【論点】  キリスト教  【議論】at PSY
【論点】  キリスト教  【議論】 - 暇つぶし2ch631:前世は一在家
10/04/29 10:34:26 tWLEoGlp
>>630
異教でも神は預言者やシャーマン、巫女に対して「私以外の神を信じてはならない」
としばしば言われます。 神様の常套句、方便かも知れませんね。
もし「私以外にも神がおりますが、私を信じなさい」と言われましたら、
預言者も命がけで宣教されたでしょうか? 疑問ですね。

私は色々な宗教の聖典を読む際には、「一貫性」を最も重視しております。
神の啓示や聖霊による聖典であれば、当然終始一貫しております。
どの章とどの章とを比べても矛盾はございません。

しかし、人間の知恵で作られた宗教の場合は、一貫性に疑問箇所が存在します。
例えば、10年前の啓示と最近の啓示とに微妙に相違が見られる等々です。

預言者の言葉をそのまま伝えれば矛盾はないのですが、知識の高い編集者が
加筆するとそこに矛盾が生じますので検証できます。
このことは神様でなくても、イエス様や釈尊の高弟が加筆した場合でも同様に
検証できます。

以上、私のスタンスは本来のイエス様の教えはどうであったのかの検証にあり、
手段としてニケーア公会議以前の文献も参考にしております。

よってクリスチャン側が屈する必要などまったくございません。
ご一緒にカトリックが成立する前のイエス様の教えを探していただければ
幸甚です。


632:神も仏も名無しさん
10/04/29 11:29:35 AeaIh1dA
>>630
>異教でも神は預言者やシャーマン、巫女に対して「私以外の神を信じてはならない」
>としばしば言われます。神様の常套句、方便かも知れませんね。

具体例をどうぞ。

>もし「私以外にも神がおりますが、私を信じなさい」と言われましたら、
>預言者も命がけで宣教されたでしょうか?  

バガヴァッド・ギーターはクリシュナと言う一神を至高の神として崇め、帰依せよ、
という経典ですが、ふつうに他の神々に言及し、それを聴いたアルジュナは
戦いを厭う態度を改め、(クシャトリアとしてのダルマに従うことに決め)また戦闘へと身を投じます。

>疑問ですね。

煽ってけしかけるために、事実でも無いこと(しかも根本的な信仰箇条)を神が言う、という発想を
信仰者がするものでしょうか?私は「いたずらに彼らの誠意を勘ぐりもしません。(>>628)」

633:神も仏も名無しさん
10/04/29 11:30:21 AeaIh1dA
>私は色々な宗教の聖典を読む際には、「一貫性」を最も重視しております。

違いますね。過去のある状態を取り上げて、後代の変化した信仰に
押し付けているだけです(「初期の神観→未来の書物に当て嵌め」)。
旧約後期の預言者や以降の信徒(「後期の神観→過去の書物に当て嵌め」)
とは逆のことを行っているわけですね。
後者は単に表現方法として調和化し、あなたは編者の過失でこれを行います。
さらにあなたは後期以降のものにすら多神論(>>625)に違い無い、という大前提を当て嵌めます。
初期の残滓部分と調和化させ「一貫性」を成り立たせるため、後期の預言者や信徒の信仰を
言い回しを変えて否定します。

>よってクリスチャン側が屈する必要などまったくございません。

あなたは625で「神々」と読まなければ不誠実と断じたではありませんか。
誤謬にとどまるのも勝手だ、という意味あいなのですかね。

634:20
10/04/29 13:46:01 n1vq4jhK
>>631
在家さんのお立場としては、

1. 神は存在する。
2. 神は無謬・無矛盾である。
3. 預言者の言葉は神の言葉を伝えるので無謬・無矛盾である。
4. よって聖典に矛盾があれば、それは預言者以外の人間による加筆・修正である。
5. ユダヤ・キリスト教の正典には矛盾がある。
6. 以上より、正典以外の文書を検証することによって矛盾を除去し
  本来の神またはイエスの教えを再構築する必要がある。

ですね。

1~3までは聖書を神・聖霊の息吹によって書かれたものとするクリスチャンと共通です。
4~5については上記のクリスチャンは見かけ上の矛盾であって実際は矛盾ではないと考えます。
従って6については正典化そのものが神・聖霊の働きによるもので正典以外の文書は
基本的に神の教えを読み解く際に必要不可欠なものではないと考えます。

私の場合は世俗的な立場で、1から3までは最初から否定はしませんが、前提とはしません。
4~5については1~3を前提としないアプローチであるため、聖書を人間が作り、伝え、編集
したものと仮定し、その仮定に沿って読む限り正典には矛盾が見られると考えます。
従って6については正典以外を検証する必要は認めるものの、矛盾を取り除くのではなく
矛盾を合理的に説明し、ユダヤ教・キリスト教の実像に迫りたいと考えます。

どの立場も間違いというものではなく、単に立場の違いであると思います。
しかし私が以前に「文書仮説を大筋で認めるとすれば」と書いたのは、もし在家さんが
これを大筋で認めているのであれば>>633さんの批判が正しいことになり
在家さんの推論に無理が生じると思うからです。


635:前世は一在家
10/04/29 16:07:38 tWLEoGlp
>>632
>>異教でも神は預言者やシャーマン、巫女に対して「私以外の神を信じてはならない」
>>としばしば言われます。神様の常套句、方便かも知れませんね。
>
>具体例をどうぞ

それでは、コーランから紹介しましょう。
(雷鳴 17章)
言ってやるがよい、「アッラーこそ万有の創造主。これこそ、唯一にして
全能の御神におわしますぞ。」と。

(蜜蜂 50章)
アッラーの仰せには、「汝ら、二神を認めてはならぬ。神はただひとりのみ。
さればこの我こそ汝のおそれ敬うべき者」と。

尚、アッラー曰く、イエス様は預言者にて、二神ではないことになります。

他の宗教団体の具体例も調べても宜しいですが、20氏と同様に私もそれほど
時間がございません。


636:前世は一在家
10/04/29 16:14:22 tWLEoGlp
>>635
私はコーランも一読しましたが、旧約の神と似ているなと思いました。

預言者に啓示をおろし、従わない人類は滅ぼすことを繰り返しておられます。

「汝の敵を愛せよ」と博愛、隣人愛、利他愛を説かれたイエス様の天の父と
長い間違和感を感じていた次第です。

尚、ユダ伝では旧約の神以外の神の名を知っているとイエス様は微笑まれました。


637:前世は一在家
10/04/29 16:35:14 tWLEoGlp
>>634 20氏
>在家さんのお立場としては、
>1. 神は存在する。
>2. 神は無謬・無矛盾である。
>3. 預言者の言葉は神の言葉を伝えるので無謬・無矛盾である。
>4. よって聖典に矛盾があれば、それは預言者以外の人間による加筆・修正である。
>5. ユダヤ・キリスト教の正典には矛盾がある。
>6. 以上より、正典以外の文書を検証することによって矛盾を除去し
>  本来の神またはイエスの教えを再構築する必要がある。

貴兄は心理学者みたいで、私のことを的確に理解されていて深謝ですね。

6.では、まず正典内の文書を検証することによって神の真意を検証します。

釈尊も相手に応じて真理の説き方を替えましたので、秘書のアーナンダは
混乱して悟りが高弟子の中では一番遅れたという説も伺っております。

神はその時代背景や預言者によって、真理(法)の説き方を替える場合が
あるからです。
智恵の高い人物にはそのままストレートに真理を伝え、低い修行者には
譬え話を使用されます。

7.正典以外の文書を検証に使う場合もあります。その正典を決めた人物が
若い司教の一人であり、反対していた司教達がいたことも分かっている
場合はそうします。 所謂、再検証です


638:神も仏も名無しさん
10/04/29 16:47:11 j5AezilV
>>635
>それでは、コーランから紹介しましょう。

唯一神教の預言が唯一神論を説くのは当然です。
巫女やシャーマンを引き合いに出すものだからてっきり
多神教の中の例も念頭に置いてると思っていたのですが。

>他の宗教団体の具体例も調べても宜しいですが、

まさか聖書とクルアーン(アブラハムの宗教系列)でしか
「われのほかに神なし」の例を知らず、その上で常套句とか言ってたんですか?
で、今になって調べる必要があると。

639:神も仏も名無しさん
10/04/29 17:02:03 k2yuQHja
デウス・アブスコンディトゥス(隠れた神)という考え方がありますね。
自らの本来の業である愛の啓示を、怒りという非本来的な業の仮面の下に
隠す神をさしています。その性質ゆえに、神の愛は認識の対象というより
信仰の対象となると解される。
旧約ではイザ64:6、エレ33:5、8:17、エゼ39:23などに類似の表現があります。

640:神も仏も名無しさん
10/04/29 17:47:29 j5AezilV
>>636
イエスの教えでも神は罪人を裁き、地獄に落としますが?(マタイ5:22、29-30)
神は赦す心と同時にそうはしない厳格な面を持ちます。(マタイ12:31、マルコ3:28-29)

「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。
むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」(マタイ 10:28)

イエスにとっても神は恐ろしさを兼ね備えた存在です。

神の愛やゆるしは旧約聖書から説かれています。
申命記(7:7、10:15)やホセア書(11:1)によればイスラエル人が出エジプトできたのも
神が彼らを愛していたためです。ヨナ書にはニネベ人がヤハウェを信じたために神が
裁きを取りやめるシーンがあります。イザヤ書56章では異邦人の救いが記されていますね。
神はただ悪人を裁くのではなく、彼らが悔い改めるのを望んでいるとされます(エゼキエル書18:21-23)。

「わが子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない、その戒めをきらってはならない。
主は、愛する者を、戒められるからである、あたかも父がその愛する子を戒めるように」(箴言 3:11-12)

641:前世は一在家
10/04/29 18:30:53 tWLEoGlp
>>638
>まさか聖書とクルアーン(アブラハムの宗教系列)でしか
>「われのほかに神なし」の例を知らず、その上で常套句とか言ってたんですか?
>で、今になって調べる必要があると。

何分、30年以上色々な教団の本を読んで参りましたので、どの宗教だった
のかを特定するのは困難ですので、済みません。


642:神も仏も名無しさん
10/04/29 20:32:58 HgvLJER3
至高神、ヤーウェ アラー、 ブラーフマン イシュワラは
一緒だということでいいようですね


643:神も仏も名無しさん
10/04/29 20:52:24 O+xrBTg+
>>641
「ので」の前後が全然つながっていないのですが……
「預言者やシャーマン、巫女」とあげ「常套句」とまとめるほど
ですから複数、かつそれなりの人数がいるはずなのですが、
人名も神名も団体名も欠片すら全く出てこないってのは逆にすごいですよ。

あやふやなら、議論上で出すのは差し控えますよね?
>>642
ここでの議論で何かが証明される質のものではないですね。

644:20
10/04/29 21:19:21 n1vq4jhK
>>637
いえ、勝手にまとめてしまってすみませんでした。修正ありがとうございます。
文書仮説(いわゆるJEDP。モーセ五書が対象の中心だが列王記まで含む)に
ついてはどうですか?文書仮説からの推論としては中心的なユダヤ教は
多神教→拝一神教→唯一神教のような過程をたどったとされるのが一般的であると
思われますが。そのような推論が適切でないのか、それともその推論自体は
適切であっても、ユダヤ教の宗派や周辺的なユダヤ教徒によっては多神教的な人たちも存在し
イエスもそれに属する、というお立場なのでしょうか?ここははっきりさせたほうがいいと思います。

>>640
現在の論点とは関係ないのですが一つ教えていただきたいと思います。
世の中には善人(と思われる人)や年端も行かない子どもが悲惨な死に方をする例があります。
もしユダヤ・キリスト教の神が愛する者を戒める神であるとすれば、戒めをはるかに超える
あるいは戒めには当たらない上記のような例はユダヤ・キリスト教ではどのように
説明されているのでしょうか?

645:神も仏も名無しさん
10/04/30 00:07:54 2OArGXJl
>あるいは戒めには当たらない上記のような例はユダヤ・キリスト教ではどのように
>説明されているのでしょうか?

