10/05/08 10:41:41 Vg7lnHJU
>>763 他称「隠居」氏
>従って、神や神の言葉は、人間がどのようにでもでっち上げることも可能。
>ゴマンとある宗教ごとに、神の姿や神の言葉が異なっていることが、それらが、
>人間による百人百様の「創作」であるということを、如実に証明しているでは
>ないか。
貴兄の指摘する通り神仏の言葉だといって人間がでっち上げることも可能です。
また神仏でない存在(悪霊、低級霊、憑依霊)が騙る場合も多々あるでしょう。
日々の生活を送ることがやっとだった当時の人々がボロ着をまとった自称預言者
や修行僧の説法に耳を傾けて、更に信じるはずが無いでしょう。
では、なぜイエス様や釈尊の説法を当時の人々が信じたのでしょうか?
文献的に見ますと、彼らは癒しによる救いの奇跡や苦しみの解消を行いつつ
信を集めていっていることになります。
イエス様は聖霊による洗礼を多用され、釈尊は対機説法(しかも読心通活用)を
実践して歩かれました。
まず人々を救い、救った後に福音を述べた、と解釈する方が理にも適っております。