったのは、精神医学的には、彼の双極性障害(躁うつ病)
故の、極度の抑うつ感、苦悩感、厭世感からである。
衆生は、釈迦と同様な精神病者を除いては、それほど異常に苦にこだわってはいない。
「苦あれば、楽あり。楽あれば、苦あり」という「真理」を悟り、どんなに苦しい時
でも、常にささやかな喜びを見出し、懸命に生きてきた。苦も、生存に不可欠な心的
現象であることを、少なくとも無意識的に知ったいたのである。
また、釈迦の感じた苦は、何不自由ない生活からの、純粋に精神的な苦である。
衆生の物質的不足による苦は知らない、「贅沢病」「我侭病」の一種である。純粋に
精神的な苦は、我執を離れて、家族などの身近な他者に心を移すことにより軽減・除去
される。釈迦は、このことには思い至らなかった。極度の物質的不足から生じる苦の除
去は、物質的充足以外には方法はない。不思議なことに、釈迦の苦には、衆生の最大の
苦である「貧」からの苦が含まれていない。生死に係わることだから、「貪欲」などで
片付けられる問題ではない。
釈迦が説教を続けたのは、己や弟子の生活のためではなかったのか。説教を続ける限り、
托鉢がもらえるから、食うには困らないからである。昔も今も、宗教は、「職業の一つ」
であることを、忘れてはならない。すべては、動物の一種としての人間の「肉体的生存」
のためである。にも拘らず、宗教が生命を以って生命を否定するという倒錯に陥っている
点において、他の職業とは異なる。

255:前世は一在家
10/06/15 06:38:20 y2R5ze98
>>>254
>また、釈迦の感じた苦は、何不自由ない生活からの、純粋に精神的な苦である。
>衆生の物質的不足による苦は知らない、「贅沢病」「我侭病」の一種である。

>釈迦が説教を続けたのは、己や弟子の生活のためではなかったのか。説教を続ける限り、
>托鉢がもらえるから、食うには困らないからである。

貴兄は論理矛盾しておられますよ。

譬話をしますと、贅沢病のビルゲイツが慈善活動をするのは、食うに困らないからです、と
言っているようなものでしょう。

釈尊も悟った後に王家に戻って教団でも作るほうが食うに困らず、贅沢できたかも。


256:神も仏も名無しさん
10/06/15 10:43:00 FdNs4isb
>>255
>貴兄は論理矛盾しておられますよ。

ビルゲイツの慈善活動は、税金対策と巨大な富に対する世間からの非難を避け
る目的もある。しかし彼も、成功前には、衆生の苦しみを味わっている。

釈迦は、衆生の苦しみを味わったことはない。城門から一歩外に出て、初めて
見る衆生の世界にショックを受けただけ。

釈迦は、両親が泣いて頼むのを振り切って家出し、両親や妻子を苦しみと悲しみの
どん底に陥れるという罪を犯している。人間としての基本に反している。さすがに
帰るに帰れなかったのだろう。しかも、釈迦族は滅亡した。

前レスでの、「職業としての宗教の異常性」に付け加えれば、宗教は、まず、
根拠のない苦や罪の概念を植え付け、それからの解脱・救いという、「脅迫と
甘言」によって営利を得ているということだ。「脅迫と甘言」が、創唱宗教の
本質である。いずれも、人間の生存を害する行為、即ち「悪」である。他の職業
は、すべて、「人間の生存を助ける行為」という「善」である。

257:神も仏も名無しさん
10/06/15 17:20:17 8KSuTLHL
>>254
>不思議なことに、釈迦の苦には、衆生の最大の苦である「貧」からの苦が含まれていない。
仏教 議論スレッド その3
スレリンク(psy板:203番)
 (スレリンク(psy板:323番)


>すべては、動物の一種としての人間の「肉体的生存」のためである。
>にも拘らず、宗教が生命を以って生命を否定するという倒錯に

つ四つには正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり


>>256
仏教 議論スレッド その3
スレリンク(psy板:203番)
スレリンク(psy板:229番)
仏教 議論スレッド
スレリンク(psy板:445番)
【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】2
スレリンク(psy板:349番)

258:神も仏も名無しさん
10/06/15 17:27:59 8KSuTLHL
>>253

 >>251「>釈尊は涅槃に入らずに」
 >>253「>宇宙劫のかなたから涅槃に入っていたのに」

どっちだよw
(聞き方を変えた方がいいか?w 「どっちが方便なんだ?」)

259:神も仏も名無しさん
10/06/15 19:52:39 8KSuTLHL
〔権威には依存しない&中村元は小乗支持者で、大乗の理解は浅いが中論の理解者〕

仏教 議論スレッド その3
スレリンク(psy板:105番)
スレリンク(psy板:106番)
スレリンク(psy板:107番)
仏教 議論スレッド その4
スレリンク(psy板:45番)

260:神も仏も名無しさん
10/06/15 19:56:52 8KSuTLHL
〔御隠居ループ俯瞰図〕
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート27
スレリンク(psy板:487番)(翻訳・文献)
スレリンク(psy板:495番)(苦)
スレリンク(psy板:496番)(苦)
スレリンク(psy板:526番)(開祖批判)
スレリンク(psy板:527番)(開祖批判)
スレリンク(psy板:528番)(開祖批判)
スレリンク(psy板:530番)
 ※「苦」に関する隠居とのやりとり若干のおまけ(仏教 議論スレッド その2)
   スレリンク(psy板:17番)
   スレリンク(psy板:18番)

〔文献(原文)や過去の解釈、或いは別の読み方無視の俺様基準〕
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート27
スレリンク(psy板:268番)
スレリンク(psy板:271番)
スレリンク(psy板:272番)
スレリンク(psy板:283番)
スレリンク(psy板:284番)
スレリンク(psy板:336番)

〔質問箱での話題は現代日本仏教及び大乗仏教に限る?―南方仏教・チベット仏教・小乗仏教・原始仏教は出て行け!―〕
仏教 議論スレッド
スレリンク(psy板:20番)
スレリンク(psy板:21番)
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート27
スレリンク(psy板:514番)
スレリンク(psy板:643番)
 (スレリンク(psy板:651番)前段)
仏教 議論スレッド その3
スレリンク(psy板:56番)

261:神も仏も名無しさん
10/06/15 21:10:30 EEs93ENU
>>256
「涅槃に入る」という言葉自体が、現実上の意味不明な無意味な言葉だから、
いくら問い詰めても無駄だよw。

262:対御隠居まとめ
10/06/15 21:27:27 8KSuTLHL
〔御隠居ループ俯瞰図〕
仏教 議論スレッド その4
スレリンク(psy板:260番)

〔生命教―その宗教的構図―〕
仏教 議論スレッド その3
スレリンク(psy板:62番)

〔最大カテゴリとしての「苦」について]
仏教 議論スレッド その3
スレリンク(psy板:203番)

〔御隠居のスタンスもまた、或る側面では「人の《生き方》」としてアリ〕
仏教 議論スレッド その3
スレリンク(psy板:63番)

〔平行線―価値観の多様性拒否―〕
スレリンク(psy板:257番)

263:対御隠居まとめ
10/06/15 21:30:55 8KSuTLHL
〔世俗の言語慣習にもとづかなければ
 ―サンスクリット語の原文には「言語」などという意味は皆無―〕
仏教 議論スレッド その3
スレリンク(psy板:58番)

〔文献(原文)や過去の解釈、或いは別の読み方無視の俺様基準〕
仏教 議論スレッド その3
スレリンク(psy板:108番)

〔権威には依存しない&中村元は小乗支持者で大乗の理解は浅いが中論の理解者〕
仏教 議論スレッド その4
スレリンク(psy板:259番)

〔○○即××―単純イコールでは済まない理由―〕
仏教 議論スレッド その3
スレリンク(psy板:59番)

〔質問箱での話題は現代日本仏教及び大乗仏教に限る?
 ―南方仏教・チベット仏教・小乗仏教・原始仏教は出て行け!―〕
仏教 議論スレッド その4
スレリンク(psy板:260番)

264:前世は一在家
10/06/15 22:43:38 kweUQLu9
 >>251「>釈尊は涅槃に入らずに」
 >>253「>宇宙劫のかなたから涅槃に入っていたのに」

>どっちだよw
>(聞き方を変えた方がいいか?w 「どっちが方便なんだ?」)

>>251は「涅槃」は間違いです。

>>253 「現世で涅槃入りした」というのが方便で、法華経でも
長部経典でも「宇宙劫のかなたから涅槃に入っていた」という
点で文献上で一致しております。 
まあ、これも方便でないという確証はございませんが。


265:神も仏も名無しさん
10/06/15 23:29:58 8KSuTLHL
>>264
長部のどこですか?




 ※そうだ。(一応↑の流れを受けてはいるが)
  話は変わるが、宝珠は長部15「大因縁経」でも読んでみるといい。

266:前世は一在家
10/06/16 06:43:34 3lVNq7BW
>>265
>長部のどこですか?

例えば「七仏」が説かれる「大本経」を根拠として挙げます。


267:宝珠愚者
10/06/16 11:42:03 ha/3MEAN
投稿寄生虫(涙)で~オマw
スレリンク(entrance2板:873-875番)

268:宝珠愚者
10/06/16 11:44:41 ha/3MEAN
間違えました...
スレリンク(entrance2板:873-876番)

269:神も仏も名無しさん
10/06/16 16:04:50 TQE7Eu/e
>>266
だろうと思ったよw (過去、何度も繰り返してたからな・・w)
ツッコもうかとも思ったが、珍しく(?w)宝珠がまともなレスを入れてるので代用。
長部14「大因縁経」(漢訳名「大本経」)の述べ方は、↓リンク先1・2行目の通りだ。
スレリンク(entrance2板:876番)

あとは、記述の外の部分での解釈になる。
その意味(「拡大解釈・新たな(大乗風)読み」として)でなら、
別に「実は同一の仏であった」と解釈しても構わんが、(ま、普通はありえんけどw)、
【記述上はそうではない】、とだけ言っておく。
また、「法身仏」として考えるにしても同様。
『記述を超えた読み』であることに変わりはない。

270:神も仏も名無しさん
10/06/16 16:12:23 TQE7Eu/e
>>269補。
>また、「法身仏」として考えるにしても同様。

《「法身仏」が、7度「応身仏」として、(衆生の為に)世に出た、としても》 の意。

271:神も仏も名無しさん
10/06/16 16:20:06 TQE7Eu/e
あ、更に・・・。
>>269 3行目 >長部14「大因縁経」 は 「大譬喩経」 の誤り。

何の疑いも無くキーボード打ってたw

272:神も仏も名無しさん
10/06/16 19:11:14 TQE7Eu/e
また規制ラッシュか・・。
今の運営はイカれてるな・・・。

273:神も仏も名無しさん
10/06/16 20:13:56 TQE7Eu/e
いや、何でもかんでも通報する・悪意を持って通報するような住人・通報人が増えた、
とも言えるのか・・。
相乗効果で規制の嵐、と・・・。

(要注意人物に対してということでなくw)、
純粋に、荒らしに対するスルースキルの低下にも一因があるかもしれんな・・。

(裏読みの更に裏読みの陰謀論や、民主や中国・半島絡みという噂も流れてたりするが・・w)

274:神保哲生と竹内香苗
10/06/16 21:33:58 SNxzzG1Y
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課

二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪



275:前世は一在家
10/06/16 23:00:55 YWxerSTM
譬え話をしましょう。
アインシュタインの近所の小学生が質問しました。
「先生の有名な相対性理論とは何ですか?」と。
その質問にアインシュタインは黙して答えず(無記)、にっこり笑って、
「君には作用と反作用の法則を教えてあげよう。」と。
さて、その小学生は学校で友達に言いふらしました。
「相対性理論は無いらしい。僕が質問してもアインシュタインは答えなかった
からね。」と。

その小学校の卒業生の多くが、現代の大乗仏教徒のように見えます。
もし相手が高校生や大学生であれば、アインシュタインも相対性理論を教えて
くれたかも知れませんね。


276:前世は一在家
10/06/16 23:04:15 YWxerSTM
>>275
長部経典でも釈尊は、アートマンや死後の世界に関する質問を異教徒が質問した
際には無記でした(ポッタパーダ経)。でも同じ長部経典の七割近い経典では
直弟子に対しては「輪廻の法」を説かれておられます。更に高弟(舎利弗)には
「4種類の入胎の法」や「5種類の死後の行き先の法」などを具体的に説かれて
おります。(等誦経)

