10/05/04 02:11:41 GxscSVrF
>>746
>彼等の律法解釈に引っかかる。
宗教者特有の「開祖のあくなき正当化」の典型ですな。
まず、イエスは、その統合失調症の症状としての「誇大妄想(自分が神になりたい、
なったつもり)」と 「疎通性の欠如(他者の感情に対する生き生きとした反応の
欠如、即ち、あるがままの人間に対する『愛』の欠如」があったことを前提としな
ければならない。その誇大妄想から、創造、すなわち、あるがままの人間と自然に
対する畏敬の欠如が生じた。レビ人と祭司に対する「宗教的反感」なら、それは、
「人間に対する愛」ではない。お決まりの宗派間紛争。ちなみに、パウロは勿論の
こと、イエスも、パリサイ派神学です。いずれにせよ、「人間そのもの」に対する
愛があるのなら、レビ人と祭司を名指ししたのは「隣人愛」の対極にあるもの。
なお「サマリア人」ではなく、「強盗の被害者」です。
>隣人+敵なら全人類といって差し支えないですね。
「敵」という言葉を使った時点で、すでにイエスの「敵意」が表れている。同じ
人間だから、本当の敵などいない、と説くべきであった。敵意を生じさせておいて、
「愛せよ」などと言われたら、人間は「愛さなければならない」という葛藤感から、
更なる敵意と殺意さえも生じるものです。
>本人の意識としては、神と合一して、メッセージを授かってるわけですから、
>彼の教えは彼の作り物ではない。神の真意を拒絶することになるというわけです。
そもそもイエスは、その誇大妄想から、「自分が神になりたかった」のだから、創造
(あるがままの人間と自然)に対する畏敬は皆無です。創造主(神)は、彼のライバル
に過ぎなかった。だから「律法を完成するために来た」などと大言を吐いた。律法とは
「創造主」が定めた法のはず。これでは「創造(主)は不完全だった」と言っているに
等しい。イエスは、旧約の言葉に対し、しばしば口を差し挟んでいるが、いずれもピント
外れ。旧約の「骨太の真理」には及びもつかない。