10/04/14 06:33:01 Ow2SkXNl
>>451
>完全なる人間は離婚するのか?
釈尊でも妻子を捨てて家を出て、苦行し悟りを得ております。
モーゼも王子の頃は戦場で大勢を殺し、家を出て、苦行した後に神の声を
聞いておりませんか。
「完全なる人間」の境地に達するまでには試練が多数あり、離婚も家出
もあるでしょう。
453:神も仏も名無しさん
10/04/14 18:24:19 V39FbvwU
>>447
>アインシュタインもオバマ大統領も良心と欲心とがバランスした
>「完全なる人間」に近いかと。
在家氏は、かれらの良心と欲心がバランスしているらしいと
どうしてわかったのですか。不思議ですね。
454:神も仏も名無しさん
10/04/14 18:29:36 V39FbvwU
>>452
それから「完全なる人間」の意味が不明です。
聞きなれない言葉なので、簡単に定義してほしいです。
455:神も仏も名無しさん
10/04/14 18:35:59 V39FbvwU
>>448-449
謙虚さを忘れてますね。エックハルトなどと偉そうだけど、
まだまだなのが言葉の端々に表れています。
456:神も仏も名無しさん
10/04/14 21:13:15 V39FbvwU
ダニエル氏の「聖書を根底から学ぶスレ」から
ヤコブが神と戦うシーンに興味があったので覗いてみた。
しかし、わからないことはわからないままにしておこう、と慎重である。
ヤコブの話は、ヨブ記と並ぶ旧約の双璧と思っている。
明快な解釈を期待していたが残念でした。
457:神も仏も名無しさん
10/04/14 21:22:38 V39FbvwU
創世記の冒頭の解釈に関しても参考になった。
① 一元論「初めに、神は天地を創造・・・」
② 二元論「初めに・・・地は混沌であって・・・」
この②説もあることがわかった。そうなんだよね。
そういう読み方もできる。
458:神も仏も名無しさん
10/04/14 21:33:08 V39FbvwU
過去スレを見ると、まあ魚拓のようなものであり、
時間が凍りつくような印象を受けた。
459:前世は一在家
10/04/14 21:54:28 AENP3J15
>>454
>それから「完全なる人間」の意味が不明です。
>聞きなれない言葉なので、簡単に定義してほしいです。
参考:「ユダの福音書」ナショナルジオグラフィック
ある日、パンに感謝の祈りをささげている弟子達を見て、イエス様は
笑われました。弟子達の祈るこの世の最高神よりも至高の神をイエスは
知っているからとのこと。
弟子達は腹を立て、怒りだし、心の中でイエスをののしりました。
イエス様曰く、「あなた方の神が内にいて、腹を立てさせたのだ。
あなたがたの内にいる完全なる人を取り出して、私の眼前に立たせなさい。」と。
完全なる人(霊的な人)とは、死海文書に記載されていた「光の部分(霊)」
だと解釈すれば、他教に伝わる「全ての人には神性が宿り神にもなり得る」とも
矛盾はないかと存じます。
仏教徒の多くはよくご存知でしょうが、法華経の「方便品第二」の中で、
釈尊は、「すべての人は仏になりうるという最高の真実を悟っている。
(中略)とはいえ、最高の真理をそのまま説けば、無智の人は混乱し、
思い惑い、まっすぐ受け入れることができない。」と舎利弗に説く。
「全ての人には神性(仏性)が宿り、神(仏)にもなり得る」という真理が
死海文書、トマス/ユダの福音書、法華経、原始仏典等の文献上はよく一致して
まいります。
まあ、この教えの「神」とは至高神ではなく、人々を作られた神(梵天)かも
知れませんね。
460:前世は一在家
10/04/14 21:55:52 AENP3J15
イエス様曰く、「あらゆる人間の世代の魂は死ぬ。しかし、これらの人々は、
地上の時を終え、霊がその人たちから去る時、肉体が死ぬのであって、
その魂は死なず、天へと引き上げられる」と。(ユダの福音書)
原始仏典の長部経典の中に「人はト卒天から生まれ、死んでまたト卒天に生まれる」
という釈迦の説法がありますが、文献上は結構一致しております。
461:ユダ
10/04/14 22:02:42 3clvgKbe
>>460
全ての宗教は同じ真理を説いているので
そのような類似は当然と言える。
462:前世は一在家
10/04/14 22:34:24 CJ9NG4lR
>>461 ユダさん
>全ての宗教は同じ真理を説いているので
>そのような類似は当然と言える。
そうですね、イエス様も釈尊も他の預言者達も同じ真理を
説いておりました。
でも後世の弟子(しかも高弟)が原初の教えを改ざんして
しまい、現代ではお互いが対立して、憎しみあっているのが
実情です。
クリスチャンは元のイエス様の教えに、仏教徒は元の釈尊の
教えに元還りした時に対立も争いも無い恒久平和、地上天国、
極楽浄土がこの世(三次元、物質界)に顕現する日を希求して
おります。
463:神も仏も名無しさん
10/04/14 23:12:06 NGLoxyjp
>>459
>完全なる人(霊的な人)とは、死海文書に記載されていた「光の部分(霊)」
>だと解釈すれば・・・
これが「完全なる人」の定義ですか。
そうするとアインシュタインやオバマ大統領は、霊的な人、光の部分(霊)と
言うことですか。ほとんど意味不明なのですけど。
かれらが、霊的な人、光の部分(霊)とは何のことですか。
在家氏は、かれらがそういう人だと、どうしてわかったのですか。
464:神も仏も名無しさん
10/04/14 23:19:20 NGLoxyjp
在家氏は、
死海文書やナグハマディ文書を持ち出す前に、
まず聖書から話すべきだろう。聖書をそっちのけにし、
イエスがどうだ、モーセがどうだと自己流に話すのはやめてほしい。
465:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/04/14 23:40:51 Bd6Kxxz7
>>387
遅くなりましたm(__)m
ご参考まで・・・
466:前世は一在家
10/04/15 06:38:00 uZQwGb0S
>>464
>死海文書やナグハマディ文書を持ち出す前に、
>まず聖書から話すべきだろう。聖書をそっちのけにし、
>イエスがどうだ、モーセがどうだと自己流に話すのはやめてほしい。
これまで3共観福音書とヨハネ伝との比較を行いました。
ヨハネ伝の異質性とヨハネ書簡のグノーシス性もをいくつか見つけて
提示しました。
ナグハマディ文書とヨハネ伝との比較も行っております。
同様に旧約もマソラテキスト、七十人訳とクムランテキスト(死海文書)
との比較、精査を行っております。
以上、私のアプローチです。
ニケーア公会議以前のエイレナイオスが「異端反駁」を書いた頃の
原始キリスト教を検証しております。
467:前世は一在家
10/04/15 06:44:37 uZQwGb0S
>>466
>ニケーア公会議以前のエイレナイオスが「異端反駁」を書いた頃の
>原始キリスト教を検証しております。
「全知全能」が神様の預言者への自己申告であったように、
「正統と異端」もエイレナイオスの自己申告だったということです。
死海文書やナグハマディ文書が1600年後に復活した事実を偶然だと
思いますか?