大乗経典の筆記者は当然原始仏典(スッタニパータ、ディガニカーヤ、他)を熟知
していた筈ですが、「無記」の説法をクローズアップした経典を執筆し、龍樹の空理論
と相まって、釈尊の元の教えが現代の大乗仏教へと変容したという仮説を立てております。

PS
週末に本屋に行きますと片山著「長部経典」が全巻並んでおりました。
大乗仏教徒も自宗派の経典のみに執着せずに、一度原始仏典に目を
通したら如何でしょうか。



277:神も仏も名無しさん
10/06/16 23:11:37 TQE7Eu/e
>>276
また巧みに嘘を織り交ぜた書き込みしやがってwwwww

278:前世は一在家
10/06/16 23:21:20 YWxerSTM
>>277
>また巧みに嘘を織り交ぜた書き込みしやがってwwwww

片山訳と中村監修との差異は大目に見て下さいよ。


279:神も仏も名無しさん
10/06/16 23:34:28 TQE7Eu/e
>>278
一言一句ツッコむ準備に入ろうかどうしようかと思ってたら、
初手から随分と下手に出たなw

翻訳の差異によるものではないんだが・・・w
まあ、細かいことはまたの機会にしよう。
1点だけ。

> 片山著「長部経典」が
お前もこのシリーズ長いんだから
「片山【訳】」という表記にするくらいの気は使えよ・・(^^;

280:前世は一在家
10/06/16 23:43:23 YWxerSTM
>>279
>「片山【訳】」という表記にするくらいの気は使えよ・・(^^;

片山一良訳と中村元監修の「長部経典」の訳の差異は大目に見て下さい
ということです。

相違した場合はパーリ原点に戻れる貴兄に期待しております。


281:神も仏も名無しさん
10/06/17 00:15:00 pXn9qBlW
>>280
アンカー忘れた俺が悪いのか?www

>>276
>週末に本屋に行きますと片山著「長部経典」が全巻並んでおりました。
「 > 片山著「長部経典」が 」 ↑ここのことだよw
一良や元の問題じゃねーよ、タコ助w

あと、『翻訳の差異による問題じゃない』と言ったろ?
根本的な読解力の問題だよw

282:神も仏も名無しさん
10/06/17 07:01:57 uus810d2
>>275
「無記」は、釈迦が、「神や霊、霊魂の分離」など、「人間が考えても無意味な
ことは考えるな。涅槃に導かない」と戒めたものである。

これが、一神教に対する釈迦の最も優れた点であり、仏教が2500年間、殆ど
人を殺さなかった理由である。

釈迦が「無記」とした内容は、すくなくとも釈迦は認めていないのである。
このことが重要。釈迦が、衆生と修行者とを区別して物を言ったのなら、
衆生を小ばかにしているのであり、彼の思い上がりと独善性である。衆生は、
その「生存努力」という大修行により、「世間知らず」の釈迦よりもはるかに
悟っているのである。

原始仏教は、そのオカルト性と病的な精神性以外には、得るものは皆無。
「14無記」のみが、唯一の収穫である。大乗仏教は、「真如としての衆生心」と
「空の思想」の発見により、釈迦の欠陥を是正し、釈迦仏教のコペルニクス的
転回を行ったものである。

自分に都合の悪い事は、直ぐに対機説法としてすり変えるのが、カルトの特徴。

283:宝珠愚者
10/06/17 11:53:52 EXXWYRwo
>>254
>また、釈迦の感じた苦は、何不自由ない生活からの、純粋に精神的な苦である。
>衆生の物質的不足による苦は知らない、「贅沢病」「我侭病」の一種である。--中略--
>
>不思議なことに、釈迦の苦には、衆生の最大の苦である「貧」からの苦が含まれていない。

ゴータマにとって、
貧困の苦悩は過去世で十分に体験済みであり、
人間が感受するあらゆる苦悩をとっくにご存知なのです。
その過去世での体験の記憶をゴータマはすべて想起しているのです。

仏典に記されている通りです。
URLリンク(yomi.mobi)

284:宝珠愚者
10/06/17 12:30:55 EXXWYRwo
業報輪廻/転生に矛盾なし!
「魂」と「アートマン」、そして「我」との関係について
スレリンク(entrance2板:21-25番)

285:てすと
10/06/17 16:57:42 8VsWumyU
>>283

>人間が感受するあらゆる苦悩をとっくにご存知なのです。

釈迦は過去世で女性に生まれてレイプされたのかな?
汚いおっさんにレイプされて妊娠した処女に釈迦はなんと説法するの?


286:◎宝珠「涅槃を自覚するのは誰か?」URL集集
10/06/17 17:09:17 pXn9qBlW
〔「涅槃を自覚する主体は?」URL集〕
仏教 議論スレッド その2
スレリンク(psy板:23番)

〔「涅槃を自覚する主体は?」 補URL集〕
仏教 議論スレッド その3
スレリンク(psy板:642番)

〔「涅槃を自覚する主体は?」 補補URL集〕
仏教 議論スレッド その3
スレリンク(psy板:602番)

〔「無為なる意識?」 URL集〕
仏教 議論スレッド その3
スレリンク(psy板:643番)

287:神も仏も名無しさん
10/06/17 17:19:29 pXn9qBlW
スレリンク(entrance2板:17番)
>対立する経典であり、両立は不可能
(法華経に関する見解はともかくw)、
縁起一代は、法身仏が応身仏として世に出た(五蘊の結実があった)、ということを認めそうだがなw
彼の場合、
「縁起という理(ことわり)」(≒おしえ、法)を身体(≒その本質)として「法身」とする感じになるのか、
また、「(応身仏の)五蘊の結実」の理由(→その主たる因、縁)をどこに見るかはわからんが。

いずれにしろ、「縁起する諸法」という大海(≒法界)に生じた或る一つの(一際大きな)波を
「応身の仏」として受け止めることは不可能ではない。
大日如来を、大海(法界)の“名称に於ける具現化”とするならば、
数多の応身仏は、個々の波(縁生した五蘊)の中でも、
特に衆生済度の働きを為すもの・法を説いているものの“名称に於ける具現化”と見ることが可能なように・・。

彼は、(主に「空観」の面で、或いは縁起観が「徹底していない」という点で(?))
パーリ仏教は見解が低いと言った。
同様に、この件に関しても、「法身」という考え方を認められないのは、
(若干の)レベルの低さと見るのではなかろうか。

(以上、推測w)

288:神も仏も名無しさん
10/06/17 17:53:40 pXn9qBlW
〔主体なき輪廻URL集〕
卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ 【臨時 避難所】
スレリンク(entrance2板:219番)
スレリンク(entrance2板:220番)
仏教 議論スレッド その2
スレリンク(psy板:16番)
卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ 【臨時 避難所】
スレリンク(entrance2板:240番)
スレリンク(entrance2板:243番)

289:てすと
10/06/17 19:39:12 8VsWumyU
ご隠居の生命論は中絶禁止論。

所詮ご隠居もイエスから逃れる事はできない。

290:前世は一在家
10/06/17 22:51:38 g1pdPWj4
>>282
>釈迦が「無記」とした内容は、すくなくとも釈迦は認めていないのである。
このことが重要。釈迦が、衆生と修行者とを区別して物を言ったのなら、
衆生を小ばかにしているのであり、彼の思い上がりと独善性である。

ご隠居に紹介で済みませんが、

出典:「仏教要語の基礎知識」水野弘元著(春秋社)
「仏が人々に法を説かれる場合には、相手の智慧経験の
高下浅深によって、同じ教理を示すにしても、その説き方を
違えられた。(四悉檀、中略)最後の第一義悉檀とは、右の
ような方便施設を用いず、高い智慧や能力のある者に対して、
仏法の第一義的な真実義をそのまま説かれることである。」

この本を読みまして、釈尊は相手に応じて4通りの伝え方(世俗的手段)を
されたと認識しております。
修行完成者の舎利弗や目蓮や阿羅漢達には普通の言葉で第一義を伝えても、
十分に勝義諦が伝わったことと思料します。

その他の者に同じ言葉で伝えたら、信じられない、嘘だろう、とかえって
信を無くしたのだろうとも推察します。


291:神も仏も名無しさん
10/06/17 23:19:24 pXn9qBlW
>>290
>修行完成者の舎利弗や目蓮や阿羅漢達には

修行完成者なら、教えを聴く必要もないんじゃね?w
(と、揚げ足を取ってみるw)

292:神も仏も名無しさん
10/06/17 23:49:54 rlIJeYUM
すみません…

おたずね致します。


大王さんを捜しています。

密教や大乗仏教に詳しい方なのですが、どこのスレッドにいらしたか思い出せません。

今もいらっしゃるのかわからないのですがご存知の方がおられましたら、お教え下さい。


よろしくお願いいたします。

293:神も仏も名無しさん
10/06/17 23:51:27 rlIJeYUM
↑すいません!

ここは議論スレでしたね。

失礼しました。

294:前世は一在家
10/06/17 23:56:52 0SFcRHgg
>>291
>修行完成者なら、教えを聴く必要もないんじゃね?w
(と、揚げ足を取ってみるw)

修行完成者は阿羅漢以上なので、如来や菩薩の教えを
一番ありがたく拝聴したのではないでしょうか。
(と、揚げ足取りを返してみた)


295:前世は一在家
10/06/17 23:59:51 0SFcRHgg
>>294
サーリプッタさんでも釈尊の教えを復唱して、師から
理解の正しさを保証された際には感激したそうですね。
(長部経典「自歓喜経」より)


296:神も仏も名無しさん
10/06/18 00:01:31 pXn9qBlW
>>294
それは、【既に知ってる・理解していることを「讃して」いる】だけじゃね?
『いきなり、4段階のレベル4で理解できた』ってこと(→>>290で言ってること)
とは【全く関係が無く】ね?

297:神も仏も名無しさん
10/06/18 00:27:02 QkyBmnRb
んとに、いつもいつも、イーカゲンなことばかり抜かしおって・・・。
隠居と同じく思いつきだけで発言するから、
支離滅裂で整合性皆無のレスばかり重ねることになる。

少しは成長しろよw >>294


ノシ

298:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/18 08:46:52 wOTKDkVN
取り合えず、規制解除のようですw
(しっかし、真面目に議論のために投稿している人はエライ迷惑です)

>>265
>※そうだ。(一応↑の流れを受けてはいるが)
>話は変わるが、宝珠は長部15「大因縁経」でも読んでみるといい。

手元に経文がないので検索してみました。これでもOKですか?
ゴータマの説く“アートマンの実在否定”の内容らしいので・・・たぶん、コレのことでしょう!
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

 どうにも・・この説法をしている話の設定が不明確なので、どのことを述べているのか特定し難いです。
いつものゴータマの如く、どうも断定的で詭弁的な表現に受け取れます。

 面倒だから真実をいいます。アートマン(我)というのは自己そのものであるので、本当のところは、「わ
たしのアートマン」という言い方そのものが、まずは在り得ないということ。
 従って、「わたしのアートマンは感受・・・」ということそのものが詭弁なのです。この論理展開でどうアート
マンを否定しようが、真実のアートマン存在を否定できたことにはならないということ。
 また、アートマンは感受をもたらす力の根源であるので、当然、アートマンは感受そのものではないし、
アートマンそのものが感受したり、感受しなかったり、といったものではないということ。

 要するに、この経の話のような見解を抱いている輩というのは、ゴータマの指摘の通りであり、確かにある
間違いを犯していることになるのです。

----以上

299:神も仏も名無しさん
10/06/18 09:27:45 qO020TQP
test

300:神も仏も名無しさん
10/06/18 09:31:55 B5FWDbkj
>>243
> 「我執を無くせ。潰せ」と教えられた時、
> 【自分に、どのように我執があり、どのように捉われているか】
> 【自分が(後生大事に)抱えている「我執」とは何なのか(自分のどこが指摘されているのか)】
> 判らない者が我執を離れ得るとでも? チャンチャラおかしい。

これ、悪人正機説だね。


301:神も仏も名無しさん
10/06/18 09:39:41 X363k8vA
てすと

302:神も仏も名無しさん
10/06/18 10:31:18 X363k8vA
規制解除されたみたいなので、こっちで
>>   スレリンク(entrance2板)l50
避難所スレの27,28の馬鹿宝珠へ、

