10/03/26 22:37:47 erpvbgk4
主は、そのご在世の当時、自己卑下と栄化と言われる二つの状態に
あったということは、教会でも知られています。前者の自己卑下の
状態については聖書のあちこちに記されています。
イザヤ書には、こうあります。
「彼が自らをなげうち、死んで罪びとのひとりに数えられたからだ。」(53.12)
それはまた、父のみまえでなさった、へりくだりの状態でもありました。
ご自分の心の中でおん父に祈り、そのみこころが行われるよう口にされ、ご自分
の行い・み言葉そすべてが、おん父のもだと言われました。
十字架上ではむしろ、「わが神、わが神、どうしてわたしを見捨てられたのですか」
と呼ばれたように、この自己卑下の状態がなかっらた、十字架につけられることは、
不可能だったでしょう。
主には自己卑下と栄化という二つの状態があったことは、神の普遍の秩序によることで、
一致合体にむかうには、それ以外の進展はありえないからです。
神の秩序とは、人が神の受け皿として自分をととのえ、神がおはいりになる器か住ま
いになり、人間自身が神の宮になって、そこに神がお住まいになることです。