私は「神経綸」の一つだと考えております。
468:前世は一在家
10/04/15 07:28:11 X5bMyBtc
>>463
>かれらが、霊的な人、光の部分(霊)とは何のことですか。
>在家氏は、かれらがそういう人だと、どうしてわかったのですか。
彼らが偉人だからです。他にも偉人は多数おられます。
「偉人」と善良な男女、兄弟達との違いはどこでしょうか?
「偉人」の共通点は良心を保ちつつ、自己実現欲(欲心)をうまく
コントロールして努力を惜しまず、各分野で大成しております。
原初のアダムは欲心が無ければ、努力もなかったかと思料します。
469:神も仏も名無しさん
10/04/15 11:52:42 z3EtqrXe
>>468
あなたは言葉を言い換え、都合いいように話を歪めていると思う。
完全なる人間→霊的な人→光の部分(霊)→偉人→善良
>>447 >>459 >>468
あなたが言い換えた、どの言葉も違う意味ですよね。
「完全なる人間」に近い「オバマ大統領」は霊的な人なのですか。
それから「オバマ大統領」は偉人?
生きている人間に対して「偉人」とは言わないと思う。
470:神も仏も名無しさん
10/04/15 12:01:59 z3EtqrXe
>>466-467
あなたがどんなアプローチをしても自由だけど、
死海文書やナグハマディ文書を語る専用のスレがありますよね。
あなた用のスレではないですか。そこでやってください。
【イエスの】ヨハネ伝とグノーシス【神格化】
471:神も仏も名無しさん
10/04/15 12:10:20 z3EtqrXe
【シークレット】神智学総合スレッド【ドクトリン】からの移動です。
782 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/04/14(水) 23:26:26 ID:Bd6Kxxz7
ご意見とご質問への回答です
----------------------
それは~ごめんなさい!
膨大で微妙な意味合いを含んだ概念を一言で簡単に済ませようとするのが、所謂、“専門用語”の
使用ということであると思います・・・そこに便利さがある。これはどんな宗教でも、きっと同じであろう
かと思います。
ただ、あまり平易に述べてしまうと、結局は曖昧で不明確なものとなりやすく、神智学的にはこれは
是非、避けたいところでしょう(神智学としての意味がない)。そして、詳細に説明したものというのは
難解になりやすい傾向になるのではないかと思います。
本当は詳しくて分りやすい説明というのが良いのでしょうが、それはなかなか出来ません・・・。このス
レには、難しい事柄を丁寧に分りやすく説明できる旨い人が多くいますから、真摯に質問すれば有益な
返答が得られるかと思います。
>>そして、一定期間を経てアストラル体が消滅したら
>アストラル体は情緒界ですよね。平たく言えば<感情界>でしょう。
>感情が死後の世界だとはとても思えないですね。
感情というのはエネルギーであり、肉体の崩壊後(死後)でも異常な状態にあるアストラル体(感情/
情緒体)というのは、そのまま残存し続けます。「痛い」「苦しい」「熱い」「怨念」・・・などといった激しい
感情の想いは“想念波動”として空間や周囲の物質に付着して留まっています。これら心霊現象の中
で、幽霊状態となっているのをカーマ・ローカとも呼びます。
ここに意識の焦点が置かれている状態は、本人にとり、ある意味で地獄的なものといえるだろうと思
います。このエネルギーが消耗し消失すれば(次にメンタル体の崩壊の過程を経て)、いよいよ意識の
焦点は本来の魂へと移行します。
もちろん、良い働きをしている高次のアストラル存在もありますが、彼らもいつかはそのアストラル体
が消失します。尚、この界層では覚者方からの通信は得られません(メンタル界でのコンタクトが必要)。
472:神も仏も名無しさん
10/04/15 12:12:05 z3EtqrXe
783 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/04/14(水) 23:27:27 ID:Bd6Kxxz7
>>今度は意識の焦点は魂へと集約されて“デヴァチャン”へと入るわけです。
>感情の次は<意識>ですか。
>この世でも多くの人が自分探しをし、魂に関心を持っていると思います。
魂存在について関心を持ったり、更には、意識的に自己の魂との接触を求める段階になれば、確か
にそれは自己のパーソナリティー(低我)側と、そして魂側の双方からによる歩み寄りが始まった証拠
といえるでしょう。ただ、死後に意識の焦点が自己の魂へと自動的に移行する、といったこととは全く別
のことです。
また元々、各諸体というのは実体ではないのです。従って、神智学では所謂、霊界活動については重
きを置かないのです。
>>時間のない至福の境地であり、キリスト教のいう「天国」の概念に
>>ほぼ相当するものです。ここで次の転生に向けて備えることになる。
>天国にいたら転生しないでしょう、という疑問はないのかと。
転生するということは、本質的には“霊による物質の経験”という意味があり、これによってロゴスの
御径論(神の意志とプラン)に仕えることになります。ていうか・・・このこと自体が、本当はロゴス御自
身による自らの行為なんです。人間としては、人生経験の最低必要分の学びが獲得できるまでは必
然的に転生を繰り返します。
そもそも物質現象界の出現(創造)そのものが、ロゴスご自身による降下、高波動からの(波動の)低
下に他ならないのです。
以上、取り合えず・・・こんなところです。遅くなりました m(__)m
473:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/15 12:17:09 vVFJ0zIt
魂に自我や意識はありません。
神と同じく観測出来るだけです。
アストラル体と混同されますが
両者は別の物です。
474:神も仏も名無しさん
10/04/15 17:01:28 z4b/cJuo
神は時間を超越するでしょ。つまり時間に拘束されない。
で、神が初めに自由に人間Aの滅びと、救いを決定したとする。
それで、人間Aが救われたとする。
だとすると、神の決定は未来に拘束されるでしょ。
つまり、救われた人間Aから見れば、神は人間Aの救いしか決定できない、でしょ
それでは、時間に拘束されない神の自由ではなくなるよね。