定説は存じません。旧約・新約をざっと読み直してみましたが、そうした説明は見当たりませんでした。
ある意味ヨブ記がそうなのかもしれません。どのように説明をつけるようになるにせよ、
殺人やレイプですら(極論するなら)試練や悪魔の仕業として処理し、
ヨブ記の最後みたいに、事後に多大な恩寵を神から手渡すパターンにしか出来ない気はします。

赤ちゃんの死の場合は、神が公正である以上、その救いは否定されない、そうです。
URLリンク(www.christiananswers.net)(プロテスタント系、英語)
URLリンク(www.christiananswers.net)(でもリンク元のこちらは日本語)
幼児洗礼の論理として、原罪の赦しを経る必要があるという考え方もある。
URLリンク(www.geocities.jp)(正教会系)
カトリックでは洗礼を受けてない場合は、幼児の辺獄という考え方で処理するようです。
でも確定論というよりは希望、という位置付け(最初のリンクに近い)。

非業の死、善人や子供なら認める、と確定してしまうと、
信仰心を救いの基準にする意義が薄れてしまいかねず、彼らにとっても難しいところでしょうね。

646:20
10/04/30 07:27:11 d4HEZuhx
>>645
詳しい説明とリンク先の紹介、ありがとうございました。
論点は二つに分かれるかと思います。
1. 善人・幼児の悲惨な死の原因は何か。
2. その場合の救済はあるのか、あるとすればどのようなものか。

1.はリンク先の資料でも明示的には示されていないので
>>645さんの言われるように「試練」「悪魔の仕業」として処理するしかないのでしょうね。
(「試練」に関しては死んでしまった場合は試練も何もないようなw)
あるいはそのような憂き目に遭ってしまう人は、人間の理解が及ばない神の
大いなる計画の中の不運なコマでしかないのでしょうか。

2.はご紹介いただいた一つ目の資料ではImputed Sinになり、とりあえず永遠の死は
免れることになる希望はある、ということですね。(プロテスタント、カトリック)
ただし二つ目の資料のように、幼児洗礼を罪の許しの要件とする立場もある。(正教会系)

私の疑問点は主に1.に関するものなのですが、2.に関しても
たしかに信仰義認の教義と抵触してしまうこともあり、クリスチャンにとっても
簡単な回答は難しいのでしょうね。
たいへん勉強になりました。

647:前世は一在家
10/04/30 07:58:27 E4ZHWwtF
>>644 20氏
>文書仮説からの推論としては中心的なユダヤ教は
>多神教→拝一神教→唯一神教のような過程をたどったとされるのが一般的であると
>思われますが。

旧約(クムラン・テキスト版含む)で見ましても、多神の中で拝一神を命じる啓示
を預言者イザヤに下されたいうことでしょうか。

釈尊が説法対象相手に応じて法の説き方を替えたように、
イスラエルの守護神もその時代や預言者や詩人に応じて真理、啓示の説き方を
替えたという仮説を立てております。

換言しますと、唯一神教へのような過程は後世の人の都合であり、文献上では
多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示とが旧約に並存しているということでしょう。


648:前世は一在家
10/04/30 08:00:18 E4ZHWwtF
(士師記)Judges 11:24
11:24 汝は、汝の神ケモシが汝に取らせるものを取らないのですか。
   我々は我々の神、主が我々の前から追い払われたものの土地を取るのです。
(Judges 11:24)
Wilt not thou possess that which Chemosh thy god giveth thee to possess?
So whomsoever the LORD our God shall drive out from before us,
them will we possess.

(サムエル記上)Samuel 1
26:19 「他の神々に仕えなさい」と言って、今日、私を追い出し、主の嗣業に
   預かることができないようにしたからです。
(Samuel 1 26:19)
They have now driven me from my share in the LORD's inheritance and have said,
'Go, serve other gods.'


649:前世は一在家
10/04/30 08:03:27 E4ZHWwtF
(イザヤ書) Isaiah 45:22
45:22 地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。
   わたしは神であって、他に神はないからだ。
(Isaiah 45:22)Turn to me and be saved, all you ends of the earth; for I am God, and there is no other.

(Deuteronomy 32:8-9)
When the Most High gave the nations as an inheritance, when he divided mankind,
he fixed the borders of the peoples according to the number of the sons of God.
(申命記 32:8-9) ※クムラン・テキスト版
いと高き者は神の子らを分け、諸国民にその嗣業を与えられたとき、
神の子らの数に照して、諸々の民の境を定められた。

(Psalm 82)
God stands in the divine council;in the midst of the gods he holds judgment.
I said, “You are gods, sons of the Most High, all of you;
(詩篇)
82:1 神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、さばきを行われる。
82:6 私は言う、「あなたがたは神だ、あなたがたは皆いと高き者の子だ。」


650:神も仏も名無しさん
10/04/30 13:40:58 8PiA0gNP
>>647
>文献上では多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示とが旧約に並存しているということでしょう。
旧約に並存しているのは、多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示、唯一神を示す啓示(イザ44:6、45:5-7)があります。

651:前世は一在家
10/04/30 14:44:40 WrtqQ/cV
>>650
>旧約に並存しているのは、多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示、唯一神を
>示す啓示(イザ44:6、45:5-7)があります。

より正確にはそうですね。 補足を有難うございます。



652:神も仏も名無しさん
10/04/30 15:15:07 mYeQWTpn
横レスすいません

神様は寂しがりやのアーティストなのさ
だから、天使や人間を作った
天使にも、自由意志をある程度与えたが、それは神に絶対に服従と言う縛りがある
自由意志にすぎず、寂しがりやの神と対等な話し相手にはなれなかった。
そんで、アダムを作ったんだが、彼には天使に無い本物の自由意志を与えた。
それは、アダムに裏切られる。そむかれるという前提のものだった。
知恵の実を食べて、神の信頼を裏切ってしまうのが罪の始まりだと解釈している。
神は、悪に対しても熟知しておられる。善だけでは不完全だからね。
だから、ヨブやイエスを試すために悪魔が用いられる。
人間は自由意志で神を否定も出来るし、悪に染まることもできる。
しかし神は自由意志を善に向けてるのだと思うよ。 駄文すまん

653:神も仏も名無しさん
10/04/30 17:27:42 8PiA0gNP
>神は自由意志を善に向けてるのだと思うよ。
自由意志を善に向けるためのアドバイスが
マタイ26:41
「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。」
だと思います。
watch(原義:目を覚ます)
注意して見る、じっと見ている
ジーニアス英和辞典

watchスペル分解こじつけ。
w-あなたのwords(言葉)に注意しなさい。
a-あなたのactions(行動)に注意しなさい。
t-あなたのthoughts(想い)に注意しなさい。
c-character(人格)に注意しなさい。
h-heart(こころ)に注意しなさい。
誘惑にwatch(注意)しなさい。

654:前世は一在家
10/04/30 17:55:10 WrtqQ/cV
>>652
>神様は寂しがりやのアーティストなのさ

そうですね、神は大芸術家ですね。

この物質界に神界の写し絵「エデンの園」地上天国の建設を望まれて
神経綸(青写真)にて天地と人類の創造をなされたと伺っております。




655:前世は一在家
10/04/30 18:10:57 WrtqQ/cV
「悪」とは何でしょうか? 利他愛の反対の自己愛から発生する思い、
行為でしょうか。 

マリア伝では「良心」と「欲心」との対話の章がありますが、釈尊も
「欲心」から生じる固執・執着が苦しみの原因だと説かれております。

エッセネ派の宗規要覧では「欲心」は人の創造時に与えられた「闇の箇所」
に起因することが説かれております。

旧約や新約とは離れましたが、エイレナイオスのいた頃にはこれらの文献
も存在して読まれていたということです。
そしてニケーア公会議以降に異端として焚書されましたが、1600年後に
復活して現在に至っております。

PS
数日、外出しますので、しばらく失礼致します。


656:20
10/04/30 23:50:55 d4HEZuhx
>>647
> 換言しますと、唯一神教へのような過程は後世の人の都合であり、文献上では
> 多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示とが旧約に並存しているということでしょう。

預言の書あたりまで含めれば文献上も明確に唯一神信仰が見られると思います。
在家さんの場合、多神教(及び拝一神教)的なテクストを真の預言、唯一神教的な
テクストを後の意図的修正と仮定している、ということですね。
よってイエスも真の預言者である限り、「本来の」ユダヤ教に忠実に多神教(及び
拝一神教)的な文脈の中で発言しているはずだ、ということですね。

正典化された福音書に他の神に言及する箇所がないのは、正典化作業に携わった
人達による隠滅工作であり、正典から外され禁書された福音テクストの中に
多神教(及び拝一神教)的信仰に言及する箇所が含まれているはずだ、
というのが在家さんの仮説ですね。

となると仮説の検証上重要なのは、ナグ・ハマディ文書がイエスの言行を読み解くのに
どこまで信頼性があるのか、そこには明確な形で多神教・拝一神教を示す言葉が
書かれているのか、ということになりますね。
少なくとも正典化されている福音書よりナグ・ハマディ文書のほうが
イエスの言行を読み解く点において信頼性が高い、ということが示される必要がありますね。


657:神も仏も名無しさん
10/05/01 10:14:58 lfLSwbXt
クムラン文書にはイザヤ書写本も含まれていますね。
クムラン・テキスト版イザヤ書の唯一神論のくだりが、
現行の聖書に収録されているイザヤ書と同じであれば
エッセネ派も唯一神論信仰だったと言えると思います。

658:神も仏も名無しさん
10/05/01 10:41:06 lfLSwbXt
知恵の系譜(7)クムラン宗団の信仰
URLリンク(www1.ocn.ne.jp)
モーセの律法を破ってはならない、ということに凄まじく厳格ですね。
ファリサイよりも厳しくなおかつ霊的側面もより尊重している。
「あがないの生贄を認めない」(>>122)ってのは、その価値を認めていないという意味ではなく
「神の手を煩わせてはならない」という発想からのものじゃないでしょうか。
モーセの律法をひたすら研究・実践し、破らないのが大前提になっている。

和田幹男/死海文書と聖書
URLリンク(mikio.wada.catholic.ne.jp)
>イザヤ書だけはその全書の写本が出土した。

>ⅱ)つぎにその古い写本断片によってマソラ本文が信頼するに足るものであることが証明された。
>前述したとおり死海文書中全聖書の本文が完全にあるわけではないが、イザヤ書はその全書があるので、特筆すべきであろう。
>これをマソラ本文と比べることによって、マソラ本文が1000年の年月を経て
>忠実に写し伝えられた本文を保っていることが明らかとなった。

このぶんだと唯一神論もそのまま、か?

659:神も仏も名無しさん
10/05/01 11:53:09 lfLSwbXt
唯一神論部分(>>607)の英訳
Column XXXIX The Great Isaiah Scroll 45:21 to 47:11
URLリンク(moellerhaus.com)
URLリンク(moellerhaus.com)
26. (18.) For thus says YHWH creator of the heavens; He is the God and He formed the earth and made it; and he
27. prepared it, He did not create it void, he formed it to be inhabited: I am YHWH; and there is no one else.

かくして天の創造主ヤハウェは言われる。彼は神であり、彼が地を形作りそれを造り出した。
そして彼はそれを用意した。彼はそれを空虚なものとして創造しなかった。彼はそれを居住に適したものとして形作った。
私はヤハウェである。そして他にはいない。

who has told it from then? Is it not I YHWH? and there is no other
2. God beside me; a righteous God and a Savior; there is none beside me.
(22.) Turn to me, and be saved, all the ends of the earth: because
3. I am God, and there is no other.

誰がその時からこれを語っていたのか。わたしヤハウェではないか。他にはいない。
私と並んで神、公正なる神、そして救い主。私に並ぶものはない。
大地の果ての万人よ、私に立ち返り、救われよ。なぜなら私は神、他にはいないからである。

※和訳はてきとうです。

660:20
10/05/01 16:26:05 fNmQT9+N
>>657
重要な着眼点だと思います。ただしエッセネ派の秘儀的解釈という特徴を考慮すると
イザヤ書がマソラ本文と同一であっても、唯一神に関する正統ユダヤ教の解釈と
エッセネ派の解釈は必ずしも同一であるとは言い切れないと思います。
とはいえ、私も>>658の解説を読む限りエッセネ派が多神論的な解釈をする教団だとは
思えません。

(ここからは>>658さんがリンクを載せた主旨とは全く関係ない私の印象です。
私は一つ目のリンク先の、エッセネ派の教義からイエスへとつなげていく論法に
非常に違和感を覚えます。エッセネ派における祭司・王・預言者の三者が
イエスの中にひとつになって統合されている、と言いうるには
そもそもエッセネ派の解釈において三者の統合されたペルソナなどという
存在が許容されるのか、イエスは自覚的に自らをその三者の統合体であると
考えていたのか、など説明を必要とする論理の欠落があまりにも多く見受けられるからです。
ヨハネ福音書を媒介としてエッセネ派とイエスを結びつけようとする意図が強く働いている
気がします。まあこんなふうに思うのも私がヨハネ福音書を否定的に捉えてるから
かもしれませんが。)

>>659
> who has told it from then? Is it not I YHWH? and there is no other
> 2. God beside me; a righteous God and a Savior; there is none beside me.

