10/04/27 23:11:49 mBKyJpFS
>>615
聖書を構成する書物の一つ一つがその場の発案で書かれたわけではないでしょう。
元ある伝承を集めたものになってます(創世記のエロヒム資料とか)。
イザヤ書も第一イザヤ、第二イザヤ、って分け方がされてますね。
同じ本にも、それぞれの伝承を生み出した人々と、後代に編集して本にまとめた人々とがいます。
本にした人々の時代では既に唯一神論化が進んでいたと考えられます。
異教の神々やその名前は記述されますが、それらがサタンのような登場キャラとして
聖書の本文にあらわれることもありません。「バアルの預言者たち」をやっつける話は
あってもバアルが嵐をもたらしたり、バアルをモーセやエリヤがボコったという話はなし。
残滓部分もさらに調和化が進みます(ヤコブと神が相撲をとる話がじつは天使ということにされたり)。
>>606-607のような記述を神の預言として受け入れた以降の世代の(イエス含む)ユダヤ人、
福音書記者が多神論をとると思いますか?聖書を多神論とみなすと思いますか?