アホにもわかるように説明してやるからな

「仏教の根本思想は『苦の滅』なの。それには「苦が生じる原因」というもの
を突き止めなくてはならず、それを釈迦は「執着」としたわけ。そして、その
根源的執着を「自己への執着」だと考えたわけ。
そして『苦の完全なる、根本的消滅法』として、たどり着いたのが『無我』
なんだよ。つまり、『我(われ)』といえるようなものは何もない。
『自分』といえる様なものがないわけだから、「執着」そのものが錯覚である。
苦の根本原因である「自己」を否定し、それに執着することの愚を指摘し、
それによって生じる苦を滅することを説いた。」 ざっくり言えば、これが
仏教の根幹思想なんだよ。

そして、この思想の根幹は『自己といえるもの』『我(われ)といえるもの』の
完全否定なわけだ。 もしそのようなものを認めてしまえば、それに対する執着
が生じ、それによって苦が生じてしまう。『無我』もくそもあったもんじゃない。
わかるか?  『無我』の思想には絶対に『自己といえるもの』『我(われ)と
いえるもの』    これがあってはならないの。

303:神も仏も名無しさん
10/06/18 10:32:18 X363k8vA
それでは「業論」ではどうだ?
業論では正反対に「自己といえるもの」  これがなければ成立しないんだよ。
殺人を犯した田中さんの業は、来世で田中さんの生まれ変わりの者が引き受けるわけ。
善行のみを行っていた鈴木さんの生まれ変わりが、その業を被ったら大変なの。
これが「悪因悪果」という業論の思想だ。
ここには、はっきりと「田中さんと鈴木さんを分かつもの、田中さんと鈴木さんは
別人であるとするもの」が、認められているな?当たり前だ。そうでなければ、
「業の作り手」「業の引き受けて」が、ごちゃ混ぜになってしまい、「悪因悪果」
なんて、あったもんじゃない。
つまり、業論というのは「自己を他者と区別するもの、自己と言えるもの」の存在が
不可欠であり、それがなければ根底から成立しないんだよ。

以上のように「無我では『自己といえるものの否定』、そして業論では『自己と言える
ものの肯定』が必須であり、完全な二律背反なわけ。
そしてこの論理矛盾を解消するために、今まで業論肯定論者たちは、「輪廻するのは
心であり、これは我ではない」とか「輪廻するのは4次元的なものであり、それは我とは
言えない。」などと、言葉遊びに終始し、整合性のとれた解説をしたものは皆無なの。
お前が、それをあげられるなら、ここに提示してみろ。たった、ひとりで良い。
『無我』と業論の論理矛盾を解消し、整合性のとれた説明体系を提示したものを
ここに、あげてみろ。

輪廻業法思想の肯定者は「輪廻するものは~である。そして、これは・・・・・・・
だから我ではない。」   と必ずこのように言う。そして、この・・・・・・の
部分には「それは変化するから」とか「それは実体ではないから」とか、
付属説明をつけ、無我と矛盾してないように偽装するが、『自己といえるもの』を
否定する無我と、肯定する業論は、どうやっても両立しないの。

そこは決して論理的整合性を求めてはいけないところであり、
「とにかく説明はできないが、縁起によって、うまくなっている。」という
『信仰』に丸投げするしかないんだよ。
わかったか?アホが。  お前のその足りない頭でよく考えろ、馬鹿が。


304:神も仏も名無しさん
10/06/18 10:51:43 X363k8vA
さらにお前は人並み外れたお馬鹿さんなので、補足説明すると

>>298 の
「アートマン(我)というのは自己そのものであるので・・」
「真実のアートマン存在」
このように、お前がアートマンを設定するのはいいわけ。
こうすれば、確かに業論とは矛盾しないわい。
悪因悪果も成立するわな。
お前が主張するような『基体』を設定するなら、『業論はそのとおり』だ。
だが、それは『無我と矛盾してしまうわけ。』
そこでお前は今まで「釈迦は無我など説いたのではなく、非我を説いたのだ。」
と、アートマンスレで喚いて、このスレの全ての仏教徒たちに否定、論破された
わけだ。  「そう信じるのは勝手だが、『それは仏教ではない』。」とな。

だからな、宝珠。お前は、神智学の路線でいけばいいわけよ。
権威付けに仏教を取り込もうとするから、おかしなことになるの。
お前はオカルト宗教のまま行くのが一番だよ。

305:神も仏も名無しさん
10/06/18 12:03:15 B5FWDbkj
>>303
横からすまんが、その業論で想定してるのは真我で、仏教では否定されてる。アートマンってやつだね。
つむじ風や渦は存在していると言えるか?というあたりから考えてみればいいんじゃないかな。

あと、縁起説は信仰じゃなくて単なる現象的な事実なんで、教科書を見直してみたらいいと思う。

306:?
10/06/18 13:38:14 N0xDakeq

 ☆ 宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk 様へ ☆

スレリンク(entrance2板)

 ↑ 卍 お経を自分で勝手に解釈して観る 【臨時 避難

 ↑ ここに 質問者が 来ているので 答えてあげてください!

307:神も仏も名無しさん
10/06/18 15:45:07 RfvmhyCm
仏教の六道の世界観で、幽霊はどういう扱いなのでしょうか?餓鬼道?
日本での一般的な理解は、もともとの仏教とちがったっけ

308:?
10/06/18 16:38:58 N0xDakeq

中陰(ちゅういん)、中有(ちゅうう)とは、仏教で人が死んでからの49日間を指す。
死者があの世へ旅立つ期間。四十九日。死者が生と死・陰と陽の狭間に居るため中陰という。

浄土真宗では、故人は臨終と同時に仏(諸仏)になると考えるので、
中陰期間は、故人に対する追慕、故人を通して「生と死」について考え、
謹慎し求法の生活をする期間である。

発祥地であるインドの仏教においては、臨終の日(命日)を含めて7日ごと、
7週に渡り法要を行っていた。(古代インド文明の七進法により、七ごとなのである。)
輪廻の思想により、人の没後49日目に、次に六道中のどの世界に生まれ変わるかが決まる、
と考えられていたからである。また、その、元の生と次の生との中間的な存在である、
49日間の状態「中陰」、もしくは「中有」と呼んでいた。

それが日本に伝わり、宗旨によって考え方は様々であるが、
人は死後、魂を清めて仏になる為に中陰の道を歩き、あの世を目指す。
その所々に審判の門があり、生前の罪が裁かれる。
罪が重いと魂を清めるため地獄に落とされるが、遺族が法要を行い、
お経の声が審判官に届けば赦される。それが下記の7日毎に行う法要である。
また四週目と五週目の法要の間に、最初の月命日が来る。

309:?
10/06/18 17:01:55 N0xDakeq

瑜伽師地論(ゆがしじろん)

   人がまさに、死せんとする時に、過去の長い間の経験により、蓄積された、
   我愛が現起して、その力に、促(うなが)されて、
   自己に愛着し、無始の時、以来、続いて来た、執着された、戯論と善悪業により、
   中有(死んでから次の生まれるまでの間の状態の意識)を、形成する!

   その、中有(死んでから次の生まれるまでの間の状態の意識)が、
   次に、生まれるべき処を、求めて、母胎に入り、

   ここで、父母の、精子と卵子が、結合する時に、

   中有(死んでから次の生まれるまでの間の状態の意識)が、
   滅すると同時に、生有が生じて、
   一切種子たる、阿頼耶識(あらやしき)が、結合して、
   胎児を形成して、出生に至るのである!

310:?
10/06/18 17:04:00 N0xDakeq

  「阿頼耶識(あらやしき)は
   甚だ深細なり、一切の種子は瀑流の如し。
   我れ凡と愚とに於ては開演せず、
   恐らくは彼れ分別し執して、我とせんことを」

  「深遠で微細な 阿頼耶識(あらやしき)は、
   あらゆるものの種子をもって 暴流のようにながれる。
   それがアートマン(常住不変の自我)であると
   思われてはいけないので
   私(大乗の菩薩?)は 凡夫たちに
   決してそれを 説かないのである!」

311:神も仏も名無しさん
10/06/18 17:08:58 QkyBmnRb
>>307
強いて言えば、
神霊・鬼霊とかかなぁ。
当てはめるなら、悪魔ナムチとかパーピマンとかと同じ領域にせざるを得ないかと。

ビルマだったかタイだったかで、「悪霊」「鬼霊」に相当するのは「ピー」と呼ばれる存在だが、
(日本語で言えば精霊とか神霊とかに当たる)、それはパーリ語で言えば「ペータ(peta)」の概念的系譜なので、
「餓鬼」(餓鬼道に生じた存在)とでもしないと、六道からハミ子になっちゃうね。

ぶっちゃけると、(日本的な)「幽霊」という存在は通仏教的にも認め得ないけど・・。
生前の人格や容姿を保持したまま、その(強い)想い・情念を保持したまま、
肉体も有さず、輪廻せずにあり続ける存在など、認め得るわけがないw

312:?
10/06/18 17:25:39 N0xDakeq

餓鬼(がき、Skt:Preta、音写:薜茘多=へいれいた)は、
仏教において、亡者のうち餓鬼道に生まれ変わったものをいう。
Preta とは元来、死者を意味する言葉であったが、
後に強欲な死者を指すようになった。六道また十界の1つである。
十界のうちでは迷界、三悪道(趣)に分類される。

俗に、生前に贅沢をした者が餓鬼道に落ちるとされている。
ただし仏教の立場から正確にいえば、生前において強欲で嫉妬深く、
物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が死んで生まれ変わる世界とされる。
しかし大乗仏教では、後々に死後に生まれ変わるだけではなく、
今生においてそのような行状をする人の精神境涯をも指して言われるようになった。

餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、
また飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうので、
決して満たされることがないとされる。
極端な飢餓状態の人間と同じように、
痩せ細って腹部のみが丸く膨れ上がった姿で描かれることが多い。

313:?
10/06/18 17:27:48 N0xDakeq

餓鬼に施しを与えて鎮める方法がある。
お地蔵さんの足元へ水やお粥を供え、
お経をあげると餓鬼に飲ませたり食べさせたりできる。
これを行うと、とりつかれても飢えが鎮まる。

仏教の布教とともに餓鬼が市井に広まると、
餓鬼は餓鬼道へ落ちた亡者を指す仏教上の言葉としてではなく、
飢えや行き倒れで死亡した人間の死霊、
怨念を指す民間信仰上の言葉として用いられることが多くなった。
こうした霊は憑き物となり、人間に取り憑いて飢餓をもたらすといい、
これを餓鬼憑きという

また、子供は貪るように食べることがあるため、
その蔑称・俗称として餓鬼(ガキ)が比喩的に広く用いられる。
餓鬼大将・悪餓鬼など。

314:?
10/06/18 17:56:32 N0xDakeq

餓鬼 Pretaの 語源は

パーリ語の 「ペータ(peta)」から 来ているんですかね?

315:神も仏も名無しさん
10/06/18 18:22:29 QkyBmnRb
>>314
阿羅漢 arhantの 語源は
パーリ語の 「(arahant)」から 来ているんですかね?
真理、諦、真実 satyaの 語源は
パーリ語の 「(sacca)」から 来ているんですかね?

という問いと同じだぞw

316:神も仏も名無しさん
10/06/18 19:47:00 M85RL3G2
これ見てよ↓
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
ばらまこうぜ!


317:前世は一在家
10/06/18 23:07:35 4RYdrC60
>>302
>仏教の根本思想は『苦の滅』なの。それには「苦が生じる原因」というもの
>を突き止めなくてはならず、それを釈迦は「執着」としたわけ。そして、
>その根源的執着を「自己への執着」だと考えたわけ。
>そして『苦の完全なる、根本的消滅法』として、たどり着いたのが『無我』
>なんだよ。つまり、『我(われ)』といえるようなものは何もない。

>>303
>以上のように「無我では『自己といえるものの否定』、そして業論では『自己と
>言えるものの肯定』が必須であり、完全な二律背反なわけ。

そうですか。現代の仏教では完全な二律背反なのですね。

ご参考までに、死海文書の宗規要覧(エッセネ派)とマリアの福音書では真理(法)を
こう伝えております。
「全ての人には光の箇所(心魂、霊)と闇の箇所(欲心)とが受肉している。」と。

「苦が生じる原因」は「欲心」から生じる執着であり、カルマは「霊(心魂)」
の方に蓄積されるならば、論理矛盾はございませんでしょう。

釈尊も死海文書と同じ法を説かれていないのか、また探してみます。

更に「心魂」がうまく「欲心」をコントロールできれば、「完全なる人間」を
立たせることができるそうです(参照:ユダの福音書)。
原始仏典に記載の修行完成者、また「涅槃入り」と似た法かも知れませんね。


318:神も仏も名無しさん
10/06/18 23:17:41 QkyBmnRb
>>317
また、「でまかせ言いっ放し在家」かw

319:前世は一在家
10/06/18 23:38:12 ijRyH82U
>>318
>また、「でまかせ言いっ放し在家」かw

貴兄が死海文書とマリアの福音書を読んでいるということですね?


