【論点】  キリスト教  【議論】at PSY
【論点】  キリスト教  【議論】 - 暇つぶし2ch517:20
10/04/17 21:12:07 Gg5Wld83
>>511
なるほど。もし>>511さんの言うことが本当なら
在家さんはちゃんと答えるべきだと思う。
「もし」という限定をつけたのは、個人的には根拠の示されない主張は
原則読み飛ばしてるから。ユダさんのレスは面白いから読んでるけどw
(正確に言うとユダさんの場合はこちらで根拠を確認できないということで、悪しからず)

それから>>511さんも番号でもいいからコテをつけた方がいいと思うよ。
誰がどんな主張をしてるのか混乱しちゃうから。
俺も面倒なんでつけずにレスすることが多かったけど
忘れない限りこれからは付けるようにします。

518:20
10/04/17 21:18:40 Gg5Wld83
>>516
意味は違うけど、意味が違ってもいいと思うよ。
ここは護教スレじゃないでしょ?
だったら反キリストの立場の人だって筋を通して議論すればいい。
もちろんあからさま煽りや嫌がらせはダメだけどね。

519:神も仏も名無しさん
10/04/17 22:27:01 90y41qty
>>517
コテにはプラスマイナスがあるのです。しばらく検討させてください。
>>518 
正反対の立場ではかなり困難でしょう。
議論のベースには、聖書あるいはキリスト教があるべきだと思う。
スポーツのルール、のようなものが必要です。
 
神がいるのか、いないのかという議論は別スレになると思う。
これだけでも相当なテーマです。

520:前世は一在家
10/04/17 22:38:34 /o0srGrl
>>511
>聖書に「手かざし」はない、という主張には、
>「手当て」をその例としてあげる。これでは議論にならない。
>議論には誠実さが前提になると思う。

ですから最初にエイレナイオスの証言を紹介しましたよ。

「真のイエスの弟子は、本当に悪霊を祓う、未来に起こることを予見する人々もいる。
幻視を見て予言を語るのだ。また、手をかざすことによって病を癒し、完全な健康体に
する人もいる。然り、さらにまた、既に述べたように死者さえ蘇った事例がある。」
とエイレナイオスは語った。
(Irenaeus,Libros Quinque Adversus Haereses 5.6.1 (Cambridge,1851))


イコン(聖画)にも、イエス様が人に手を置く場合と、手をかざす場合の
両方があります。 見たことはないのですか?


521:神も仏も名無しさん
10/04/17 22:43:45 90y41qty
あまり難しいことを言わず、
キリスト教に関係すればそれでいいのだとしましょう。
<誠実>に議論できればOKですね。

522:ユダ ◆Lk8/K6E0Kg
10/04/17 22:45:46 d6qxvuDR
「完全な人」については詳細は書かれてないが
マタイ5/48でイエスが言及している。

523:神も仏も名無しさん
10/04/17 22:45:53 90y41qty
>>520
聖書に・・・と書いたじゃないですか。

524:前世は一在家
10/04/17 23:02:16 /o0srGrl
>>522 ユダ氏

マタイ5:48
「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
 あなたがたも完全な者となりなさい。」

同じ「完全な人間」の聖句があるユダ伝が異端とされるたのも
不条理ですね。




525:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/17 23:07:36 d6qxvuDR
>>524
私は文書が聖典か異端かは問題にしない。
ガブリエルが私の教師だからだが。
信じるにたるか唯の妄想かは
ガブリエルが教えてくれる。

526:神も仏も名無しさん
10/04/17 23:28:57 kDzB6rGL
普遍的な価値の体系を、合理的に基礎づけることのできるような理屈は、どこにもなかろう。
人は常に、合理的に基礎づけることのできない信念から出発するのである。
その信念は、おそらく、歴史的・社会的・生理的・心理的諸条件の複雑な相互作用から
生まれたものである。
たとえていえば、多くの変数を含む関数のようなものである。
関数の形はわからない。
釈迦やイエスは、変数を一つに絞って、関数の形を定めようとした人たちである。

527:20
10/04/18 00:08:03 O0cTjw4b
>>519
コテに関しては了解しました。

> 議論のベースには、聖書あるいはキリスト教があるべきだと思う。
これは捉え方によるね。聖書あるいはキリスト教「に関して」ならば
ユダさんでも在家さんでもスレ違いじゃない。
聖書あるいはキリスト教「の正統教義の範囲で」となれば
両者ともスレ違いになる。

俺は前者の捉え方がいいと思うけどね。
ただその際にはやはり誤解なきよう出典なり根拠なりを
できるだけ明示するようにしたほうがいいでしょう。


528:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 00:20:29 WkV4+Ik8
>>527
私は実体験を元に書いているから
根拠は示せないんだが。

529:20
10/04/18 00:24:21 O0cTjw4b
>>528
うん。それはわかってる。でもちゃんと実体験っていう「根拠」を明示してくれてるから
俺的には全然OK。だからと言ってそれに賛成せよとか反駁せよとか言われたとしても
俺のような神との交わりを経験したことのない人間には無理だけどねw

530:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 00:35:13 WkV4+Ik8
>>529
理解して頂きありがたい。

531:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/18 12:39:08 6dOTzfuJ
>>482
>>484
>>486

だから言うのであるマイスター・エックハルトは
神とは知性認識であり存在なのだ  と

表現を変えると認識するが故に神は存在する 


532:神も仏も名無しさん
10/04/18 15:08:23 zPM1hg8z
>>527
議論のベースとしては聖書を置くのがいい。
聖書をルールブックにすれば、無用な混乱を避けられるのではないか。
テーマについては、聖書あるいはキリスト教に関すること、でいいと思う。
 
ただ、死海文書やナグハマディ文書を研究し、それを中心に語りたいのであれば、
それ専用のスレでやるべきだろうと思う。まだ一般的ではない。
ここでは、聖書以外は雑学レベルにとどめ、参加しやすくしたほうがいい。

533:神も仏も名無しさん
10/04/18 15:14:16 zPM1hg8z
在家氏の問題は別であり、キリスト教の仲間のようなふりをしているが、
実際にはキリスト教を利用して「真光」を宣伝しているだけ。

534:神も仏も名無しさん
10/04/18 15:27:13 zPM1hg8z
>>507 
>異端文書だから間違いだと言う人間は
>イエスがユダヤ教異端として
>処刑された事実をどう弁護するのか?
>カトリックが正しい根拠は無い。
 
ローマ兵による逮捕(ヨハネ伝)、ピラトの尋問、ローマ兵による警備、
十字架による処刑などは、これがローマによるものであることを伝えている。
単なる宗教的な争いなら、ユダヤ式石打あるいは暗殺で片付いたのでは?
政治的な危険人物だった可能性をもっと考慮すべきではないか。

535:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 15:33:56 WkV4+Ik8
>>534
ローマ総督ピラトはイエスを無罪にしている。
イエスを死刑にしたのはユダヤ教ラビ。
で、カトリックが正しい根拠は?

536:神も仏も名無しさん
10/04/18 16:04:10 qutYE5Ze
>>535
カトリックが正しいとは言ってない。
そうではなくてイエス処刑にローマの関与がある以上、
単なる宗教対立ではないのではないか、という疑いを述べたのです。
このテーマはもう少し追求してみたいような気もする。
それからわたしは宗教が趣味なだけです。

537:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 16:17:08 WkV4+Ik8
>>536
ローマが動いたのは
あくまでもユダヤ教ラビの要請を受けてのもの。
だからローマの文書にイエスの名前がない。
ローマはイエスを危険な人物だとは考えてなかった。

538:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 16:23:33 WkV4+Ik8
>>576
私が宗教、あるいは母親に依存していると考えているのなら
それは違う、母親の前世は私の敵だったからだ。

539:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 16:25:28 WkV4+Ik8
>>538
ゴバク

540:神も仏も名無しさん
10/04/18 16:27:39 qutYE5Ze
>>537
イエスの処刑から40年後にローマとユダヤが戦っている。
イエスの時代、ローマが神経を尖らせる状況があったことは推測できる。
名前が残っていないのは、属領の犯罪者だったからでは。


541:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 16:33:20 WkV4+Ik8
>>540
それならピラトが処刑しているはず。

542:神も仏も名無しさん
10/04/18 16:44:55 qutYE5Ze
福音書が成立した時代は60~90年、
ローマに占領されたなかであり、ローマへの配慮があったのではないか。
布教の都合もあり、ローマは無関係だと創作した?
でもローマが関係していたというメッセージだけは残して置きたかった。
ダイイングメッセージだね。

543:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 16:50:11 WkV4+Ik8
>>542
その可能性はある、
実際はローマが処刑し
イエスがローマへの反逆を考えたが為に
ユダが裏切った可能性は。
だからユダの最後が書かれていないのかもしれない。

544:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 16:59:57 WkV4+Ik8
これだとイエスが
「主よ、何故私を見捨てられるのですか?」
の最後の言葉も説明がつく。

545:神も仏も名無しさん
10/04/18 17:02:45 qutYE5Ze
ユダの裏切りについては、イエスは全知全能のはずだから、
裏切られることを知っており、裏切りにはならないという疑問もあるらしい。
こういったことを含め、イエスの処刑に関する洗い直しが必要ですね。

546:前世は一在家
10/04/18 18:38:46 C6TtcT6U
>>533
>在家氏の問題は別であり、キリスト教の仲間のようなふりをしているが、
>実際にはキリスト教を利用して「真光」を宣伝しているだけ。

過去ログを確認いただいたら分かりますが、一度も私は所属グループを
提示しておりません。宣伝にもなりません。
自称カトリックの方が私のことを「GLA」と決め付けておられましたね。

この板には幸福Kや創価の方々も入ってきておられるようですが、神智学
だと自己申告されているのは宝珠さんくらいでしょうか。


547:前世は一在家
10/04/18 18:43:59 C6TtcT6U
3共観福音書を正見しますと、イエス様ご自身が十字架の意義を認めておられなかった
ことが明白かと存じます。
イエス様はまた、天の父の遣わした預言者であり、洗礼ヨハネの水の洗礼の後、
聖霊が降下し聖霊による洗礼にて人々の病気を癒し、悪霊を追い出された様子がよく
分かります。

(マルコ伝 14:36) ※アバはアラム語
「アバ、父よ、あなたには、できないことがありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、御心のままになさってください」。
(マルコ伝 15:34) ※エロイはアラム語
そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と呼ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。


548:前世は一在家
10/04/18 18:46:26 C6TtcT6U
>>544 ユダ氏
>「主よ、何故私を見捨てられるのですか?」>の最後の言葉も説明がつく

>>547
(ルカ伝 22:42)
「父よ、御心ならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、御心が成るようにしてください」。
(ルカ伝 23:46)
そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。

(マタイ伝 26:39)
うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、御心のままになさって下さい」。
(マタイ伝 27:46) ※エリはヘブライ語
そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

そして、ヨハネ伝の筆者のみが「イエス様の十字架=ユダヤ教の過越祭のいけにえ」
と記載していたことが分かります。「イエス様=神自身」という三位一体説の原因と
なっております。



549:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 18:52:03 WkV4+Ik8
>>548
ヨハネ福音書はグノーシスと関わりが
深いとされる福音書だ。

550:神も仏も名無しさん
10/04/18 19:15:44 yDN/sF2S
>>548
>「イエス様の十字架=ユダヤ教の過越祭のいけにえ」
ルカ22:15-20

551:20
10/04/18 20:05:10 O0cTjw4b
>>547
> 3共観福音書を正見しますと、イエス様ご自身が十字架の意義を認めておられなかった
> ことが明白かと存じます。

それはそんなに簡単に言い切れないと思うよ。
マルコやマタイの記述においても、イエスは明確に自分が死ななければならないと
認識してるわけだし。
マルコやマタイの場合イエスを神というより預言者ないしユダヤの王(メサイア)として
認識していた可能性があるから、最後の言葉は十字架の意義を認めつつ、
犠牲の供物として捧げられた人間イエスとしての最後の慟哭であった可能性もある。
(「神の子」の記述は後の改鼠かもしれないし、そうではなくても当時のユダヤ教徒
にとってはヤハウェと同一視される存在ではなかったかもしれない。)
つまり預言者ないしメサイアであったイエスは、自分が十字架を背負う運命にあることを
明確に認識しつつも、土壇場で全能の神が別のシナリオを描いてくれることに期待した
可能性があるんじゃないかな、と。
あるいは単に彼らが、イエスが背負う苦悩と受難をありありと描きたかっただけなのかもしれない。
イエスは我々のためにこれほどまでの苦悩と受難を引き受けてくれたのだ、と。

