10/03/24 19:17:12 2zX1vpIF
>>895
結局定説なんてないからなあ・・・・。
しかし感心するのは、迫害もあり、内部の下らん争いあり、
教職の問題行動もあり、考え方もバラバラみたいなところから
よく2000年も続いてるよなというところ。
同じことを繰り返しながらさ・・・・。
902:ぱるるん ◆SuSYjvNEBI
10/03/24 19:54:08 2zX1vpIF
それと、昨日の続きだけどね・・・・。
のっぴきならない状況で、女性が女性であることを商品にして
生きなければならない状況に追い込まれたとして・・・・。
選択肢が多いのなら、なるべくダメージが少なくて、長い目で
見た場合自分の人生にとって大損しないような選択をした方が
いいと思うわけ。いきなり風俗とか売春を安易に選択するのって
あまりにも愚かで浅はかな行為なんだよ。リスクが多い仕事だしね。
(よっぽどの事情があるならまだしも。)
それだったら、銀座、赤坂、六本木の老舗の高級クラブのほうが、
まだ格式を重んじるし、店も上品だし、客もそれなりの人が多いし、
安全でしょ。ママも人間的にしっかりしてるから、女の子の教育に
もうるさいしね。
しっかりした将来の目的を持って、入るならそっちがおすすめ。
人脈も作れるし。
あくまで、どうしても夜の世界に入らなくちゃいけない事情が
あるばやいの話しね。
ちなみにわたしの母は、昔、銀座のクラブで働いておりましたとさw
903:神も仏も名無しさん
10/03/24 20:09:38 gpjwFVZ4
>>887
そればかりか、わたしたちが、これらの聖なるしるしをこの方の記念として
肉の口をもって受けるのと同様に現実に、
聖霊のお働きによって、そのまことの体と血とにあずかっているということ、(ここは読点、スマソ)
そして、あたかもわたしたちが自分自身で すべてを苦しみまた十分成し遂げたかのように、
この方のあらゆる苦難と従順とが 確かにわたしたち自身のものとされているということを、
この方は目に見えるしるしと保証を通して、わたしたちに確信させようとしておられるのです。
ここは、
まことの体と血とにあずかっていること(2000年前の十字架の罪の赦しに今も与っていること)を
わたしたちに確信させようとしている、
ということだろ
つまり、十字架の罪の赦しをより強く信じさせるための儀式であるということを言っているのだろ
聖餐に罪の許しや清めは皆無
十字架と聖餐は全く異質
聖餐は十字架を指し示すだけの儀式
904:神も仏も名無しさん
10/03/24 20:10:28 LKRUfN09
>>836 どうしてだろうね。その点はあまり話題にならないんだが。
>>838 天幕で礼拝、という訳やね。
905:ぱるるん ◆SuSYjvNEBI
10/03/24 20:17:11 2zX1vpIF
>>904
北新地のクラブって行ったことある?
失礼だけど、あまり品がよくなさそうな気が・・・・。
906:神も仏も名無しさん
10/03/24 20:19:55 b4RSMpyI
最近、ヨーロッパ中世の本を読んでるんだけど
この宗教はフランシスコ会とかドミニコ会だとか
時代はズレるけどイエズス会だとか、いろいろな
考え方の集団が次々と出てくる。
まあプロテスタントもだけど
この宗教は、多様性と言うか柔軟性があるから
生き残ったのだろうね。
逆に言えば、多様性を無くしたら終わりなんだろうね。
907:サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2
10/03/24 20:41:28 ugb70HEM
>>897
結局リベラル聖書学は文学だということですねwwww
>>901
いやリベラル聖書学が結局 安易な自己主張に聖書を利用してるだけでしょ
>>903
だから繰り返し私は十字架が本源であり 聖餐は支流だと述べていますよ?
あなたが聖餐の恵みを無視しているだけです
記念することにより 信仰の確信を持ってパンとぶどう酒を受けることにより
聖餐を通じて十字架の恵みに預かれるのです
アーメンですか?