320:神も仏も名無しさん
10/06/18 23:41:46 QkyBmnRb
>>319
>釈尊も死海文書と同じ法を説かれていないのか、また探してみます
探すまでもないってこと。

>原始仏典に記載の修行完成者、また「涅槃入り」と似た法かも知れませんね
ありえないからw

 ※318に於ける命名は317の発言についてよりも、
  原仏スレ時代からの貴方の態度を率直に批評したものです。

321:前世は一在家
10/06/18 23:47:44 ijRyH82U
>>320
>原仏スレ時代からの貴方の態度を率直に批評したものです。

とても丁寧に対応いただきまして有難うございます。 合掌


322:神も仏も名無しさん
10/06/18 23:52:45 QkyBmnRb
>>298
>たぶん、コレのことでしょう
確かにそうだが、あそこまで掻い摘んだ形の概説では推薦した意味がないw

>この説法をしている話の設定が不明確なので、どのことを述べているのか特定し難い
と貴方が感想を述べる通りにねw

>面倒だから・・・・・・ではないということ
(言い回しや論題の条件設定も含め)「【どのように】述べられているか」が重要なので、
全文読むのが一番なんだが、一言添えるなら、その経中に於いては、
(たとえ「~でない」という形であっても)、排除されこそすれ、
【アートマン(或いは真我或いはニルヴァーナ意識)が(「ある」と)前提とされたものではない】ということだ。
※これは(この点では)、ポッタパーダ経の時と似た案件となっている。

323:神も仏も名無しさん
10/06/18 23:57:14 QkyBmnRb
>>300
(浄土門のことはよくわかりませんが)、あれが悪人正機説だとするなら、
「親鸞は原始仏教に直結している」「浄土真宗は、明確に、正統に、釈尊の系譜である」
と言い得ることになりますね。
門徒の方は、実際、そのような感じで受け止め、理解しているのでしょうか?

324:神も仏も名無しさん
10/06/19 00:14:17 XKXuu09Y
って、よく見たら、リンク先は原仏スレに居た「無宗だ」氏のブログかw

325:神も仏も名無しさん
10/06/19 10:04:20 ewLtjch8

我執⇔無(空)我=無(空)価値=無(空)超越=無(空)常=縁起=空=0次元=点=中道

莫妄想!

                         合掌

326:神も仏も名無しさん
10/06/19 10:20:04 ewLtjch8
それにしても、この全スレの連中はなにを妄想ばかりかいているんだ!

黙ってさっさと自由自在に死生すればいいんだ。

327:神も仏も名無しさん
10/06/19 10:26:32 rf6shgkp
宝珠(神智学)や在家(真光)のような「イエスに嵌った極め付きのカルト」
が、釈迦仏教(小乗仏教)に群がってくるのは、釈迦も、イエスと同様、カルト
の「指導原理」であることを、如実に証明している。釈迦のその要素を分析・解明・
批判しなければ、釈迦やイエスを語ることは、すべてピント外れである。

328:神も仏も名無しさん
10/06/19 10:31:17 ewLtjch8
>>327
>釈迦仏教(小乗仏教)←×

莫妄想!

隠居=我執⇔無(空)我=無(空)価値=無(空)超越=無(空)常=縁起=空=0次元=点=中道=釈迦仏教



329:神も仏も名無しさん
10/06/19 10:41:21 MqT6xk2h
隠居は相変わらず元気か。(笑)
けっこう、けっこう。

330:327インキョ神降臨!インキョ神の裁きw
10/06/19 11:02:53 n7nQ0MO7
>釈迦も、イエスと同様、カルト
の「指導原理」であることを、如実に証明している。
と言う釈迦のその要素を分析・解明・
批判とは、次のようなものであるw

堕落系キリスト教徒脳思考のインキョ神は327の内容の様に、
証明出来ないことを善悪判定し裁くw
インキョ神には人間の脳の創造性は不要で生命唱えて解決するのみで、
インキョ神のそれに反する者、人間の脳の思考性を想定する釈迦も精神病になるのである。
堕落系劣化キリスト教徒脳思考のインキョ神なのである。

と言う妄想思考以外はインキョ神にとって真実ではないのである。

また、「苦」の精密分析、原因分析を否定するインキョ神の思考は
善悪裁きの激しい堕落系劣化キリスト教徒脳思考そのものである、
注意されたしw



331:神も仏も名無しさん
10/06/19 11:54:13 XKXuu09Y
隠居の基本は「臭い物に蓋」なんだよね。
勿論、日々を送るにあたって「蓋をする」ことは重要だし、意義のあることだが、
仏教では(―これは大乗仏教でも同じい。六波羅蜜のどこに煩悩肯定があろうか・・―)、
「臭い物を元から断つ」(或いは“断つ努力”“減衰させる努力をする”)ことを骨子とするんだけどねぇ・・。

こういう言い方も理解不能なんだろうな、彼には・・・w

332:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/19 12:11:40 7A5n/o3q
>>302
このご説明には、特に異論はありませんよw
「我」(自己/アートマン)ではないものを「我」であると思って執着するところから苦が生じている、と。

>>303
>そして、これは・・・・・・・ だから我ではない。」と必ずこのように言う。そして、
>この・・・・・・の部分には「それは変化するから」とか「それは実体ではないから」とか、
>付属説明をつけ、無我と矛盾してないように偽装するが、『自己といえるもの』を
>否定する無我と、肯定する業論は、どうやっても両立しないの。

*「魂」(阿頼耶識でも何でもいい・・・)は「我」(自己/アートマン)ではないから、業報を受け継ぐのですよ。
*そういう性質のものなのです。第一、元々からして「我」は輪廻などしていない。業報も受けない。
「我」は勝義の概念でしか語らない。語れ得ない。(*これ重要)

333:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/19 12:13:17 7A5n/o3q
>>304
>お前が主張するような『基体』を設定するなら、『業論はそのとおり』だ。
>だが、それは『無我と矛盾してしまうわけ。』
>そこでお前は今まで「釈迦は無我など説いたのではなく、非我を説いたのだ。」
>と、アートマンスレで喚いて、このスレの全ての仏教徒たちに否定、論破されたわけだ。  
>「そう信じるのは勝手だが、『それは仏教ではない』。」とな。

論破などされたことはない!
自分らが信じている仏教理論とはそぐわないといわれただけです。
それが正しいものだとは私は認めていない。
この“非我を理解することが、まずは基本”ですよ。
URLリンク(houjugusya.web.fc2.com)

これすらも分らない自称仏教者が、この私の話を理解できる筈がないのです。
あの縁起氏ですら、文献学者の戯言として受け流しているのだから無理もないこと。
石飛氏の解説も誤解していましたし・・・。

>だからな、宝珠。お前は、神智学の路線でいけばいいわけよ。
>権威付けに仏教を取り込もうとするから、おかしなことになるの。
>お前はオカルト宗教のまま行くのが一番だよ。

権威付けなどは無用。実際、私は何も困ってなどいないし、
神智学においても仏教徒がどういう教義を信奉していようと無問題ですよ。自由であるし・・・。
たまたま、「仏教」→「ヒンドゥー」→「神智学」という遍歴経験を持つ私が、何故かお節介にきただけですから。

別に、あなたが分らなくてもいいのです。
いずれ閲覧者(過去ログを含め)の中の誰かが気付きの参考になればと思うだけなので。

334:神も仏も名無しさん
10/06/19 12:24:45 rf6shgkp
釈迦の「苦」とは、彼の鬱病の症状以外の何物でもないことを、精神医学的
に理解する必要がある。大昔は、精神医学がなかったから、分らなかっただけ。
昔も今も「健常者」には関係ない心理状態である。

精神医学が発達した現代において、何時までも鬱病患者の釈迦に執着している
場合ではない。いい加減で目を覚ませ。

キリスト教の「罪概念」と同様、釈迦仏教の「苦概念」は、信者を洗脳するための
強力な武器であり、極めて悪質な布教手段である。生来の人格が破壊され、
「狂気」が発生する。いずれも、人間にとって、これ以上の害毒はない。

335:神も仏も名無しさん
10/06/19 14:59:35 XKXuu09Y
>>333
>論破などされたことはない

そりゃそうでしょうwww
仏教では述べられていないことを、根拠とし、主張し、
仏典に無いのは、伝承者が誤って理解し、伝承したからだというのですからw

何度でも言います。
貴方の主張や根拠は、仏教ではありません。
そして、貴方は、仏教内に(仏典内に)“それ”が述べられていることを示し得ていません。
貴方は、(【神智学として】)【最初から最後まで、仏教でないものを述べている】わけです。
(そして、“それ”が仏教の枠組みに組み入れられることは(未来永劫w)ありませんw)
つまり、徹頭徹尾≪神智学>仏教≫なわけです。仏教より優れたものとして神智学を奉じていればいいじゃないですかw
そして、はっきり言えばいいのです。
『仏教は未完成であり、未達であり、真理に届いておらず、神智学と比べれば劣った教えである』、とwwwww

336:神も仏も名無しさん
10/06/19 15:08:45 XKXuu09Y
>>334

〔最大カテゴリとしての「苦」について]
仏教 議論スレッド その3
スレリンク(psy板:203番)

337:神も仏も名無しさん
10/06/19 15:29:36 XKXuu09Y
>>332
貴方には「でまかせゴリ押し宝珠」の“通り名”を進呈しましょうw

338:神も仏も名無しさん
10/06/19 17:42:45 ewLtjch8

宝珠の神智学はすべて一次元(一に帰す)

純粋仏教=釈迦仏教は0次元、というか次元を問題としない。

ここんところが掴めないから、超越だの非我だの一に帰す「妄想体」(魂でもアートマンでもなんでもいい)観念に
しがみつく。

これを我執というんだよw

これなら同じ無明我執でもカルトからまだ遠い俗物主義隠居のほうがマシ。


339:神も仏も名無しさん
10/06/19 17:50:06 ewLtjch8
>>333
>実際、私は何も困ってなどいないし

おまえのトンチンカン我執にはみんなが困っている。

それより出すと見得を切った宿題をやって来い。
いまのままでは落第坊主だ、単位はやれん。
水入りバケツ2個もって廊下に立っていろ。

340:神も仏も名無しさん
10/06/19 18:16:22 XKXuu09Y
宝珠の立ち位置は、
《「阿含経典群(の初期弟子達=声聞の弟子達)に対する法華経の立ち位置」とシンクロする》のではないか?
部分的に見ても俯瞰的に見ても、相似する要素に溢れているように見える。

法華経(≒大乗・一仏乗)〔…勝義〕>阿含(≒声聞乗(→パーリ))〔…方便〕
神智学〔…真理〕>>所謂「仏教」〔…真理手前の準備段階〕
神智学〔…真理〕>ヒンドゥ〔…真理手前の準備段階〕>所謂「仏教」〔…真理手前の準備段階の準備段階〕
大枠は↑w

よって、>>337が気に入らなければ、「NEO法華ism宝珠」というのはどうです?w


※(なんとなくイメージで言ってみたw)
※ちなみに、仏教は「>」を用い得るような序列の中には無い。
 buddha-sAsanaとして単独にカテゴライズされる。だから、勝義なのだ。
 優劣を気にするのでなく、「苦の滅」を望むなら、その時に選択される道(方途)であるだけだ。
 他に、どんな教え、どんな思想が世にあってもいい。
 《【その中で】「こっちの方が優れている」から、「【より、『真理』に近い」から】》、【選ばれるのではない】。
 それらとは一線を画す、孤高の教えなのさw

341:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/19 23:40:03 7A5n/o3q
むむむ・・・想定通りのブーイングに乙です m(__)m