と言う事は、初めに神が人間Aの救いと滅びを自由に決定したとすれば、
未来は、人間Aが救われる世界と、人間Aが滅びる世界の二通りあるんだな。
全ての事を、神が初めに自由に決めたとすれば、世界は無数にあるんだな。
神は時間に拘束さずに自由に物事を決定するとすればね。
475:神も仏も名無しさん
10/04/15 17:06:20 z4b/cJuo
それから基本的な考え方として、聖書は霊肉二元論は取らないから。
だから使徒信条は「体のよみがえり」なんだな。
476:神も仏も名無しさん
10/04/15 18:51:06 dVXRbty6
>>474
自由意志で決定したのなら拘束されてることにならない。
自由の問題はその決定以前にあるからです。
決定する前は選択肢があるけど、決定した後は選択肢がまったくない。
これは時間に拘束されない神であっても同じでしょう。
なぜならそれが神の意志だからです。
477:神も仏も名無しさん
10/04/15 19:02:19 dVXRbty6
神が何事かを意志した時、それが実現するためには法則が前提になる。
未来が預言できるのは、ものごとが法則に従うからでしょう。
世界は一定の法則に従う、これが預言の前提です。
神が時間を越えているということは、
永遠のはるか彼方の時間が、今この一瞬に凝縮しているということです。
478:神も仏も名無しさん
10/04/15 19:13:23 dVXRbty6
>>475
パウロは霊肉二元論であり、聖書は二元論ではないかと思っています。
人間はこの世で霊と肉の二重性を生きています。
死ぬことで、肉を脱ぎ捨て、霊的存在になり、あの世(霊界)に住むのです。
しかし、スエデンも驚いた、この世への転生が生じる場合があります。
転生すれば、使徒信条の<体のよみがえり>が現実になります。
479:前世は一在家
10/04/15 21:05:04 VcfaBFGQ
>>470
>死海文書やナグハマディ文書を語る専用のスレがありますよね。
>あなた用のスレではないですか。そこでやってください。
貴兄はこの板の入り口の看板を一度でも見ましたか?
「キリスト教に関するハイレベルのテーマを議論するスレです。
たとえばグノーシス、スウェデンボルグ、ミトラ教などであり、
キリスト教を豊かにし、深めることが目的です。 」
そして貴兄が提示の板の看板は、
「3共観福音書とヨハネ伝と他の新約文献を比較研究して
ヨハネ伝の性格(イエス神格化)を浮き彫りにします。 」
あちらはヨハネ伝の検証の為の板だとご理解いただけました
でしょうか。
それから、クムランテキスト(死海文書)はグノーシスとは関係なく
現代の最新鑑定方法で世界最古の旧約聖書だと分析されております。
これを否定すれば、マソラテキスト、七十人訳も否定し、旧約の
予言を正当性の検証に用いた新約も否定することになりますよ。
480:前世は一在家
10/04/15 21:34:50 VcfaBFGQ
>>479
>それから、クムランテキスト(死海文書)はグノーシスとは関係なく
>現代の最新鑑定方法で世界最古の旧約聖書だと分析されております。
クムランテキストは最古のギリシャ語旧約の原本だという神学者達の
論文もあると伺っております。
尚、グーグルにて「Dead Sea Scrolls Deuteronomy 32:8 EL」で検索すれば
「死海文書」版の申命記32:8の多くの解説を英語で読むことができますよ。
481:前世は一在家
10/04/15 22:29:20 lEh8WUaC
>>467
>「正統と異端」もエイレナイオスの自己申告だったということです。
■エイレナイオスの新約聖書論
以下に彼が現在の正典四福音書を正統と主張した根拠の概要を示します。
現代の神学者達を納得させられるような論理性は無いそうです。 (参考:「禁じられた福音書」、青土社)
・全世界は「四つの領域」と「四つの方角」から成っているように、教会も「四つの支柱」を持たねばならない。
・ケルビムの四つの生き物がいる。(エゼルキエル書1:5-10、黙示録4:7)
・ヨハネ伝は、ロゴスの受肉を述べるから最も王的な「獅子」
・ルカ伝は、祭司ザカリヤの話で始まるから生贄にもされる「雄牛」
・マタイ伝は、イエスを人間として描くから「人間」
・マルコ伝は、霊のように鋭く飛ぶように迅速に叙述するから「鷲」
・ヨハネ伝はモーゼ以前の族長時代、ルカ伝は律法以後の旧約時代、マタイ伝はロゴスが受肉した時代、マルコ伝は聖霊が派遣されている時代を表わす。
エイレナイオスは真剣ですが、一見便宜主義的な「数合わせ」に思われます。
482:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/04/16 00:22:33 wje7JNV8
>>473
一応、異なる見解としての意見を述べておきたいと思います。
「神」や「魂」は観測では捉えられません。
これらは客観的な方法では確認できない。
捉えられるのは、あくまでもその属性一つの部分部分にしか過ぎず、
ただ、その属性によって起こる現象を見ているだけなのです。
「神」や「魂」というのは主観として自覚するものであって、
これは完成者だけが自己意識として自覚して、体験するものです。
我々のレベルでは、自覚できるのは低級我の範疇であって、
アストラル体の情緒活動と自己との同一認というのは、しばしば経験するものです。
しかし、本当の意味においては、
これら(アストラル活動、及びそれを自覚する自我意識)というのは実体ではありません。
従って、この二重性質(二元性の世界における生存)についての理解が必要なのです。
2ch/神智学関係の総合リンク集ページ
URLリンク(houjugusya.web.fc2.com)
483:神も仏も名無しさん
10/04/16 00:29:34 zemKg0sW
専用スレッドがあるんだから、あっちでやれ、と人に言うのに
自分は専用スレッドからわざわざ持ってきて
ここでやる。理不尽でしょう。
言行不一致にもほどがある。在家さんに謝っていいレベル。
484:ユダ
10/04/16 00:40:43 yNQvHiwg
魂を自覚する方法はある。
不可能に近いが無我の境地に立てば
唯の観察者たる己の魂を知る。
私は自覚している。
485:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/04/16 00:47:48 wje7JNV8
>>484
レスに感謝!!
