10/06/17 11:27:37 J+NGx5Td
在家はニューエイジに嵌った真光信者だ。
彼自身は、思うようにいかない自分の属する教団の現実の姿に悩みながら、
「ニューエイジ」的な方向性に、自らの活路を求めていたのであろう。
在家は聖書の中の文言を並べて、比較検討するふりをしながら、自らの正当性を強調する事に
必死である。しかし宗教間の交流は、交流する教会の相互の高い尊敬の上にのみ
成立するものであるから、在家の自己主張は全くの無意味である。
在家の『万教帰一論』は、全くの観念論に過ぎなかった。
よって、議論のための議論は控えた方がよろしかろう。