一行目と二行目はつながっているので
「私の他に(or私と並ぶ)神はいない。義なる神にして救い主。
私の他に(or私と並ぶ)神はいないからである。」という感じでは?

besideの元のヘブライ語がどのような意味範囲を持っているかによって
訳(解釈)は違ってきちゃいますね。besideという英訳は元のヘブライ語の
多義性を反映してるのかな?どちらにしろ他の句と照合すると
まず間違いなく「他に」の意味で使ってると思われます。

661:前世は一在家
10/05/01 22:12:40 p/jXkbl5
>>656 20氏
只今、外出先の高山市より帰りました。

>在家さんの場合、多神教(及び拝一神教)的なテクストを真の預言、唯一神教的な
>テクストを後の意図的修正と仮定している、ということですね。

多神を示すテキストであってもその啓示を降ろされたのがYahwehであるという点が
重要であり、これはユダヤ教徒もキリスト教徒も否定できないでしょう。

次に唯一神教的なテキストですが、下記の2つの場合を想定します。
①後世の誰かが改竄した。
②その時代の預言者の資質に応じて神が啓示の降ろし方を変えられた。

①の方は案外簡単に証明できます。
旧約の七十人訳とマソラテキストと、クムランテキストとを比較して相違箇所を
検証すれば良いからです。

死海文書の研究者たちが驚いたことは、クムランテキストとの相違点が当初想定
していた以上に少ないということです。
申命記の「神の子らの数に従い」が「イスラエル民の数に従い」とか「天使の数
に従い」とかいった相違点は極めて少なく、2千年にわたりラビ達が非常に正確に
書き写してきたことが検証されております。

ですから②の解釈のように、最初から預言者によっては唯一神教的に啓示を降ろし、
また別の預言者に対しては多神教(及び拝一神教)的に啓示をおろされたのでは
ないかというのは私の仮説でございます。

例えば神を疑い易く、啓示を伝える勇気の少ない預言者には、強く唯一神教的に
啓示を降ろされたのではなかろうかと、これまで別の神を信じてきた預言者には
多神&拝一神教的な伝え方をされたのではと思料します。


662:前世は一在家
10/05/01 22:30:57 p/jXkbl5
>>660 20氏
>私も>>658の解説を読む限りエッセネ派が多神論的な解釈をする教団だとは
思えません。

私の現時点の知識では、エッセネ派が多神論的な解釈をするという文献上での
証拠はございません。

ただし、魂や運命に対する解釈がパリサイ派やサドカイ派とは異なっていたようです。

【死後の生】
(パリサイ派)死者の復活を信じた。
(サドカイ派)死者の復活のような奇跡を一切否定した。
(エッセネ派)
肉体は滅びるものであり、それを構成する物質は永遠ではないが、
霊魂は不死で滅びないと確信していた。

【運命(予定論)】
(パリサイ派)
ある出来事は運命による業の結果であり、その他は人間側の自由意思にかかっている。
(サドカイ派)運命の存在を認めない。
(エッセネ派)
いま存在しているものや、これから存在するもの、それらすべては知識の神から来る。
神は、それらが存在する前に、それらの全体的な構想を考えられた。(宗規要覧3:15)
(神の青写真に従って歴史が展開されるという意味でしょうか。)

参考:「死海文書のすべて」青土社


663:神も仏も名無しさん
10/05/01 22:31:50 9Wo5dfGc
超自然を認めるなら

③初期イスラエル人には唯一神論が理解できず、拝一神に置き換えてしまった。

ってのもアリですね。

664:神も仏も名無しさん
10/05/01 22:39:16 WbGZxcdP
聖書も人間が書いたもの。「神」とは、人間の空想上の産物。

古代人が、その生存という至上目的のために、何故、神概念を作り上げ、それを他者に
説かなければならなかったのかを、人間の生物的生存努力の面から、考える必要がある。
その場合、古代人は科学について無知蒙昧であった事実を考慮に入れる必要がある。

共生集団をまとめるためには、何らかの権威が必要である。その目的のために、更なる
はるかな過去において集団をまとめていた優れた指導者の記憶をイメージ化したのが、
神概念であろう。その過去の指導者も、自己の補助者として、複数の人間を要したこと
には間違いない。どんなに偉い王でも、補助者としての同僚や忠実な臣下が必要である。
そのような複数の同僚や臣下の記憶のイメージ化が「多神」ではなかろうか。「神々の
会議」である。

「神概念」が人間の想像の産物である以上、「人間の生存のための必要性」の面から、
神の起源を考えるべきではないか。

イエスは、はるか後世の人間であるから、「神」とは関係ない。彼は、すでに形成
されていたそのような神概念が、「過去の指導者(及びその臣下)の記憶のイメージ
化」に過ぎないことに、もはや思い至ることができなかったのであろう。現代人でも、
未だに「人間にあらざる神」を信じ込まされているのと同様である。

なお、引用における「beside」は、英語的には、あきらかに「other than」の意味。
過去の指導者の同僚や臣下が捨象され、一人の指導者のイメージのみが拡大されて
抽象され、生き残ったのであろう。

例えば、大国主命も、過去の優れた医療者の記憶のイメージ化であろう。

665:前世は一在家
10/05/01 22:41:55 p/jXkbl5
>>656 20氏
>となると仮説の検証上重要なのは、ナグ・ハマディ文書がイエスの言行を読み解くのに
>どこまで信頼性があるのか、そこには明確な形で多神教・拝一神教を示す言葉が
>書かれているのか、ということになりますね。
>少なくとも正典化されている福音書よりナグ・ハマディ文書のほうが
>イエスの言行を読み解く点において信頼性が高い、ということが示される必要が
>ありますね。

先に紹介しましたように、ユダ伝では旧約の神と至高神とを区別して記載されて
おりますし、イエス様が処刑をユダに密かに命じたとあります。

トマス伝、フィリポ伝、マリア伝ではどうだったのかを、新約と対比して
また調べておきます。

ただ共通している点は、イエス様は快活な方でよく笑い、女性信者達からも
大変慕われていたということでしょうか。
若い教父が選んだ四福音書に記載されたイエス様と少しイメージがことなります。


666:神も仏も名無しさん
10/05/01 22:54:56 jr0rScrg
前にも書きましたが、ケツを叩いてけしかけるために、事実とは異なるコトを吹き込む、ってのは相当エグいことですわ。
拝一神で他の救いを否定した上に、さらに逃げ場を排除するために、さらに否定を押し重ねてあるんですから。
そういうことやるくらいなら、初めから嘘を使わずに済む人材を選べばいいと思うのですが。

③は③でも問題が出てきますね。唯一神論を最初からしっかり記述させず(orできず)、
これはこれで使える、と拝一神論状態をあえてそのままにしていた、ってことになりますからね。
神から、実はその記述誤りなんだが……と言われたら確かに信者は混乱する。
そう見えるけどそりゃ表現なんだよ、と処理させる。

どちらにせよ生暖かい説明になってしまいますね。

667:神も仏も名無しさん
10/05/01 22:59:32 jr0rScrg
もし四福音書とユダ伝が同時に正しいとしたら、
表でヤハウェにアッバ(父ちゃん)と呼びかけておいて
裏では彼を信仰する立場を笑う、っていう。
どんだけアンタ裏表あんだよ、って話に。
こんなのは方便じゃなくてただの処世術ですよ。

668:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:00:20 YpcxLjgv
結局神様なんかいないんだろ?
よりにもよって、あの中国に97%のレアアースを置いとくなんて、有り得んだろ。

669:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:11:26 vSXSI60o
>>667
イエスが、神に向って「父ちゃん」などと呼びかけること自体が、神を崇めては
いないことの証拠。イエスは、その精神病の症状としての誇大妄想から、「自分
が神に(少なくとも神の親類に)、なりたかった、なった積り」だったのである。

イエスにとって、「自分が神になる」ためには、創造主はライバル、それ以上に、
「目の上のたんこぶ」だったのである。だから、賢しらげに、旧約聖書に対して、
得意げに余計な一言を付け加えている。

670:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:15:19 bZW3EP4M
ヤハウェ信仰の普及以前の神観念の痕跡が
ヤハウェと同一視されている可能性も捨てきれん。

671:前世は一在家
10/05/01 23:21:13 p/jXkbl5
>>664
>聖書も人間が書いたもの。「神」とは、人間の空想上の産物。

私もこれまで色々な宗教の啓示集(神示集)を調べてきましたが、
いくつかの共通点があります。

①短時間で非常に多くの啓示が降りることが多い。
②宗教の素人に啓示が降りることが多い。
③数百ページに及ぶ啓示であっても終始一貫している。

どんな知能指数が高い人間でも、人智で啓示集を創作した場合は、同等の
知能指数の人間が読んだ場合に終始一貫性が崩れておりますので分かります。


672:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:31:06 bZW3EP4M
新約聖書は神を固有名詞で呼ばず、単に「主」や「神」あるいは「父」
ともっぱら普通名詞で呼んでいるのは、神の名を発言することを敬遠する
ユダヤ教の習慣に従ったものと思われる。

673:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:38:05 1I5UbJdB
>>671
「啓示」なるものを批判的に読めば、現実上の根拠皆無な観念の遊戯。
使っている言葉も、小学生時代に習ったものばかり。大本開祖の「お筆先」参照。
精神医学者は、「濫書症」と診断している。

現代の精神医学では、「神懸り」や「憑依現象」は、精神障害として治療の
対象とする。

674:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:38:09 jr0rScrg
>>671
>私もこれまで色々な宗教の啓示集(神示集)を調べてきましたが、
>いくつかの共通点があります。

どういう例を基準にしてるんですか?コピー・複製が容易にできる
現代のものなら、それだけで古代宗教側にハンデがありますよ。

675:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:54:51 jr0rScrg
①短期間だと、時間を経てチャネラー(仮称)の宗教観が変化・醸成しにくい。
②「宗教の素人」は具体的にどういう人を指すのか?宗教について全く知識の無い人はいない。
③一貫性、ってのはどこまでブレを許容するのか。矛盾というのは同じ事(聖書で言えば並行記事)
を書く・語る時に出てくるが、重複が多い人・少ない(無い)人を同じ基準ではかっていいのか?

具体例を出しつつ、こうした部分でも正確に扱いを決めないと、議論しようとしてもきっと話が拡散してしまいます。

676:20
10/05/02 01:11:18 P2zISPV9
>>661
> ですから②の解釈のように、最初から預言者によっては唯一神教的に啓示を降ろし、
> また別の預言者に対しては多神教(及び拝一神教)的に啓示をおろされたのでは
> ないかというのは私の仮説でございます。

超自然的な神を想定すること自体を否定するつもりはありませんが
その神の啓示の手法をそこまで柔軟にしてしまうと、聖書テクストに
対する評価・解釈は「何でもあり」に近くなってしまうような気がします。
つまり読み手にとって都合のいいように聖書に対して解釈的変更を加え
読み手にとって都合のいい神を作り上げることが可能になる恐れがあります。

>>662
こういったイエスの時代のユダヤ教各宗派の違いは、福音書やイエスを
考察する際に重要な背景的知識になりますね。ありがとうございます。

677:20
10/05/02 01:17:33 P2zISPV9
>>665
> 先に紹介しましたように、ユダ伝では旧約の神と至高神とを区別して記載されて
> おりますし、イエス様が処刑をユダに密かに命じたとあります。
> トマス伝、フィリポ伝、マリア伝ではどうだったのかを、新約と対比して
> また調べておきます。

この辺は私が在家さんに最も期待している部分です。
私自身に教養・知識があまりないものですから在家さん頼りになってしまいそうですが
よろしくお願いします。私もそのうち自分で読んでみようと思っております。


678:神も仏も名無しさん
10/05/02 01:19:48 T0PbESPA
>>671
啓示が「神の言葉」なら、何故、人間には理解不能は「神語」で書かれて
いないのは何故か。すべて「人間の言葉」で書かれているw。

神は、一体、どこのどの人間から、言葉を習ったのか。人間の言葉は、人間
からしか、絶対に習得できないはず。

この意味で、聖書の「初めに言葉があった」は全くの誤り。人間の言葉は、
人間が発生し、共同体を形成した後、その成員間の意思の疎通のために、人間
が作ったものである。言葉こそ、人間の最大の発明。

「聖書が神の言葉」など、笑うしかない。

679:20
10/05/02 01:20:53 P2zISPV9
>>670
私もそう思ってます。ヤハウェはイスラエル民族の歴史的宗教的変遷を
かなり内包しちゃってるんだろう、と。

680:神も仏も名無しさん
10/05/02 01:41:05 pxt6H4Vu
イエスキリストに子供はいますか?