では、あなたを“不可能に近い境地に到達している方”として見ることにします。
>>483
このスレに望んでいる人もいるようですが・・・。
神智学には聖書(の記述)についてのそれ独自の解釈もあるので。
大丈夫です。長居いませんから m(__)m
~ごきげんよう
486:前世は一在家
10/04/16 06:43:11 nxk5/U2Q
>>482 宝珠氏
>「神」や「魂」は観測では捉えられません。
預言者達は神の声を聞いたり、神の姿を見たりしたと伺います。
もし聖書に登場した白く輝くモーゼ、エリアを預言者以外も目撃した
のであれば、神の側から可視化してきたことになります。
大抵は預言者にしか声が聞こえませんから、テレパシー(読心通)
でメッセージを送ってきているかと存じます。
487:神も仏も名無しさん
10/04/16 07:10:44 hurAuDgn
>>486
>預言者達は神の声を聞いたり、神の姿を見たりしたと伺います。
幻聴と幻覚では?
488:宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
10/04/16 07:22:10 wje7JNV8
>>486
もし、高位のイニシエートや覚者存在(5段階以上のイニシエート)とのコンタクト(メッセージ)などがあっても
聖書世界での信仰者たちの理解(言葉)で表現すると、すべてが「神」ということにされるのですよ。
エロヒームという“人格神”は(太古、金星から飛来されて)、
エーテル体にてこの惑星上のシャンバラに在住していますが、
しかし、このお方も厳密にはロゴス御自身ではありません。
もちろん、我々人類に息を吹き込まれた存在ですから、
我々にとっての父なる神に相当はしますが・・・。
また、私がいうところの、
自己(の本質)が神御自身(の分霊)であることを自覚していく過程というものは、
(自己の)主観の世界における内的体験である(客観的なものではない)、
という話をしたのです。
~では、
在家さんの素晴らしいオカルティズムな聖書学の研究を更に期待していま~す^^
(素晴らしいご研究であると思います)
これ以上は、
お叱りを受けるので、さよならしまーす m(__)m
489:神も仏も名無しさん
10/04/16 17:07:13 7KevjnpS
>>488
参考になりました、ありがとう。
しばらく発酵させ、再び神智学を語るかもしれません。
>>483
このレスはたぶん、わたしに対するものです。
神智学を批判したのはわたしであり、宝珠氏はそれに対して反論し、
神智学を要約してくれたのです。
一連の流れがあるので、このスレにコピペして当然でしょう。
490:神も仏も名無しさん
10/04/16 17:15:10 7KevjnpS
>>479
このスレのテンプレはよくない。
>>2-7 に、そのあたりのことが書かれている。
修正できないので、そのままになっているのではないだろうか。
491:神も仏も名無しさん
10/04/16 17:26:57 7KevjnpS
>>479
在家氏は何かカン違いをしているように思う。
死海文書、エッセネ派、ナグハマディ文書、エレイナイオスなど、
魂の救済にとってほとんど意味がない。
異端として処分された思想は、これからも異端として処分されるだろう。
いまある聖書で100%間に合う。まず聖書からスタートしよう。
492:神も仏も名無しさん
10/04/16 17:42:13 7KevjnpS
>>479
在家氏は崇教真光の信者だそうですね。
何を信仰しようが自由です。
しかし議論無用、問答無用で、自分の考えを繰り返すのはどうでしょうか。
すでにあなたの誤りを指摘しました。
あなたは自分の発言に責任を取ってください。
あなたによれば、オバマ大統領は霊的な人、偉人になるのでしたよね。
ほんとうにそうなのですか。
493:神も仏も名無しさん
10/04/16 17:51:10 zemKg0sW
流れ云々を言うならグノーシス、ヨハネスレでなされ(続けられ)た議論や結論を
在家さんがここに貼っても問題ないことになりますよ。
両者で扱いを変えるなら、それは二重基準です。
494:神も仏も名無しさん
10/04/16 17:59:00 7KevjnpS
死海文書、ナグハマディ文書、エレイナイオスなどを語りたいなら、
在家氏用のスレに書き込めばいい。
あそこはヨハネ伝・グノーシスだから、などと遠慮しなくてもいい。
あなた自身、創世記や詩篇など、かなり自由に書き込んでいるではないか。
それにあのスレは、まだまだいくらでも書き込める余地がある。
いつになったら1000になるのか。
495:神も仏も名無しさん
10/04/16 18:37:23 7KevjnpS
いままで気がつかなかったけど、
在家氏用に、真光のスレもいくつかあるじゃないですか。
手かざしは聖書にない!
496:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/16 18:47:25 wcTrWdxw
>>495
君は異教徒を迫害するような
教会に通っているのか?
497:神も仏も名無しさん
10/04/16 18:51:29 7KevjnpS
..496
いや、迫害しているのではなく、笑っているのだよ。
ユダ氏も笑われないようにしようね。
498:神も仏も名無しさん
10/04/16 19:00:32 zemKg0sW
>>494
それは神智学も同じです。
完走したなら次スレッドを立てればいい。
499:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/16 19:54:32 wcTrWdxw
>>497
では私はアンカーをつけられない君を笑うべきだろうか?
500:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/16 20:25:19 wcTrWdxw
正解は笑うべきではない。
ミスは誰にでもあるからだ。
501:20
10/04/16 20:31:53 JjsMjL+o
ども。
規制食らってました。
在家さんに紹介されたHeiserさんの論文
”Are Yahweh and El Distinct Deities in Deut. 32:8-9 and Psalm 82?”