>>335
>仏教では述べられていないことを、根拠とし、主張し、
>仏典に無いのは、伝承者が誤って理解し、伝承したからだというのですからw

 この私が紹介した編集ページの『本来の無我説』を読めば明らかです。一流の仏教学者らが何人
も、無我とは「我(自己)は無い」という意味ではない。仏教では後代になって無我の意味が改変され
ていったのだ、と確信的にそのことを解き明かしているという事実を。
 それは縁起氏が天才と絶賛した石飛氏も然りであり、女氏は縁起氏の主張を後押ししてるのでは
なく、実は全く真逆のことをいってるわけです。私は女史のウェブサイト(bbsでの彼女の投稿)まで確
認していますから。
 それを縁起氏は、これが法門の伝統であるなどと主張しました。まっ、信仰の世界ですからご自由
ですよ。しかし、個人の信仰(心)を離れて客観的姿勢から学問的に明らかになっている無我説の誤
りを認めないというのは、如何であるか?と、私は問うたわけです。

 『実際には、阿含経典では「無我」は「自己でない」の意で用いられていることがわかるだろう。
ブッダが「自己はない」は説きえないことがはっきりしている今となっては、これは当然のことだが。』
(石飛道子著『ブッダ論理学五つの難問』講談社刊)

 『このブッダの批判的立場が、仏教教団の発展に応じて、ブッダはアートマンの存在を否定して、
無我すなわちアートマンがないと主張した、と考えられるようになった。しかしながら、こうした後代の
理解は、ブッダの教えを誤るものというべきだろう。』
(『東洋思想5/早島鏡正著「無我思想の系譜」』東京大学出版会刊)

342:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/19 23:41:29 7A5n/o3q
>そして、貴方は、仏教内に(仏典内に)“それ”が述べられていることを示し得ていません。

 更に、この私は仏教学者らが説明しない部分における根拠についても、自分の言説を展開してきた
のはご承知の通りです。私の仏教知識は確かに僅かで貧弱ですが、しかし、更にヒンドゥー及び神
智学を知ることで、無我説のどこに誤解が生じているのか?その原因、及び本来の真義について解
することができたからです。ただそれをまだ、仏教枠内に限定した内容で説明しきるほどに機は熟し
ていなかったということ。それは認めます・・・。
 自分の中では自信がありますが、まだ早かったのかな?ということです。もちろん今後も、更に前進
する所存です。本日も、古書店から仏教関係書を4冊手に入れました。
 果たして、どの程度、役立つでしょうか・・・。

>『仏教は未完成であり、未達であり、真理に届いておらず、
>神智学と比べれば劣った教えである』、とwwwww

 私は、そういうことをいってるわけではないです。“真理を超えた宗教なし”というブラヴァツキーの
格言は、確かに仏教にも当てハマルでしょう。真理そのものを説き示すことに成功した宗教は存在
しないということです。言語と時間の経過の限界性です。

343:神も仏も名無しさん
10/06/20 00:04:40 XKXuu09Y
>>341
解ってないね・・(^^;

「○○は“我”でない」と言われている時の文脈は、((おそらく)全てw)
対話者が(或いは通説として)【「○○が“我”である」と考えている時】だ。
そして、≪【“我”がある】【××が“我”である】と述べられることはない≫。
だから私は、『文言に於いては非我であり、文脈として無我である』と評した。
そして、≪仏教に於いて、【“我”がある】【@@が“我”と見做されている】≫としている
学者・研究者・宗教者はゼロ(の筈)だ。
(リンク先のまとめも、《仏典の表現は『“我”ではない』というものである》という域を出ていない。)
「ネーティ、ネーティ」と重ねられた先に何かを見たいのかもしれんが、
【仏教では】【その先は無い】。
ブッダは、『何かが“ある”とき』『何かが何々であるとき』、
必ず≪※※がある≫≪勝義に於いて※※はある≫≪勝義に於いて**は無い≫≪※※が■■である≫等と
はっきりと示している。“我”については、「ネーティ、ネーティ」と重ねられた上に、更にそれがなされていない。
輪廻についても、『文献上は確実に言及されている』。
もし貴方が、≪記述以上のことをそこに見るなら≫、≪記述の誤伝承を見るならば≫、
輪廻について同様に見做した意見を糾弾する資格はありません。

解釈の領域を絶対なものとする愚に気付くべきです。

344:神も仏も名無しさん
10/06/20 00:33:42 5hdiioYz
ふむ。
>>343 >解釈の領域を絶対なものとする愚

これは、天に唾するが如く、343にも返って来そうだな・・www
 仏教の枠を外れた解釈を基準、始点とする愚
とでも言い直しておこうw


 ※だから、以前示した「田上の論文」や
  「一無位の真人」「本来の面目」「主人公」といった謂い(捉え方)、
  「国師良久」「外道問仏」といった公案に見られるような
  (「(究極の)総体としての」)自己への視線が許容される余地となる。
  ※勿論、これらが、宝珠の言うような「真我」とは、その在り様や質を異にするのは言うまでもないが・・。
   ※哲学的考察ともリンクするが、そのような「認識や行為の主体」の消去は困難なことではあるが、
    「縁起」という考え方が(それのみが)、唯一の解決策であることは注意されていい。
    ※そして、それを蒸留して一滴の純水としたのが中論(龍樹)なのかもしれない・・。


ノシ

345:神も仏も名無しさん
10/06/20 03:05:52 sS1QE9Ha
>>332  また、馬鹿宝珠がとんでもない勘違いを喚いているか。(笑)
>「我」(自己/アートマン)ではないものを「我」であると思って執着するところから苦が生じている、と。

何だこれは?
「真実はアートマンがあって、それとは違うものを「我」と勘違いして・・」
と言いたいわけか? アホですか? いったいどこに「アートマンはある」
とする、仏典、仏説があるのかな?  アートマンスレで散々、論破された
ことを、また蒸し返すのか?
あ!  そうか。
>論破などされたことはない!

自分が論破されていることを理解するだけの知能もなかったんだ。(笑)

346:神も仏も名無しさん
10/06/20 03:06:56 sS1QE9Ha
②>*「魂」(阿頼耶識でも何でもいい・・・)は「我」(自己/アートマン)ではないから、業報を受け継ぐのですよ。
*そういう性質のものなのです。第一、元々からして「我」は輪廻などしていない。業報も受けない。
「我」は勝義の概念でしか語らない。語れ得ない。(*これ重要)

これが何の反論にもなってなくて、「単なる言葉遊びにしかなってない」こともわからないくらい
馬鹿なんですか?

無我では、「自分といえるもの、自己といえるもの、他者と自己を分かつもの」
これがあってはいけないの。  そして、
業論では、「自分といえるもの、自己といえるもの、他者と自己を分かつもの」
これがなくてはならないの。

お前が言う、「魂」(阿頼耶識でも何でもいい・・・) これは田中さんと鈴木さんの共有のものか?
違うだろ田中さんには田中さんの魂、そして、鈴木さんには鈴木さんの魂があるわけだろ?
そうでなければ業の対応関係が、めちゃくちゃになってしまうよな?
業報を受け継ぐには、「それぞれの」魂が必須だな?

そして、そのような「それぞれにある」魂を設定してしまえば、それがすなわち、「自己といえるもの」
になってしまうんだよ。  お前がいくら、それは、「変化するから」とか「実体はないから」
『我』ではないと言おうが、田中さん、鈴木さん、『それぞれ固有にあるもの』であるならば、
それは実質『自己といえるもの』『我(われ)といえるもの』なんだよ。
お前は実質『我』である基体を設定しておきながら、何とか「無我」説との、整合性をつけるために
「それは我ではない」と言ってるだけ。
つまり、今まで色んなところで言われてきた誤魔化しと大差ない。(尤もお前のはその中でも、最も
稚拙だが)

そしてな、また相変わらず「釈迦はアートマンはないとは言ってないから、実はあると思ってた。」論を
喚いているが、いい加減に理解しろや。
「釈迦は~がないとは言ってない」→「釈迦は~があると考えていた。」
こうはならないの。  わかる?

347:神も仏も名無しさん
10/06/20 03:08:55 sS1QE9Ha
③ 以下は、仏教徒ではない部外者の私見であると断っておくが、

「アートマンはない。」   確かにこのように釈迦が言い切っている経典はないだろう。
だが、これはある意味当然だろう?

釈迦が「アートマンなどない」とはっきり断定しなかった理由としては、まず、「他宗との論争の回避」
が考えられるだろう。
釈迦の在世当時のインドは、バラモンが説くアートマンが一般的に信じられており、そのような状況で
アートマンなどないと主張すれば、当然、論争となる。
釈迦は、そのような論争の無意味さを十分知っており、そのようなことに時間を費やすことなく、
解脱を目指し、修行に励むべきであるという見解だったと思われる。
この「論争の回避」はスッタニパータの最古層部にも繰り返し、書かれており、かなりあり得る見方
だと思うがね。

さらに、スタンスとして
釈迦は、「・・・・・は我ではない」「・・・・・も我ではない。」 と一つ一つ「我ではないこと」
を確認していくほど、実証主義的な姿勢の持ち主だ。 そのような人物が「自分で観測、確認できない」
領域にまで言及して、「~はない」などと、「不存在証明を要する」断定などするわけがなかろう?
あくまでも「自己が確認できる範疇において」、「我と言えるものはない」と確認したんだよ。
そして、不可知領域については「無記」とした。
実に「地に足の着いたしっかりしたスタンス」だと思うがね。

以上から、セブンの言うように「文献上は非我」、「~は我ではない」という言い方になる。
しかし、その意味は(少なくとも確認領域においては)『無我』なんだよ。
そして「不可知領域においては無記」←これは不可知領域においてアートマンが存在することにはならんぞ

『苦の消滅』  そしてそれを達成するための根本的方法として、『無我』すなわち「自己と言えるもの」の
否定という認識の転換を了解するのであれば、 確認領域においては言うまでもなく、不可知領域においても
『我』『自己と言えるもの』『アートマン』『魂』などは、少なくともその存在が肯定されることは絶対にない。
そのようなものの存在を肯定してしまえば、それに対して執着が生じ、苦が生じる。
無我による苦の滅など消し飛んでしまうわ。

348:神も仏も名無しさん
10/06/20 03:36:28 sS1QE9Ha
④(補足)
勿論、これは「全ての自己という表記が」ないことを意味するのではない。
例えば、『世俗において』の「通常の会話においては」、普通に「自己」という語彙が出てくるわけだが、
それをもって、「釈迦は『アートマン』あるいは『形而上の自己』あるいは『真の自己』を認めていた」
とするのは、あまりにも馬鹿過ぎないかな?

349:前世は一在家
10/06/20 07:31:00 6K7tB7fQ
>>296
>>>294
>それは、【既に知ってる・理解していることを「讃して」いる】だけじゃね?
>『いきなり、4段階のレベル4で理解できた』ってこと(→>>290で言ってること)
>とは【全く関係が無く】ね?

法華経「如来寿量品第十六」では、弥勒菩薩らに三度懇請されて「仏は常住」
という説法を釈尊は説かれております。

為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法
衆生を救わんがための故に、方便として涅槃を現すも、
しかも実には滅度せずして、ここに常住して法を説くなり。

我常住於此 以諸神通力 令顚倒衆生 雖近而不見
我はここに常住すれども、諸の神通力をもって、
顚倒の衆生をして近いしと雖もしかも見ざらしむ。

我此土安穏 天人常充満
余の仏国土は安穏であり、神々と人間達が満ち溢れるのだ。

常住する仏国土の有様まで詳説されておられます。

以上、菩薩でも理解していない仏の法があるかと存じます。
特に「でまかせ在家」と呼ばれる方は是非ご自身で確認下さい。


350:神も仏も名無しさん
10/06/20 09:10:23 5hdiioYz
>>349
あれ?阿含類の話じゃなかったっけ?
そりゃ法華経を持ち出したらそうだろうよw
なぜなら、【法華経は阿含(の時代)には説かれていなかった事・伏せられていたことを明かす経典】だからだ。
そして、その伏せられていたこと以外は既に全て説かれ、その時代の弟子達は【それによって一旦は悟っている】。
だから、「声聞」乗(小乗)と言われ、それより更に上のレベルとして大乗が説かれているんだろ?
で、貴方は、この流れの中では、
≪【阿含時代の経典に依拠し】、【その教えに於いて】舎利弗や目連が「>修行完成者」となっていた≫
と述べてないか?長部を多く引用してなかったか? (だから、阿含(時代)の話だと私は解した。)
で、已然として、>>294は >『いきなり、4段階のレベル4で理解できた』ってこととは【全く関係が無 いまま、とw


論点ずらしはいつも通りの姑息さと言いながらも、つくづく呆れる奴だよ、お前は・・・。
(違う観点から>>291の非を指摘するかどうか(期待せずに)待ってたが、やっぱり気付かんか・・w)

351:神も仏も名無しさん
10/06/20 10:26:41 5hdiioYz
横から>>347に補足。

>そしてそれを達成するための根本的方法として、
>『無我』すなわち「自己と言えるもの」の否定という認識の転換を了解するのであれば、
>確認領域においては言うまでもなく、不可知領域においても
>『我』『自己と言えるもの』『アートマン』『魂』などは、少なくともその存在が肯定されることは絶対にない。
>そのようなものの存在を肯定してしまえば、それに対して執着が生じ、苦が生じる。

少しく言い回しを変えれば、
《「俺が俺が・・」と執される対象(≒依拠したくなる堅固な主体)を却下すること、そうした対象の解体》が必須要件であるならば、
可知領域だろうが不可知領域だろうが関係ない。(ま、論理的にはありえないことだが)、
仮に、不可知領域に『何がしか(真我・ニルヴァーナ意識、何でもいいが)』があったとしても、
【仏教では】≪それもまた【却下されるべき、解体されるべき】ものである!≫からだ。
その意味でも、他の多くの思想が、どんな主体を想定しようとも(【それがどの領域に属すものであろうとも】!)、
仏教の枠組みでは、全て、却下破棄の対象でしかない。

352:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/20 11:27:59 y1dkp31s
>>345
あなたは自分の理解がゴチャゴチャしており、
私の話などはただ混乱してしまうだけなので、今は対話しても無理だと思います。
(まずは、時間<と知的整理>が必要かと・・・)あなたは、無理に解ろうとしなくてもイイのです!

