10/06/12 16:40:23 o1lZtDTi
>>115
>当時のユダヤ教は問題抱えていたし
具体的にどんな問題を抱えていたのか。それはイエスの一方的見解に過ぎない。
ユダヤ教徒たちは、そんなことはちっとも考えていない。
ユダヤ人の生活の中に「愛」がなかったとでも?それは、イエスの近視眼的思考
の故に、ユダヤ人の生活の中で日々「行われている」愛に気付くことができなかった
だけである。
愛とは、口にするものではなく、「相手の窮状を目の当たりにして初めて生じる、
助けるための具体的行動の原動力となる自然の感情」である。イエスが愛を口にした
ために、すべての人間が生来的に有する「肉体的本能」としての愛が、観念化、
抽象化、精神化されて、変容・破壊され、「偽善」となったのである。これは、
イエスを熱心に信じるクリスチャンたちが、史上そして現在も、最も多くの人間
を、最も残虐な方法で殺してきたという事実によって、如実に証明されている。
イエスは、パリサイ派を激しく批判するが、パウロはもとより、イエスもパリサイ派
哲学である。同じパリサイ派内部における教義的抗争という「コップの中の嵐」
に過ぎない。