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いんも 六祖慧能は新州のきこりであった。したがつて、山や水の自然にはよく通達して
いた。また、青松の下で心を凝らして、その根源を絶ち切っていたとしても、僧堂の明窓のもと
でゆつたりと坐禅し、心を古教に照らす事など、知るよしもなかつた。あるいは、心を清め
ることなど、誰にも習わなかつた。その慧能が、ある日町に出かけたとき、経を読む声を聞いた。
それは自分でも期待した事でもなく、他からすすめられたわけでもない。彼は、幼いころに父を失い。
成長してからは、母を養っていた。自分の衣の中に隠されていた一個の珠が、やがて
天地を照らしぬくことになろうとは、思いもかけぬことであった。
その彼が、忽然として目覚めて老母を捨てて、善知識をたずねた。これは世にも稀なことである。
もとより人の恩愛の軽かろうはずはない。しかしながら、世俗の恩より法を重んずることによつて、
恩愛の情を捨てたのである。これはつまり「智あるものもし聞けばすなはちよく信解す」という道理
に他ならない。 いわゆる真実の智慧というのは、人に学んで得られるものではなく、自分で努力
しておこすのでもない。智慧は智慧に伝わるのであり、智慧はただ智慧をたずねるのである・・・
まぐれとか偶然ほど凄いものはない