>「真実はアートマンがあって、それとは違うものを「我」と勘違いして・・」と言いたいわけか? 
>アホですか? いったいどこに「アートマンはある」とする、仏典、仏説があるのかな?

誰もそんな(仏説にはヒンドゥーの意味におけるアートマン存在の肯定論がある)ことは主張してません。
ゴータマは“それらはアートマンではない”と述べたということ。

>お前が言う、「魂」(阿頼耶識でも何でもいい・・・) これは田中さんと鈴木さんの共有のものか?
>違うだろ田中さんには田中さんの魂、そして、鈴木さんには鈴木さんの魂があるわけだろ?
>そうでなければ業の対応関係が、めちゃくちゃになってしまうよな?
>業報を受け継ぐには、「それぞれの」魂が必須だな?

ほーら?勘違いしてますよw
共有した同一魂だから、業報を受け継ぐに決まっているではないですか?
当たり前の話ですから。そんなことも解らず・・・この私の話が理解できる筈がないのです。
だから・・・あなたは今はイイです。

>「釈迦は~がないとは言ってない」→「釈迦は~があると考えていた。」
>こうはならないの。  わかる?

そうはいってませんが、否定できないことになるということです(コレ重要)。
「ある」といってるのはこの私なのですから・・・。

>>347
>釈迦が「アートマンなどない」とはっきり断定しなかった理由としては--中略--
>実に「地に足の着いたしっかりしたスタンス」だと思うがね。

特に異論なし。

353:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/20 11:29:46 y1dkp31s
>以上から、セブンの言うように「文献上は非我」、「~は我ではない」という言い方になる。
>しかし、その意味は(少なくとも確認領域においては)『無我』なんだよ。
>そして「不可知領域においては無記」
>←これは不可知領域においてアートマンが存在することにはならんぞ

“確認領域では無我(我ではない)、けれども不可知領域においては無記”には異論ありません。

>『無我』すなわち「自己と言えるもの」の
>否定という認識の転換を了解するのであれば、 
>確認領域においては言うまでもなく、不可知領域においても
>『我』『自己と言えるもの』『アートマン』『魂』などは、少なくともその存在が肯定されることは絶対にない。
>そのようなものの存在を肯定してしまえば、それに対して執着が生じ、苦が生じる。
>無我による苦の滅など消し飛んでしまうわ。

ここが混乱してるので、もっと注意深くお願いします。
単純に何でもゴッチャで一緒にしないことです。
確認領域においては「魂」に相当す存在(「識」の存続か?後の「阿頼耶識」の元となるもの)
については言及しました。ただし、これもヒンドゥーの説く「我」ではありませんが(従って「無我」です)。

>『我』『自己と言えるもの』『アートマン』『魂』

まず、あなたはこれら四つの言葉の一般的な共通性と及び異なる使われ方。
そして、本来(インド思想における意味で)のそれぞれの正しい意味についてを理解しないことには、
どうしようもないことです。テキトウに同じようなものとして使っている内は無理です。

>例えば、『世俗において』の「通常の会話においては」、普通に「自己」という語彙が出てくるわけだが、
>それをもって、「釈迦は『アートマン』あるいは『形而上の自己』あるいは『真の自己』を認めていた」
>とするのは、あまりにも馬鹿過ぎないかな?

私は1度もそんなことは述べたことがありません。

354:神も仏も名無しさん
10/06/20 11:30:55 RFLDc3yW
釈迦が、「己の我」を以って「無我」を説いたとしたら、矛盾以外の何物でも
ない。滑稽そのもの。

竜樹の、「もろもろの存在は、相互依存性・関係性故に無自性」という「空の
原理」によってのみ、一刀両断的に解決が可能である。

355:神も仏も名無しさん
10/06/20 11:35:52 ZHITgJWM
この種の議論は名色が滅びないと解決することはない。

356:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/20 11:41:42 y1dkp31s
>>352追記:(補足)

>お前が言う、「魂」(阿頼耶識でも何でもいい・・・) これは田中さんと鈴木さんの共有のものか?
>違うだろ田中さんには田中さんの魂、そして、鈴木さんには鈴木さんの魂があるわけだろ?
>そうでなければ業の対応関係が、めちゃくちゃになってしまうよな?
>業報を受け継ぐには、「それぞれの」魂が必須だな?

 また、間違ったら話しにならないので・・・。

 私は田中さんが死去して、次に鈴木さんとして転生する話をしてるわけですよ。ここには両者の共有
する同一なる魂存在があると。もちろん、在世中の佐藤さんや高橋さんは、またそれぞれに個別の魂
がある。
 尚、これらの魂はヒンドゥーが説く究極の自己(我=アートマン)ではない。従って、全て「無我」という
言い方は間違いではなく、ヒンドゥーとも矛盾しません。我ではないこれらの魂は、転生を繰り返して業
報を受け継ぐ性質を持ちます。ただし、輪廻が終了する際には消滅するのです(自己の本体とみなされ
ていたこの魂存在さえも消滅する=寂滅/ニルヴァーナ)。

357:神も仏も名無しさん
10/06/20 12:30:47 sS1QE9Ha
>>352  え~~~と、マジで頭、大丈夫か?宝珠。
俺は今までは、少なくともお前が精神異常であると思ったことはないが、
これは本気でその疑いがあると思い出したぞ。

>あなたは自分の理解がゴチャゴチャしており、
私の話などはただ混乱してしまうだけなので、今は対話しても無理だと思います。

このように、俺の話が混乱していると考えること自体、お前が精神にかなりの
混乱と異常をきたしている証拠だと思うがな。
今までの俺の書き込みをみて、(それに賛意をあらわすかどうかは別にして)
述べていることの、矛盾、論理的不整合などを指摘する者は皆無であると
思うがな?

さて、このスレの住人のみなさん。
俺の書き込みの、どこがどのように「混乱」しているのか指摘してくれますか?

358:神も仏も名無しさん
10/06/20 12:31:31 sS1QE9Ha
>ほーら?勘違いしてますよw
共有した同一魂だから、業報を受け継ぐに決まっているではないですか?
当たり前の話ですから。そんなことも解らず・・・この私の話が理解できる筈がないのです。
だから・・・あなたは今はイイです。

> 私は田中さんが死去して、次に鈴木さんとして転生する話をしてるわけですよ。ここには両者の共有
する同一なる魂存在があると。もちろん、在世中の佐藤さんや高橋さんは、またそれぞれに個別の魂
がある。

お前もしかして、俺の話を全く理解できてなかったのか?
俺の設定では、「田中さんと鈴木さんは、共に今世に生きる別人。そして、来世においては、それぞれ
田中さんの生まれ変わりである人物、鈴木さんの生まれ変わりである人物がいるわけ。
今世で殺人を犯した田中さんは、来世でその生まれ変わりである人物がその業を引き受けることになる。
今世で善行を行っていた鈴木さんの生まれ変わりの人物は、来世でその殺人の業を受けることなど
当然ない。」  これが悪因悪果だ。

お前、本当に頭、大丈夫か?

359:神も仏も名無しさん
10/06/20 12:41:44 sS1QE9Ha
さらに
>まず、あなたはこれら四つの言葉の一般的な共通性と及び異なる使われ方。
そして、本来(インド思想における意味で)のそれぞれの正しい意味についてを理解しないことには、
どうしようもないことです。テキトウに同じようなものとして使っている内は無理です。

こういう書き込みを見ると、お前の頭の悪さが本当にわかるが、
いいか?
俺は始めから「呼称はどうでも良い」と繰り返し言ってきたな?
それは、その語彙を使用するものが、それに対して様々な意味づけを
してしまい、その差異によって、しばしば、議論の混乱が見られるからだ。
だから俺は何度もそれらを「自己と他者を分かつもの、個々の識別属性」
と規定してきたんだよ。それ対する呼称は、各人、様々なの。
「それは魂だ。」「いや違うよ、それは霊だ。」「お前らは全くわかってない。
それは霊魂なんだよ。」   こんなやりとりに何の意味があるか?アホ。

360:神も仏も名無しさん
10/06/20 12:54:18 sS1QE9Ha
最後にね、

>我ではないこれらの魂は、転生を繰り返して業
報を受け継ぐ性質を持ちます。ただし、輪廻が終了する際には消滅するのです

お前は唯「それは我ではない」と繰り返すだけ。
何故、それは我ではないと言えるのか? の説明をすることなく
ただアホみたいに「それは我ではないんだよ。だから、無我とも矛盾しないよ。」
と、喚いているだけなんだよ。  んな事なら、小学生でも言えるわい。

「転生を繰り返して業 報を受け継ぐ性質を持つ『魂』」
この『魂』は業報を受け継ぐ時点で、「自己と他者を分かつもの」だ。
でなければ、業の対応関係がむちゃくちゃになると言ったな?
「鈴木さんではなく、田中さんのもの」と言える時点で、それは
「自己といえるもの」すなわち『我』なんだよ。

輪廻が消滅する際に消えるだ? 馬鹿が。
ならば、解脱できなければ、それは『永遠に継続するもの』だろうが?




361:神も仏も名無しさん
10/06/20 14:35:20 NGntSPoz

宝珠みたいに頭悪いくせに、頭でっかちってーのが一番処置なしだ。

その悪い頭をぶっ壊せ!ってーのがブッダの言ってることなんだが、

こーゆー奴に限って変に自尊心だけは強い(=我執が強い)から、

業報輪廻転生とやらの自縄自縛ラットレース続けるしかないんだろうねえw

御苦労なこった。

362:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/20 14:41:47 y1dkp31s
>>360
>輪廻が消滅する際に消えるだ? 馬鹿が。
>ならば、解脱できなければ、それは『永遠に継続するもの』だろうが?

あなたは何をいってるの?
それがゴータマの教えでしょうが(笑)
もう1度、仏教の輪廻の説明を“再読”しましょうよ!!
誰か、この方に教えてあげて下さい!


363:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/20 14:45:05 y1dkp31s
追記:

輪廻は解脱しなくても止むのか?
そんなことをいつゴータマが述べたのか!

>>361
はいはぃ、お褒め頂いて感謝ですよwww


364:神も仏も名無しさん
10/06/20 15:58:22 5hdiioYz
>>352>>353
>>351

>>356>>362
>>288

365:神も仏も名無しさん
10/06/20 16:06:28 Wfp7s41U
リンク貼るならみみずんの過去ログurlにしたほうが一発で見れていいな。

366:神も仏も名無しさん
10/06/20 16:36:39 5hdiioYz
>>365
みみずんは、IEでも専ブラでも『一発』ではありません。
一個一個ブラウザが(ウィンドウが)開くことになります。
専ブラでは、『カーソルを合わせるだけ』でレスが読めます。(過去ログあればの話ではありますが。)
私は、(【自分がレス内容を確認する意味】もあるので)
みみずん式でリンクするつもりは今後もありません。
(また、リンクURL作成の手間もかかるのではありませんか?(やったことないけどw)
 右クリックで「このレスのURLをコピー」「タイトルとURLをコピー」と出るのも便利です。
 これ以上の手間をかける気はさらさら無いですwww)
御理解と御了承の程をお願い申し上げます。

367:神も仏も名無しさん
10/06/20 18:08:26 sS1QE9Ha
>>362  おい、クソ宝珠。

>あなたは何をいってるの?
それがゴータマの教えでしょうが(笑)
もう1度、仏教の輪廻の説明を“再読”しましょうよ!!
誰か、この方に教えてあげて下さい!

