10/05/31 06:42:40 4zo4FoaB
今朝は何も考えず楽しよう、ほんの丸写し宇宙意識。・・・不死に至る門を守る恐ろしげな像は、
仏教の観点からすれば手単純に次のように解釈されるでしょう。それは聖域の進入を阻もうとする外的な意志を表すのではなく。
むしろ人間の意志そのものに内在する現世の肉体への執着、肉体の死に対する脅迫的な恐れを表現している、
と。聖域に入ることを阻むのは、この人間の意志なのです。なぜなら仏教の考えでは、我々はすでに不死性を獲得しているのであつて、
ただ現世的な目標に対する精神の執着ゆえに、われわれはこのことを忘れてしまつているのですから。物質的な恐怖(釈迦が仏陀の境地に到達
した夜に克服したのは、この二つの誘惑でした)のために、私たちは楽園からー皮肉なことに、すでにそこに住んでいるのですがーー自分を
追い出してしまうのです。仏教の観点からは楽園追放などということはおこらなかつたのです。ただ精神が誤った焦点に向けられただけなのです。・・
ああ終わった写すのは大変だ時間損した、疲れた。それは煩悩。