後のルカやヨハネについては最後の言葉は神に対する失望やイエスの神性の否定につながるもの
として改変されたり除外されたりした、というのが真相だと思う。

552:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/18 21:16:37 6dOTzfuJ
イエスも仏陀の一人なのです

553:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 21:20:54 WkV4+Ik8
>>551
一つ訂正させてもらうが
ユダヤ人はイエスを預言者としても
認めていない。
ましてやメサイアでもない。
だから反逆者として処刑した。

554:20
10/04/18 22:22:29 O0cTjw4b
>>553
もちろん。俺が言ってるのはマルコやマタイ、及びその周辺のイエスに付き従ったユダヤ人。

555:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 22:29:21 WkV4+Ik8
>>554
一応こう発言しないと
全てのユダヤ人がイエスをメサイアとして
見ていると誤解されかねないので。
すいません。

556:20
10/04/18 22:59:35 O0cTjw4b
>>555
いえいえ。俺ももうちょっと明確に書くべきだったかもです。

それにしても気になるのがキリスト教における人間の能動性の問題。
古くはアウグスティヌス対ペラギウス、カルヴァン対アルミニウスという感じで
ずっと昔から神の恩寵・予定説を重視する立場と人間の能動性・自由意志を重視する立場
で論争があったみたい。
アメリカは改革派・長老派に限らずパティキュラ・バプティストなど
神学的にはカルヴァン派(予定説)をとるプロテスタントが多いみたいだけど
どうも実際の民衆・信徒レベルでは第2次覚醒運動を通じてウェスレーやメソジストの影響が
相当浸透したらしく自由意志とか人間の責任を重視する人たちが
宗派に関わらず多い模様。

557:携帯一在家
10/04/18 23:07:10 HY1ConGO
パソコンがアクセス禁止で解除までお休みです。

558:20
10/04/18 23:10:37 O0cTjw4b
>>557
あら、それは残念です。この際●を買ってしまったら?

559:携帯一在家
10/04/19 00:11:16 ypdyaJPS
20氏の551には八割ほど賛同します。

560:携帯一在家
10/04/19 00:42:11 ypdyaJPS
イエス様が命が惜しくて慟哭するでしょうか?

犠牲の子羊として不名誉な誤解をされることが、
処刑より辛かったのではと。

561:神も仏も名無しさん
10/04/19 02:53:31 Yt+aGJC0
>>560
見栄っ張りなやっちゃな

562:神も仏も名無しさん
10/04/19 03:00:58 PuM2ruou
イエスはこんな地上なんて早く去りたいと思ってただろうね。
もともと地上にいる霊じゃなかったのに、
あんな時代に特別に派遣された霊界の派遣いじめみたいなもんだから。
死ぬことなんて少しも苦じゃないよ。

563:20
10/04/19 20:53:24 ybNfap57
>>560
なかば同意しますが、なかばちょっとそれは違うとも思う。

あくまでもマルコ、マタイに書かれているイエスの言葉が事実であったと仮定して論を進めます。

マルコ伝
「アバ、父よ、あなたには、できないことがありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしの思いではなく、御心のままになさってください」。
そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と呼ばれた。
それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

マタイ伝
うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、
この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、
御心のままになさって下さい」。
そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。
それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

マルコ、マタイで描かれるイエスは神の計画を認識しており自分の運命も悟っていた。
それでもこの杯(十字架上での刑死)を飲まずに済むのであればそうして欲しいと願っていた。
十字架にかけられてもなお、この希望を捨てずにいた。その希望がついえた時出た言葉が
例の「レマ サバクタニ」であった。「命を失うものは命を得る」と認識していたイエスは
もちろん命が惜しくて慟哭したのではなく土壇場での神の奇跡が起きなかったこと、
つまり自分の願いが聞き入れられなかったことに慟哭した、のではないでしょうか?
自分が犠牲の子羊として死に、かつ復活する必要性を認識していたイエスには
「犠牲の子羊」が神において不名誉であるなどという認識は微塵もなく、
ましてや誤解など恐れてもいない。それでも地上において恥辱と苦痛を一身に受けねばならない
というシナリオとは別のシナリオを求めていたのではないか。
人間イエスとしての苦悩と失望が、先の二つのイエスの言葉に表されているように
思えてならないです。そしてそれを追体験する読者はイエスの復活において
宗教的カタルシスと宗教的確信を獲得するのだと思う。
そのように、マルコ、マタイはイエスを描いているのでしょう。

564:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/21 20:30:43 FGjmjm3O
>>563
あのー
レスを3行~5行くらいに要約願えますか?

565:ユダ
10/04/21 20:45:07 4Z4lml6j
>>564
昇天以前のイエスは完全でないが故に最後に人間性が出てしまったが
復活後は完全になり神の子から神へと主から独立した
栄光の存在になった。

566:神も仏も名無しさん
10/04/21 21:02:01 UFxgl+wI
あくまで福音書を書いた弟子の見解だよ。
イエス本人はどう思っていたのかはわからんぞ。

567:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/21 21:12:18 FGjmjm3O
>>835
ゲッセマネの嘆きの祈りは、 涙がでる。
しかし最後に「御心のままに」 と祈った事に
人間がどう生きるべきかを全て集約したと言える。
御心のままとおまかせしきった境地を目指せとのメッセージ
これが人生の苦悩から脱却する唯一の方法   エックハルトもそう考えたはず

568:20
10/04/22 07:12:29 v8obLXHl
>>564
一応議論スレなのでどうしてもレスが長くなる傾向があります。
長いのがダメなら読み飛ばしちゃってください。

要はイエスは十字架の意義を自覚しつつも苦悩しており、マルコ、マタイも
そういうものとして福音書を記述したのではないか、ということです。

569:神も仏も名無しさん
10/04/23 01:28:24 mNAH0GLY
>>568
>要はイエスは十字架の意義を自覚しつつも苦悩しており、マルコ、マタイも
>そういうものとして福音書を記述したのではないか、ということです。

そうですね。なぜ苦悩していたのかが論点です。

自身の十字架での処刑が「過越祭の子羊」にされることをイエス様はよく
ご存知でした。
ここまでは貴兄と同じ認識ですね。

>>703 別板より他の方のかきこ
>イエスの教えに人がいけにえで救われるという教義はありません。
>旧約の生贄を利用しパウロがつくった妄想信仰です。
>>708
>人間の罪を払拭するため、動物を生け贄身代わりとして殺し、
>それで天国の切符がかえるという思想こそ狂ってます。

イエス様は「良い種には良い実、悪い種には悪い実」と説かれ、
ガラテヤ人への手紙でも
6:7「人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。 」

ご自身の説かれた「因果の法」が間違って伝えられることを嘆かれた
との仮説を立てております。


570:前世は一在家
10/04/23 02:03:22 mNAH0GLY
現世(この世)から見た地獄は暗く汚れているかと存じます。
神界から見た現世も同様でしょう。

ミッションを終えた御子神を父神は早く神界へ戻したいと思われる
のも自然ではないでしょうか。

しかし、神の預言者達は大抵頑強で、自殺もできません。
誰かに処刑されるのも肉体を離れて神界へ戻るオプションの一つ
だという仮説を立てます。

イエス様がユダに「あなたの仕事をしなさい」と指示されたことは
なかったでしょうか。


571:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/23 06:57:20 OEYdJ7Yi
ユダはイエスとマグダラのマリアと三角関係にあった。
女に産まれたということでイエスの子供を産めるマリア。
そのマリアの思いに答えないイエス。
まぁ痴情のもつれだな。

572:20
10/04/23 07:21:36 HCmUWW3w
>>569>>570
まず実際のイエスの発言と、福音記者や使徒、さらには口承によって改変・創造された
イエスの発言を区別しなければイエス固有の思想を取り出すことは難しいでしょう。
しかしイエス自身によって書かれたものがないわけですから、これは実質非常に困難です。
よって史的イエスの実像に迫るには単なる聖句の引用ではなく、当時の社会的・経済的・
政治的・宗教的・文学的背景から妥当な線を類推する以外にないわけです。

例えばマルコからの引用でも
「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、
また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(10:45)
「これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である」(14:24)
とあるわけですから、これをイエスの実際の言葉として扱えば
「イエスの教えに人がいけにえで救われるという教義はありません。」という主張を
裏付ける根拠はどこにもありません。

当時のローマによるユダヤ人支配の政治的社会的状況やユダヤ人社会内部での
パリサイ派・律法学者と貧民・罪人との対立という社会的宗教的状況を考えれば
福音記者が程度の差こそあれ4人ともイエスの言動を旧約の預言の成就に結びつけて
記述したのは何の不思議もありません。そしてご承知のように旧約は枚挙にいとまがないくらい
犠牲に関する記述で満ち溢れているわけです。

決して在家さんの仮説を否定するつもりはありませんが、仮説を検証するためには
やはり聖句を抜粋する以上のものが必要になると思われます。
また「なぜイエスは苦悩していたのか」に関する私の推測は>>563のとおりですが
これはあくまでもイエスの言葉を事実と仮定した場合の推測です。

573:20
10/04/23 07:23:53 HCmUWW3w
>>571
こういう発想は全くなかったけど、意外に本当だったりするのかもw

574:前世は一在家
10/04/24 07:27:10 ZUqO5Evx
>>563 20氏
>自分が犠牲の子羊として死に、かつ復活する必要性を認識していたイエスには
>「犠牲の子羊」が神において不名誉であるなどという認識は微塵もなく、
>ましてや誤解など恐れてもいない。

イエスが毎年クリスマスに復活して、毎年イースターで十字架にかかれば、
人類のその年の罪が消えると思い違い(誤解)をする人たちが出てまいりませんか。

罪を設定したのが天の父であれば、それを御子が消していては意味をなさない
のではと考えております。

「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」という真理は、釈尊の「因果の法」と
相通じております。
どの時代のいかなる人も、自分で積んだ罪(カルマ)は自分で刈り取る(償う)
という真理(法)です。

確かに別のシナリオの期待はあったかも知れませんね。同感です。
イエス様が絶大なる評価をされた洗礼者ヨハネが所属していた可能性が高い
エッセネ派では動物などの生贄を神にささげることは認めておりません。
まして御子を神の犠牲にすることなど論外だということが根拠の一つです。


575:神も仏も名無しさん
10/04/24 10:41:39 0b7QYCQl
>>754
スレリンク(psy板:142番)

576:神も仏も名無しさん
10/04/24 10:57:41 E/QQJ/nD
御子を神の犠牲によるという発想がすでにお笑い。

577:神も仏も名無しさん
10/04/24 10:58:15 0b7QYCQl
アンカーミス>>574

自業自得説ってのは突き詰めると当時のパリサイ側・律法主義者の論理になってしまう。
律法守れない奴は、ただ悪いのであってコケにされて当然だと。神の教え破ってるんだから当然。

>イエスが毎年クリスマスに復活して、毎年イースターで十字架にかかれば、
>人類のその年の罪が消えると思い違い(誤解)をする人たちが出てまいりませんか。

実際にみかけたことあるの?というか「記念する」祭りなんだから、
そんな解釈があるとは思えないが……

>罪を設定したのが天の父であれば、それを御子が消していては意味をなさない
>のではと考えております。

あがないによる救いは信仰でもって完成する。単純にチャラになるわけではない。
URLリンク(www.gotquestions.org)

一在家さんは信仰は持っているのに、宗教が違うだけで、信仰者が持つ
「神は~~してくださる」という心情(信条)に理解を示さなくなるように見える。

578:20
10/04/24 20:54:28 LnLk4SZU
>>574
>>577さんとそれほど変わらないかもしれませんが一応付け加えると

> イエスが毎年クリスマスに復活して、毎年イースターで十字架にかかれば、
> 人類のその年の罪が消えると思い違い(誤解)をする人たちが出てまいりませんか。

イエスの贖いは一度きりのことで、そのイエスを信じることで信仰者は救われる、と
いうのがキリスト教、少なくともプロテスタント系のキリスト教であって、毎年自動的に
罪が帳消しになると思っている人はいないと思います。

