10/05/05 00:00:53 WOntHJnw
>そこに「神概念」という至高性を持ち出せば、生命そのものの至高性は失われてしまう。
最初からそんなもんは無い、というのがアブラハムの宗教の発想ですから。
価値はあくまで神由来ということになります。
>旧約は、民族の厳しい生存の「目的」のための「行為規範」であり、その権威付けの
>ために、神概念を「利用した」のではないか。
「利用した」という発想を当人たちがしていたという根拠は皆無です。
もしそうなら、例えば古代ユダヤ教の拝一教モードからよくある多神教になっていたでしょう。
>新約のような、「現実の生存から遊離した」甘ったれた「精神規範」ではない。
どのあたりが甘ったれてますか?ちょっと例をあげてみてください。
>十戒には、人間の共生に不可欠な事項が殆ど尽くされている。これに反し、イエスの
>山上の説教は、浅薄極まりない自己陶酔に過ぎない。これでは、人間は、現実生活
>においては少しも救われない。
「苦難を前向きにとらえなさい。(ここで神の救いを強調)そして、世の中を良くしなさい。
神の教え(律法)に込められた神の真意(「神を愛すること」「隣人を自分のように愛すること」の
二つの掟を根底におく)を実行しなさい。神は報いてくださる」という内容ですね。
神を信ずる者として真っ当に暮らせ、と言ってるわけです。
要は旧約の信仰の語り直しなんですけど、淺薄ですか?当時のユダヤ人にとって救いになりませんか?
律法を使うことで他人をコケにしないで済むことだけでも心休まる人もいると思いますがね。