10/05/04 01:18:39 cTxIuBcT
>>743
>イエスは、彼等が「道の向こう側を急いで通り過ぎた」のは、何か事情
>があったのではないかということくらいは、思いやるべきだった。現に事情があった。
彼等の律法解釈に引っかかる。つまりタブーだったからですね。
イエスはそうとらないのです。サマリア人に手を差し延べない、冷たい命令を
神はしたのではない。律法の根本は「神を愛すること」「隣人を自分のように愛すること」であり
本末転倒になってはならない。そこで手を差しのべることこそ神の考えだ、
という理屈なわけです。
>イエスは、「隣人を、『そしてすべての人間』を愛せよ」とは、口が裂けても言えな
>かった。
隣人+敵なら全人類といって差し支えないですね。
>信じてくれない人間は「裁かれるべき存在」「死すべき存在」であったからで
>ある(例えば、「一粒の麦の話」)。
本人の意識としては、神と合一して、メッセージを授かってるわけですから、
彼の教えは彼の作り物ではない。神の真意を拒絶することになるというわけです。