> 罪を設定したのが天の父であれば、それを御子が消していては

それがまさに恩寵の意味だと思います。

> 「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」という真理は、釈尊の「因果の法」と
> 相通じております。

少なくともキリスト教においては因果の果は神の介在によって発動されるもので
それゆえに例え罪を犯したとしても、同様に神の介在によって許しが与えられるという
発想になっているのではないでしょうか。

続きます。


579:20
10/04/24 21:16:29 LnLk4SZU
>>574 続き

> イエス様が絶大なる評価をされた洗礼者ヨハネが所属していた可能性が高い
> エッセネ派では動物などの生贄を神にささげることは認めておりません。
> まして御子を神の犠牲にすることなど論外だということが根拠の一つです。

たしかに洗礼者ヨハネがエッセネ派の一宗派に属していた、ないしはエッセネ派と
深い関係があった、ということは十分に推測できることだと思います。
またイエスが洗礼者ヨハネに対して絶大なる評価を与えていたのも福音書の記述を
読む限り事実であったのでしょう。しかしだからといって、イエスがエッセネ派と
その教義を共有していたと推論するのは早計であるように感じます。
厳しい戒律と禁欲で知られるエッセネ派とイエスの言動には著しい違いが見られます。
(収税吏や罪人とともに食事をしたり信仰によって罪を許したりなど)
またイエスは動物などの犠牲を禁止しているというよりも形式化した律法細則や
祭儀に対して批判をしているわけですから、伝統的なユダヤ教の犠牲の概念を
棄却したとは結論づけられないのではないでしょうか。

むしろイエスはユダヤ教に則りながら、それを新しい次元(新約)によって
更新しようとしたのだと思います。つまり once and for all の自らの犠牲において
神と人間との和解(atonement)を具現化し、ユダヤ教の犠牲の概念に
新たなる、そして最終の形を与えようとしたのではないでしょうか。

580:前世は一在家
10/04/24 23:36:37 WHN6NfGA
>>579 20氏
>むしろイエスはユダヤ教に則りながら、それを新しい次元(新約)によって
>更新しようとしたのだと思います。つまり once and for all の自らの犠牲において
>神と人間との和解(atonement)を具現化し、ユダヤ教の犠牲の概念に
>新たなる、そして最終の形を与えようとしたのではないでしょうか。

20氏の仮説は認識致しました。

ただ、そのような崇高なイエス様の想いがあれば、イエス様ほどの方が
別のシナリオを望まれたというのが不自然かなと思料します。

>>577
>自業自得説ってのは突き詰めると当時のパリサイ側・律法主義者の論理になってしまう。
>律法守れない奴は、ただ悪いのであってコケにされて当然だと。神の教え破ってるんだから当然。

本当に自業自得はパリサイ派の論理ですか?
「よい種は、よい実を結ぶ」というイエス様の教えがあったと思いますが。


581:前世は一在家
10/04/24 23:58:04 WHN6NfGA
>>577
>一在家さんは信仰は持っているのに、宗教が違うだけで、信仰者が持つ
>「神は~~してくださる」という心情(信条)に理解を示さなくなるように見える。

人は神の似姿にて、神の子であり、父神は神の子達を深く愛しておられますと
伺っております。
この理解はエッセネ派ユダヤ教、トマスの福音書とは共通しております。

また、3共観福音書とも矛盾しておりませんのでは。

「神は~~してくださる」という心情(信条)は同感です。
ただ、神が人の罪を代わりに消すのであれば真理(法)に反するのでは
と思っております。


582:20
10/04/25 00:17:06 f+pYipMr
>>580
> ただ、そのような崇高なイエス様の想いがあれば、イエス様ほどの方が
> 別のシナリオを望まれたというのが不自然かなと思料します。

たしかにそうですねえ。私の推論には矛盾があるように私自身も感じます。
私自身のイエス観は今のところ>>579で述べたようなものなのですが
マルコ、マタイにおけるイエスの発言を事実と仮定すると>>563のような推論に
なってしまいます。この場合にはやはり矛盾を内包した人間としてのイエスの苦悩
ということになろうかと思います。

ただしマルコ、マタイにおけるイエスの絶命間際の言葉は詩篇からの引用とも
解釈できるわけですから、この言葉すら旧約に合わせたマルコの創作という
可能性は捨てきれないと思います。そもそもこの言葉が疑いようもない
イエス自身の言葉だったとすれば、ルカやヨハネでいくら彼らのイエス像・神学に
合わないからと言っても、そんな大事な言葉を改変・削除することなどなかったでしょう。
おそらくは4福音記者とも本当の最後の言葉は知らなかったのではないでしょうか。

そう考えると史的イエスの実像に迫ろうとする際
この最後の言葉にあまり重点を置くのはやや危険かなとも思います。

583:神も仏も名無しさん
10/04/25 01:28:11 YJpMz3PW
>>580
>本当に自業自得はパリサイ派の論理ですか?

「突き詰めれば」
手を差し伸べることをせず、ふりかざすだけなら、そうなる。
基準に達しきれなかった者を脱落者としてそのまま除外すると言うこと。

>ただ、神が人の罪を代わりに消すのであれば真理(法)に反するのでは

リンク先読んだ?単純に消す(チャラ)のではない。クリスチャン側にも自分達、
人類の罪深さの自覚がある。

584:前世は一在家
10/04/25 02:04:05 2IR610U7
>>582
>ただしマルコ、マタイにおけるイエスの絶命間際の言葉は詩篇からの引用とも
>解釈できるわけですから、この言葉すら旧約に合わせたマルコの創作という
>可能性は捨てきれないと思います。

本当は「エリ、エリ」とイエス様は叫ばれた思います。
マタイ伝で筆者が「エリアを呼んでいる。」と弟子達以外にも聞いたことを
証言しているからです。

マルコ伝「エロイ、エロイ」は創作というより、うっかりした記載かと。
日頃マルコはアラム語を多用しており、「エロイ」はアラム語で、その
ヘブライ語は「エリ」だからです。


585:神も仏も名無しさん
10/04/25 02:09:11 YJpMz3PW
イエスや新約の記者たちが前提としていたものを踏まえる必要がある。
「よい種は、よい実を結ぶ」や「自分の巻いた種を刈り取る」
こうした発言・記述も旧約聖書の土台なしでは書かれていない。
ヨブ記のような現代人から見ると理不尽な物語も真理として受け入れた上で
(イスラエルの)神を崇め、神の正義なるものを信じている。
現代日本人と(こうあるべきと考える)応報観にズレがあっても
それはごく当たり前のことと言える。

個人的にはイエスのヨブ記講義を読んでみたいと思う。

586:前世は一在家
10/04/25 07:59:42 /cjJUmzh
>>584
(マルコ伝 14:51-52)
「ある若者が素肌に亜麻布だけをまとって、イエスの後についていたが、
人々が逮捕しようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げ去った。」(註マルコ伝の筆者)

イエス様が十字架にかかって四十年後(紀元70年頃)に、亜麻布を捨てて
裸で逃げた(恥ずかしい)若者がマルコ伝にしっかりと、十字架の日は
過越の祭の第一日目と明記しております。
そして、ルカ伝、マタイ伝の筆者も同じ日を十字架の日と記載しております。

しかし、自称「イエスに愛された弟子(ヨハネ 21:20)」はヨハネ伝の中で、
イエス様の十字架は過越の祭の第一日目の前日(祭の準備の日)としております(ヨハネ 19:14)。

さて、裸で逃げ出した若者(マルコ伝)と自称イエスに愛された弟子(ヨハネ伝)とが
大切な十字架の実行日を一日違えておりますことが、確認できたことと存じます。
私はマルコ伝の筆者に真実性を感じますし、ヨハネ伝の筆者には異質性を感じました。

この板ではグノーシスが批判されております。
しかしヨハネ書簡(福音書、手紙)の筆者は、光言語(光と闇の対句)を多用する
グノーシスの影響を受けた人であります。
因みに3共観福音書やトマス伝では光言語の記載は無いでしょう。

ヨハネ書簡を最初に担いだエイレナイオスの根拠に賛同する現代神学者はおりますか?
根拠「ケルビムの四つの生き物がいる。」(エゼルキエル書1:5-10、黙示録4:7)


587:前世は一在家
10/04/25 09:10:28 /cjJUmzh
■エイレナイオスの神学 (参考:異端反駁Ⅰ~Ⅴ)
以下に概要を箇条書きにします。
・「ロゴス=イエス」は「知恵=聖霊」と共に「神の両手」であり、万物に先立って存在した。
・神は無から世界の素材を創造し、御子と聖霊によって万物を形造り、最後に人間を「神の形と神との類似性に従って」創造した。
・御子によってその肉体と魂に「神の形」を与えられ、聖霊によってそれに「神との類似性」が結び付けられて、「完全な人間」となるべく人間は創造された。
・言わば「幼児」の状態にあった人間はその弱さゆえの堕罪によって、聖霊による「神との類似性」を喪失してしまった。
・「神の両手」は人類を見捨てず、人間を教育しその完成に向けて成長せしむる為の「神の経綸」の為に働き続ける。
・終末論的未来に、人間の「肉体」は「霊」によって復活させられ、神を見て不死性を与えられる。
・人間は最終的に「神のかたちと神との類似性に従って」完成される。(Ⅳ 38:3-4)
☆御子が人間となった受肉の出来事に、人間が神化されて「神の子」となる完成が対応するのである。(Ⅲ 19:1)

私もエイレナイオスを少し誤解していたようです。
彼が「人間が完成し神化する」と説いていたことが検証されたからです。
でも、カトリックやプロテスタントでは如何でしょうか?



588:前世は一在家
10/04/25 09:14:29 /cjJUmzh
>>587
>■エイレナイオスの神学 (参考:異端反駁Ⅰ~Ⅴ)

東京大学の大貫教授(西洋古典学専門)の著書「ロゴスとソフィア」より
異端反駁の訳を参照しております。


589:20
10/04/25 10:48:56 f+pYipMr
>>584
なるほど確かに周囲の人が「エリア」と聞き違えたというマルコ・マタイのエピソードを考慮に入れると
「エロイ(エリ)」に類する言葉を発した可能性は残りますね。
もし「ラマ サバクタニ」まで言ったのであれば、これはアラム語であること、イエス及び周囲の
弟子たちは日常的にはアラム語で会話していたらしいこと、二資料仮説が正しいとすれば
マタイはマルコを参照していること、などからやはり「エロイ」と叫んだ可能性の方が高いのでは?

ただそうだとしても、イエスは神(父)に対する呼び掛けとしては Abba を用いているので
いきなり呼び掛けとしてエロイはやはり不自然と感じられます。本当にイエスの言葉だとすれば
イエス自身が朦朧とした意識の中で詩篇からの引用として発した言葉か
イエスの曖昧な発声をただ単にこの言葉を伝えた人が詩篇の言葉として聞き取っただけ
という気がします。いずれにしても真相は簡単には解けそうもないですね。

590:20
10/04/25 10:56:06 f+pYipMr
>>585
> こうした発言・記述も旧約聖書の土台なしでは書かれていない。

イエスをはじめその周囲の人たちが骨の髄まで旧約聖書及びユダヤ教の伝統に
浸かっていた、という大前提はものすごく重要ですね。
これは新約を読む上で絶対に忘れちゃいけないことだと思う。

591:20
10/04/25 11:14:03 f+pYipMr
>>586>>587
この日にちのズレに対しては、一部のコメンタリーなどではユダヤ社会における一日の始まりが
夕方からであること、カレンダーの違いなどで説明されることもあるようですが、私の知る限り
ほとんどのコメンタリーではこの説を否定的に捉えています。ただこの辺は全く詳しくないので
実際のところはどうなのか私にはわかりません。

私も4福音書の中ではマルコが一番イエスの姿をよく捉えているんじゃないかという気がしてます。
マタイは旧約の預言の成就という視点が全面に出過ぎているし
ルカはイエスの神話化・美化が著しい。ヨハネはイエスを完全に神と捉え神学的な捉え方が
強い。素人の考えでいうとヨハネを正典に加えたことでイエスの神化と三位一体という
極めてユニークな教義の方向性が決定的になったという印象があります。

ヨハネ福音書とグノーシスの関係については私自身にあまり知識がないので
わかりませんねえ。たしかにグノーシスっぽいと言われればそうも思えるし。

592:前世は一在家
10/04/25 12:15:21 /cjJUmzh
>>591 20氏
>素人の考えでいうとヨハネを正典に加えたことでイエスの神化と三位一体という
>極めてユニークな教義の方向性が決定的になったという印象があります。

「禁じられた福音書」のペイゲルス教授も神学者の多くは異端とされた福音書
と同様にヨハネ伝の筆者も正体不明だとの見解だそうです。

若い指導者エイレナイオスの熱烈推薦でヨハネ伝が入り、当時ヨハネ伝には
否定的だった司教達もいたそうです。




593:前世は一在家
10/04/25 12:24:12 /cjJUmzh
>>589
>もし「ラマ サバクタニ」まで言ったのであれば、これはアラム語であること、イエス及び周囲の
>弟子たちは日常的にはアラム語で会話していたらしいこと、二資料仮説が正しいとすれば
>マタイはマルコを参照していること、などからやはり「エロイ」と叫んだ可能性の方が高いのでは?