何だ?これは。  いつものあれか?
反論できなくなると、論点ずらし、ループで誤魔化して逃げる姑息な手段。
また、あれやるの?

「ゴータマの教えだ?」   いいか?前にも何度も言ったが、
『輪廻業報思想を釈迦が積極的に説いたか?否かについては、多くの異論が
ある。』  そして、これも何度も繰り返し言ってきたことだが、
「釈迦という歴史上の人物が」、その主要教義の中において『積極的に』
輪廻業報を説いたとする説には、俺は極めて懐疑的だ。その理由は、これも
何度も繰り返し述べてきたが、
1・最古層資料にそのような記述が見られない。
2・業論を認めると、釈迦の根幹思想である『無我』との矛盾が生じる

368:神も仏も名無しさん
10/06/20 18:09:25 sS1QE9Ha
勿論、多くの「伝統仏教」と言われる宗派が、「輪廻業報思想」を採用して
きた事実は認めるが、そこにおいても、『無我説との論理矛盾を解消することなく
すなわち、そこには触れずに、信仰の範疇において説いてきたに過ぎない。』
つまり、そこは論理的整合性を求めることなく、「とにかく縁起によって、
うまいことなってるんだよ。」  と言うしかないんだよ。
そして、正にこれが今の論点だ。
お前は『無我と業論は矛盾しない。論理的整合性が取れていると言う、
今まで誰一人として、それを論証できた者がいないことを主張した。』
だから、「できるものなら、やってみろ」と俺が言ったのに結果はどうだ?
お前が言ったのは「業を受け継ぐのは魂です。そして、それは我ではないから、
無我と矛盾しません。」  だ?  何?このアホみたいな解説は。
今まで、このスレでも多くの者が「無我と整合性のとれた業論」を語ろうとしたが
これほど稚拙で、馬鹿っぽく、正に「論とも言えないような戯言」を吐いたのは
お前がはじめてだ。

さて、一からやり直してもらおうか?
「無我」と矛盾しない「業論」というやつを。
あ!  その前に、「なんで田中さんが鈴木さんに生まれかわるのか?」と
「田中さんと鈴木さんが、魂を共有している」ってのをまず、解説してくれるかな?

369:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/20 18:47:09 y1dkp31s
>>367
>輪廻が消滅する際に消えるだ? 馬鹿が。
>ならば、解脱できなければ、それは『永遠に継続するもの』だろうが?(>>360)

“永遠の昔からの永劫の輪廻”から解脱するのです。
解脱しない者は永劫の輪廻を続けるという意味になるでしょう。

 『聖者には輪廻は存せず、彼はもはや生まれ変わるということがない。聖者の身体は、
永遠の昔からの永劫の輪廻の過程における最後の身体であり、これは最後の生涯である。
今や再びのちの生存に入ることがない。』(『テーラーガーター』202)

>「釈迦という歴史上の人物が」、その主要教義の中において『積極的に』
>輪廻業報を説いたとする説には、俺は極めて懐疑的だ。

それはあなたが唯物論者だから。
唯物論者は最もレベルが低い。彼らは議論では理解できない・・・。

>>368
>「とにかく縁起によって、うまいことなってるんだよ。」と言うしかないんだよ。

縁起氏と一緒にされては困る。

370:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/20 18:49:36 y1dkp31s
>お前が言ったのは「業を受け継ぐのは魂です。そして、それは我ではないから、
>無我と矛盾しません。」だ?  何?このアホみたいな解説は。
>今まで、このスレでも多くの者が「無我と整合性のとれた業論」を語ろうとしたが
>これほど稚拙で、馬鹿っぽく、正に「論とも言えないような戯言」を吐いたのは
>お前がはじめてだ。

そう。明確に述べたのは私だけ。
まず、己れの無知・無理解を棚上げして相手を罵倒しないこと。
基本はそこからです。

>その前に、「なんで田中さんが鈴木さんに生まれかわるのか?」と
>「田中さんと鈴木さんが、魂を共有している」ってのをまず、解説してくれるかな?

そうなってるのだから“ショウガナイ”といかいいようがないでしょう。
それが森羅万象の現象界における原因と結果の法則です。
今生のカルマ(業)の清算、及びリベンジの機会が必要でしょう。
それが在る限りは転生を繰り返します。これが平等ということであり、そのように作用してる。
名前や姿が変わることは仕方ない。それが新たなチャンスです。
もちろん、何故その家系に転生していったかは必然性です。

まっ、説明しても無駄。
あなたには理解しようという気がない。

371:神も仏も名無しさん
10/06/20 18:58:07 sS1QE9Ha
>>370  なあ、宝珠、マジで大丈夫か?
>そうなってるのだから“ショウガナイ”といかいいようがないでしょう。

今、俺には「田中さんと鈴木さんという二人の知り合いがいるんだが、
もし田中さんが死んだら、その魂が鈴木さんの中に入ることがあるわけか?」
それとも「もともと田中さんと鈴木さんが共有の魂を持ってるわけか?」
どっちなの?

372:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/20 19:03:52 y1dkp31s
追記:>>369
>>>368
>>「とにかく縁起によって、うまいことなってるんだよ。」と言うしかないんだよ。
>縁起氏と一緒にされては困る。

輪廻してる魂は縁起に依って生じている。
従って、縁起しだいで滅する。

ゴータマはあなた方が混乱すると思って明確にしなったのでしょう。
私には説明できるし、この程度は隠す必要なしとみるから述べるのです。
大した話ではないです。精神世界orニューエージ思想の類の人々の方が理解しています。
この程度は常識の範疇です。


373:神も仏も名無しさん
10/06/20 19:06:08 sS1QE9Ha
>>370
>まず、己れの無知・無理解を棚上げして相手を罵倒しないこと。

お前の「妄想を信じて理解しろ」と言われても困ってしまうんだが。(笑)

>それが森羅万象の現象界における原因と結果の法則です。
今生のカルマ(業)の清算、及びリベンジの機会が必要でしょう。
それが在る限りは転生を繰り返します。これが平等ということであり、そのように作用してる。
名前や姿が変わることは仕方ない。それが新たなチャンスです。
もちろん、何故その家系に転生していったかは必然性です。

wwwwwww
これはお前の願望でしょう?
お前が勝手に「真実だ」と決めているだけで、「何ら実証された事実」
ではないわけだ。
「自分がそう思いたい」ということを「それが真実だ」と断定することを
妄想というのだよ。(笑)
しかし、本当に全く進歩がないな、お前は。


374:神も仏も名無しさん
10/06/20 19:13:48 sS1QE9Ha
なあ、宝珠よ。お前は「~は真実だ。わからないのはお前が無知なせい。」
と言ってるだけ。「自己の主張の真実性の論証を全く行ってないの。」
唯、「真実は~だ。わからないのは、お前のせい。」と喚いているだけ。
これでは「鍵のかかった病院の中で、『俺は神だ。それがわからないのは
お前たちが無知だからだ。』と喚いている危ない人と全く変わらんぞ。」
少しは自覚せえよ。

375:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/20 19:20:00 y1dkp31s
>>371
どうも・・・ご勘弁願いたいのはこっちですよ。
うーむ。マジでフザゲテルのかと思いました・・・。
本当にわからないの?私がそんな話を述べてるわけがないでしょうが?

いつこの私が、
現に生存中の鈴木さんの中へと亡くなった田中さんが転生するといいましたか?
鈴木さんの肉体から鈴木さん魂を追い出して、そこへ別の魂が転入したり、
或いはまた、一つの肉体に二つの魂が共有するなどといいましたか?

私がいってるのは、
田中さんが死んで、次に鈴木さんとして転生したりしているのだ、と述べているのですよ。
生前の田中さんの魂が、今度は別人格・別肉体へと転生していくのです。
それが鈴木さんとなるか、または高橋さんとなるかは転生先の家系によるでしょう。
それも決定づけてのはその魂です。まず、これが基本です。

鈴木さんは当然、過去世(前世)での田中さんだったときの記憶を失っていますが、
鈴木さんとして転生し、その家系での自分の人生における様々な条件付けを決定づけた理由とは
過去世での田中さんだったときの行為が原因しているのです。
記憶がすべて戻ったときに、何故、あるときにこの出来事が自分に巡ってきたのかの
整合性ある理由をちゃんと解することになる。
デタラメには作用していないので、これが法則というものです。

376:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/20 19:23:49 y1dkp31s
>>374
>これでは「鍵のかかった病院の中で、『俺は神だ。それがわからないのは
>お前たちが無知だからだ。』と喚いている危ない人と全く変わらんぞ。」
>少しは自覚せえよ。

いいの。いいの。
「唯物論者には説明しても無理」と本に書いてあったよwww


377:神も仏も名無しさん
10/06/20 19:27:48 sS1QE9Ha
>>375  お前は人の書き込みを全くよんでないのか?
それとも日本語が読めないのか?
あるいは読解力が小学生なみか?

俺が最初に言及した  >>303  から
>>346   >>358  を読んでから、レスし直せ、馬鹿が。
勝手に話を捻じ曲げるな。

378:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/20 19:32:02 y1dkp31s
 『聖者には輪廻は存せず、彼はもはや生まれ変わるということがない。聖者の身体は、
永遠の昔からの永劫の輪廻の過程における最後の身体であり、これは最後の生涯である。
今や再びのちの生存に入ることがない。』(『テーラーガーター』202)

これが仏教なの。
この経文がすべてを述べているといえるでしょう。

で、あなたが仏教を信じないのは自由なの。
私は仏教を信奉するよう強要などしてないの。
解りましたか?

自分の無理解を私や仏教のせいにしないこと。
これが自覚というもの。


379:神も仏も名無しさん
10/06/20 19:33:44 qlTY56xp
>>368
無我説と輪廻転生説の論理的整合性を求めだすと苦しいけど、
そもそも無我説は仏説ではない、という主張も沢山あるじゃん。
非我説もそうだが、そもそも経典を厳密に研究すると
無我説なんて元々釈迦は言っていない、という説もあるでしょ?
無我説自体の絶対性も怪しいものだよ。

それに個人的には釈迦は、そこまで論理的な人物ではなかったと思ってる。
なにせ書物もなければ、自分の頭の中だけで膨大な宗教体系を
作らなきゃいけなかった時代だ。そりゃ論理矛盾の一つや二つくらい
犯すだろう。現代人が釈迦は絶対に論理矛盾を犯さないと思うほうが
釈迦を超人化・神格化しすぎていると思うね。

380:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/20 19:36:04 y1dkp31s
>>377
はぃ。ループしたので終了します。

時間があれば、
ヒンドゥー聖典から神智学文献まで引用してもいいのですが・・・。
今の話も理解できないのでは、どうにも無理ですよ。


381:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/06/20 19:38:38 y1dkp31s
>>379
あれれ?新しいご意見ですね。

ていうか・・
これが一般的、及び常識的な見方かもしれませんが・・・。。


382:神も仏も名無しさん
10/06/20 19:49:00 sS1QE9Ha
>>379
>そもそも無我説は仏説ではない、という主張も沢山あるじゃん。

これはどういう意味における発言かな?
「無我ではなく非我である」というスライド的な意味なのではなく、
『釈迦は無我も非我も説いてない』となると、これはもう
全く異なる宗教になってしまうぞ。

>>380
>はぃ。ループしたので終了します。
しかし本当に姑息な奴だな、お前は。
反論できなくなると、相手のせいにして逃げ出す。
いい加減にそのクセ止めろや。

お前が俺の説明の設定を
1・読んでなかったか?
2・理解できなかったか?
のいずれかの理由で、勝手に「田中さんの生まれ変わりを鈴木さん」
としたわけだな?  そして人の説明を勝手に変え、妄想を垂れ流す。
挙句にそれを相手のせいにする。
今まで、このスレで何度も何度も何度も繰り返し批判されてきた
その態度はもういい加減にしな、クソ宝珠。

383:神も仏も名無しさん
10/06/20 20:11:13 qlTY56xp
>>382
非我説と解釈できるだけでなく、非我説としか解釈できない部分もある、
という説も見たことがあるってこと。