681:神も仏も名無しさん
10/05/02 02:25:45 CduaAd3h
「神」を信じている人は、生物としての人類の生存本能との関係において、
人類に「神概念」がどのようにして発生したかを、まず説明してくれ。

人類の空想の産物である「神」ばかり語らないで、少しは「人間」について
語れ。宗教も、「人間」の数多い営みのうちの一つに過ぎないのだから。

682:神も仏も名無しさん
10/05/02 02:54:47 LeRAkmhi
>>679
ヤハウェは、モーセの神。モーセは、エジプトで突然変異的に発生したイクナートン
一神教の信者。そのあたりから語る必要があるのでは。

683:神も仏も名無しさん
10/05/02 03:50:25 aNRCJlQG
民族起源神話ではなく
宗教としての生死観のベースになってるのが
黙示録のカタストロフとその後の『神の国』での復活だしな
死んでも善き人は其処に復活して暮らせるというのが宗教的救済の基本なんだが

今となっては其処へ至る前に魂が暮らす多神教に良く見られる天国のようなイメージに
食い荒らされてて需要があるからってそっちもアリにしちゃってる感じがなんともマヌケ

684:20
10/05/02 07:17:47 P2zISPV9
>>680
聖書その他客観的な資料では確認されてないはずです。
そもそもイエスに関する聖書外の客観的資料はほとんどないはず。

>>681
実はこのスレで信じているかどうかという点で言えば、在家さんくらいしかいないかもw
で、神を信じている人にとっては「人間は神の被造物」として処理されてるから
「人類に「神概念」がどのようにして発生したか」という問い自体が成立しない。
強いて言えば「神による神自身の啓示によってもたらされた」となるはず。

>>682
もし本当にモーセが実在して、なおかつイスラエルの民がエジプトにいたとするなら
イクナートン信仰の影響もあるかもね。まあモーセや出エジプトが史実ではないとしても
エジプトの影響は受けてるから議論としては成り立つだろうけど、それを裏付ける資料は
ほとんどないんじゃないかろうかと思いますです。

685:前世は一在家
10/05/02 07:21:51 fmgxhSLZ
>>665 一在家
> 先に紹介しましたように、ユダ伝では旧約の神と至高神とを区別して記載されて
> おりますし、イエス様が処刑をユダに密かに命じたとあります。
> トマス伝、フィリポ伝、マリア伝ではどうだったのかを、新約と対比して
> また調べておきます。

トマスの福音書では一箇所だけ「多神」についてイエス様が説かれております。
単独者(天の父?)とご自身以外に三人の神々がおられるとのことです。


(トマス伝)
30 イエスが言った、「三人の神々がいるところ、彼らは神々である。二人または一人が
  いるところ、私は彼(単独者)と共にいる」。

参考(マタイ伝)
18:20 「二人または三人がわたしの名によって集るところには、わたしもその中にいるので
  ある。」


686:前世は一在家
10/05/02 07:23:12 fmgxhSLZ
>>685
尚ヨハネ伝と競り負けて正統から外されたトマス伝ですが、ヨハネ伝の筆者がトマス伝の
内容を知っていたと思われる箇所が多数見受けられます。

(トマス伝)
24 イエスの弟子達が言った、「あなたがおられる場所について教えて下さい」。
 イエスは言った、「耳ある者は聞くがよい。光の人の直中に光がある。そして、
 それは全世界を照らしている。それが照らさないならば、それは闇である。」

参考(ヨハネ伝)
14:5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。
  どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
11:9 イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、
  つまずくことはない。 この世の光を見ているからだ。」

(トマス伝)
1 イエスが言った、「この言葉の解釈を見い出す者は死を味わうことがないであろう」。
参考(ヨハネ伝)
8:52 アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。ところが、あなたは、
 「わたしの言葉を守るなら、その人は決して死を味わうことがない。」と言う。


687:20
10/05/02 08:57:29 P2zISPV9
>>685>>686
これは興味深いですね。
ここからすぐに何らかの結論が得られるわけではないけど
少なくともイエス語録伝承には相当のブレがあったことが伺われます。

> (トマス伝)
> 30 イエスが言った、「三人の神々がいるところ、彼らは神々である。二人または一人が
>   いるところ、私は彼(単独者)と共にいる」。

前後の文脈がないので、どのように解釈したら良いのかわかりかねますが
この「三人の神々」とはいったい具体的には誰を指しているのでしょう?
あるいはどのような存在について言及していたのでしょうか?

688:前世は一在家
10/05/02 09:41:12 fmgxhSLZ
>>687
>前後の文脈がないので、どのように解釈したら良いのかわかりかねますが
>この「三人の神々」とはいったい具体的には誰を指しているのでしょう?
>あるいはどのような存在について言及していたのでしょうか?

トマス伝はイエス様語録のスタイルにて、前後の文脈がないので分かりません。

私も「三人の神々」は誰なのか、知りたいですね。




689:神も仏も名無しさん
10/05/02 10:18:15 aNRCJlQG
単純に考えれば現在過去未来の同一存在を
時間経過に左右されない普遍性があるように言ってるようだ

過去と現在があって未来がないという事はない

世界を創造し運営を行う神の約束事の最たるものとも考えられるか


690:神も仏も名無しさん
10/05/02 11:11:31 NJQw2m6V
>>678
>啓示が「神の言葉」なら、何故、人間には理解不能は「神語」で書かれて
>いないのは何故か。

理解不能な言葉で命令したところで相手は言う事を聞けないでそ?
相手の言語使えるのに、わざわざ相手がわからない言葉使うなんてそれこそ何故って話になる。
イスラムでいう「啓典の母」や執筆用のネタ帳があるならソレは神語で書かれてるかもしれんがw

>神は、一体、どこのどの人間から、言葉を習ったのか。人間の言葉は、人間
>からしか、絶対に習得できないはず。

知的生命体なら、リトルグレイだろうがレプティリアンだろうがプレアデス人だろうがクリンゴン人だろうが
メフィラス星人だろうがアヌンナキだろうがヤハウェだろうが思いつくでしょ。実在するならね。

691:神も仏も名無しさん
10/05/02 11:14:08 hKdaJGh0
神語があるなら、もっとも近いのは数学だろうな。

692:神も仏も名無しさん
10/05/02 17:51:06 DoWMyE79
「三人の神々」はブラフマン、シヴァ、ビシュヌとは考えられないだろうか。
12使徒が伝道のために全世界をくじ引きで分割すると、ユダ・トマスにはインドが当たる。
トマス伝はトマスのインド伝道における13のエピソードを並列的に物語り、最後はトマス
の殉教で終わるというもの。
イエスをインドの神と習合させ、布教して回ったのかもしれない。

693:前世は一在家
10/05/02 17:52:52 fmgxhSLZ
>>690
>理解不能な言葉で命令したところで相手は言う事を聞けないでそ?

まったく同感です。 あまりに常識的な質問なので返答に窮しておりました
ので、有難うございます。


694:前世は一在家
10/05/02 18:05:24 fmgxhSLZ
>>692
>「三人の神々」はブラフマン、シヴァ、ビシュヌとは考えられないだろうか。

原始仏典の一つの長部経典(ディガニカーヤ)によりますと、ブラフマン
(梵天)も複数存在します。
梵天達の上位に大梵天が存在し、大梵天の中の一方が釈尊に布教を進めた
との記載があります。(出典:「大本経」)

釈尊が悟った真理(法)は罪(曇り)深い人類に伝えても理解は無理だ
と判断した時に、「人々の為に是非伝えて欲しい。」と嘆願された大梵天
に私は人類愛の深い「天の父」のイメージが重なっております。


695:神も仏も名無しさん
10/05/02 18:32:16 6lMTBBZC
>>692
本人が自覚的にやるとは思えない。宗教的タブーに抵触しすぎる。
ユダヤ人にとっては、インドの神々もバアルやアシラトの同類でしかないだろう。
信者の頭数を増やすために、誤謬を取り入れるということに成るわけで
目的と手段がすげかわってる。

696:神も仏も名無しさん
10/05/02 19:20:45 c+HpDF1j
>在家氏へ

真光信者の君が、何故異教のイエスにそれほどまでに興味を持つのか、不思議。
君の教祖は、イエスなのか。

真光も、大本由来。「キリスト教の盈虚を受けた宗教は、必ず危険なカルト化する」
ことの顕著な一例。KKも、佛教を標榜しているが、実質はキリスト教である。
オウムも、キリスト教の影響さえなければ、あそこまではやらなかった。
ハルマゲドンは、キリスト教の言葉である。

空想上の神やイエスなどどうでもよいから、もっと「人間」について語ることは
できないのか。

697:神も仏も名無しさん
10/05/02 20:09:02 6lMTBBZC
>真光信者の君が、何故異教のイエスにそれほどまでに興味を持つのか、不思議。

「縁起馬鹿」さんのサイトを見て、どこにも書いてない「イエス」の文字を見出してしまう
ご隠居がいちばんイエスにメロメロだと思う。

>空想上の神やイエスなどどうでもよいから、

このツンデレぶりがいじらしい。

698:神も仏も名無しさん
10/05/02 22:20:38 Miox/Te8
宗教は全部嘘っぱち

699:20
10/05/02 23:39:03 P2zISPV9
>>688
それは残念。そうするとトマス伝周辺の文献がもっと発見されないと
言わんとすること読み解くのは困難になりますね。

700:前世は一在家
10/05/02 23:57:33 Qogv70Kw
>>696
>真光信者の君が、何故異教のイエスにそれほどまでに興味を持つのか、不思議。
>君の教祖は、イエスなのか。

仏教板でもよく似たご質問を頂戴したことがあります。

今から35年以上前に、師から本来のモーゼ、イエス、釈尊の教えを知るには
原始キリスト教、原始仏教を調べる必要があると伺いましたのが動機です。

5年程前に、師の言葉を思い出して、原始仏教、死海文書、コーラン、
を始め、色々な宗教の聖典を少しずつ読み始めております。

原始教会(母マリア、弟ヤコブ)、ギリシア語を話すユダヤ人のパウロ、
3共観福音書の書記達もイエス様を神自身だとは思ってなかったし、
マタイ伝とルカ伝は処女降誕という神学を産み、ヨハネ伝でイエス様は
神自身となって、180年のエイレナイオス以降に正統化していくという
のが文献上の考察でしょうか。

原始ユダヤ教での多神の中での拝一神教的から、次第に唯一神教的に変遷して
いったようですね。

原始仏教もまた、常住の仏を説く法華経と、常住を否定する龍樹の中論とに
分かれていった経緯も見えてまいります。

何故異教に興味を持つのか?ですが、共通の真理(法)が何であったのかを
再検証したいからだと存じます。
そして再検証が進めば、宗教者同士が対立することも減っていくでしょう。


701:神も仏も名無しさん
10/05/03 01:29:12 HP8eXYC/
>>700
イエスだから、釈迦だから、真理を語っていると、初めから信じ込むのは、
知性の放棄である。大昔の人間である彼等の「教え」が、果たして現代の
人間にも通用するか否かを、現代人の知識と批判力を以って検証すること
が必要。さもなければ、単なる有名人信仰、ブランド漁りと同じになり、
人間としての思考停止、現代人としての知性の放棄である。

なお、宗教とは、開祖や教祖の正誤・正邪を判断する現実的基準がなく、「自
分の宗教だけが正しい」と信じ込む営みである。従って、異なった宗教の信者
同士が宥和することなど、原理的に不可能である。出口王仁三郎の「万教帰一」
など、単なる妄想。「宗教多元主義」についてさえ、同一宗教間でも、争いが
絶えないのが現状である。宗教学者も「宗教多元主義」については悲観的である。

ある外国の宗教学者が、宗教間の論議の対象を「身体」に関することのみに
限定することを提案しているが、これは宗教の本質を見据えた興味ある提言
である。百人百様の宗教観念とは異なり、身体(肉体)は、どの宗教の信者
でも「同じ」だからである。

人間は、具象物に100%依存することにより、初めて生存が可能である。
身体や具象を離れた「精神性」は、人間の狂気を招くことを、忘れてはならない。

702:前世は一在家
10/05/03 07:20:53 FXyASwIs
>>701
>イエスだから、釈迦だから、真理を語っていると、初めから信じ込むのは、
>知性の放棄である。

イエス様だから、釈尊だから、真理を語っている可能性が高いと考えるのも
智恵でしょう。

(そう考える理由)
・宗教の目的は人々の幸せにある。
・宗教の開祖の多くは、幸福になる為の教え(法、真理)を説いた。
・信者達はその教えを最初は疑いつつも実践する。
・正しい教えの場合は実践すれば、その果として何らかの幸福がもたらさせる。
・多くの信者が幸福になった団体は口コミで広がっていく。
・以上、世界規模で拡大した宗教の多くは真理を語っている可能性が高い。

偽薬と新薬とでは、症状が改善する可能性に違いが生じるという点で、
新薬に価値が見なされていることと似ておりますでしょう。


703:前世は一在家
10/05/03 07:22:16 FXyASwIs
>>702
利他愛が自身の心を豊かに高めることを説かれた方も、欲心が執着を生み出し
執着が苦しみの原因であることを説かれた方も、現代人が再検証できるかと
存じます。
宇宙と生命に保たれている秩序を熟知した現代の科学者達が「宇宙に意思あり」
と神仏に近い存在を仮定することからも、イエス様や釈尊の教えとなんら不整合
がないかと存じます。