ざっとですが読んでみました。
ヘブライ語をtransliterationなしで使用しているので、そのあたりはさくっと飛ばしてw
簡単に言うと、Heiserさんは学会で前提とされているユダヤ教の進化観
(多神教から一神教への移行、Deut. 32:8-9 and Psalm 82はその移行過程を
示したもの、ないしは多神教時代の残滓)に疑義を呈して
ユダヤ教は初めからEl=Yahwehであって、Elの子どもの地位から昇格し
Elと同一視されたわけではない、という主張。
正直言ってどっちが正しいのか、俺の知識と能力じゃわかりませんw
502:神も仏も名無しさん
10/04/16 20:52:26 YbBnANjb
>>500
痛いところを突かれた。確かにそうなんにゃ~ にゃん
503:神も仏も名無しさん
10/04/16 21:00:10 YbBnANjb
あなたもそこのあなたも、猫殺しは絶対やめてください、にゃん
ついでに犬殺しもです、わん。
504:前世は一在家
10/04/17 00:01:13 qBfQkMJC
>>491
>在家氏は何かカン違いをしているように思う。 (中略)
>異端として処分された思想は、これからも異端として処分されるだろう。
>>495
>手かざしは聖書にない!
正統と異端を区別した「異端反駁」の著者の初期教父エイレナイオスは次のように
証言しておりますことを貴兄がご存じないだけでは。
「私は教会の多くの兄弟姉妹が預言の能力を持ち、霊を通じてあらゆる国の言語を語り、
人間の目から隠されている事柄を明らかにし、神の秘密を啓示するのを見ております。」
「真のイエスの弟子は、本当に悪霊を祓う、未来に起こることを予見する人々もいる。
幻視を見て予言を語るのだ。また、手をかざすことによって病を癒し、完全な健康体に
する人もいる。然り、さらにまた、既に述べたように死者さえ蘇った事例がある。」
とエイレナイオスは語った。
(Irenaeus,Libros Quinque Adversus Haereses 5.6.1 (Cambridge,1851))
505:前世は一在家
10/04/17 00:02:49 qBfQkMJC
>>495
>手かざしは聖書にない!
使徒行伝も熟読されておられるクリスチャンからは出ないコメントですね。
イエス様達が得意とされた「聖霊による洗礼」は最初は手当だったようですが。
使4:30 どうか、御手を伸ばし聖なるイエスの名によって、病気が癒され、しるしと
不思議な業が行われるようにしてください。
使8:15 二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにと彼らのために祈った。
使8:16 人々は主イエスの名によって洗礼を受けただけで、聖霊はまだ誰の上にも
降っていなかったからである。
使8:17 そこで、ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。
使14:3 しかし、二人はそこに永くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。
主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、み恵みの言葉を証しされたのである。
使19:6 パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が人々の上に降り、その人たちは異言を
話したり、預言をしたりした。
新約聖書全体には多数「手から聖霊を与える洗礼」の記載がございますね。
506:前世は一在家
10/04/17 00:07:10 qBfQkMJC
>>496 ユダ氏
>君は異教徒を迫害するような教会に通っているのか?
隣人愛を有難うございます。
仏教板でも異教は非難されましたが、慈悲深い仏教徒にも多数お会いしました。
イコンのイエス様は暗い感じが多いですが、ユダ伝のイエス様は快活でよく笑われ
ましたね。
「私の目の前に完全なる人を立たせよ。」と言われた際は、ユダ以外の使徒達は
下を向いていたシーンがリアルでした。
507:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/17 00:07:51 d6qxvuDR
異端文書だから間違いだと言う人間は
イエスがユダヤ教異端として
処刑された事実をどう弁護するのか?
カトリックが正しい根拠は無い。
508:神も仏も名無しさん
10/04/17 18:27:13 kDzB6rGL
正誤の判断は、真理として認められている教義であるかどうか。
真理として認められている教義とは、その人が信じる宗教、宗教内~派の教義のこと。
異端の通義は、「真理として認められている教義を批判否定する説」である。
509:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/17 18:33:34 d6qxvuDR
白を世界中の人間が黒だと言っても
白は白、それが真理。
510:20
10/04/17 20:06:29 Gg5Wld83
互いに立場の異なる人同士が議論する場合には
真理という言葉は避けた方がいいよ。真理は証明の対象じゃなくて信仰の対象なんだから。
>>508のように真理「として」という言い方は妥当なんだけど、たぶん誤解を生む。
こういうところでは「カトリックの教義によれば」とか「グノーシス主義の考え方によれば」など
前置きを置かないと不毛な真理の奪い合いで終わる。
できることはそれぞれの教義なり考え方なりを、可能な限り資料と妥当な論理に基づいて
議論すること。そういうスレでしょ、ここは?
その限りにおいてキリスト教に関わってくる議論であれば、いわゆる「異端」だからと言って
排除するのはおかしいと思う。
511:神も仏も名無しさん
10/04/17 20:23:54 90y41qty
在家氏の場合は特殊であり、かれの誤りを指摘しても素通りし、
同じ主張を繰り返し書いている。これでは議論でなく、真光の宣伝では?
それからもうひとつ、言葉の言い換えをして話を歪める。
聖書に「手かざし」はない、という主張には、
「手当て」をその例としてあげる。これでは議論にならない。
議論には誠実さが前提になると思う。
512:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/17 20:34:53 d6qxvuDR
>>511
確かにそれは論客として誠実では無い。
誤りは誤りとして認めるべきだし
議論は勝敗を決める場では無い、
真偽を決める場だ。
513:神も仏も名無しさん
10/04/17 20:35:39 90y41qty
「オバマ大統領は、霊的な人であり、偉人である」
これが在家氏の本心だろう。
ユダ氏は、ケアレスミスだと弁護したけど、そうじゃない。
かれの眼中にあるのは、財産のある人々、社会的に評価の高い人々だ。
その考え方は反キリストであり反聖書的である。
514:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/17 20:43:48 d6qxvuDR
>>513
私は在家氏のあげた「偉人」には
同意していないし同意しかねる。
皆、物質的な勝者だからだ。
物質的にはユダに敗北したイエスとは異なる。
515:神も仏も名無しさん
10/04/17 20:45:15 90y41qty
在家氏で思い出すのは、イエスを誘惑する悪魔である。マタイ伝4.9
「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」
516:神も仏も名無しさん
10/04/17 21:03:34 90y41qty
異端であることと、反キリストであることは意味が違うよね
517:20
10/04/17 21:12:07 Gg5Wld83
>>511
なるほど。もし>>511さんの言うことが本当なら
在家さんはちゃんと答えるべきだと思う。
「もし」という限定をつけたのは、個人的には根拠の示されない主張は
原則読み飛ばしてるから。ユダさんのレスは面白いから読んでるけどw
(正確に言うとユダさんの場合はこちらで根拠を確認できないということで、悪しからず)
それから>>511さんも番号でもいいからコテをつけた方がいいと思うよ。
誰がどんな主張をしてるのか混乱しちゃうから。
俺も面倒なんでつけずにレスすることが多かったけど
忘れない限りこれからは付けるようにします。
518:20
10/04/17 21:18:40 Gg5Wld83
>>516
意味は違うけど、意味が違ってもいいと思うよ。
ここは護教スレじゃないでしょ?
