10/07/11 01:50:47 8JMdMoSQ
>>114
>大乗の慈悲は、阿含の咀嚼の末に(→仏教の核(コア)の進化形として)花開いているのだと・・。
まったく違うと思います。
逆であり、阿含を(勝手に)小乗レッテル貼りしたグループによって、
つまり、ゴータマを教説を護持していた伝統上座部に反旗を翻す形で形成、
発展していったのが大乗諸経なのです。
本当の悲劇は原始経典群にせいにではなく、
これを奉じていた保守派が山林に篭って在家信仰(在家育成)を蔑ろにしていったことにあります。
このことに反旗を翻し、大衆を相手にしていったのが後世の大乗グループでした。
確かに、小乗の名を受けるべくは彼ら保守的な長老派なのであって、
ゴータマの教説を纏めた原始経典群ではありませんから。
仏陀であられるゴータマ(及び原始経典)を小乗呼ばわりして、仏教は決して成立し得ない。
縁起氏は、大乗の発生経緯を勝手に自己都合、
宜しく、「縁起」の言葉で正当化(必然的な存在価値と)したのです。
現存するものはすべて必要があって存在すると言い出すのならば・・・
もう、何でもありですね。