生命教であれば、生命の営みにおける秩序が現代の先端科学技術から見ても
偶然では生じ得ない高み(確率)に達していることを既に悟っておられることと
存じます。>他称「ご隠居」氏


704:前世は一在家
10/05/03 07:43:38 FXyASwIs
>>701
>従って、異なった宗教の信者同士が宥和することなど、原理的に不可能である。
>出口王仁三郎の「万教帰一」など、単なる妄想。

「万教統一」であれば、貴兄のおっしゃる通り、不可能に近いと思います。

「万教帰一」には智慧を用いますと、色々な方策、方便があるかと存じます。

例えば、異なった宗教の信者同士であっても教えが同じことに気付いた場合には
対話することができるかと存じます。

また現代の教えが異なっていましても、開祖、預言者の頃の最初の教えが同じで
あれば対話することができるかと存じます。

例えば、「人は神の似姿にて、やがて神格化(テオシス)し得る」という教えと
「全ての仏子はやがて仏になり得る」という教えとが共通の真理(法)であった
ことをお互いが認識し合えば、言い合わそう必要もないでしょう。

また、「良い種には良い実が、悪い種には悪い実がなる」という教えと
「因果の法」という教えが共通の真理(法)であったことをお互いが理解し合えば、
お互いに敬意を表してただ合掌すれば宜しいかと存じます。

以上、「万教帰一」には原始キリスト教、原始仏教にそれぞれが元還りできれば、
決して不可能ではないと信じております。


705:20
10/05/03 08:22:17 GnVoDEc/
>>703
> 宇宙と生命に保たれている秩序を熟知した現代の科学者達が「宇宙に意思あり」
> と神仏に近い存在を仮定することからも、

そういう科学者は極少数であると思います。
私自身、宇宙物理学者と生命科学者の友人がおりますが
その人達に話を聞いても、まず同僚で「宇宙に意思あり」と
考えている科学者はいないと言います。もちろんこのような命題は
反証可能性がないので、逆に言えば正しいとも正しくないとも言えない
類のことで、信仰の領域になります。

> 生命の営みにおける秩序が現代の先端科学技術から見ても
> 偶然では生じ得ない高み(確率)に達している

具体的なデータはあるのでしょうか。
現代の先端科学から見れば化学進化から生命が誕生する可能性は
偶然では生じ得ないほど低確率であるとは思えないのですが。

科学を成立させるための要件については必ずしも科学者の間で
完全な共通了解があるわけではありませんが、一般的には
反証可能性なり再現性なりの要件を満たさない限り
科学的な対象とはなってきません。

宗教的真理や神の存在といったものを否定はしませんが
あくまでも自然科学とは全く別個の対象領域と考えて
議論すべきであると思います。


706:前世は一在家
10/05/03 08:38:12 FXyASwIs
>>705 20氏
>その人達に話を聞いても、まず同僚で「宇宙に意思あり」と
>考えている科学者はいないと言います。

宇宙意思論はアインシュタインの晩年の説です。
湯川博士も宇宙の秩序については言及されたそうです。
ニュートンの最期の発明は霊界ラジオだったそうです。

私が以前所属しておりましたサイ科学会でも退職した科学者達が
神や霊や超能力について熱心に議論を交わしておりました。

箱の中にロボットの部品を入れておいて、数万年間箱を振っておりましたら
ロボットができる確率を計算することはできるかと存じます。

本スレの議題からは少し外れて参りましたので、この辺りで止めておきます。


707:20
10/05/03 08:50:38 GnVoDEc/
>>706
アインシュタインは量子力学の確率論的宇宙観に反対して「神はサイコロを振りたまわず」と
言ったとか。つまりそれは個々の科学者の信仰の問題であって科学的議論とは別個です。

> 箱の中にロボットの部品を入れておいて、数万年間箱を振っておりましたら
> ロボットができる確率を計算することはできるかと存じます。

分子レベルでの自己組織化を扱うような化学進化とは全く別個です。
ロボットの部品を混ぜていくら数万年振ろうがニュートン力学レベルでの
確率論であって、化学進化とは何の関係もありません。

> 本スレの議題からは少し外れて参りましたので、この辺りで止めておきます。

了解いたしました。

708:前世は一在家
10/05/03 09:10:12 FXyASwIs
>>705 20氏
>具体的なデータはあるのでしょうか。
>現代の先端科学から見れば化学進化から生命が誕生する可能性は
>偶然では生じ得ないほど低確率であるとは思えないのですが。

「万教帰一」の万教の中には宗教だけでなく、科学も含まれていると考えております。

個々の人のヒトゲノムの塩基配列を比較すると0.1%程度の違いがあることが知られており、
この塩基配列の違いが、顔を含める肉体的特徴や性格の違い、すなわち人の多様性に
つながっていると知られております。

核ゲノムを30億塩基対としまして、その0.1%は300万塩基対と設定しましょう。
1塩基対を分かり易く1バイトとしますと、300万バイトで3メガバイトとなります。

この3MB程度の情報量では、人間の立体的な肉体的特徴の記述だけでも足りるでしょうか?
同じ環境で育ったヒトゲノムが同じ一卵性双生児の知能や性格の差異を説明できるでしょうか?

ヒトゲノム以外に魂と呼ばれる「神の似姿のコア」を仮説すれば、疑問は解消できますが、
それには素粒子や分子生物学の研究での成果を待つ必要があるかと存じます。

私も若い頃は論文を学会で発表していた元科学者ですので何十年間も考えておりましたよ。
では、議論も元に戻しましょう。


709:神も仏も名無しさん
10/05/03 10:23:10 CE0Or8Ei
>>701
>従って、異なった宗教の信者同士が宥和することなど、原理的に不可能である。

ヒンドゥー過激派がインドでキリスト教徒を襲撃した際、
ヒンドゥー教を含む各宗教の信者が抗議をしたそうです。
URLリンク(www.christiantoday.co.jp)
他者の間での理解の努力はされています。
春風社「対話が世界を変える 聖エジディオ共同体」を読んでみてください。
感傷的で無い、地に足の着いた理性的な活動です。
宗教・国の壁を超え、彼等は実際に成果をあげています。
>>706
>箱の中にロボットの部品を入れておいて、数万年間箱を振っておりましたら
>ロボットができる確率を計算することはできるかと存じます

URLリンク(www24.atwiki.jp)
CB010、CI131あたりを御覧下さい。
>>707
「神」にあたる部分Alteは実際は「古きもの」という意味らしいですね。

710:20
10/05/03 11:47:07 GnVoDEc/
>>708
塩基配列によって決定されるのは基本的にタンパク質の一次構造であって
高次構造の最終的決定は遺伝因子以外の要因が関わってきます。
つまり情報レベルで見た場合、遺伝子は閉鎖系ではなく開放系として、
例えば細胞質内の場の情報(環境情報)と関わって高次構造を決定してゆくのです。
同様に個体自体も開放系として環境情報との関わりの中から具体的な個体を形成
してゆきます。環境情報は時間軸に沿って変化し、かつ個体にとっては非決定です。
よって魂という媒介変数を導入せずとも、ほとんど無限の差異を持った個体を生成できます。

今のところ魂とか神とかといった媒介変数はいわば「打ち出の小槌」であり
こんなものを導入すれば何でも説明できてしまうわけです。
従って科学的議論には馴染まないのです。
私は決して魂とか神とか宗教的真理を否定しているのではありません。
そういったものを科学的議論の中に導入することは、少なくともまだまだ時期尚早
であろうと思っているのです。

聖書やイエスを議論の対象とするのであれば、あくまでも聖書に基づいた神学的アプローチ、
あるいは歴史学的・文献学的・考古学的アプローチをとらなければ、議論が完全に発散してしまう
と危惧しています。在家さんは初期キリスト教の文献の検証といった「健全な」
アプローチをしているにも関わらず、そこに説明原理としてご自分の「神学」を混入されている
のではないか。以前にも書きましたが例えば「良い種には良い実が、悪い種には悪い実がなる」
の解釈はあくまでも聖書の文脈、ユダヤ教の文脈の中で解釈すべきで、それだけを
コンテクストを無視して「因果の法」と結びつけるべきではないと思います。ユダヤ教には
歴史に介入する神、審判を下す神という文脈もあるのですから。

ユダヤ・キリスト教と仏教、宗教と科学を結びつけるのは
それぞれ固有の領域での議論を尽くして、かつそれぞれ固有の領域での
思考法、方法論を慎重に考慮した上でなされるべきものではないでしょうか。
引っ張ってしまって申し訳ありません。決して在家さんの仮説が間違いだと言っているのでは
ないので誤解なきよう。私のような凡人には在家さんの包括的アプローチについていくのは
なかなか難しいのだということでご容赦くださいませ。

711:20
10/05/03 11:51:10 GnVoDEc/
>>709
あ、そうなのですか。教えていただきありがとうございます。
そうすると「古きものはサイコロを振りたまわず」となるんですか…
なんだかわかったようなわからないようなw

712:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/05/03 13:19:15 BWtjYHVk
>>700
>何故異教に興味を持つのか?ですが、
>共通の真理(法)が何であったのかを再検証したいからだと存じます。
>そして再検証が進めば、宗教者同士が対立することも減っていくでしょう。

実に素晴らしい!!
更に、一在家さんのご研究が進まれるよう応援しております。
聖書外典についての投稿は特に勉強になります。

余談ですが~
私は若い頃に1度だけ道場で、
“手かざしの業”を受けた体験がありますよ(崇教真光でしたけど^^)。

>>701
確かに、ただの追従は良くないね。
自分で考えることをすべて辞めたら、もう終わりですね。
カルト宗教は自分で考えることをさせないので。



713:前世は一在家
10/05/03 15:07:51 JTlKimFb
>>710 20氏
今回も90%以上は貴兄の見解に同感です。

>よって魂という媒介変数を導入せずとも、ほとんど無限の差異を持った個体を生成できます。

一卵性双生児の肉体の概観の差異と比べて、知能指数の差異はどうか?
同じ環境で育てられても、嗜好、性格の差異はどうか?

ヒトゲノムが解明されるまでは、魂を否定する方々の多くは、心もDNAの塩基配列にて
ある程度決まると言っていたように記憶します。

>そういったものを科学的議論の中に導入することは、少なくともまだまだ時期尚早
>であろうと思っているのです。

時期尚早なのは、同感です。 私も仮説を立てて、後世に検証を委ねるだけです。

以上、若干のコメントにて失礼致します。


714:前世は一在家
10/05/03 15:18:18 JTlKimFb
>>712 宝珠氏 おーきにです。

イエス様と弟子達が聖霊による洗礼にて人々を癒し、除霊もされていた
ことは35年以上前から伺っておりました。

最近、調べていて驚いたことは、エイレナイオスの周囲のクリスチャン達
も同じように奇跡を行っていたことを、彼が証言していたことです。

「真の彼の弟子は、本当に悪霊を祓う、未来に起こることを予見する人々もいる。
幻視を見て予言を語るのだ。また、手をかざすことによって病を癒し、完全な
健康体にする人もいる。然り、さらにまた、既に述べたように死者さえ蘇った
事例がある。」とエイレナイオスは語った。


715:神も仏も名無しさん
10/05/03 15:29:21 R5JAWm27
福音書はイエスが悪霊を追放する物語を数多く伝えていますが
自然科学や医学の発達していなかった社会では病気や災害が
悪霊のわざと考えられ、悪霊の追放は病気の治癒とほとんど
同義でありました。

716:前世は一在家
10/05/03 15:45:31 JTlKimFb
>>715
>自然科学や医学の発達していなかった社会では病気や災害が
>悪霊のわざと考えられ、悪霊の追放は病気の治癒とほとんど
>同義でありました。

病気=悪霊ならば、わざわざ豚の集団に移動させて、群れごと
海で溺れさせる必要はあったでしょうか。

大災害で滅ぼされたノアの時代の人々や、ソドムの住人達も
悪霊による仕業だったのでしょうか。

面白い貴兄の説には、素朴な疑問を感じる次第です。


717:神も仏も名無しさん
10/05/03 16:07:00 R5JAWm27
>>716
旧約聖書の一神教信仰は人間に病気や災厄をもたらす悪霊の存在を
認めず、悪鬼・悪霊を恐れる民間の宗教行為は禁止されていました。(レビ17:7申32:17)
病気や災厄もヤハウェがもたらすと信じられていました(サム上16:14)
ただし悪霊観念自体はイザ13:21;34:14などに残っています。