だったら反キリストの立場の人だって筋を通して議論すればいい。
もちろんあからさま煽りや嫌がらせはダメだけどね。
519:神も仏も名無しさん
10/04/17 22:27:01 90y41qty
>>517
コテにはプラスマイナスがあるのです。しばらく検討させてください。
>>518
正反対の立場ではかなり困難でしょう。
議論のベースには、聖書あるいはキリスト教があるべきだと思う。
スポーツのルール、のようなものが必要です。
神がいるのか、いないのかという議論は別スレになると思う。
これだけでも相当なテーマです。
520:前世は一在家
10/04/17 22:38:34 /o0srGrl
>>511
>聖書に「手かざし」はない、という主張には、
>「手当て」をその例としてあげる。これでは議論にならない。
>議論には誠実さが前提になると思う。
ですから最初にエイレナイオスの証言を紹介しましたよ。
「真のイエスの弟子は、本当に悪霊を祓う、未来に起こることを予見する人々もいる。
幻視を見て予言を語るのだ。また、手をかざすことによって病を癒し、完全な健康体に
する人もいる。然り、さらにまた、既に述べたように死者さえ蘇った事例がある。」
とエイレナイオスは語った。
(Irenaeus,Libros Quinque Adversus Haereses 5.6.1 (Cambridge,1851))
イコン(聖画)にも、イエス様が人に手を置く場合と、手をかざす場合の
両方があります。 見たことはないのですか?
521:神も仏も名無しさん
10/04/17 22:43:45 90y41qty
あまり難しいことを言わず、
キリスト教に関係すればそれでいいのだとしましょう。
<誠実>に議論できればOKですね。
522:ユダ ◆Lk8/K6E0Kg
10/04/17 22:45:46 d6qxvuDR
「完全な人」については詳細は書かれてないが
マタイ5/48でイエスが言及している。
523:神も仏も名無しさん
10/04/17 22:45:53 90y41qty
>>520
聖書に・・・と書いたじゃないですか。
524:前世は一在家
10/04/17 23:02:16 /o0srGrl
>>522 ユダ氏
マタイ5:48
「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい。」
同じ「完全な人間」の聖句があるユダ伝が異端とされるたのも
不条理ですね。
525:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/17 23:07:36 d6qxvuDR
>>524
私は文書が聖典か異端かは問題にしない。
ガブリエルが私の教師だからだが。
信じるにたるか唯の妄想かは
ガブリエルが教えてくれる。
526:神も仏も名無しさん
10/04/17 23:28:57 kDzB6rGL
普遍的な価値の体系を、合理的に基礎づけることのできるような理屈は、どこにもなかろう。
人は常に、合理的に基礎づけることのできない信念から出発するのである。
その信念は、おそらく、歴史的・社会的・生理的・心理的諸条件の複雑な相互作用から
生まれたものである。
たとえていえば、多くの変数を含む関数のようなものである。
関数の形はわからない。
釈迦やイエスは、変数を一つに絞って、関数の形を定めようとした人たちである。
527:20
10/04/18 00:08:03 O0cTjw4b
>>519
コテに関しては了解しました。
> 議論のベースには、聖書あるいはキリスト教があるべきだと思う。
これは捉え方によるね。聖書あるいはキリスト教「に関して」ならば
ユダさんでも在家さんでもスレ違いじゃない。
聖書あるいはキリスト教「の正統教義の範囲で」となれば
両者ともスレ違いになる。
俺は前者の捉え方がいいと思うけどね。
ただその際にはやはり誤解なきよう出典なり根拠なりを
できるだけ明示するようにしたほうがいいでしょう。
528:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 00:20:29 WkV4+Ik8
>>527
私は実体験を元に書いているから
根拠は示せないんだが。
529:20
10/04/18 00:24:21 O0cTjw4b
>>528
うん。それはわかってる。でもちゃんと実体験っていう「根拠」を明示してくれてるから
俺的には全然OK。だからと言ってそれに賛成せよとか反駁せよとか言われたとしても
俺のような神との交わりを経験したことのない人間には無理だけどねw
530:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 00:35:13 WkV4+Ik8
>>529
理解して頂きありがたい。
531:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/18 12:39:08 6dOTzfuJ
>>482
>>484
>>486
だから言うのであるマイスター・エックハルトは
神とは知性認識であり存在なのだ と
表現を変えると認識するが故に神は存在する
532:神も仏も名無しさん
10/04/18 15:08:23 zPM1hg8z
>>527
議論のベースとしては聖書を置くのがいい。
聖書をルールブックにすれば、無用な混乱を避けられるのではないか。
テーマについては、聖書あるいはキリスト教に関すること、でいいと思う。
ただ、死海文書やナグハマディ文書を研究し、それを中心に語りたいのであれば、
それ専用のスレでやるべきだろうと思う。まだ一般的ではない。
ここでは、聖書以外は雑学レベルにとどめ、参加しやすくしたほうがいい。
533:神も仏も名無しさん
10/04/18 15:14:16 zPM1hg8z
在家氏の問題は別であり、キリスト教の仲間のようなふりをしているが、
実際にはキリスト教を利用して「真光」を宣伝しているだけ。
534:神も仏も名無しさん
10/04/18 15:27:13 zPM1hg8z
>>507
>異端文書だから間違いだと言う人間は
>イエスがユダヤ教異端として
>処刑された事実をどう弁護するのか?
>カトリックが正しい根拠は無い。
ローマ兵による逮捕(ヨハネ伝)、ピラトの尋問、ローマ兵による警備、
十字架による処刑などは、これがローマによるものであることを伝えている。
単なる宗教的な争いなら、ユダヤ式石打あるいは暗殺で片付いたのでは?