ヘブライ語でも同じく「ラマ サバクタニ」だそうです。

>>591
>マタイは旧約の預言の成就という視点が全面に出過ぎているし

マタイ伝ではイエス様がエルサレム入城時のロバの数を2頭として
おり、マルコ伝とルカ伝での1頭と違えております。

マタイ伝ではゼカリア書の「(あなたの王は)ロバに乗ってくる。
荷を負うロバの子、子ロバに乗って。」という預言にあわせたよう
ですね。

もし聖霊によって記載された聖書であれば、筆記者の意図によって
記載内容が変更されることもないかと存じます。


594:20
10/04/25 13:18:21 f+pYipMr
>>592
> 若い指導者エイレナイオスの熱烈推薦でヨハネ伝が入り、当時ヨハネ伝には
> 否定的だった司教達もいたそうです。

それはわかる気がするなあ。ヨハネは共観福音書と比べるとあまりにも異質だから
初期の司教さんたちも大いに困惑したでしょうね。

>>593
> ヘブライ語でも同じく「ラマ サバクタニ」だそうです。

一応いくつかのコメンタリで調べたんですが、すべてアラム語となっていました。
代表として学術的な水準の高さで有名なWBCからそのまま該当箇所を抜粋しておきますね。
In Matthew’s version of these words, “Eli” represents the Hebrew, “My God,”
while the following words are Aramaic for “Why have you forsaken me?”
It appears that Jesus, rather than quoting the words in Hebrew, quoted them
in their Aramaic equivalent (using the language he normally spoke) and that
Matthew altered the word for “God” (the Aramaic ελωι in his Markan source)
to ηλι (Hebrew, “my God”), perhaps with an eye on the confusion with the name
of Elijah in v. 47.
(Hagner, D. A. (2002). Vol. 33B: Word Biblical Commentary)

> もし聖霊によって記載された聖書であれば、筆記者の意図によって
> 記載内容が変更されることもないかと存じます。

聖書の無謬性を主張する方々は、この辺もいろいろと弁明しているようですが
かな~り苦しいw 別に霊感を受けて書いたと言ってもいいけど素直に記述の
矛盾や記者による意図的改変などを認めた方が神に対しても誠実な態度だろうに
などと俗人の私などは考えてしまいます。

595:神も仏も名無しさん
10/04/25 14:48:30 trkCxlZA
面白いのはアリウス派もヨハネ伝を聖書として用いてたらしいということ。
URLリンク(www.shinchosha.co.jp)
アリウス派のウルフィラが訳したゴート語訳には列王記除く全巻が含まれる。

URLリンク(www1.ocn.ne.jp)
イエスの神性を信じないエビオン派は
>彼らはマタイ福音書のみを受け入れ、
ていたらしい。
URLリンク(www.geocities.jp)
こちらのサイトだとヘブル人福音書も使ってた。

596:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/25 15:25:59 45Nu0ijj
魔境を恐れることなく修行に勤しむのが
真の行者だといえる

597:前世は一在家
10/04/25 17:05:22 /cjJUmzh
>>595
>面白いのはアリウス派もヨハネ伝を聖書として用いてたらしいということ。

そうですね。
更にエイレナイオスの頃のグノーシス主義者達の愛読書がヨハネ伝だった
ということです。
ヨハネ伝をベースに拡張創作していく人々に対しても、エイレナイオスは
必死で異端だと認定していたようです。


598:神も仏も名無しさん
10/04/25 17:08:43 trkCxlZA
アリウス派はエホバの証人方式でヨハネ伝と
自分達の教義とを摺り合わせしていたのか。

599:前世は一在家
10/04/25 18:16:54 /cjJUmzh
死海文書(クムランテキスト)の巻物の年代決定方法を紹介します。

①書体学上の年代
筆写生が書いたり転写しているテクストの文字の書き方、書体により
年代を推定する方法。

②AMS(加速器質量分析)による分析
カーボン14法による分析に必要な量は数グラムですが、最近開発
されたAMS法では1ミリグラムの有機物の飼料で年代を推定可能。

1990年、イスラエル古物局のアミール・ドローリ局長はAMS法で
クムラン・テキストの年代測定を行いました。

イザヤ書(旧約)の年代測定結果
①書体学法:前335年~前327年
②AMS法:前202年~前107年


600:前世は一在家
10/04/25 18:18:06 /cjJUmzh
>>599
イザヤ書(旧約)の年代測定結果
①書体学法:前335年~前327年
②AMS法:前202年~前107年

クムラン・テキストの中で古い物はAMS法で前405年と測定済み。
Wiki「聖書」でも、「現存する最古の写本は紀元前1世紀頃書かれたと
される死海写本に含まれている。」と記載。
グノーシスと関係がある・ないの議論の対象外でしょう。

そのクムラン・テキストの申命記32:8では、sons of God(み名はEl)
と記載されており、創造主の生み出された複数の神々の存在が登場します。

そういう意味では、生み出された神々は「神の御子」であり、神々により
創られた神の似姿の人は「神の子」であり、本来は異なるかと思料します。

ただし、イエス様のように「神の御子」が受肉した人の場合は「神の預言者」
であり、「神の御子(神々の中の御一方)」でもあるかと存じます。


601:前世は一在家
10/04/25 18:33:46 /cjJUmzh
>>600

グーグルにてキーワード「Dead Sea Scrolls Deuteronomy 32:8 El」で
検索すれば、最近の研究成果や論文が英語で多数確認できます。


602:神も仏も名無しさん
10/04/25 19:38:43 tCs2TjLG
グノーシス主義は人間即神也の思想です。

603:20
10/04/26 00:34:52 JZBdkDWp
>>600
死海写本は思っていたよりも古いですね。
NET Bibleの訳注によるとクムラン・テキストでは sons of God
マソラ本文では sons of Israel、七十人訳では angels of God で
クムラン・テキストが疑いなくオリジナルである、と書いてありました。
といってもNETの訳者たちは the heavenly assembly という訳を採用してましたが。

> ただし、イエス様のように「神の御子」が受肉した人の場合は「神の預言者」
> であり、「神の御子(神々の中の御一方)」でもあるかと存じます。

第二神殿以降のユダヤ教ではYahweh唯一神信仰がユダヤ教徒の間では
定着していっているので、イエス本人や福音書記者の間でイエスを
「神々の中の御一方」という考え方はないように思います。

604:神も仏も名無しさん
10/04/26 00:53:11 1ya0IkDG
聖書を元にした成功本があるらしいけどね


605:前世は一在家
10/04/26 06:47:37 3ajbyi7C
>>603
>マソラ本文では sons of Israel、七十人訳では angels of God で
>クムラン・テキストが疑いなくオリジナルである、と書いてありました。

特にギリシャ語聖書の原本だという見解だそうですね。

>第二神殿以降のユダヤ教ではYahweh唯一神信仰がユダヤ教徒の間では
>定着していっているので、

旧約には「神々の会議」とか「他国の神を信仰してはならない」とか詩篇等に
記載があります。
あちこちの国に神がいても、「私以外の神を信じてはならない」というのが
本来の唯一神信仰の定義かも知れませんよ。

つまり、神的存在は一つという意味ではなく、一つの神のみを信仰するという
意味です。

606:神も仏も名無しさん
10/04/26 20:40:48 4Hbb0PBn
偶像を造る者は皆むなしく、彼らの喜ぶところのものは、なんの役にも立たない。
その信者は見ることもなく、また知ることもない。ゆえに彼らは恥を受ける。
だれが神を造り、またなんの役にも立たない偶像を鋳たか。
見よ、その仲間は皆恥を受ける。その細工人らは人間にすぎない。
彼らが皆集まって立つとき、恐れて共に恥じる。
鉄の細工人はこれを造るのに炭の火をもって細工し、鎚をもってこれを造り、
強い腕をもってこれを鍛える。彼が飢えれば力は衰え、水を飲まなければ疲れはてる。
木の細工人は線を引き、鉛筆でえがき、かんなで削り、コンパスでえがき、
それを人の美しい姿にしたがって人の形に造り、家の中に安置する。
彼は香柏を切り倒し、あるいはかしの木、あるいはかしわの木を選んで、
それを林の木の中で強く育てる。あるいは香柏を植え、雨にそれを育てさせる。
こうして人はその一部をとって、たきぎとし、これをもって身を暖め、
またこれを燃やしてパンを焼き、また他の一部を神に造って拝み、刻んだ像に造ってその前にひれ伏す。
その半ばは火に燃やし、その半ばで肉を煮て食べ、あるいは肉をあぶって食べ飽き、
また身を暖めて言う、「ああ、暖まった、熱くなった」と。
そしてその余りをもって神を造って偶像とし、その前にひれ伏して拝み、
これに祈って、「あなたはわが神だ、わたしを救え」と言う。(イザヤ書44:9-44:17)

607:神も仏も名無しさん
10/04/26 20:45:45 4Hbb0PBn
天を創造された主、すなわち神であってまた地をも造り成し、これを堅くし、
いたずらにこれを創造されず、これを人のすみかに造られた主はこう言われる、
「わたしは主である、わたしのほかに神はない。
わたしは隠れたところ、地の暗い所で語らず、ヤコブの子孫に『わたしを尋ねるのはむだだ』と言わなかった。
主なるわたしは正しい事を語り、まっすぐな事を告げる。
もろもろの国からのがれてきた者よ、集まってきて、共に近寄れ。
木像をにない、救うことのできない神に祈る者は無知である。
あなたがたの言い分を持ってきて述べよ。また共に相談せよ。
この事をだれがいにしえから示したか。だれが昔から告げたか。
わたし、すなわち主ではなかったか。わたしのほかに神はない。
わたしは義なる神、救主であって、わたしのほかに神はない。
地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、
そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ。(イザヤ書45:18-45:22)

608:神も仏も名無しさん
10/04/26 22:01:17 BoLB/JsL
七日で地球が出来る分けねーじゃんバッカじゃねーの

609:神も仏も名無しさん
10/04/26 23:14:11 x2jLOPUo
イエスや福音書記者たちが、預言書に明記された唯一神論を踏まえない。

ありえねー

610:神も仏も名無しさん
10/04/27 00:01:23 KV3nirUa
意味もわからず聖書を読むのは退屈ですね~~+

611:前世は一在家
10/04/27 06:53:46 xXjYtMog
>>603 20氏

グーグルにて「Dead Sea Scrolls Deuteronomy 32:8 EL」で検索すれば
「死海文書」版の申命記32:8の多くの解説や論文を英語で読むことができます。

★Dr. Michael S. Heiserの論文その1
”Are Yahweh and El Distinct Deities in Deut. 32:8-9 and Psalm 82?”

