10/05/05 01:39:01 YaV6xeaO
>>758
>最初からそんなもんは無い、というのがアブラハムの宗教の発想ですから。
だから、「神のため」には、嬉々として多数の人々を殺せたのだよ。
>「利用した」という発想を当人たちがしていたという根拠は皆無です。
相手に「利用した」と思わせないのが、「利用する」こと。
>どのあたりが甘ったれてますか?ちょっと例をあげてみてください。
すべてがそうである。例えば、明日の糧を買う金がなくて苦しんでいる人に対して、
「貧しい人は幸いである。天国に入れる」などと言われて、苦しみがなくなるか。
イエスは、全財産を神殿に捧げた貧しいやもめを賞賛しているが、やもめの明日の
生活のことは、考えなかったのか。
明日のことを思い悩むな、などと言うが、人類は、明日のことを思い悩んだからこそ、
現在まで生存を続けているのである。
「心が清い」ことを、一体誰が、どのような基準で判断するのか。「善・悪」「清・濁」
「正・邪」を併せ持つのが、神が作った人間ではないか。両者は、相互補完的であることに、思い至っていない。
空の鳥も、野の花も、一瞬の休みもなく、生存の努力を続けていることにも、気付いて
いない。野の花は、装わないからこそ美しいのである。
>律法を使うことで他人をコケにしないで済むことだけでも心休まる人もいると思いますが>ね
他人を最もコケにしているのがイエスであることは、「善きサマリア人の話」に関連して
既に述べたとおり。