10/04/26 06:36:29 M36zZMi8
さかな自身ではなく、対象としての水をまず極めよう、鳥自身ではなく、
自分と区別した空を極めた後、に水のなかを泳ごうとか空を飛ぼうとする
さかなとか鳥は、道を得ない(どのように修行したらよいかの方向性を得
られない)ばかりか、住む場所さえ失って生きていくことすら出来ないで
あろう。ですから、水を離れたさかなも空を離れた鳥も意味がないという
ところがしっかりと解れば、仏の命に生かされている人間であるというと
ころも自覚でき、真の自分自身が現れてくる。
さらにこのことが理解できたことにより、自分自身の修行すべき道が解っ
てくる、修による証が目の前に現れる。
私早く終わらせたい次いこうコピーだといっている手を抜いている。
あかんけどでは、そういうときはあせって結局転んで時間かかる。終わったでは