10/06/11 17:57:05 /3z3N0B/
>>76
>イエスは、「わたしは律法を完成するために来た」などと言っている。これは、
>「律法は未完成」と言っているのと同じ。
そこの文章はこうなっている
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、
と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。
はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、
律法の文字から一点一画も消えうせることはない」(マタイ5:17-18)
口語訳ではこうなっている
「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。」
で、この後にこの内の小さな掟でも自分で守ったり、人にすすめる人は天の国で報いがあると続けられる。
ここでのイエスの主張は、
・自分は律法(モーセ五書)や預言書に記された予言を成就させる存在。
・律法はこの世が終わるまで有効で、それを守ることで神は報いてくれる。
もちろん二つの律法「神を愛すること」「隣人を自分のように愛すること」 を根本に据えた実践だ。
律法そのものが劣ってるなんてイエスは言ってないんだよ。
>休息日は、疲れを癒すための生存の知恵。緊急時は、当然例外だろう。
当時のパレスチナの話をしてるんだが?実際それで咎められるシーンが
新約にはあるんだが?
>>77
「イエスと解釈の違うユダヤ人」であることには変わりないだろ。
誰が、どんな人間が誤ったか、どういう捉われによって
見捨てたか、問題を浮き彫りにするためには立場を併記するのは必要なことだな。