718:神も仏も名無しさん
10/05/03 18:21:16 B99MOLbL
面白いですね。

あと、この板で偶に見る、「教祖、開祖」は精神障害である。って発言がありますが、
精神障害者(統合失調症、旧精神分裂病)の私から言わせていただければ、精神障害から来る幻覚妄想は全てを否定する(患者個人、集団、思想など)ものであり、
人がひきつけられる様な「幻覚、妄想」はまずありえません。
イエスや仏陀が精神障害者である可能性は排除して問題ないと思います。
神や仏が存在するかは私には分かりかねますが、「幻覚、妄想」から来た教えでない事だけは私個人は信じています。

719:718
10/05/03 18:29:05 B99MOLbL
言い忘れがありました。

自分をキリスト、仏陀、ナポレオンなど有名人自身、あるいは生まれ変わりと自称する精神障害者をご存知の方もいらっしゃると思います。
それは精神医学的な意味での妄想です(片思いのあの子といちゃいちゃとかいう妄想とは意味が違います。 しかし私も古いですねw)
仮にキリスト、仏陀などが精神障害者であった場合、その元となる人物が実在していた事になり、教え自体には影響はないでしょう。(宗教学的には大変な問題でしょうけれど)

720:神も仏も名無しさん
10/05/03 18:50:41 R5JAWm27
有神論は、この宇宙を創造するという主要な仕事に加えて、自分の最初の創造物の
その後の運命をいまだに監視し、影響を及ぼしているような超自然的知性の存在を
信じていること。
多くの有神論的な信仰体系においては、神は人間界の事柄に密接にかかわっている。
神は祈りに応える。罪を赦し、あるいは罰する。
理神論は超自然的な知性を信じているが、その活動は、最初に宇宙を支配する法則を
設定することに限定される。
理神論の神はそれ以後のことに一切干渉せず、人間界の事柄に特別な関心を持っていない。
汎神論は、超自然的な神、超自然的な知性をまったく信じないが神という単語を、
超自然的なものでない<自然>あるいは宇宙、あるいは宇宙の仕組みを支配する法則性の
同義語として使う。
汎神論者で有名なのは、アインシュタインやホーキング博士。

721:前世は一在家
10/05/03 21:20:53 JTlKimFb
>>718
>人がひきつけられる様な「幻覚、妄想」はまずありえません。

もし正しく真理を説いた宗教であれば、実践することにより幸福や心の平安が
もたらされるでしょうね。
そして実践の果が口コミによって広がり、人々を引き付けるようになります。

貴兄のご指摘の通り、幻覚や妄想では一時は人を騙せても、すぐにばれてしまい
人を引き付けることも無いかと存じます。


722:前世は一在家
10/05/03 21:42:42 JTlKimFb
>>720
>理神論は超自然的な知性を信じているが、その活動は、最初に宇宙を支配する法則を
>設定することに限定される。
>理神論の神はそれ以後のことに一切干渉せず、人間界の事柄に特別な関心を持っていない。

神様はこの物質界(3次元界)を創造された際に多くの法則(法、真理、掟)を設定され、
神の子「人」を創造してこの世界を神の子らに任せようとされたと伺っております。

ですから、直接神界から働きかけてくることは少ないかと存じます。

ただし、神様にも計画、神経綸(青写真)がございますので、自由意志(欲心)を持たせた
人類があまり軌道から逸脱して堕落や共滅に向かう場合には修正する必要が生じます。
そのような場合には、神の預言者達を地上に降ろし(神霊を受肉させ)教え(福音)を
伝えることを繰り返してきたかと存じます。

本来は現界に干渉しない神も、神の子達が祈りにて強く要請した場合には、神力を発動し
奇跡と呼ばれる現象が起きていることが、各宗教の聖典にも記載されているかと思います。

以上、貴兄の書き込みを縁としまして、所属グループの教えを踏まえつつ、私見を述べ
させていただきました。


723:前世は一在家
10/05/03 21:53:44 JTlKimFb
>>719
>自分をキリスト、仏陀、ナポレオンなど有名人自身、あるいは生まれ変わりと自称する
>精神障害者をご存知の方もいらっしゃると思います。

本物の生まれ変わりかも知れませんよ。

釈尊は読心通を得意とされておりました。
もしその方が釈尊の生まれ変わりであれば、声に出さずに一度質問してみて下さい。
本物であれば、心の中での質問に答えてくれますので、すぐに答えてくれますよ。
まだ、2500年しか経過しておりませず、常住の仏にとっては瞬きするほどしか
経っておりませんので、十八番の読心通を忘れるはずはないでしょう。

イエス様は聖霊による洗礼を得意とされました。
もしその方がイエス様の生まれ変わりであれば、手を置くか、手をかざすことに
より、精神病も癌などの業病も癒すことができますよ。
まだ、2000年しか経過しておりませず、神の御子にとっては瞬きするほどしか
経っておりませんので、十八番の聖霊の洗礼を忘れるはずはないでしょう。


724:神も仏も名無しさん
10/05/03 22:18:00 iE5x/9ya
非物質の魂が、どうやって物質である脳と情報をやり取り出来るのか、
誰か説明してくれませんか?

725:前世は一在家
10/05/03 22:56:06 JTlKimFb
>>724
>非物質の魂が、どうやって物質である脳と情報をやり取り出来るのか、
>誰か説明してくれませんか?

非物質のプログラムや情報が、どうやって物質であるコンピュータと情報をやり取り
出来るのか、誰か説明してくれませんか?と貴兄のご質問を置き換えてみましょう。

私は以前人工知能の研究をしておりましたが、人工知能を構成するソフトウェアと
情報は質量はゼロで物質とは言い難いかと存じます。
移動体通信や無線LANで遠く離れたコンピュータ同士が高速で通信(対話)する様は
かの釈尊の読心通をも超えてしまった感があります。


726:718
10/05/03 22:59:07 B99MOLbL
>>723
本当に生まれ変わりならあえて自称せずに行動で示すと思います。
偉人なら過去の名声を利用せず、新しい言葉で導いてくれるはずです。

727:718
10/05/03 23:00:31 B99MOLbL
偉人はおかしな表現でした。
しかし、無学な為良い言葉を知りません。
失礼しました。

728:神も仏も名無しさん
10/05/03 23:04:06 75POzAMg
>非物質のプログラムや情報が、どうやって物質であるコンピュータと情報をやり取り
>出来るのか、誰か説明してくれませんか?と貴兄のご質問を置き換えてみましょう。

「物質に」書き込まれた命令を装置で読み取ることで、ではないんですか。
で、装置を介して再入力されることで「物質に」更新される。

729:神も仏も名無しさん
10/05/03 23:12:33 75POzAMg
プログラムや情報って紙に書かれたり樹木や石に刻まれても
それ自体では何もできませんよね。
人がそれを読んで影響を受けることはあるでしょうが。
ハリー・ポッターの物語が実在する、というのと変りないです。

730:神も仏も名無しさん
10/05/03 23:15:34 R5JAWm27
非物質の魂は目に見えないもの。
非物質のプログラムや情報は目に見えるもの。
置き換えるには無理があると思います。

731:前世は一在家
10/05/03 23:35:07 JTlKimFb
>>728
>「物質に」書き込まれた命令を装置で読み取ることで、ではないんですか。
>で、装置を介して再入力されることで「物質に」更新される。

魂を仮定しない場合のお話をしましょう。

「脳神経」は処理装置に近く、記憶に向きませんので、命令を書き込みことは
困難です。
「遺伝子」は記憶媒体に近く、記憶に向きますが、0.1%の差異しか個人差が
なく肉体的特徴の記述だけでオーバーフローでしょう。

心をニューロン・ネットワークの一つの電子状態と定義しますと、
日頃「利他愛」を感じていた人でも、電子の状態が少し変わりますと
「愛」が「憎しみ」に変わります。

「物質に」書き込まれた命令をソフトウェアとしますと、そのソフトを創った
人が存在します。 
彼は目的を持って、強い意志でソフトを創ります。

プログラマーとソフトウェアとハードウェアの三位一体に神(霊)と心と肉体
の三位一体の似姿を私は感じております。


732:神も仏も名無しさん
10/05/03 23:42:52 QdBsGRWV
>>725
情報を物質のデバイス間で移す事に問題はありません。
物質間の相互作用を利用すればよいからです。
しかし、物質の上に乗った情報を非物質に移す方法も、
そのまた逆の方法も存在するとは思えません。

733:神も仏も名無しさん
10/05/03 23:46:37 QdBsGRWV
>「物質に」書き込まれた命令を装置で読み取ることで、ではないんですか。
>で、装置を介して再入力されることで「物質に」更新される。

装置も物質で出来ていないと、物質メディアからの読み取りも書き出しも出来ません。

734:神も仏も名無しさん
10/05/03 23:58:46 QdBsGRWV
>心をニューロン・ネットワークの一つの電子状態と定義

するには無理があります。1つの電子がかかわる程度の反応では、
到底ニューロンのパルス電位を変化させ、ネットワークの情報を
系統的に変化させる事は不可能でしょう。

735:前世は一在家
10/05/04 00:19:02 xXeMDFw4
>>732
>しかし、物質の上に乗った情報を非物質に移す方法も、
>そのまた逆の方法も存在するとは思えません。

折角の機会ですので、もう少し対話致しましょう。

物質は粒子で構成されますか。
波は非物質ですか。

近年の素粒子科学の世界では、粒子が波となり、波が粒子
となるそうです。

ロゴス(言葉)は波ですね。
光は波と粒子の両方の性質を持っております。

科学が進歩してだんだんと宗教に近づいているかと存じます。


736:神も仏も名無しさん
10/05/04 00:19:02 735kOBzn
>>731
>プログラマーとソフトウェアとハードウェアの三位一体に神(霊)と心と肉体
>の三位一体の似姿を私は感じております。

プログラマーが神(霊)
ソフトウェアが心
ハードウェアが肉体
そうだとすると、人間は神の操り人形で自由意志は
ないということになりますね。
2chに書き込むのも私ではなく神の意志ということですね。

737:神も仏も名無しさん
10/05/04 00:19:15 HP3y3Gx3
>>718

重度の精神病者には、「病識」がない。

精神病は伝染する(感応精神病、二人組精神病)。

よって、すべての創唱宗教の信者は、開祖の精神病の感染に過ぎない。

738:前世は一在家
10/05/04 00:24:48 xXeMDFw4
>>736
プログラマーが霊としますと、プログラマーを育成したのが神だという
モデルになります。


739:神も仏も名無しさん
10/05/04 00:28:19 dNTMU9ZH
>>735
>ロゴス(言葉)は波ですね。

立証して下さい。

物質は一般に量子によって構成され、量子はその性質として粒子性と波動性を
兼ね備えています。
光に限らず、電子や陽子、中性子、分子ですら両面性を持ちます。
これらは実験的に確かめられています。

740:神も仏も名無しさん
10/05/04 00:29:47 735kOBzn
>>738
そうすると神・霊・心・肉体で三位一体ではなく
四位一体ですね。

741:神も仏も名無しさん
10/05/04 00:30:58 dNTMU9ZH
>>738
その霊は恐ろしく愚鈍という事になりますね。

742:神も仏も名無しさん
10/05/04 00:35:03 cTxIuBcT
>>735
論点はそういう意味での「物質」かどうか、という意味では無いでしょう。
熱や電気その他エネルギー、物質ではないものに置き換えても例えとして不適格です。
徹頭徹尾この物質世界に在る媒体間で起こることを、そのまま流用する不毛さが指摘のキモだと思います。

>科学が進歩してだんだんと宗教に近づいているかと存じます。

科学で発見されたことを、自由な解釈で「神秘」「超自然」の宿る
新しい御神体にしているだけに見えます。

743:神も仏も名無しさん
10/05/04 00:54:35 WKhl9Q45
>>702
>宗教の目的は人々の幸せにある。

生命の至上性を説いた開祖は、唯の一人もいない。だから宗教は、常に殺し合い
と争いの原因となる。

イエスの殆どすべての「教え」は、「自分の気に入らない者に対するあくなき
憎悪・非難・排斥」とセットになっていることを、聖書から看破されたし。
たとえば、「善きサマリア人の話」におけるイエスの真意は、「自分の気に入らない
レビ人と祭司を非難すること」であった。さもなければ、わざわざ彼等二人を名指し
して、彼等を「悪者」にする必要はなく、単に「他の通行人たちは」とすればよか
ったはずだ。イエスは、彼等が「道の向こう側を急いで通り過ぎた」のは、何か事情
があったのではないかということくらいは、思いやるべきだった。現に事情があった。
また、イエスは、「サマリア人の女」の話にも見られるように、サマリア人に対して
は特別の好意を持っていた。イエスは、サマリア人の子であったという説もある。何
のことはない、イエスの自画自賛である。
イエスは、「隣人を、『そしてすべての人間』を愛せよ」とは、口が裂けても言えな
かった。イエスの唯一の関心は「他人が自分を(神として)信じてくれること」で
あり、信じてくれない人間は「裁かれるべき存在」「死すべき存在」であったからで
ある(例えば、「一粒の麦の話」)。イエスが、「自分(イエス)を信じるためには、
家族をも捨てよ」と言ったのは、その頂点である。「最も身近な隣人」である家族も
愛せないが、何が「人間愛」か。
イエスにとって、人に仕えることも、「自分が一番先になる」という「目的」のため
であった。
イエスを忠実に信じたクリスチャンたちが、史上そして現在も、「誰よりも多くの
人間を、誰よりも残虐な方法で殺してきた」のは、すべてイエスが原因である。

