10/07/05 00:38:23 T/z7viRi
>>568
トマス伝のイエスは全ての人は神の子でありやがて神聖化し得ると説き、トマス伝を
意識したヨハネ伝の編集者達はその逆を記載しておりますことまでは神学者達の
調べにて分かっております。
神と人との距離をトマス伝と比べて、ヨハネ伝では遠くしております。
更にパウロは原罪まで持ち込んで、更に遠くしておりますね。
しかし、カトリックの初期教父の一人のエイレナイオスは御子と聖霊による
「神の形」と「神の類似性」が人であることを確信して記載しております。
マリア伝では、「罪はありますか?」とのパウロの質問に対して、イエスは
「罪というものはない。ただ本性に反した行為をした時に罪と呼んでいる。」
と答えております。
私からも貴兄らに質問をします。エイレナイオスがマリア伝を反駁した理由と
合理的な根拠はありますか? 無ければ、なぜ焚書にしたのでしょうか。
案外、マリアやサロメといった女性の弟子の存在が記載されていただけで、
トマス伝とマリア伝とが異端扱いされたのかも知れませんね。