至高神(El)の子ら(神々)の中の一方がYahwehだったと解釈したMark S. Smith教授
の学説も紹介しております。

(はじめにより)
The argument is put forth that these texts suggest Yahweh was at one time
a junior member of the pantheonパンテオン under El the Most High至高神,
but that he has now taken control as king of the gods.
Mark S. Smith’s comments are representative:

異端として焚書された「ユダの福音書」も大戦後に発見され研究が進んでおります。

ユダ伝では、ある日弟子たちが旧約の神(Yahweh)に祈っているのをご覧になった
イエス様が「私は至高神の名を知っている」と微笑まれました。

「ユダの福音書」と「死海文書」とがシンクロし出して、真実が輝きだしているように
感じます。

至高神(El、エロヒム)はYahwehのことなのか、それともYahwehの父神なのか、
至高神Elはイエス様の本当の「天の父」だったのか否か?

インターネットがグローバルに普及した21世紀に、カトリックが焚書した文献群が
次々に「復活」し、ニケーア公会議の再検証(審判)が行われる日が到来している
かと存じます。


612:ユダ改め石狩雄大
10/04/27 08:10:05 amOaMfq/
イエス様の本当の「天の父」の御名は何度か
書いていますがYahwehでもElでもありません。
「愛」を意味する全ての言葉が主の御名です。
軽々しく「愛している」などと言ってはいけないのです。
神への冒涜ですから。

613:神も仏も名無しさん
10/04/27 09:25:47 ns1ycrln
>>611
1・多神教時代の残滓部分を伝えた・書いた人(詩篇82篇とか)の信仰
2・唯一神論の明記・異教神=偶像の否定を伝えた・書いた人(それら以外の聖書全体、例としてイザヤ書)の信仰
3・明記された後、それを預言書として受入れていた人々(イエスや福音書記者)の信仰
4・あなたの信仰

1と4、2・3を区別しましょう。この三つは別個のものです。
区別しているなら、そのように書きましょう。

614:神も仏も名無しさん
10/04/27 10:03:12 8jT6ep96
エロヒムの複数形は威厳、卓越を示す「強意複数形」と呼ばれることば。
エロヒムの後に単数形の述語動詞や形容詞が使われているので、エロヒムは一人称である。
エロヒムは「神々(複数)」と訳すのではなく「偉大な神(単数)」と訳すべきである。

至高神=天の父=エロヒム=YHWH

615:前世は一在家
10/04/27 22:43:16 pWorbN3c
>>613
>1・多神教時代の残滓部分を伝えた・書いた人(詩篇82篇とか)の信仰
>2・唯一神論の明記・異教神=偶像の否定を伝えた・書いた人(それら以外の聖書全体、例としてイザヤ書)の信仰
>3・明記された後、それを預言書として受入れていた人々(イエスや福音書記者)の信仰
>4・あなたの信仰
>1と4、2・3を区別しましょう。この三つは別個のものです。

あるクリスチャンから聖書は聖霊によって書かれたと伺いました。

申命記や詩篇を書いた人と、それ以外の旧約を書いた人とは別だ
と言われる貴兄はクリスチャンですか?


616:携帯20
10/04/27 22:56:51 DlFF88/G
20です。ま~た規制食らってます。しばらくはROMになりそう。
ひとことだけ書いておくと文書仮説を大筋で認めるかどうかでユダヤ教に対する見方は違ってくると思います。

617:神も仏も名無しさん
10/04/27 23:11:49 mBKyJpFS
>>615
聖書を構成する書物の一つ一つがその場の発案で書かれたわけではないでしょう。
元ある伝承を集めたものになってます(創世記のエロヒム資料とか)。
イザヤ書も第一イザヤ、第二イザヤ、って分け方がされてますね。

同じ本にも、それぞれの伝承を生み出した人々と、後代に編集して本にまとめた人々とがいます。
本にした人々の時代では既に唯一神論化が進んでいたと考えられます。

異教の神々やその名前は記述されますが、それらがサタンのような登場キャラとして
聖書の本文にあらわれることもありません。「バアルの預言者たち」をやっつける話は
あってもバアルが嵐をもたらしたり、バアルをモーセやエリヤがボコったという話はなし。

残滓部分もさらに調和化が進みます(ヤコブと神が相撲をとる話がじつは天使ということにされたり)。

>>606-607のような記述を神の預言として受け入れた以降の世代の(イエス含む)ユダヤ人、
福音書記者が多神論をとると思いますか?聖書を多神論とみなすと思いますか?

618:前世は一在家
10/04/27 23:32:32 3m7K905n
>>617
「わたしのほかに神はない。」という台詞は異教の神々も使われて
おります。預言者に対する神様の常套句でしょうか。
神の自己申告ですので、それを信じて仰ぐことが「信仰」でしょう。

でも、「神の子らの数に従い」とか「汝らは神なり」という聖句が旧約
に登場します以上、複数の神的存在を否定できないと申しております
次第です。


619:神も仏も名無しさん
10/04/27 23:37:58 mBKyJpFS
>>618
>「わたしのほかに神はない。」という台詞は異教の神々も使われて
>おります。

バアルやアシェラが(サタンやら悪霊がなりすましたものではなく)
実際の神としてそう発言している章句が聖書にあるんですか?教えて下さい。

>神の自己申告ですので、それを信じて仰ぐことが「信仰」でしょう。

>>606-607のような記述を神の預言として受け入れた以降の世代の(イエス含む)ユダヤ人、
福音書記者」は聖書で説かれた唯一論を信じている、ということですね。

620:前世は一在家
10/04/28 00:02:07 3m7K905n
>>619
神の預言として受け入れた以降の世代でも、ユダの福音書記者は唯一論は
信じていなかったようです。

グノーシスを異端として焚書しましたカトリックですが、ギリシャ語聖書の
オリジナルと分析されている最古のクムランテキストに「sons of God」が
明記されております以上、どうされるのでしょうか。

1)クムランテキストを一読して、自身の見解を整理する
2)クムランテキストは読まずに、従来の信仰を維持する

まだ2千年しか経っておりませんから、イエス様の本来の教えがどうで
あったのか、ニケーア公会議での時間切れの多数決が正しかったのかを
再検証することも可能かと思料します。



621:神も仏も名無しさん
10/04/28 00:08:53 OrNF3RRc
参考までに。
一神崇拝の要求は聖書的信仰の最大の特色の一つであるが(出20:2申6:4)
旧約聖書では、当初は他の神々の存在が前提にされており(士11:24サム上26:19)
そのうえでイスラエルの神ヤハウェ以外の神々の崇拝を禁じる拝一神教的な性格
のものであったと考えられる。
しかしバビロニア捕囚(前6世紀)前後にはヤハウェ以外にいかなる神の存在をも
認めない唯一神教的神観が確立した(イザ44:6;45:5-7)
ユダヤ教、キリスト教、イスラームはそれぞれ旧約聖書からこの意味での唯一神観を
継承したが、キリスト教においてはイエスの死後、「神の子」であるイエス・キリスト
における神性(ヨハ1:1、18;フィリ2:6)と神の唯一性がどう関係するかをめぐって
キリスト論論争が起こり、最終的には三位一体論の形成につながった。
(山我哲雄) 岩波キリスト教辞典

622:神も仏も名無しさん
10/04/28 00:27:16 jTHGJDa+
>>620
もう一度確認です。
>>606-607のような記述を神の預言として受け入れた以降の世代の(イエス含む)ユダヤ人、
福音書記者」は聖書で説かれた唯一論を信じている、ということですね?
グノーシス派の話をしてるんじゃないですよ。ヤハウェを【至上の唯一神であると】信じ、
預言書を(彼から降された啓示として)信じるユダヤ人の話をしてるんです。

>グノーシスを異端として焚書しましたカトリックですが、ギリシャ語聖書の
>オリジナルと分析されている最古のクムランテキストに「sons of God」が
>明記されております以上、どうされるのでしょうか。

他の部分が多神論否定にまみれている以上、問題とされないでしょう。
(被造物たる)人類か天使のことと解することでしょう。
神とイスラエルとのつながりは親子関係になぞらえられているので都合が良い。
これも前に書いた気がしますが。

623:20
10/04/28 00:38:23 QJ/vX0hN
なんか規制が解けたみたい

>>611 在家さん

>>501に書いた通り、すでに読ませてもらってます。
で、そこに書いたように私にはどちらが正しいのか判断はできません。

>>605
> あちこちの国に神がいても、「私以外の神を信じてはならない」というのが
> 本来の唯一神信仰の定義かも知れませんよ。

いわゆる拝一神か唯一神か、ってやつですね。
私の言いたいことは>>613>>617さんに見事に言われてしまっているので
私もバビロン捕囚時代ないし第二神殿時代以降のユダヤ教は唯一神信仰だと思ってます。

>>620
> ギリシャ語聖書の
> オリジナルと分析されている最古のクムランテキストに「sons of God」が
> 明記されております以上、どうされるのでしょうか。

横レスですが、クムランテキストは申命記、詩篇を含むユダヤ教テキストをマソラ本文より
よりオリジナルに忠実に再現しているというだけで
文書仮説を前提とすれば、聖書学的には多神教時代の残滓ということで
処理できる問題だと思います。ただその文書仮説そのものが正しいかどうかは別問題ですが。

ユダヤ人の信仰の問題としては、第二神殿時代以降はそういった
「多神教時代の残滓」部分は解釈によって唯一神信仰と矛盾しないよう処理されてるのだと
思います。ちょうど現代の福音派の人たちのコメンタリでそれは天使だとかイスラエルの民だとか
解釈するように。

624:前世は一在家
10/04/28 06:40:27 W+jTCDyY
>>621
>一神崇拝の要求は聖書的信仰の最大の特色の一つであるが(出20:2申6:4)
>旧約聖書では、当初は他の神々の存在が前提にされており(士11:24サム上26:19)
>そのうえでイスラエルの神ヤハウェ以外の神々の崇拝を禁じる拝一神教的な性格
>のものであったと考えられる。
>しかしバビロニア捕囚(前6世紀)前後にはヤハウェ以外にいかなる神の存在をも
>認めない唯一神教的神観が確立した(イザ44:6;45:5-7)
>(山我哲雄) 岩波キリスト教辞典

真に的を得た情報の紹介を有難うございました。
海外の研究者達の論文でも、「拝一神教から唯一神への変遷の経緯」を
記載したものが確認できます。
文献学的にはイスラエルの神ヤハウェに「私以外を拝むな」と命令された
ことがルーツかと認識しております。


625:前世は一在家
10/04/28 06:41:36 W+jTCDyY
>>622
>ユダヤ人、 福音書記者」は聖書で説かれた唯一論を信じている、ということですね?

本当に信じていたのかは分かりませんが、 拝一神の立場をとったということかと
存じます。

>(被造物たる)人類か天使のことと解することでしょう。

都合が悪いから、イスラエルの神ヤハウェ以外の神々を「天使」や
「イスラエルの子孫」に書き換えてしまったという行為が正しいのでしょうか?

譬え話をしますと、釈尊の説かれた「因果の法」は、「空」論理に都合が悪い
から「時間」を除いた「縁起の法」を支持する大乗仏教徒達をどう見ますか。

モーゼが若い頃には異国の神々が信仰対象だったのでしょう。
日本神道の神々、仏教を守護した梵天たちもまた異国の神々になります。


626:前世は一在家
10/04/28 06:48:16 W+jTCDyY
>>623 20氏
>いわゆる拝一神か唯一神か、ってやつですね。
>私の言いたいことは>>613>>617さんに見事に言われてしまっているので
>私もバビロン捕囚時代ないし第二神殿時代以降のユダヤ教は唯一神信仰だと思ってます。

既に>>624でレスしましたが補足します。
モーゼやイエス様から見て「複数の神々」が存在したのかどうかをニケーア
以前の文献にて検証しております。

神の預言者が、神の独り子になり、更に神自身へと変遷する経緯も隣の板
では対話しております。


627:20
10/04/28 07:33:36 QJ/vX0hN
>>626
> モーゼやイエス様から見て「複数の神々」が存在したのかどうかをニケーア
> 以前の文献にて検証しております。
>
> 神の預言者が、神の独り子になり、更に神自身へと変遷する経緯も隣の板
> では対話しております。

これは大切な作業だと思います。正典化されたものを中心に議論を組み立てるのは
神学的な態度としては間違いではないかもしれないけど歴史学的・文献学的態度としては
偏ったものになってしまいますからね。
私自身は今のところそこまで対象にできるほどの時間的余裕が無いので
在家さんにはぜひ研究・精査を続けていただきたいと思います。

628:神も仏も名無しさん
10/04/28 19:53:25 TkIM+2r2
>>625
>本当に信じていたのかは分かりませんが、 拝一神の立場をとったということかと
>存じます。

>>606-607を読みましたか?