744:神も仏も名無しさん
10/05/04 01:00:51 Bh6WZ3uo
イエスの処刑の社会的意味は、吉田松陰の処刑に近い。
過激思想家の排除だ。

745:神も仏も名無しさん
10/05/04 01:08:25 Bh6WZ3uo
宗教さんは妄想逞しいが、辻褄の合った思考を深めるのは苦手のようだね。

746:神も仏も名無しさん
10/05/04 01:18:39 cTxIuBcT
>>743
>イエスは、彼等が「道の向こう側を急いで通り過ぎた」のは、何か事情
>があったのではないかということくらいは、思いやるべきだった。現に事情があった。

彼等の律法解釈に引っかかる。つまりタブーだったからですね。
イエスはそうとらないのです。サマリア人に手を差し延べない、冷たい命令を
神はしたのではない。律法の根本は「神を愛すること」「隣人を自分のように愛すること」であり
本末転倒になってはならない。そこで手を差しのべることこそ神の考えだ、
という理屈なわけです。

>イエスは、「隣人を、『そしてすべての人間』を愛せよ」とは、口が裂けても言えな
>かった。

隣人+敵なら全人類といって差し支えないですね。

>信じてくれない人間は「裁かれるべき存在」「死すべき存在」であったからで
>ある(例えば、「一粒の麦の話」)。

本人の意識としては、神と合一して、メッセージを授かってるわけですから、
彼の教えは彼の作り物ではない。神の真意を拒絶することになるというわけです。

747:神も仏も名無しさん
10/05/04 01:33:16 cTxIuBcT
>イエスが、「自分(イエス)を信じるためには、家族をも捨てよ」と言ったのは、その頂点である。

イスラム圏には、棄教者は殺れ、という考え方があります。例としてアフガン。
アブドルラフマンさんは今なにしてるんでしょう。どの宗教に属するか、入るか、ということが
感性の違い、考え方の違い、に留まらず、神の眼から見た罪、という枠組みでとらえられる文化もあるのです。
それが徹底された世界では「異端」「背教」をすればただちに家族との対立・決裂を意味する。
信じる本人にとっては真理であっても。

>イエスを忠実に信じたクリスチャンたちが、史上そして現在も、「誰よりも多くの
>人間を、誰よりも残虐な方法で殺してきた」のは、すべてイエスが原因である。

スレリンク(psy板:139-141番)
もちろん無罪放免というわけでは断じて無いですが、歴史の複雑さは知りましょう。

>>709で紹介した本もおすすめです。

748:神も仏も名無しさん
10/05/04 01:42:05 6kLpJfXS
>>743
確かに、キリストは、悪人というか偽善者や資本家、資本主義者は救われないと言ってるように見えるな。
仏教ではどんな闡提でも救われるからね。安心していい。
まあ仏教もいろいろあるから、全部が全部じゃないかも。
でも共産しか救わないキリスト教って、まずいと思う。
資本主義のキリスト教って、もはや意味がない戦争用の戦争宗教に等しいから、むしろやらないほうがよかったり。
無理があるんだよなぁ。

749:神も仏も名無しさん
10/05/04 02:11:41 GxscSVrF
>>746
>彼等の律法解釈に引っかかる。
宗教者特有の「開祖のあくなき正当化」の典型ですな。
まず、イエスは、その統合失調症の症状としての「誇大妄想(自分が神になりたい、
なったつもり)」と 「疎通性の欠如(他者の感情に対する生き生きとした反応の
欠如、即ち、あるがままの人間に対する『愛』の欠如」があったことを前提としな
ければならない。その誇大妄想から、創造、すなわち、あるがままの人間と自然に
対する畏敬の欠如が生じた。レビ人と祭司に対する「宗教的反感」なら、それは、
「人間に対する愛」ではない。お決まりの宗派間紛争。ちなみに、パウロは勿論の
こと、イエスも、パリサイ派神学です。いずれにせよ、「人間そのもの」に対する
愛があるのなら、レビ人と祭司を名指ししたのは「隣人愛」の対極にあるもの。
なお「サマリア人」ではなく、「強盗の被害者」です。

>隣人+敵なら全人類といって差し支えないですね。
「敵」という言葉を使った時点で、すでにイエスの「敵意」が表れている。同じ
人間だから、本当の敵などいない、と説くべきであった。敵意を生じさせておいて、
「愛せよ」などと言われたら、人間は「愛さなければならない」という葛藤感から、
更なる敵意と殺意さえも生じるものです。

>本人の意識としては、神と合一して、メッセージを授かってるわけですから、
>彼の教えは彼の作り物ではない。神の真意を拒絶することになるというわけです。
そもそもイエスは、その誇大妄想から、「自分が神になりたかった」のだから、創造
(あるがままの人間と自然)に対する畏敬は皆無です。創造主(神)は、彼のライバル
に過ぎなかった。だから「律法を完成するために来た」などと大言を吐いた。律法とは
「創造主」が定めた法のはず。これでは「創造(主)は不完全だった」と言っているに
等しい。イエスは、旧約の言葉に対し、しばしば口を差し挟んでいるが、いずれもピント
外れ。旧約の「骨太の真理」には及びもつかない。

750:神も仏も名無しさん
10/05/04 09:18:21 drPP5ixH
>>749
>宗教者特有の「開祖のあくなき正当化」の典型ですな。

どこが?こういう思想ですよ、と説明してるだけです。
「特有」じゃなくて異文化をそれなりに理解しようとする人なら
誰でもこの立場をとると思いますが。宗教学者、文化人類学者は
こいつらはキ●ガイとしてしか捉えずにシャーマニズムを研究するんでしょうか?

>欠如、即ち、あるがままの人間に対する『愛』の欠如」があったことを前提としな ければならない。

統合失調症の症状の表れ方は多様なようですが、「疎通性の障害」が出ていたとすると
教団増やすのは困難ですね。魔法の感染力で全部どうにかする、ってのもね。

>レビ人と祭司に対する「宗教的反感」なら、それは、
>「人間に対する愛」ではない。お決まりの宗派間紛争。

宗教解釈の違いだと言うことは既に書きましたが。

>イエスも、パリサイ派神学です。

ええ、律法を守らねばならないという立場は同じです。
適用の仕方を誤っている、という主張です。

>なお「サマリア人」ではなく、「強盗の被害者」です。

なおさら手を差し延べないとダメじゃないですか。
つか、この例えのレビ人とイエスが逆だったらあなたレビ人褒めてたでしょ?
この柔軟な態度は特筆に値する、必要なら強くいう必要がある、とか言って。

751:神も仏も名無しさん
10/05/04 09:27:27 drPP5ixH
>「敵」という言葉を使った時点で、すでにイエスの「敵意」が表れている。

「敵などいない」と言ったところで、社会で生きる以上「敵」としか言えない相手は存在します。
仮に「敵などいない」とイエスが発言していても、あなたは本能破壊の理想主義と言ってただけでしょう。

>そもそもイエスは、その誇大妄想から、「自分が神になりたかった」のだから、創造
>(あるがままの人間と自然)に対する畏敬は皆無です。

動機はあくまでそうした欲望だけだった、という根拠は、あなたのイエスに対する執着だけですね。
誇大妄想の内容は「俺は既に神と合一した」なのですから、後付けで「実際に」そうなろうとはしないでしょう。
もしそうだとすると、自分自身じゃそれ(誇大妄想)を信じていないことになるわけですから。

>イエスは、旧約の言葉に対し、しばしば口を差し挟んでいるが、いずれもピント
>外れ。旧約の「骨太の真理」には及びもつかない。

旧約もイエスのような人々の電波発言を集めたものです。それをあなたが区別する基準は
イエスに対する執着以外に無い。仮にイエスが書いたものだとしたら、
律法も不合理で残忍な原始人の因習の塊、と書いていたことでしょう。
それとも古代人はたぶん割り切ってた、という無根拠な前提を押し込めて解決ですか?
同じ社会にも職業では農民や祭司、個人としてもいろんな人がいることも忘れ、
一括してこいつらはそんなややこしいこと考えないだろ、とまとめてしまうんですかね。

752:神も仏も名無しさん
10/05/04 10:16:10 ifnm0VYg
非物質の魂が、どうやって物質である脳と情報をやり取り出来るのか、
誰もまともな説明ができませんね。

753:神も仏も名無しさん
10/05/04 12:24:55 kiyGSh0Z
>>750
>>751

聖書に表れたイエスの思考・感情・行動の異常性をまとめれば、次のようになる。

(1)我のみ良しの、思い上がった独善性(常に、俺が、俺がで、「謙遜」と
いう言葉を知らない。クリスチャンの。並外れた「選民意識」も、その影響。)
(2)人間そのものに対する思いやり(愛)欠如(愛とは、相手の窮状を目の当
たりにして初めて生じる、助けるための具体的行動の原動力となる自然の感情。
程度の差はあれ、すべての人間に生来的に備わる肉体的本能。他人から、ましてや
イエス如きから教えられる謂れのないもの。その言葉を「口にすれば」、その
肉体的本能が観念化、抽象化、精神化されて破壊され、偽善となる。)
(3)論理矛盾(イエスを批判した律法学者や悪魔のほうが、現代人にもそのまま
通用する、骨太の論理である。統合失調症に起因する知能低下が原因。)
(4)人間差別(貧しい者が幸いなら、豊かな者は幸いではないのか。)
(5)創造(あるがままの人間と自然、即ち全実在)に対する畏敬の欠如。)
(6)生命の軽視と否定(生命の至高性を説いたことはない。「一粒の麦」
は、「生きている」からこそ実を結ぶのである。死ねば、土中で腐るだけ。)

すべて「病的」である。キリスト教が拡大したのは、イエスの狂気に感染した、
パウロを初めとする弟子たちの「狂気の伝道」である。特に、パウロによる
「罪と贖罪」という「脅迫と甘言」を手段とした悪質な伝道の結果である。

イエスが基地外であったことは、彼を身近に最もよく知る家族、郷里の人々、
ユダヤ教徒たちが証言している。イエスの外見に関する唯一の第三者証言は、
「大酒飲みの大食漢」である。アルコール依存や躁症状も明らかである。

20億人もの人間が「1個人の思想」に呪縛されこと自体が、異常な事態では
ないか。ムハンマドもキリスト教の影響を強く受け、いわばその焼き直しで
ある。イエスの思想は、人類に最大の害悪を流した。イエスゆえに失われた
自他の人命は、数億、数十億にも昇る。マルクスの富に対する憎悪(実は、羨望
と嫉妬)と人命軽視も、イエスの思想そのままである。

754:神も仏も名無しさん
10/05/04 13:41:20 8HVm/zBu
>>753
>程度の差はあれ、すべての人間に生来的に備わる肉体的本能。他人から、ましてや
>イエス如きから教えられる謂れのないもの。

ですから、その実践を邪魔するようなことは神の真意ではない、という理屈なんですよ。
相手にとってそれが当たり前(その律法解釈によって)になってたので批判してたわけです。

>(3)論理矛盾(イエスを批判した律法学者や悪魔のほうが、現代人にもそのまま

具体例をあげてみてください。ちなみにひとはパンのみで生きるのではない、というアレは
出エジプトで神がマナふらした事例を引用したものであり、魂がどうのという話ではないそうです。
岩波文庫の福音書の訳者あとがきの最後に書いてありました。佐藤優の最近出た新書でも
そうありましたね。聖書は古代の本だから注釈書参照しないと読み解けないよと。

755:神も仏も名無しさん
10/05/04 13:56:27 8HVm/zBu
>(4)人間差別(貧しい者が幸いなら、豊かな者は幸いではないのか。)

URLリンク(www.geocities.jp)
続く文章を見るに、神がそれを癒してくれるから、報いてくれるから
その恵みを味わうことができるから、というノリと読み取れます。
貧しいやもめがレプタ銅貨を神にささげるシーンともリンクしてるかもしれませんね。
けっきょく神中心、神第一の発想です。セム系一神教まっしぐらです。

>(5)創造(あるがままの人間と自然、即ち全実在)に対する畏敬の欠如。)

畏敬を向ける相手はあくまで創造主、というのがアブラハムの宗教の発想ですから。

>(6)生命の軽視と否定(生命の至高性を説いたことはない。

至高なのは、生命についてこういうお計らいをしてくださる神、というのがアブラハムの宗教の発想ですから。

>イエスが基地外であったことは、彼を身近に最もよく知る家族、郷里の人々、
>ユダヤ教徒たちが証言している。

後で和解してますね。

>イエスの外見に関する唯一の第三者証言は、
>「大酒飲みの大食漢」である。アルコール依存や躁症状も明らかである。

官憲が捕らえに来た際に、刃を抜こうとするペテロに止めろ、と言ってますね。
彼にも自制心はあるわけです。続く「~徴税人や罪人の仲間だ」も重要です。
徴税人もコケにされてましたが、彼(イエス)は別け隔てなく受け入れたわけです。

756:神も仏も名無しさん
10/05/04 16:42:34 hY9qB1tR
実際には無理な事を基にして妄想された体系が持つ意味とは何だろう?

