10/05/04 00:54:35 WKhl9Q45
>>702
>宗教の目的は人々の幸せにある。
生命の至上性を説いた開祖は、唯の一人もいない。だから宗教は、常に殺し合い
と争いの原因となる。
イエスの殆どすべての「教え」は、「自分の気に入らない者に対するあくなき
憎悪・非難・排斥」とセットになっていることを、聖書から看破されたし。
たとえば、「善きサマリア人の話」におけるイエスの真意は、「自分の気に入らない
レビ人と祭司を非難すること」であった。さもなければ、わざわざ彼等二人を名指し
して、彼等を「悪者」にする必要はなく、単に「他の通行人たちは」とすればよか
ったはずだ。イエスは、彼等が「道の向こう側を急いで通り過ぎた」のは、何か事情
があったのではないかということくらいは、思いやるべきだった。現に事情があった。
また、イエスは、「サマリア人の女」の話にも見られるように、サマリア人に対して
は特別の好意を持っていた。イエスは、サマリア人の子であったという説もある。何
のことはない、イエスの自画自賛である。
イエスは、「隣人を、『そしてすべての人間』を愛せよ」とは、口が裂けても言えな
かった。イエスの唯一の関心は「他人が自分を(神として)信じてくれること」で
あり、信じてくれない人間は「裁かれるべき存在」「死すべき存在」であったからで
ある(例えば、「一粒の麦の話」)。イエスが、「自分(イエス)を信じるためには、
家族をも捨てよ」と言ったのは、その頂点である。「最も身近な隣人」である家族も
愛せないが、何が「人間愛」か。
イエスにとって、人に仕えることも、「自分が一番先になる」という「目的」のため
であった。
イエスを忠実に信じたクリスチャンたちが、史上そして現在も、「誰よりも多くの
人間を、誰よりも残虐な方法で殺してきた」のは、すべてイエスが原因である。