10/06/12 08:06:43 ALAzB6Ca
>>95
>更にマリア伝では「罪はない」と説かれているのに、原罪の概念を持ち出して
>人の闇を誇張した使徒や教父が存在したのではないかという仮説を立てております。
マリア伝では分かり易い「心魂と欲心との対話」の章があります。
人は創造の際に光の箇所と闇の箇所とを受肉したとの死海文書(宗規要覧)の
内容とも符合します。
「罪はない」としても、欲心に負けて人の本性(心魂)に反する行為をした
際に「罪を犯した」と呼んでいることになりますでしょうか。
さて闇の箇所(欲心)ですが、釈尊も有名な「四諦」の教えの中で、苦しみの
原因は固執にあり、固執は欲心から生じるという法(真理)と、その固執から
解脱する為の生活実践項目「八正道」を数十年間も説いて歩かれたそうです。
預言者達とイエス様と釈尊とが共通の真理(法)を我々に説いて下さっていた
のではと思料します。