10/06/19 10:11:56 gL/hVI1H
1章25節に興味深い章句がある。
>彼らはヨハネに問うて言った、「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、なぜバプテスマを授けるのですか」。
彼ら、はファリサイ派。もしパプテスマ(洗礼)をエッセネ派の儀礼としか見なしていなかったら、
「キリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら」と言うだろうか?
ただの他宗派の慣わしなら、勝手にやらせるか、そんな儀式は正統じゃない、と言うはずではないか。
仮にこの時ヨハネが自分が「キリスト」「エリヤ」「あの預言者」のうちのどれかを自称したとしたら
「キリスト(あるいはエリヤまたはあの預言者)であるのなら、なぜパプテスマを授けるのですか」と問うだろう。
ファリサイ派にとっては自分達が正統なのだから、他宗派独自の慣わしを
キリスト、エリヤ、あの預言者、がやってたりするとあれっ?となるはずだ。
当時から既にキリスト、エリヤ、あの預言者のような宗教的に特別な存在が
パプテスマを施す、という観念が当時のユダヤ教内に成立・流布してたんじゃなかろうか。
だとすると、洗礼をイエスがエッセネ派出身だった、と言う証拠に数えることはできなくなる。