10/05/05 09:27:53 Yr1FgqIj
>>759
>だから、「神のため」には、嬉々として多数の人々を殺せたのだよ。
それは否定しません。解釈が違えば、神の教えを濫用するという拒否感が生まれ
魔女狩り初期の教会のような自制心につながります。解釈が違わなければそのまま殺ります。
人類という共同体のため、これからの歴史のために成るわけですから。
>すべてがそうである。例えば、明日の糧を買う金がなくて苦しんでいる人に対して、
>「貧しい人は幸いである。天国に入れる」などと言われて、苦しみがなくなるか。
減じます。残った苦しみも神の義がふりかかると前向きにとらえます。
ヨブ記成分の入った発想の転換とも言えましょう。
>明日のことを思い悩むな、などと言うが、人類は、明日のことを思い悩んだからこそ、
>現在まで生存を続けているのである。
思い悩まないでいい理由は、神の義、神の国が与えられる(という信仰)だからです。
「明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
ここを削るのはフェアじゃないですね。一日一日を着実に生きていけ、というメッセージです。
将来のことに備えない、という意味なら「天に富を積む」という発想もありません。
>「心が清い」ことを、一体誰が、どのような基準で判断するのか。
「神が公正に判断してくれる」ことを期待します。基準はイスラエルの伝統上で
伝えられた徳目(実践の際に根本を二つの掟に置くのはいうまでもない)ですね。
>他人を最もコケにしているのがイエスであることは、「善きサマリア人の話」に関連して既に述べたとおり。
その理由は既に書きました。サマリア人もほっときゃよかったんですかね。
「いやぁ~、律法破ることになるし、仕方ないっすよね~」とレビ人どだべればよかったんでしょうか。