>都合が悪いから、イスラエルの神ヤハウェ以外の神々を「天使」や

じゃあどうすればいいんですかね?我々は千年以上も間違って唯一神教を信じてた馬鹿でした、
イザヤ等はそこを取り違えた偽預言者でした、とクリスチャン側が屈すればいいんでしょうか。
あなたはそれで満足しますか。

>「イスラエルの子孫」に書き換えてしまったという

私は、聖書の成り立ちそのものが唯一神論への移行の歴史、だと言うだけです。
現行の(旧約)聖書に収録された書の中でその立場は完結してます。イエスの時代には言わずもがな。

>行為が正しいのでしょうか?

倫理的な是非やら神界の裏事情は扱いません。過去の事実を知らない哀れでアホな古代ユダヤ人や福音書記者が
勝手に唯一神教にした、という矮小の仕方もしませんし。いたずらに彼らの誠意を勘ぐりもしません。
ユダヤ教徒やキリスト教徒がそのように解釈する理由にも理解をもとうと考えます。

629:神も仏も名無しさん
10/04/28 20:46:02 ppIaja6/
キリスト教の本屋さん
URLリンク(www.nikkihan.co.jp)

Category:キリスト教
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キリスト教に関するカテゴリ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

Category:カトリック
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カトリックに関するカテゴリ。
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Category:東方正教会
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ギリシャ正教、東方正教会とも呼ばれる正教会に関するカテゴリ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

Category:プロテスタント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プロテスタントに関するカテゴリ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

Category:日本基督教団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本最大の合同教会である日本基督教団のカテゴリ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

630:前世は一在家
10/04/29 10:31:27 tWLEoGlp
>>628
>イザヤ等はそこを取り違えた偽預言者でした、とクリスチャン側が屈すれば
>いいんでしょうか。

イザヤは預言者ですから、神から聞いた通りに語ればいいのです。
ただ申命記や詩篇を語った預言者や詩人のことを知らなかったのでしょう。
そして、士師記、サムエル記上の筆記者のこともご存じなかったかと。
(Judges 11:24)
Wilt not thou possess that which Chemosh thy god giveth thee to possess?
So whomsoever the LORD our God shall drive out from before us,
them will we possess.
(Samuel 1 26:19)
They have now driven me from my share in the LORD's inheritance and have said,
'Go, serve other gods.'


631:前世は一在家
10/04/29 10:34:26 tWLEoGlp
>>630
異教でも神は預言者やシャーマン、巫女に対して「私以外の神を信じてはならない」
としばしば言われます。 神様の常套句、方便かも知れませんね。
もし「私以外にも神がおりますが、私を信じなさい」と言われましたら、
預言者も命がけで宣教されたでしょうか? 疑問ですね。

私は色々な宗教の聖典を読む際には、「一貫性」を最も重視しております。
神の啓示や聖霊による聖典であれば、当然終始一貫しております。
どの章とどの章とを比べても矛盾はございません。

しかし、人間の知恵で作られた宗教の場合は、一貫性に疑問箇所が存在します。
例えば、10年前の啓示と最近の啓示とに微妙に相違が見られる等々です。

預言者の言葉をそのまま伝えれば矛盾はないのですが、知識の高い編集者が
加筆するとそこに矛盾が生じますので検証できます。
このことは神様でなくても、イエス様や釈尊の高弟が加筆した場合でも同様に
検証できます。

以上、私のスタンスは本来のイエス様の教えはどうであったのかの検証にあり、
手段としてニケーア公会議以前の文献も参考にしております。

よってクリスチャン側が屈する必要などまったくございません。
ご一緒にカトリックが成立する前のイエス様の教えを探していただければ
幸甚です。


632:神も仏も名無しさん
10/04/29 11:29:35 AeaIh1dA
>>630
>異教でも神は預言者やシャーマン、巫女に対して「私以外の神を信じてはならない」
>としばしば言われます。神様の常套句、方便かも知れませんね。

具体例をどうぞ。

>もし「私以外にも神がおりますが、私を信じなさい」と言われましたら、
>預言者も命がけで宣教されたでしょうか?  

バガヴァッド・ギーターはクリシュナと言う一神を至高の神として崇め、帰依せよ、
という経典ですが、ふつうに他の神々に言及し、それを聴いたアルジュナは
戦いを厭う態度を改め、(クシャトリアとしてのダルマに従うことに決め)また戦闘へと身を投じます。

>疑問ですね。

煽ってけしかけるために、事実でも無いこと(しかも根本的な信仰箇条)を神が言う、という発想を
信仰者がするものでしょうか?私は「いたずらに彼らの誠意を勘ぐりもしません。(>>628)」

633:神も仏も名無しさん
10/04/29 11:30:21 AeaIh1dA
>私は色々な宗教の聖典を読む際には、「一貫性」を最も重視しております。

違いますね。過去のある状態を取り上げて、後代の変化した信仰に
押し付けているだけです(「初期の神観→未来の書物に当て嵌め」)。
旧約後期の預言者や以降の信徒(「後期の神観→過去の書物に当て嵌め」)
とは逆のことを行っているわけですね。
後者は単に表現方法として調和化し、あなたは編者の過失でこれを行います。
さらにあなたは後期以降のものにすら多神論(>>625)に違い無い、という大前提を当て嵌めます。
初期の残滓部分と調和化させ「一貫性」を成り立たせるため、後期の預言者や信徒の信仰を
言い回しを変えて否定します。

>よってクリスチャン側が屈する必要などまったくございません。

あなたは625で「神々」と読まなければ不誠実と断じたではありませんか。
誤謬にとどまるのも勝手だ、という意味あいなのですかね。

634:20
10/04/29 13:46:01 n1vq4jhK
>>631
在家さんのお立場としては、

1. 神は存在する。
2. 神は無謬・無矛盾である。
3. 預言者の言葉は神の言葉を伝えるので無謬・無矛盾である。
4. よって聖典に矛盾があれば、それは預言者以外の人間による加筆・修正である。
5. ユダヤ・キリスト教の正典には矛盾がある。
6. 以上より、正典以外の文書を検証することによって矛盾を除去し
  本来の神またはイエスの教えを再構築する必要がある。

ですね。

1~3までは聖書を神・聖霊の息吹によって書かれたものとするクリスチャンと共通です。
4~5については上記のクリスチャンは見かけ上の矛盾であって実際は矛盾ではないと考えます。
従って6については正典化そのものが神・聖霊の働きによるもので正典以外の文書は
基本的に神の教えを読み解く際に必要不可欠なものではないと考えます。

私の場合は世俗的な立場で、1から3までは最初から否定はしませんが、前提とはしません。
4~5については1~3を前提としないアプローチであるため、聖書を人間が作り、伝え、編集
したものと仮定し、その仮定に沿って読む限り正典には矛盾が見られると考えます。
従って6については正典以外を検証する必要は認めるものの、矛盾を取り除くのではなく
矛盾を合理的に説明し、ユダヤ教・キリスト教の実像に迫りたいと考えます。

どの立場も間違いというものではなく、単に立場の違いであると思います。
しかし私が以前に「文書仮説を大筋で認めるとすれば」と書いたのは、もし在家さんが
これを大筋で認めているのであれば>>633さんの批判が正しいことになり
在家さんの推論に無理が生じると思うからです。


635:前世は一在家
10/04/29 16:07:38 tWLEoGlp
>>632
>>異教でも神は預言者やシャーマン、巫女に対して「私以外の神を信じてはならない」
>>としばしば言われます。神様の常套句、方便かも知れませんね。
>
>具体例をどうぞ

それでは、コーランから紹介しましょう。
(雷鳴 17章)
言ってやるがよい、「アッラーこそ万有の創造主。これこそ、唯一にして
全能の御神におわしますぞ。」と。

(蜜蜂 50章)
アッラーの仰せには、「汝ら、二神を認めてはならぬ。神はただひとりのみ。
さればこの我こそ汝のおそれ敬うべき者」と。

尚、アッラー曰く、イエス様は預言者にて、二神ではないことになります。

他の宗教団体の具体例も調べても宜しいですが、20氏と同様に私もそれほど
時間がございません。


636:前世は一在家
10/04/29 16:14:22 tWLEoGlp
>>635
私はコーランも一読しましたが、旧約の神と似ているなと思いました。

預言者に啓示をおろし、従わない人類は滅ぼすことを繰り返しておられます。

「汝の敵を愛せよ」と博愛、隣人愛、利他愛を説かれたイエス様の天の父と
長い間違和感を感じていた次第です。

尚、ユダ伝では旧約の神以外の神の名を知っているとイエス様は微笑まれました。


637:前世は一在家
10/04/29 16:35:14 tWLEoGlp
>>634 20氏
>在家さんのお立場としては、
>1. 神は存在する。
>2. 神は無謬・無矛盾である。
>3. 預言者の言葉は神の言葉を伝えるので無謬・無矛盾である。
>4. よって聖典に矛盾があれば、それは預言者以外の人間による加筆・修正である。
>5. ユダヤ・キリスト教の正典には矛盾がある。
>6. 以上より、正典以外の文書を検証することによって矛盾を除去し
>  本来の神またはイエスの教えを再構築する必要がある。

貴兄は心理学者みたいで、私のことを的確に理解されていて深謝ですね。

6.では、まず正典内の文書を検証することによって神の真意を検証します。

釈尊も相手に応じて真理の説き方を替えましたので、秘書のアーナンダは
混乱して悟りが高弟子の中では一番遅れたという説も伺っております。

神はその時代背景や預言者によって、真理(法)の説き方を替える場合が
あるからです。
智恵の高い人物にはそのままストレートに真理を伝え、低い修行者には
譬え話を使用されます。

7.正典以外の文書を検証に使う場合もあります。その正典を決めた人物が
若い司教の一人であり、反対していた司教達がいたことも分かっている
場合はそうします。 所謂、再検証です


638:神も仏も名無しさん
10/04/29 16:47:11 j5AezilV
>>635
>それでは、コーランから紹介しましょう。

唯一神教の預言が唯一神論を説くのは当然です。
巫女やシャーマンを引き合いに出すものだからてっきり
多神教の中の例も念頭に置いてると思っていたのですが。

>他の宗教団体の具体例も調べても宜しいですが、

まさか聖書とクルアーン(アブラハムの宗教系列)でしか
「われのほかに神なし」の例を知らず、その上で常套句とか言ってたんですか?
で、今になって調べる必要があると。

639:神も仏も名無しさん
10/04/29 17:02:03 k2yuQHja
デウス・アブスコンディトゥス(隠れた神)という考え方がありますね。
自らの本来の業である愛の啓示を、怒りという非本来的な業の仮面の下に
隠す神をさしています。その性質ゆえに、神の愛は認識の対象というより
信仰の対象となると解される。
旧約ではイザ64:6、エレ33:5、8:17、エゼ39:23などに類似の表現があります。

640:神も仏も名無しさん
10/04/29 17:47:29 j5AezilV
>>636
イエスの教えでも神は罪人を裁き、地獄に落としますが?(マタイ5:22、29-30)
神は赦す心と同時にそうはしない厳格な面を持ちます。(マタイ12:31、マルコ3:28-29)

「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。
むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」(マタイ 10:28)

イエスにとっても神は恐ろしさを兼ね備えた存在です。

神の愛やゆるしは旧約聖書から説かれています。
申命記(7:7、10:15)やホセア書(11:1)によればイスラエル人が出エジプトできたのも
神が彼らを愛していたためです。ヨナ書にはニネベ人がヤハウェを信じたために神が
裁きを取りやめるシーンがあります。イザヤ書56章では異邦人の救いが記されていますね。
神はただ悪人を裁くのではなく、彼らが悔い改めるのを望んでいるとされます(エゼキエル書18:21-23)。

「わが子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない、その戒めをきらってはならない。
主は、愛する者を、戒められるからである、あたかも父がその愛する子を戒めるように」(箴言 3:11-12)

641:前世は一在家
10/04/29 18:30:53 tWLEoGlp
>>638
>まさか聖書とクルアーン(アブラハムの宗教系列)でしか
>「われのほかに神なし」の例を知らず、その上で常套句とか言ってたんですか?
>で、今になって調べる必要があると。