政治的な危険人物だった可能性をもっと考慮すべきではないか。
535:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 15:33:56 WkV4+Ik8
>>534
ローマ総督ピラトはイエスを無罪にしている。
イエスを死刑にしたのはユダヤ教ラビ。
で、カトリックが正しい根拠は?
536:神も仏も名無しさん
10/04/18 16:04:10 qutYE5Ze
>>535
カトリックが正しいとは言ってない。
そうではなくてイエス処刑にローマの関与がある以上、
単なる宗教対立ではないのではないか、という疑いを述べたのです。
このテーマはもう少し追求してみたいような気もする。
それからわたしは宗教が趣味なだけです。
537:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 16:17:08 WkV4+Ik8
>>536
ローマが動いたのは
あくまでもユダヤ教ラビの要請を受けてのもの。
だからローマの文書にイエスの名前がない。
ローマはイエスを危険な人物だとは考えてなかった。
538:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 16:23:33 WkV4+Ik8
>>576
私が宗教、あるいは母親に依存していると考えているのなら
それは違う、母親の前世は私の敵だったからだ。
539:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 16:25:28 WkV4+Ik8
>>538
ゴバク
540:神も仏も名無しさん
10/04/18 16:27:39 qutYE5Ze
>>537
イエスの処刑から40年後にローマとユダヤが戦っている。
イエスの時代、ローマが神経を尖らせる状況があったことは推測できる。
名前が残っていないのは、属領の犯罪者だったからでは。
541:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 16:33:20 WkV4+Ik8
>>540
それならピラトが処刑しているはず。
542:神も仏も名無しさん
10/04/18 16:44:55 qutYE5Ze
福音書が成立した時代は60~90年、
ローマに占領されたなかであり、ローマへの配慮があったのではないか。
布教の都合もあり、ローマは無関係だと創作した?
でもローマが関係していたというメッセージだけは残して置きたかった。
ダイイングメッセージだね。
543:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 16:50:11 WkV4+Ik8
>>542
その可能性はある、
実際はローマが処刑し
イエスがローマへの反逆を考えたが為に
ユダが裏切った可能性は。
だからユダの最後が書かれていないのかもしれない。
544:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 16:59:57 WkV4+Ik8
これだとイエスが
「主よ、何故私を見捨てられるのですか?」
の最後の言葉も説明がつく。
545:神も仏も名無しさん
10/04/18 17:02:45 qutYE5Ze
ユダの裏切りについては、イエスは全知全能のはずだから、
裏切られることを知っており、裏切りにはならないという疑問もあるらしい。
こういったことを含め、イエスの処刑に関する洗い直しが必要ですね。
546:前世は一在家
10/04/18 18:38:46 C6TtcT6U
>>533
>在家氏の問題は別であり、キリスト教の仲間のようなふりをしているが、
>実際にはキリスト教を利用して「真光」を宣伝しているだけ。
過去ログを確認いただいたら分かりますが、一度も私は所属グループを
提示しておりません。宣伝にもなりません。
自称カトリックの方が私のことを「GLA」と決め付けておられましたね。
この板には幸福Kや創価の方々も入ってきておられるようですが、神智学
だと自己申告されているのは宝珠さんくらいでしょうか。
547:前世は一在家
10/04/18 18:43:59 C6TtcT6U
3共観福音書を正見しますと、イエス様ご自身が十字架の意義を認めておられなかった
ことが明白かと存じます。
イエス様はまた、天の父の遣わした預言者であり、洗礼ヨハネの水の洗礼の後、
聖霊が降下し聖霊による洗礼にて人々の病気を癒し、悪霊を追い出された様子がよく
分かります。
(マルコ伝 14:36) ※アバはアラム語
「アバ、父よ、あなたには、できないことがありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、御心のままになさってください」。
(マルコ伝 15:34) ※エロイはアラム語
そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と呼ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
548:前世は一在家
10/04/18 18:46:26 C6TtcT6U
>>544 ユダ氏
>「主よ、何故私を見捨てられるのですか?」>の最後の言葉も説明がつく
>>547
(ルカ伝 22:42)
「父よ、御心ならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、御心が成るようにしてください」。
(ルカ伝 23:46)
そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。
(マタイ伝 26:39)
うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、御心のままになさって下さい」。
(マタイ伝 27:46) ※エリはヘブライ語
そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
そして、ヨハネ伝の筆者のみが「イエス様の十字架=ユダヤ教の過越祭のいけにえ」
と記載していたことが分かります。「イエス様=神自身」という三位一体説の原因と
なっております。
549:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 18:52:03 WkV4+Ik8
>>548
ヨハネ福音書はグノーシスと関わりが
深いとされる福音書だ。
550:神も仏も名無しさん
10/04/18 19:15:44 yDN/sF2S
>>548
>「イエス様の十字架=ユダヤ教の過越祭のいけにえ」
ルカ22:15-20
551:20
10/04/18 20:05:10 O0cTjw4b
>>547
> 3共観福音書を正見しますと、イエス様ご自身が十字架の意義を認めておられなかった
> ことが明白かと存じます。
それはそんなに簡単に言い切れないと思うよ。
マルコやマタイの記述においても、イエスは明確に自分が死ななければならないと
認識してるわけだし。
マルコやマタイの場合イエスを神というより預言者ないしユダヤの王(メサイア)として
認識していた可能性があるから、最後の言葉は十字架の意義を認めつつ、
犠牲の供物として捧げられた人間イエスとしての最後の慟哭であった可能性もある。
(「神の子」の記述は後の改鼠かもしれないし、そうではなくても当時のユダヤ教徒
にとってはヤハウェと同一視される存在ではなかったかもしれない。)
つまり預言者ないしメサイアであったイエスは、自分が十字架を背負う運命にあることを
明確に認識しつつも、土壇場で全能の神が別のシナリオを描いてくれることに期待した
可能性があるんじゃないかな、と。
あるいは単に彼らが、イエスが背負う苦悩と受難をありありと描きたかっただけなのかもしれない。
イエスは我々のためにこれほどまでの苦悩と受難を引き受けてくれたのだ、と。
後のルカやヨハネについては最後の言葉は神に対する失望やイエスの神性の否定につながるもの
として改変されたり除外されたりした、というのが真相だと思う。
552:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/18 21:16:37 6dOTzfuJ
イエスも仏陀の一人なのです
553:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 21:20:54 WkV4+Ik8
>>551
一つ訂正させてもらうが
ユダヤ人はイエスを預言者としても
認めていない。
ましてやメサイアでもない。
だから反逆者として処刑した。
554:20
10/04/18 22:22:29 O0cTjw4b
>>553
もちろん。俺が言ってるのはマルコやマタイ、及びその周辺のイエスに付き従ったユダヤ人。
555:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/18 22:29:21 WkV4+Ik8
>>554
一応こう発言しないと
全てのユダヤ人がイエスをメサイアとして
見ていると誤解されかねないので。
すいません。
556:20
10/04/18 22:59:35 O0cTjw4b
>>555
いえいえ。俺ももうちょっと明確に書くべきだったかもです。
それにしても気になるのがキリスト教における人間の能動性の問題。
古くはアウグスティヌス対ペラギウス、カルヴァン対アルミニウスという感じで
ずっと昔から神の恩寵・予定説を重視する立場と人間の能動性・自由意志を重視する立場
で論争があったみたい。
アメリカは改革派・長老派に限らずパティキュラ・バプティストなど
神学的にはカルヴァン派(予定説)をとるプロテスタントが多いみたいだけど
どうも実際の民衆・信徒レベルでは第2次覚醒運動を通じてウェスレーやメソジストの影響が
相当浸透したらしく自由意志とか人間の責任を重視する人たちが
宗派に関わらず多い模様。
557:携帯一在家
10/04/18 23:07:10 HY1ConGO
パソコンがアクセス禁止で解除までお休みです。
558:20
10/04/18 23:10:37 O0cTjw4b
>>557
あら、それは残念です。この際●を買ってしまったら?
