10/06/11 11:12:47 NT/fwspv
>>57
>この幼稚な詭弁に取り込まれてしまう頭が不思議。
三位一体説を採用しないと聖書の神観が矛盾していることになってしまうからね。
聖典として扱う以上、矛盾する部分を切り捨てるわけにもいかない。
問2
「新約聖書の中では、キリストを神として礼拝しているのですが、
神はひとりであるという唯一神教において、どう調和できるのかということに他なりません。
もし三位一体でないなら、キリスト教の礼拝は、偶像礼拝になってしまいます。」
問11
「3世紀のモナルキア主義(単一神論)という異端は、神の唯一性を強調するあまり、
人間イエスが神の力を受けて徐々に神的な者にされたので、イエスは本質的に完全な神性を持たない者とされました。
この考え方では、キリスト教を偶像礼拝にしてしまいます。ものみの塔は、これとよく似ています。
もう一つのサベリウス主義(様態論)という異端も、神の唯一性を強調するあまり、
キリストの完全な神性は認めましたが、三位格は唯一の神が自分自身を、三つの様態で現したのだとしました。
この考え方では、キリストの十字架は、父自身が十字架にかかったことになります。
これは、十字架上で、「父よ」と叫んだ時、天にいた相手は誰か、という問題を引き起こします。
三位一体は、この二つの異端を退け、キリストは完全な神性を持ち、
かつ、キリストは父なる神とは人格が異なることを述べています。 」