908:神も仏も名無しさん
10/03/24 20:46:20 D8tcVvqL
律法ガチガチでなかったイエスはガリラヤ付近に起こった
自由な気風の新興層に歓迎されたかのもしれない。
909:ぱるるん ◆SuSYjvNEBI
10/03/24 20:53:31 2zX1vpIF
>>907
保守的な聖書の読み方というのは、現実を拒むのかね。
聖書記者は、ドロドロした人間の現実をまっすぐ見据えながら、
なおかつそれを包含する非日常に目を向けるんですけどね。
910:ぱるるん ◆SuSYjvNEBI
10/03/24 20:55:11 2zX1vpIF
あえていうなら、リベラルはどろどろを見過ぎる。
ファンダは非日常を見過ぎる。
911:サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2
10/03/24 21:02:03 ugb70HEM
>>908
かもかも鴨wの鴨料理聖書学wwwww
>>909
現実とはまず歴史背景をきちんと押え
当時の状況を客観的に捉えた上で
見据えるものですね
それを忘れて卑近なものに拘泥し 自分の先入観で勝手な人間理解 解釈をする
リベラル聖書学におけるイエズスや使徒たちが安物の劇映画のように再現されるのは
大きな視野と客観性にかけるためだと思います
912:神も仏も名無しさん
10/03/24 21:09:28 gpjwFVZ4
>>907
たぶかしサロメ
お前が言う聖餐の恵みとは罪の許しや清めでこれはアウト
本流・支流も間違い
聖餐の恵みとは十字架を指し示すこと、それのみが恵み
お前の言い分にはアーメンとは断じて言えない
醤油ラーメンなら食べてもいいが
913:ぱるるん ◆SuSYjvNEBI
10/03/24 21:09:49 2zX1vpIF
>>911
てか、使徒たちの人間関係もドロドロしてて、
彼らは結構浅はかで愚かですよ。
誰が一番偉いかと議論したり。
論破した!と喜んでる誰かさんとかぶるじゃ
ないですか。だから魅力的なんですよ。
あんた、使徒を買いかぶりすぎ。わたしたちと同じ
人間ですからw
914:ぱるるん ◆SuSYjvNEBI
10/03/24 21:11:05 2zX1vpIF
使徒たちはこどもが嫌いとかねw
915:つきみ ◆axxqpqAvWg
10/03/24 21:12:13 3pUeMS7d
ぱるるんは間違いなく法華だなw
法華系キリスト教ってのも面白い。
916:サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2
10/03/24 21:15:44 nBVd093H
>>912
さししめすことによって恵みに預かるんです^^
>肉の口をもって受けるのと同様に現実に、
>聖霊のお働きによって、そのまことの体と血とにあずかっているということ。
917:神も仏も名無しさん
10/03/24 21:16:35 b4RSMpyI
>>907
聖書学は、学問なんだな。
啓示では無いんだよ。
神学は啓示から始まっているが
聖霊のしょうめいでもいいけど。
聖書学は、他の学問の方法や成果を利用して
聖書を読むのよ。
例えば、聖餐を聖書から説明しようとすれば
聖書学を利用せざるをえない。
しかし、聖餐を教会の伝統から説明しようと
すれば、聖書学はあまり必要ではない。
プロテスタントの神学が聖書からスタートすると
すれば聖書学を最大限利用したものにらるだろうね
で聖書学の成果を利用して聖餐を説明すれば
タイセンの説は、オープンではない。
杯が伴わないオープンの食事と
杯が伴うクローズの食事があったのよ。
あと、食事を重要視しないヨハネ福音書の立場
杯が伴う最後の晩餐が聖餐だからクローズなんだね。
918:神も仏も名無しさん
10/03/24 21:20:41 gpjwFVZ4
>>912
たぶらかしサロメだった スマソ
919:サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2
10/03/24 21:22:05 nBVd093H
>>913
でもちょっとねぇ。。。
卑近過ぎても^^;
920:サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2
10/03/24 21:25:20 nBVd093H
>>917
日本のリベラル聖書学は情緒的過ぎます
呼んでて笑っちゃうw
民衆とともに歩んだとか
弱いものとともに泣いたとかwww
こんなの 史学で通用すると思う?w
921:神も仏も名無しさん
10/03/24 21:26:43 b4RSMpyI
パウロはイエスが渡された夜に最後の晩餐が
行われた という伝承を受け取っている。
だから、生贄の子羊と言う考えは有った
だろうけど、最後の晩餐がスギコシの食事
という考えは無いだろうね。
最後の晩餐がスギコシの食事と結びついたのは
パウロ以降だろうね。