ただ繰り返すが、釈迦の全ての説に厳密な論理的整合性を
求めるのは釈迦に酷だと思うよ。元々人間の頭と記憶だけを頼りに
構築・保持されている宗教体系なんだから、矛盾があったとしても
全然驚かない。

384:神も仏も名無しさん
10/06/20 20:26:20 qynFCYD5
久々にROMしにきたら、宝珠、おまwww
>>177 あたりから、前兆があったが、本気で狂ったようだな

しかも、自分がループに入ってるのは無視してるのに、
相手が、過去レス参照して、論点がずれてるのを指摘したとたん、
「はぃ。ループしたので終了します。 」とかwww



マジレスするけど、
宝珠、最近のお前の言動は異常だ。
お父上の死以来、ちょっと精神の平衡を欠いてないか?
一度冷静になって、自分の書き込みを読み直す事を勧める。

385:神も仏も名無しさん
10/06/20 20:32:07 qlTY56xp
あと「魂」は「我」ではない、みたいなレスは必ずしも言葉遊びとはいえないんじゃないか。

そもそもアートマンとか魂とか霊魂とか、そんな概念自体が元々曖昧なものだ。
現代人は理性的で頭がいいから、「自己の魂」「他者の魂」とか
科学的思考に基づいて分類するが、このような論理学を用いた理性的分類が、
アートマンみたいな宗教的概念に通用するのか疑わしい。

2500年前の沙門たちは、現代人とは発想や思考様式も根本的に異なる筈であり、
彼らが何を持ってアートマンという概念を理解していたのかは、本当のところは
分からない。アートマンや魂自体が、現代には通用しない非論理的で意味不明な
概念である可能性もある。

386:神も仏も名無しさん
10/06/20 20:44:56 qlTY56xp
意識の中心一つとっても、現代人と古代人は差がある。
知識のある現代人は意識の座としてすぐに頭脳をイメージするが
古代人はそもそも脳が何の働きをするのかも、まったく分かってなかった。
だから心は丹田にあるとか、心臓にあるとか、勝手なことを言っていたわけで。

「ものを考える場所」として直感的に自分の頭脳をイメージする現代人と
直感的に心臓をイメージする古代人では、根本的に分かり合えるとは思えない。

387:神も仏も名無しさん
10/06/20 20:47:29 OHPHJjAg
「自己」なのに転生しない?業報も受けない?主体になってないのに「自己」?

語りうるとか語りえないとか以前に名前をつけ間違ってるな。

388:神も仏も名無しさん
10/06/20 20:55:33 OHPHJjAg
命=心=魂=霊=自己が明確に区分けされていないなら、なおさら語義が
性質に反映されてないとおかしい気がします。

「息」という意味を持つルーアハがヘブライ語では霊ということになりますが、
これは神が「息」をアダムに吹き込む、という形で反映されている。
「自己」という語義をアートマンが持つなら「自己」としての性質を
何らかの形で持っていないとおかしい。不自然。

「炎」という意味の名前を持っているのにアグニ神が炎や炎に関する一切のものを司っておらず、
「炎」でたとえられるような性格も全く持たないようなもの。

389:神も仏も名無しさん
10/06/20 21:08:49 sS1QE9Ha
>>383
>・・非我説としか解釈できない部分もある・・
仏典の記述を見れば「非我説」どころか、「トンでもないオカルトの記述」
も少なくないよ。 要はどれが釈迦の教えの本旨であったか?
どれが、他宗教からの混入、後世の弟子たちの増稿、改変、あるいは、
比喩、方便であるかの識別が、(非常に困難ではあるが)、避けて通れない部分
であると思うね。 その際の基準とも言うべきものが『無我』であると、俺は
考えている。 「苦の滅」→これを達成するための方法論として、たどり着いた
のが『無我』への認識転換。  これが仏教の幹ともいえる部分であり、
これをはずしたら、もう仏教とはいえないだろ? 
この『無我』の思想は、正に仏教独自のものであり、他宗教には見られないものだ。
よって、他宗教からの混入は考えがたく、試金石として使用するには最も妥当で
あると考える。 


「何を仏教というか?」
という問いに対する答えは難しいが、「無我の思想」に反するものは少なくとも
『釈迦の教え』とは言えず、後世の付加物であると考えるのが最も妥当なのではないかな?

>ただ繰り返すが、釈迦の全ての説に厳密な論理的整合性を
求めるのは釈迦に酷だと思うよ。元々人間の頭と記憶だけを頼りに
構築・保持されている宗教体系なんだから、矛盾があったとしても
全然驚かない。

「歴史上の釈迦という人物」が、実際どのような人物であったのか?
これは残されている資料があまりにも少ないため、推測するのは困難だが、
少なくとも「同時代人に比して」、論理的思考を好み、実証に重点をおく姿勢の
持ち主であったとは思われる。
唯、釈迦が比喩や方便ではなく、上記のように「瑕疵により」論理的不整合な説を
説いたとすることは「仏教徒たち」には、容認できないことだと思うぞ。
(俺は仏教徒ではないので、別に構わないのだがww)

390:神も仏も名無しさん
10/06/20 21:09:57 sS1QE9Ha
>>386  う~~~ん、それを言ったらダメだ。
「普遍的現象の是非を判断する」ときの基準として現代の知見を用いるのは十分、
理由のあることだとは思うが、「認識論、精神的内的作用」に知見の多寡を適用
するのは、あまりにも酷だと思うが?
「無我」「無常」そして竜樹の言う「無自性による相依性」などは、
現代思想に比しても決して色あせることはないように思えるのだが。

391:神も仏も名無しさん
10/06/20 21:40:56 sS1QE9Ha
>>385 は、読んでなかったので後レスするが、
>・・アートマンや魂自体が、現代には通用しない非論理的で意味不明な
概念である可能性もある。

う~ん、これも確かにその可能性は否定できないが、現代にいる我々が、
当時の思想、概念を推測するには現代に残されている資料から、「現代
的視点」において推測するしかないわけだ。
例えば、当時もやはり「殺人はいけないこと」と考えていたと推測するしかない。
唯、当時のインドにおいては、「アートマン」「輪廻」「業」などの概念は
現代人である我々が、資料の上から考えるのとは、また違った「非常に生々しい、
当然の事実であり、現代の我々が地動説に何の疑いも抱かないのと同じように
一片の疑義も感じないような」『真実』であったのかも知れない。
しかし、それは当時に戻ってその世界に属して見なければわからず、とりあえず、
我々にできることは、「現代の視点」に立って2500年前を眺めるしかないよ。




392:神も仏も名無しさん
10/06/20 21:48:44 5hdiioYz
奈良さんが仏教風呂敷論なる言葉を発する理由は、そのあたりにあるだろうと思う。
(もしかしたら、「仏教文化史」という専攻の方向となった理由も、そのあたりに端を発するかもしれない。)
「仏教は、ヒンドゥ文化の中に、2500年前のインドに発生したものである」という視線を外さないスタンスとして・・。

393:神も仏も名無しさん
10/06/20 21:55:05 qlTY56xp
>>389-390
竜樹とかが非常に緻密な思考力の持ち主で、物凄く
頭が良かったのは分かる。釈迦もそうだったと思うけど。

>たどり着いたのが『無我』への認識転換。

釈迦は実践の人だったんで、この無我というのも
どこまで拡がりを持った概念なのかなあ、とは思うんだよね。

ただまあ現代人、釈迦をあまりいじめるなよ、と時々思うことはあるw

394:神も仏も名無しさん
10/06/20 22:05:00 qlTY56xp
>>391
まあ確かに、古代人を真に理解するには古代世界で生きるしかないし、
現代人はとりあえず、共通用語としての現代の知見に則って
話すしかないんだけどね。

ただ釈迦が当時としては卓越した論理的思考力の持ち主だったとしても、
周囲にはマントラで病気が治るとかガチで信じていた人が
溢れていたわけで(釈迦もそういう環境で生育し生活していたわけで)、
当時の哲学的・宗教的概念を理解するには、そういう事情も
忘れないようにしないとなあ、と思ったんだよ。

395:神も仏も名無しさん
10/06/20 22:39:00 5hdiioYz
だから、ブッダは(シッダッタは)【本気で】【生き物は輪廻する】と考えていたろうと思う。
ただ、「苦の完全なる滅」が実現可能だと気付いた時、
それが実は「輪廻などない」というものだったとしても、
「輪廻を脱することができる」という表現として発せられた可能性はあるだろうと思うし、
輪廻以外の様々な要素に関しても同様だろうと思う。

伝承は尊重しなければならない。
だが、(直接の言葉が残っていないにしても)、釈尊の足跡、思考の道程を追いかけるなら、
「ヒンドゥ文化の影響」を視野に入れつつも、【同じ人間として】「自身の心の在り様・動き」を見つめ、
現存する言葉(≒文献)と相対すべきだと俺は思う。


(※やっぱり、縁起一代のレスは貴重だったなぁ・・w)

396:前世は一在家
10/06/21 00:10:48 89179rYN
>>350
>なぜなら、【法華経は阿含(の時代)には説かれていなかった事・伏せられていた
>ことを明かす経典】だからだ。
>そして、その伏せられていたこと以外は既に全て説かれ、その時代の弟子達は
>【それによって一旦は悟っている】。

阿含(原始仏典の時代)に「常住のものはない」と説かれた釈尊が、
法華経(大乗) では「仏国土(世界)も仏も常住である」と菩薩達には説いており、
龍樹(大乗)の空の体系(言語論理学上での演繹論理学)と矛盾したとしても、
貴兄はあくまで原始仏典の範囲で語っているから正しいという意味は了解しました。

あるがままに見る認識主体の「世俗諦」と、中身の無い(空)の言語論理学の
「第一義諦」との何れ普通の人の日常生活にとって大切かを考えれば、後者
だと思料します。

「去るものは去らず」ですが、「去るものは去る、ではない」と最初から認識
していれば良かったようですが、言語世界の言葉足らずに私も振舞わされていた
ようです。もう少し学習を進めてまります。


397:前世は一在家
10/06/21 01:25:06 89179rYN
>>383
>ただ繰り返すが、釈迦の全ての説に厳密な論理的整合性を
>求めるのは釈迦に酷だと思うよ。元々人間の頭と記憶だけを頼りに
>構築・保持されている宗教体系なんだから、矛盾があったとしても
>全然驚かない。

龍樹は哲学者で論理性を重視し、釈尊は衆生の救済を重視されて、
相手のレベルに応じて四通りに説法をされたそうですから、意図的な
論理矛盾があったという仮説を立てております。

医師が癌だと認定した患者に「あなたは癌です」と伝えることは真
であり、「癌ではない」と伝えることは偽でしょう。

でも慈悲深い医師であれば患者に「あなたが癌かどうか私には分かり
ませんので、もう少し様子をみましょう」と論理学上の偽を伝えますが
救済上では真かも知れませんね。


398:神も仏も名無しさん
10/06/21 02:54:50 nRoLgjOL
釈迦の「無我」「無常」には、やはり無理がある。「無」とは「有」に対する
概念であり、「無」という以上、「有」の概念を前提としているからである。
「有・無」は、あくまで「相対的・関係的概念」だから、竜樹の「有にあらず、
無にあらず」が正しい。本当に無なのなら、そもそも「無」などという必要は
ない。

釈迦の「苦の滅」は、苦を「滅すべき異物」とし、「苦は、人生において不可避
であり、苦を苦にし過ぎて、滅しようとすればするほど深まる」という事実に
思い至らなかった点で誤り。苦を生の一部として、積極的に受け入れてこそ、
初めて苦を滅することが出来るのである。苦がなければ、他者の苦を理解し、それ
に共感する能力の育成(これを、人間の成長と呼ぶ)が不可能になってしまう。

苦を、人生には付き物であり、自己の成長への糧として積極的に受け入れてこそ、
初めて苦が苦ではなくなる。「人生は、自分の思うとおりにはならない」と
初めから達観しておれば、苦は苦にならない。これが「悟り」である。

釈迦の「苦への執着」は全く異常。彼の鬱病の症状としての病的心理以外の
何物でもない。健常者に苦の概念を植え付けることにより布教しようとするのは、
キリスト教における罪概念の植え付けと同様、それ自体が「地獄に墜ちるべき
罪」の典型である。

釈迦仏教が、キリスト教と並んで、人間にとって極めて有害な超カルト宗教で
ある所以である。


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