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夢中説夢 ・・また「諸仏の身体は金色で様々な福徳のすがたで荘厳されている。法を聞いてそれを人に
説こうとして何時もすぐれた夢を説く」という。
そこで明らかに知られることであるが、すぐれた夢とはすなはち諸仏であると証されるのである。
「常に有り」と如来が言つておられるから、けつして百年の夢だけではない。如来が人のために法を
説くというのは、この世に身を現して説かれるのである。その法を聞くというのはさまざまであって
眼をもつて声を聞くこともあり、心に声を聞くこともあり、あるいはまた、経や論の文字の上で
声を聞くこともあり、空劫よりもなお前で声を聞くこともある。