何分、30年以上色々な教団の本を読んで参りましたので、どの宗教だった
のかを特定するのは困難ですので、済みません。


642:神も仏も名無しさん
10/04/29 20:32:58 HgvLJER3
至高神、ヤーウェ アラー、 ブラーフマン イシュワラは
一緒だということでいいようですね


643:神も仏も名無しさん
10/04/29 20:52:24 O+xrBTg+
>>641
「ので」の前後が全然つながっていないのですが……
「預言者やシャーマン、巫女」とあげ「常套句」とまとめるほど
ですから複数、かつそれなりの人数がいるはずなのですが、
人名も神名も団体名も欠片すら全く出てこないってのは逆にすごいですよ。

あやふやなら、議論上で出すのは差し控えますよね?
>>642
ここでの議論で何かが証明される質のものではないですね。

644:20
10/04/29 21:19:21 n1vq4jhK
>>637
いえ、勝手にまとめてしまってすみませんでした。修正ありがとうございます。
文書仮説(いわゆるJEDP。モーセ五書が対象の中心だが列王記まで含む)に
ついてはどうですか?文書仮説からの推論としては中心的なユダヤ教は
多神教→拝一神教→唯一神教のような過程をたどったとされるのが一般的であると
思われますが。そのような推論が適切でないのか、それともその推論自体は
適切であっても、ユダヤ教の宗派や周辺的なユダヤ教徒によっては多神教的な人たちも存在し
イエスもそれに属する、というお立場なのでしょうか?ここははっきりさせたほうがいいと思います。

>>640
現在の論点とは関係ないのですが一つ教えていただきたいと思います。
世の中には善人(と思われる人)や年端も行かない子どもが悲惨な死に方をする例があります。
もしユダヤ・キリスト教の神が愛する者を戒める神であるとすれば、戒めをはるかに超える
あるいは戒めには当たらない上記のような例はユダヤ・キリスト教ではどのように
説明されているのでしょうか?

645:神も仏も名無しさん
10/04/30 00:07:54 2OArGXJl
>あるいは戒めには当たらない上記のような例はユダヤ・キリスト教ではどのように
>説明されているのでしょうか?

定説は存じません。旧約・新約をざっと読み直してみましたが、そうした説明は見当たりませんでした。
ある意味ヨブ記がそうなのかもしれません。どのように説明をつけるようになるにせよ、
殺人やレイプですら(極論するなら)試練や悪魔の仕業として処理し、
ヨブ記の最後みたいに、事後に多大な恩寵を神から手渡すパターンにしか出来ない気はします。

赤ちゃんの死の場合は、神が公正である以上、その救いは否定されない、そうです。
URLリンク(www.christiananswers.net)(プロテスタント系、英語)
URLリンク(www.christiananswers.net)(でもリンク元のこちらは日本語)
幼児洗礼の論理として、原罪の赦しを経る必要があるという考え方もある。
URLリンク(www.geocities.jp)(正教会系)
カトリックでは洗礼を受けてない場合は、幼児の辺獄という考え方で処理するようです。
でも確定論というよりは希望、という位置付け(最初のリンクに近い)。

非業の死、善人や子供なら認める、と確定してしまうと、
信仰心を救いの基準にする意義が薄れてしまいかねず、彼らにとっても難しいところでしょうね。

646:20
10/04/30 07:27:11 d4HEZuhx
>>645
詳しい説明とリンク先の紹介、ありがとうございました。
論点は二つに分かれるかと思います。
1. 善人・幼児の悲惨な死の原因は何か。
2. その場合の救済はあるのか、あるとすればどのようなものか。

1.はリンク先の資料でも明示的には示されていないので
>>645さんの言われるように「試練」「悪魔の仕業」として処理するしかないのでしょうね。
(「試練」に関しては死んでしまった場合は試練も何もないようなw)
あるいはそのような憂き目に遭ってしまう人は、人間の理解が及ばない神の
大いなる計画の中の不運なコマでしかないのでしょうか。

2.はご紹介いただいた一つ目の資料ではImputed Sinになり、とりあえず永遠の死は
免れることになる希望はある、ということですね。(プロテスタント、カトリック)
ただし二つ目の資料のように、幼児洗礼を罪の許しの要件とする立場もある。(正教会系)

私の疑問点は主に1.に関するものなのですが、2.に関しても
たしかに信仰義認の教義と抵触してしまうこともあり、クリスチャンにとっても
簡単な回答は難しいのでしょうね。
たいへん勉強になりました。

647:前世は一在家
10/04/30 07:58:27 E4ZHWwtF
>>644 20氏
>文書仮説からの推論としては中心的なユダヤ教は
>多神教→拝一神教→唯一神教のような過程をたどったとされるのが一般的であると
>思われますが。

旧約(クムラン・テキスト版含む)で見ましても、多神の中で拝一神を命じる啓示
を預言者イザヤに下されたいうことでしょうか。

釈尊が説法対象相手に応じて法の説き方を替えたように、
イスラエルの守護神もその時代や預言者や詩人に応じて真理、啓示の説き方を
替えたという仮説を立てております。

換言しますと、唯一神教へのような過程は後世の人の都合であり、文献上では
多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示とが旧約に並存しているということでしょう。


648:前世は一在家
10/04/30 08:00:18 E4ZHWwtF
(士師記)Judges 11:24
11:24 汝は、汝の神ケモシが汝に取らせるものを取らないのですか。
   我々は我々の神、主が我々の前から追い払われたものの土地を取るのです。
(Judges 11:24)
Wilt not thou possess that which Chemosh thy god giveth thee to possess?
So whomsoever the LORD our God shall drive out from before us,
them will we possess.

(サムエル記上)Samuel 1
26:19 「他の神々に仕えなさい」と言って、今日、私を追い出し、主の嗣業に
   預かることができないようにしたからです。
(Samuel 1 26:19)
They have now driven me from my share in the LORD's inheritance and have said,
'Go, serve other gods.'


649:前世は一在家
10/04/30 08:03:27 E4ZHWwtF
(イザヤ書) Isaiah 45:22
45:22 地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。
   わたしは神であって、他に神はないからだ。
(Isaiah 45:22)Turn to me and be saved, all you ends of the earth; for I am God, and there is no other.

(Deuteronomy 32:8-9)
When the Most High gave the nations as an inheritance, when he divided mankind,
he fixed the borders of the peoples according to the number of the sons of God.
(申命記 32:8-9) ※クムラン・テキスト版
いと高き者は神の子らを分け、諸国民にその嗣業を与えられたとき、
神の子らの数に照して、諸々の民の境を定められた。

(Psalm 82)
God stands in the divine council;in the midst of the gods he holds judgment.
I said, “You are gods, sons of the Most High, all of you;
(詩篇)
82:1 神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、さばきを行われる。
82:6 私は言う、「あなたがたは神だ、あなたがたは皆いと高き者の子だ。」


650:神も仏も名無しさん
10/04/30 13:40:58 8PiA0gNP
>>647
>文献上では多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示とが旧約に並存しているということでしょう。
旧約に並存しているのは、多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示、唯一神を示す啓示(イザ44:6、45:5-7)があります。

651:前世は一在家
10/04/30 14:44:40 WrtqQ/cV
>>650
>旧約に並存しているのは、多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示、唯一神を
>示す啓示(イザ44:6、45:5-7)があります。

より正確にはそうですね。 補足を有難うございます。



652:神も仏も名無しさん
10/04/30 15:15:07 mYeQWTpn
横レスすいません

神様は寂しがりやのアーティストなのさ
だから、天使や人間を作った
天使にも、自由意志をある程度与えたが、それは神に絶対に服従と言う縛りがある
自由意志にすぎず、寂しがりやの神と対等な話し相手にはなれなかった。
そんで、アダムを作ったんだが、彼には天使に無い本物の自由意志を与えた。
それは、アダムに裏切られる。そむかれるという前提のものだった。
知恵の実を食べて、神の信頼を裏切ってしまうのが罪の始まりだと解釈している。
神は、悪に対しても熟知しておられる。善だけでは不完全だからね。
だから、ヨブやイエスを試すために悪魔が用いられる。
人間は自由意志で神を否定も出来るし、悪に染まることもできる。
しかし神は自由意志を善に向けてるのだと思うよ。 駄文すまん

653:神も仏も名無しさん
10/04/30 17:27:42 8PiA0gNP
>神は自由意志を善に向けてるのだと思うよ。
自由意志を善に向けるためのアドバイスが
マタイ26:41
「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。」
だと思います。
watch(原義:目を覚ます)
注意して見る、じっと見ている
ジーニアス英和辞典

watchスペル分解こじつけ。
w-あなたのwords(言葉)に注意しなさい。
a-あなたのactions(行動)に注意しなさい。
t-あなたのthoughts(想い)に注意しなさい。
c-character(人格)に注意しなさい。
h-heart(こころ)に注意しなさい。
誘惑にwatch(注意)しなさい。

654:前世は一在家
10/04/30 17:55:10 WrtqQ/cV
>>652
>神様は寂しがりやのアーティストなのさ

そうですね、神は大芸術家ですね。

この物質界に神界の写し絵「エデンの園」地上天国の建設を望まれて
神経綸(青写真)にて天地と人類の創造をなされたと伺っております。




655:前世は一在家
10/04/30 18:10:57 WrtqQ/cV
「悪」とは何でしょうか? 利他愛の反対の自己愛から発生する思い、
行為でしょうか。 

マリア伝では「良心」と「欲心」との対話の章がありますが、釈尊も
「欲心」から生じる固執・執着が苦しみの原因だと説かれております。

エッセネ派の宗規要覧では「欲心」は人の創造時に与えられた「闇の箇所」
に起因することが説かれております。

旧約や新約とは離れましたが、エイレナイオスのいた頃にはこれらの文献
も存在して読まれていたということです。
そしてニケーア公会議以降に異端として焚書されましたが、1600年後に
復活して現在に至っております。

PS
数日、外出しますので、しばらく失礼致します。


656:20
10/04/30 23:50:55 d4HEZuhx
>>647
> 換言しますと、唯一神教へのような過程は後世の人の都合であり、文献上では
> 多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示とが旧約に並存しているということでしょう。

預言の書あたりまで含めれば文献上も明確に唯一神信仰が見られると思います。
在家さんの場合、多神教(及び拝一神教)的なテクストを真の預言、唯一神教的な
テクストを後の意図的修正と仮定している、ということですね。
よってイエスも真の預言者である限り、「本来の」ユダヤ教に忠実に多神教(及び
拝一神教)的な文脈の中で発言しているはずだ、ということですね。

正典化された福音書に他の神に言及する箇所がないのは、正典化作業に携わった
人達による隠滅工作であり、正典から外され禁書された福音テクストの中に
多神教(及び拝一神教)的信仰に言及する箇所が含まれているはずだ、
というのが在家さんの仮説ですね。

となると仮説の検証上重要なのは、ナグ・ハマディ文書がイエスの言行を読み解くのに
どこまで信頼性があるのか、そこには明確な形で多神教・拝一神教を示す言葉が
書かれているのか、ということになりますね。
少なくとも正典化されている福音書よりナグ・ハマディ文書のほうが
イエスの言行を読み解く点において信頼性が高い、ということが示される必要がありますね。


657:神も仏も名無しさん
10/05/01 10:14:58 lfLSwbXt
クムラン文書にはイザヤ書写本も含まれていますね。
クムラン・テキスト版イザヤ書の唯一神論のくだりが、
現行の聖書に収録されているイザヤ書と同じであれば
エッセネ派も唯一神論信仰だったと言えると思います。

658:神も仏も名無しさん
10/05/01 10:41:06 lfLSwbXt
知恵の系譜(7)クムラン宗団の信仰
URLリンク(www1.ocn.ne.jp)
モーセの律法を破ってはならない、ということに凄まじく厳格ですね。
ファリサイよりも厳しくなおかつ霊的側面もより尊重している。
「あがないの生贄を認めない」(>>122)ってのは、その価値を認めていないという意味ではなく
「神の手を煩わせてはならない」という発想からのものじゃないでしょうか。
モーセの律法をひたすら研究・実践し、破らないのが大前提になっている。

和田幹男/死海文書と聖書
URLリンク(mikio.wada.catholic.ne.jp)
>イザヤ書だけはその全書の写本が出土した。

>ⅱ)つぎにその古い写本断片によってマソラ本文が信頼するに足るものであることが証明された。
>前述したとおり死海文書中全聖書の本文が完全にあるわけではないが、イザヤ書はその全書があるので、特筆すべきであろう。
>これをマソラ本文と比べることによって、マソラ本文が1000年の年月を経て
>忠実に写し伝えられた本文を保っていることが明らかとなった。

このぶんだと唯一神論もそのまま、か?

