10/05/04 09:27:27 drPP5ixH
>「敵」という言葉を使った時点で、すでにイエスの「敵意」が表れている。
「敵などいない」と言ったところで、社会で生きる以上「敵」としか言えない相手は存在します。
仮に「敵などいない」とイエスが発言していても、あなたは本能破壊の理想主義と言ってただけでしょう。
>そもそもイエスは、その誇大妄想から、「自分が神になりたかった」のだから、創造
>(あるがままの人間と自然)に対する畏敬は皆無です。
動機はあくまでそうした欲望だけだった、という根拠は、あなたのイエスに対する執着だけですね。
誇大妄想の内容は「俺は既に神と合一した」なのですから、後付けで「実際に」そうなろうとはしないでしょう。
もしそうだとすると、自分自身じゃそれ(誇大妄想)を信じていないことになるわけですから。
>イエスは、旧約の言葉に対し、しばしば口を差し挟んでいるが、いずれもピント
>外れ。旧約の「骨太の真理」には及びもつかない。
旧約もイエスのような人々の電波発言を集めたものです。それをあなたが区別する基準は
イエスに対する執着以外に無い。仮にイエスが書いたものだとしたら、
律法も不合理で残忍な原始人の因習の塊、と書いていたことでしょう。
それとも古代人はたぶん割り切ってた、という無根拠な前提を押し込めて解決ですか?
同じ社会にも職業では農民や祭司、個人としてもいろんな人がいることも忘れ、
一括してこいつらはそんなややこしいこと考えないだろ、とまとめてしまうんですかね。