757:神も仏も名無しさん
10/05/04 23:08:55 AR0GZ4N6
>>755
>至高なのは、生命についてこういうお計らいをしてくださる神、というのがアブラハムの>宗教の発想ですから。

そこに「神概念」という至高性を持ち出せば、生命そのものの至高性は失われてしまう。

旧約は、民族の厳しい生存の「目的」のための「行為規範」であり、その権威付けの
ために、神概念を「利用した」のではないか。新約のような、「現実の生存から遊離
した」甘ったれた「精神規範」ではない。

ユダヤ人たちは、「乳と蜜の流れる国」を目指して長旅を続けたのである。長旅に
疲れた人々の間に出てくるのは、食べ物の話ばかりである。

十戒には、人間の共生に不可欠な事項が殆ど尽くされている。これに反し、イエスの
山上の説教は、浅薄極まりない自己陶酔に過ぎない。これでは、人間は、現実生活
においては少しも救われない。

758:神も仏も名無しさん
10/05/05 00:00:53 WOntHJnw
>そこに「神概念」という至高性を持ち出せば、生命そのものの至高性は失われてしまう。

最初からそんなもんは無い、というのがアブラハムの宗教の発想ですから。
価値はあくまで神由来ということになります。

>旧約は、民族の厳しい生存の「目的」のための「行為規範」であり、その権威付けの
>ために、神概念を「利用した」のではないか。

「利用した」という発想を当人たちがしていたという根拠は皆無です。
もしそうなら、例えば古代ユダヤ教の拝一教モードからよくある多神教になっていたでしょう。

>新約のような、「現実の生存から遊離した」甘ったれた「精神規範」ではない。

どのあたりが甘ったれてますか?ちょっと例をあげてみてください。

>十戒には、人間の共生に不可欠な事項が殆ど尽くされている。これに反し、イエスの
>山上の説教は、浅薄極まりない自己陶酔に過ぎない。これでは、人間は、現実生活
>においては少しも救われない。

「苦難を前向きにとらえなさい。(ここで神の救いを強調)そして、世の中を良くしなさい。
神の教え(律法)に込められた神の真意(「神を愛すること」「隣人を自分のように愛すること」の
二つの掟を根底におく)を実行しなさい。神は報いてくださる」という内容ですね。
神を信ずる者として真っ当に暮らせ、と言ってるわけです。
要は旧約の信仰の語り直しなんですけど、淺薄ですか?当時のユダヤ人にとって救いになりませんか?
律法を使うことで他人をコケにしないで済むことだけでも心休まる人もいると思いますがね。

759:神も仏も名無しさん
10/05/05 01:39:01 YaV6xeaO
>>758
>最初からそんなもんは無い、というのがアブラハムの宗教の発想ですから。
だから、「神のため」には、嬉々として多数の人々を殺せたのだよ。

>「利用した」という発想を当人たちがしていたという根拠は皆無です。
相手に「利用した」と思わせないのが、「利用する」こと。

>どのあたりが甘ったれてますか?ちょっと例をあげてみてください。
すべてがそうである。例えば、明日の糧を買う金がなくて苦しんでいる人に対して、
「貧しい人は幸いである。天国に入れる」などと言われて、苦しみがなくなるか。
イエスは、全財産を神殿に捧げた貧しいやもめを賞賛しているが、やもめの明日の
生活のことは、考えなかったのか。
明日のことを思い悩むな、などと言うが、人類は、明日のことを思い悩んだからこそ、
現在まで生存を続けているのである。
「心が清い」ことを、一体誰が、どのような基準で判断するのか。「善・悪」「清・濁」
「正・邪」を併せ持つのが、神が作った人間ではないか。両者は、相互補完的であることに、思い至っていない。
空の鳥も、野の花も、一瞬の休みもなく、生存の努力を続けていることにも、気付いて
いない。野の花は、装わないからこそ美しいのである。

>律法を使うことで他人をコケにしないで済むことだけでも心休まる人もいると思いますが>ね
他人を最もコケにしているのがイエスであることは、「善きサマリア人の話」に関連して
既に述べたとおり。

760:神も仏も名無しさん
10/05/05 01:40:55 YaV6xeaO
>>759の続き

「人を裁くな。裁けば自分も裁かれる」などと言いながら、最も人を裁いているのがイエスである。「自分だけが、裁く権限を神から与えられた」などと言っている。
「(自分が)人にして欲しいことを、人にもしなさい」などと言うが、自分がして欲しい
ことを、他人もして欲しいという保証が、どこにあるか。「相手が本当にして欲しいことを、相手にしなさい」というべきであった。東洋では、「己の欲せざるところを、人に施す
ことなかれ」と否定形である。ユダヤ教も同様に否定形。キリスト教徒は、自分がして欲しいこと(イエス信仰)を人にするため、異教国を侵略し、原住民に強制改宗を迫り、応じない者は皆殺しにしたのである。
「神の言葉」は、誰でも、何とでも作れる。神概念は、一部の特定の人間が、他の人間を
支配するための「凶器」に等しい。

761:神も仏も名無しさん
10/05/05 09:27:53 Yr1FgqIj
>>759
>だから、「神のため」には、嬉々として多数の人々を殺せたのだよ。

それは否定しません。解釈が違えば、神の教えを濫用するという拒否感が生まれ
魔女狩り初期の教会のような自制心につながります。解釈が違わなければそのまま殺ります。
人類という共同体のため、これからの歴史のために成るわけですから。

>すべてがそうである。例えば、明日の糧を買う金がなくて苦しんでいる人に対して、
>「貧しい人は幸いである。天国に入れる」などと言われて、苦しみがなくなるか。

減じます。残った苦しみも神の義がふりかかると前向きにとらえます。
ヨブ記成分の入った発想の転換とも言えましょう。

>明日のことを思い悩むな、などと言うが、人類は、明日のことを思い悩んだからこそ、
>現在まで生存を続けているのである。

思い悩まないでいい理由は、神の義、神の国が与えられる(という信仰)だからです。
「明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
ここを削るのはフェアじゃないですね。一日一日を着実に生きていけ、というメッセージです。
将来のことに備えない、という意味なら「天に富を積む」という発想もありません。

>「心が清い」ことを、一体誰が、どのような基準で判断するのか。

「神が公正に判断してくれる」ことを期待します。基準はイスラエルの伝統上で
伝えられた徳目(実践の際に根本を二つの掟に置くのはいうまでもない)ですね。

>他人を最もコケにしているのがイエスであることは、「善きサマリア人の話」に関連して既に述べたとおり。

その理由は既に書きました。サマリア人もほっときゃよかったんですかね。
「いやぁ~、律法破ることになるし、仕方ないっすよね~」とレビ人どだべればよかったんでしょうか。

762:神も仏も名無しさん
10/05/05 09:52:42 Yr1FgqIj
>相手に「利用した」と思わせないのが、「利用する」こと。

つまり、そう思わせる部分はどこにも見当たらない。
そのため「そう思わせない」イスラエル人の行動をそうした策ということにして処理してるわけですね。
ではその根拠は?と聞かれたら貴方はこう答えるでしょう。
「わからんことそれ自体が証拠だ。策を使っている証拠も無いのはそれも策で隠しているからだ」
循環論法でしか返せないわけです。

>。両者は、相互補完的であることに、思い至っていない。

並存ではあっても補完じゃないでしょう。
↑は人間誰しも善の部分、悪の部分を持つとかいう単なるパーツ的な意味で書いてるわけじゃないですよ。
正直「濁」「邪」「悪」の恐ろしさ、おぞましさを体験したことがなく、
また他者がかぶったその実例を知り、想像すらしようとしない人の発想に思えます。
>>761
>「相手が本当にして欲しいことを、相手にしなさい」というべきであった。

仮にそう書いてあったところで「相手が本当にして欲しいという保証がどこにあるか?」と言ってただけでしょう。

>キリスト教徒は、自分がして欲しいこと(イエス信仰)を人にするため、異教国を侵略し、原住民に強制改宗を迫り、応じない者は皆殺しにしたのである。

イスラム圏でムスリム・ユダヤ人と共存し、
イスラム科学の発展に寄与したクリスチャンの存在も念頭から外すべきではありません。
侵略から後の部分をしてほしい、と思うキリスト教徒はいないでしょう。
貴方の理論だと少なくとも改宗後は同等に扱われるはずなのですが、そういうことはありません。
キリスト教化した黒人も差別されたことは知っている通り。
実践のレベルになっていないということです。
まあ、昔でもアメイジンググレイス創った人のような人物もいますがね。

763:神も仏も名無しさん
10/05/05 15:47:23 CXxd23Iv
>>761
宗教者が、いくら神、神と喚いてみても、それは人間の空想。外部にはどこにも
実在しない。いくら「神の言葉」と言ってみても、それは、人間が、人間の考え
で、人間の言葉で書いたものであることは明らか。

「人間にあらざる神」とは、「人間には計り知れない存在」のはずではないのか。
人間が理解できる、語れる神は、もはや神ではないのである。

従って、神や神の言葉は、人間がどのようにでもでっち上げることも可能。ゴマンと
ある宗教ごとに、神の姿や神の言葉が異なっていることが、それらが、人間に
よる百人百様の「創作」であるということを、如実に証明しているではないか。

神や神の言葉は、このように、「人間」が自由にでっち上げることが出来るもの
だから、一部の人間が他の人間を操作し、支配するための、最悪の「凶器」と
なり得る。現に、凶器となっている。

764:神も仏も名無しさん
10/05/05 15:53:12 Nra867rQ
あら こんなところにご隠居が

765:神も仏も名無しさん
10/05/06 20:57:20 PQMY7XeA
隠居は次元が低くすぎるから
この良スレには似つかわしくないな


766:神も仏も名無しさん
10/05/07 15:55:24 BObTKmMF
【キリスト教=イエス・キリストじゃない】
 URLリンク(www.committed.jp)


この意見に対しての、みなさんのお考えを教えてください。
ちなみに私はこんな風に思っています。
 ↓
キリスト教@質問箱219
680 :神も仏も名無しさん:2010/05/07(金)
>>673
 >キリスト教=イエス・キリストじゃない

これは朧気に私も感じていたことです。勿論多くの部分が〔キリスト教=イエス・キリスト〕である事も、当然のことです。
ただ完全にイコールかというと、これには疑問がある。仏教でも釈尊が直接に説かれたいわゆる原始仏教と、その後各地に伝来した
仏教とでは相当に異なっている。ただ、エッセンスの部分が釈尊の説かれたものである、という点は共通しているということです。

ところで、リンク先のエッセイも読ませて頂きました。この中には暴力否定の主張がありますが、これは
我が身が危ない時ですら実力をもって自分自身を守る事まで否定するという意味まで含んでいるのでしょうか?

あの戒律の厳しいイスラム教ですら緊急の時には一時的に戒律を停止させて命を守り、災難が去った後、改めて
戒律に服すると聞いたことがあります。つまり、死んでしまっては教えを守ることすらできなくなってしまうという
教えだそうです。
キリスト教からは、どのようなご見解なのでしょうか?


767:神も仏も名無しさん
10/05/07 15:59:19 k81qE7p1
スレリンク(psy板:680番)

キリスト教=イエス・キリストじゃない
URLリンク(www.committed.jp)
>初代教会の記録を見ると、彼らはまさに忍耐をもって、イエスが教えたことをそのまま実践したことが分かります。
>聖書にも歴史的文献の中にも、初代の弟子たちが暴力に暴力で立ち向かったという事実は一つも記録されていません。

クリスチャンに強力な政治権力に対して暴力的抵抗を行う力が無かった、というのも理由としてあったのでは?
イスラムの場合だと、強烈な信仰で束ねられた集団が、部族主義に凝り固まりバラバラな
既存勢力を各個撃破していく様が見られます。

カリフが暗殺で代替わりするという事態も起こってますが。
暗殺で亡くなったローマ教皇っているんでしょうか?


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