659:神も仏も名無しさん
10/05/01 11:53:09 lfLSwbXt
唯一神論部分(>>607)の英訳
Column XXXIX The Great Isaiah Scroll 45:21 to 47:11
URLリンク(moellerhaus.com)
URLリンク(moellerhaus.com)
26. (18.) For thus says YHWH creator of the heavens; He is the God and He formed the earth and made it; and he
27. prepared it, He did not create it void, he formed it to be inhabited: I am YHWH; and there is no one else.

かくして天の創造主ヤハウェは言われる。彼は神であり、彼が地を形作りそれを造り出した。
そして彼はそれを用意した。彼はそれを空虚なものとして創造しなかった。彼はそれを居住に適したものとして形作った。
私はヤハウェである。そして他にはいない。

who has told it from then? Is it not I YHWH? and there is no other
2. God beside me; a righteous God and a Savior; there is none beside me.
(22.) Turn to me, and be saved, all the ends of the earth: because
3. I am God, and there is no other.

誰がその時からこれを語っていたのか。わたしヤハウェではないか。他にはいない。
私と並んで神、公正なる神、そして救い主。私に並ぶものはない。
大地の果ての万人よ、私に立ち返り、救われよ。なぜなら私は神、他にはいないからである。

※和訳はてきとうです。

660:20
10/05/01 16:26:05 fNmQT9+N
>>657
重要な着眼点だと思います。ただしエッセネ派の秘儀的解釈という特徴を考慮すると
イザヤ書がマソラ本文と同一であっても、唯一神に関する正統ユダヤ教の解釈と
エッセネ派の解釈は必ずしも同一であるとは言い切れないと思います。
とはいえ、私も>>658の解説を読む限りエッセネ派が多神論的な解釈をする教団だとは
思えません。

(ここからは>>658さんがリンクを載せた主旨とは全く関係ない私の印象です。
私は一つ目のリンク先の、エッセネ派の教義からイエスへとつなげていく論法に
非常に違和感を覚えます。エッセネ派における祭司・王・預言者の三者が
イエスの中にひとつになって統合されている、と言いうるには
そもそもエッセネ派の解釈において三者の統合されたペルソナなどという
存在が許容されるのか、イエスは自覚的に自らをその三者の統合体であると
考えていたのか、など説明を必要とする論理の欠落があまりにも多く見受けられるからです。
ヨハネ福音書を媒介としてエッセネ派とイエスを結びつけようとする意図が強く働いている
気がします。まあこんなふうに思うのも私がヨハネ福音書を否定的に捉えてるから
かもしれませんが。)

>>659
> who has told it from then? Is it not I YHWH? and there is no other
> 2. God beside me; a righteous God and a Savior; there is none beside me.

一行目と二行目はつながっているので
「私の他に(or私と並ぶ)神はいない。義なる神にして救い主。
私の他に(or私と並ぶ)神はいないからである。」という感じでは?

besideの元のヘブライ語がどのような意味範囲を持っているかによって
訳(解釈)は違ってきちゃいますね。besideという英訳は元のヘブライ語の
多義性を反映してるのかな?どちらにしろ他の句と照合すると
まず間違いなく「他に」の意味で使ってると思われます。

661:前世は一在家
10/05/01 22:12:40 p/jXkbl5
>>656 20氏
只今、外出先の高山市より帰りました。

>在家さんの場合、多神教(及び拝一神教)的なテクストを真の預言、唯一神教的な
>テクストを後の意図的修正と仮定している、ということですね。

多神を示すテキストであってもその啓示を降ろされたのがYahwehであるという点が
重要であり、これはユダヤ教徒もキリスト教徒も否定できないでしょう。

次に唯一神教的なテキストですが、下記の2つの場合を想定します。
①後世の誰かが改竄した。
②その時代の預言者の資質に応じて神が啓示の降ろし方を変えられた。

①の方は案外簡単に証明できます。
旧約の七十人訳とマソラテキストと、クムランテキストとを比較して相違箇所を
検証すれば良いからです。

死海文書の研究者たちが驚いたことは、クムランテキストとの相違点が当初想定
していた以上に少ないということです。
申命記の「神の子らの数に従い」が「イスラエル民の数に従い」とか「天使の数
に従い」とかいった相違点は極めて少なく、2千年にわたりラビ達が非常に正確に
書き写してきたことが検証されております。

ですから②の解釈のように、最初から預言者によっては唯一神教的に啓示を降ろし、
また別の預言者に対しては多神教(及び拝一神教)的に啓示をおろされたのでは
ないかというのは私の仮説でございます。

例えば神を疑い易く、啓示を伝える勇気の少ない預言者には、強く唯一神教的に
啓示を降ろされたのではなかろうかと、これまで別の神を信じてきた預言者には
多神&拝一神教的な伝え方をされたのではと思料します。


662:前世は一在家
10/05/01 22:30:57 p/jXkbl5
>>660 20氏
>私も>>658の解説を読む限りエッセネ派が多神論的な解釈をする教団だとは
思えません。

私の現時点の知識では、エッセネ派が多神論的な解釈をするという文献上での
証拠はございません。

ただし、魂や運命に対する解釈がパリサイ派やサドカイ派とは異なっていたようです。

【死後の生】
(パリサイ派)死者の復活を信じた。
(サドカイ派)死者の復活のような奇跡を一切否定した。
(エッセネ派)
肉体は滅びるものであり、それを構成する物質は永遠ではないが、
霊魂は不死で滅びないと確信していた。

【運命(予定論)】
(パリサイ派)
ある出来事は運命による業の結果であり、その他は人間側の自由意思にかかっている。
(サドカイ派)運命の存在を認めない。
(エッセネ派)
いま存在しているものや、これから存在するもの、それらすべては知識の神から来る。
神は、それらが存在する前に、それらの全体的な構想を考えられた。(宗規要覧3:15)
(神の青写真に従って歴史が展開されるという意味でしょうか。)

参考:「死海文書のすべて」青土社


663:神も仏も名無しさん
10/05/01 22:31:50 9Wo5dfGc
超自然を認めるなら

③初期イスラエル人には唯一神論が理解できず、拝一神に置き換えてしまった。

ってのもアリですね。

664:神も仏も名無しさん
10/05/01 22:39:16 WbGZxcdP
聖書も人間が書いたもの。「神」とは、人間の空想上の産物。

古代人が、その生存という至上目的のために、何故、神概念を作り上げ、それを他者に
説かなければならなかったのかを、人間の生物的生存努力の面から、考える必要がある。
その場合、古代人は科学について無知蒙昧であった事実を考慮に入れる必要がある。

共生集団をまとめるためには、何らかの権威が必要である。その目的のために、更なる
はるかな過去において集団をまとめていた優れた指導者の記憶をイメージ化したのが、
神概念であろう。その過去の指導者も、自己の補助者として、複数の人間を要したこと
には間違いない。どんなに偉い王でも、補助者としての同僚や忠実な臣下が必要である。
そのような複数の同僚や臣下の記憶のイメージ化が「多神」ではなかろうか。「神々の
会議」である。

「神概念」が人間の想像の産物である以上、「人間の生存のための必要性」の面から、
神の起源を考えるべきではないか。

イエスは、はるか後世の人間であるから、「神」とは関係ない。彼は、すでに形成
されていたそのような神概念が、「過去の指導者(及びその臣下)の記憶のイメージ
化」に過ぎないことに、もはや思い至ることができなかったのであろう。現代人でも、
未だに「人間にあらざる神」を信じ込まされているのと同様である。

なお、引用における「beside」は、英語的には、あきらかに「other than」の意味。
過去の指導者の同僚や臣下が捨象され、一人の指導者のイメージのみが拡大されて
抽象され、生き残ったのであろう。

例えば、大国主命も、過去の優れた医療者の記憶のイメージ化であろう。

665:前世は一在家
10/05/01 22:41:55 p/jXkbl5
>>656 20氏
>となると仮説の検証上重要なのは、ナグ・ハマディ文書がイエスの言行を読み解くのに
>どこまで信頼性があるのか、そこには明確な形で多神教・拝一神教を示す言葉が
>書かれているのか、ということになりますね。
>少なくとも正典化されている福音書よりナグ・ハマディ文書のほうが
>イエスの言行を読み解く点において信頼性が高い、ということが示される必要が
>ありますね。

先に紹介しましたように、ユダ伝では旧約の神と至高神とを区別して記載されて
おりますし、イエス様が処刑をユダに密かに命じたとあります。

トマス伝、フィリポ伝、マリア伝ではどうだったのかを、新約と対比して
また調べておきます。

ただ共通している点は、イエス様は快活な方でよく笑い、女性信者達からも
大変慕われていたということでしょうか。
若い教父が選んだ四福音書に記載されたイエス様と少しイメージがことなります。


666:神も仏も名無しさん
10/05/01 22:54:56 jr0rScrg
前にも書きましたが、ケツを叩いてけしかけるために、事実とは異なるコトを吹き込む、ってのは相当エグいことですわ。
拝一神で他の救いを否定した上に、さらに逃げ場を排除するために、さらに否定を押し重ねてあるんですから。
そういうことやるくらいなら、初めから嘘を使わずに済む人材を選べばいいと思うのですが。

③は③でも問題が出てきますね。唯一神論を最初からしっかり記述させず(orできず)、
これはこれで使える、と拝一神論状態をあえてそのままにしていた、ってことになりますからね。
神から、実はその記述誤りなんだが……と言われたら確かに信者は混乱する。
そう見えるけどそりゃ表現なんだよ、と処理させる。

どちらにせよ生暖かい説明になってしまいますね。

667:神も仏も名無しさん
10/05/01 22:59:32 jr0rScrg
もし四福音書とユダ伝が同時に正しいとしたら、
表でヤハウェにアッバ(父ちゃん)と呼びかけておいて
裏では彼を信仰する立場を笑う、っていう。
どんだけアンタ裏表あんだよ、って話に。
こんなのは方便じゃなくてただの処世術ですよ。

668:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:00:20 YpcxLjgv
結局神様なんかいないんだろ?
よりにもよって、あの中国に97%のレアアースを置いとくなんて、有り得んだろ。

669:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:11:26 vSXSI60o
>>667
イエスが、神に向って「父ちゃん」などと呼びかけること自体が、神を崇めては
いないことの証拠。イエスは、その精神病の症状としての誇大妄想から、「自分
が神に(少なくとも神の親類に)、なりたかった、なった積り」だったのである。

イエスにとって、「自分が神になる」ためには、創造主はライバル、それ以上に、
「目の上のたんこぶ」だったのである。だから、賢しらげに、旧約聖書に対して、
得意げに余計な一言を付け加えている。

670:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:15:19 bZW3EP4M
ヤハウェ信仰の普及以前の神観念の痕跡が
ヤハウェと同一視されている可能性も捨てきれん。

671:前世は一在家
10/05/01 23:21:13 p/jXkbl5
>>664
>聖書も人間が書いたもの。「神」とは、人間の空想上の産物。

私もこれまで色々な宗教の啓示集(神示集)を調べてきましたが、
いくつかの共通点があります。

①短時間で非常に多くの啓示が降りることが多い。
②宗教の素人に啓示が降りることが多い。
③数百ページに及ぶ啓示であっても終始一貫している。

どんな知能指数が高い人間でも、人智で啓示集を創作した場合は、同等の
知能指数の人間が読んだ場合に終始一貫性が崩れておりますので分かります。


672:神も仏も名無しさん
10/05/01 23:31:06 bZW3EP4M
新約聖書は神を固有名詞で呼ばず、単に「主」や「神」あるいは「父」
ともっぱら普通名詞で呼んでいるのは、神の名を発言することを敬遠する
ユダヤ教の習慣に従ったものと思われる。


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