559:携帯一在家
10/04/19 00:11:16 ypdyaJPS
20氏の551には八割ほど賛同します。
560:携帯一在家
10/04/19 00:42:11 ypdyaJPS
イエス様が命が惜しくて慟哭するでしょうか?
犠牲の子羊として不名誉な誤解をされることが、
処刑より辛かったのではと。
561:神も仏も名無しさん
10/04/19 02:53:31 Yt+aGJC0
>>560
見栄っ張りなやっちゃな
562:神も仏も名無しさん
10/04/19 03:00:58 PuM2ruou
イエスはこんな地上なんて早く去りたいと思ってただろうね。
もともと地上にいる霊じゃなかったのに、
あんな時代に特別に派遣された霊界の派遣いじめみたいなもんだから。
死ぬことなんて少しも苦じゃないよ。
563:20
10/04/19 20:53:24 ybNfap57
>>560
なかば同意しますが、なかばちょっとそれは違うとも思う。
あくまでもマルコ、マタイに書かれているイエスの言葉が事実であったと仮定して論を進めます。
マルコ伝
「アバ、父よ、あなたには、できないことがありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしの思いではなく、御心のままになさってください」。
そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と呼ばれた。
それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
マタイ伝
うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、
この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、
御心のままになさって下さい」。
そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。
それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
マルコ、マタイで描かれるイエスは神の計画を認識しており自分の運命も悟っていた。
それでもこの杯(十字架上での刑死)を飲まずに済むのであればそうして欲しいと願っていた。
十字架にかけられてもなお、この希望を捨てずにいた。その希望がついえた時出た言葉が
例の「レマ サバクタニ」であった。「命を失うものは命を得る」と認識していたイエスは
もちろん命が惜しくて慟哭したのではなく土壇場での神の奇跡が起きなかったこと、
つまり自分の願いが聞き入れられなかったことに慟哭した、のではないでしょうか?
自分が犠牲の子羊として死に、かつ復活する必要性を認識していたイエスには
「犠牲の子羊」が神において不名誉であるなどという認識は微塵もなく、
ましてや誤解など恐れてもいない。それでも地上において恥辱と苦痛を一身に受けねばならない
というシナリオとは別のシナリオを求めていたのではないか。
人間イエスとしての苦悩と失望が、先の二つのイエスの言葉に表されているように
思えてならないです。そしてそれを追体験する読者はイエスの復活において
宗教的カタルシスと宗教的確信を獲得するのだと思う。
そのように、マルコ、マタイはイエスを描いているのでしょう。
564:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/21 20:30:43 FGjmjm3O
>>563
あのー
レスを3行~5行くらいに要約願えますか?
565:ユダ
10/04/21 20:45:07 4Z4lml6j
>>564
昇天以前のイエスは完全でないが故に最後に人間性が出てしまったが
復活後は完全になり神の子から神へと主から独立した
栄光の存在になった。
566:神も仏も名無しさん
10/04/21 21:02:01 UFxgl+wI
あくまで福音書を書いた弟子の見解だよ。
イエス本人はどう思っていたのかはわからんぞ。
567:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/21 21:12:18 FGjmjm3O
>>835
ゲッセマネの嘆きの祈りは、 涙がでる。
しかし最後に「御心のままに」 と祈った事に
人間がどう生きるべきかを全て集約したと言える。
御心のままとおまかせしきった境地を目指せとのメッセージ
これが人生の苦悩から脱却する唯一の方法 エックハルトもそう考えたはず
568:20
10/04/22 07:12:29 v8obLXHl
>>564
一応議論スレなのでどうしてもレスが長くなる傾向があります。
長いのがダメなら読み飛ばしちゃってください。
要はイエスは十字架の意義を自覚しつつも苦悩しており、マルコ、マタイも
そういうものとして福音書を記述したのではないか、ということです。
569:神も仏も名無しさん
10/04/23 01:28:24 mNAH0GLY
>>568
>要はイエスは十字架の意義を自覚しつつも苦悩しており、マルコ、マタイも
>そういうものとして福音書を記述したのではないか、ということです。
そうですね。なぜ苦悩していたのかが論点です。
自身の十字架での処刑が「過越祭の子羊」にされることをイエス様はよく
ご存知でした。
ここまでは貴兄と同じ認識ですね。
>>703 別板より他の方のかきこ
>イエスの教えに人がいけにえで救われるという教義はありません。
>旧約の生贄を利用しパウロがつくった妄想信仰です。
>>708
>人間の罪を払拭するため、動物を生け贄身代わりとして殺し、
>それで天国の切符がかえるという思想こそ狂ってます。
イエス様は「良い種には良い実、悪い種には悪い実」と説かれ、
ガラテヤ人への手紙でも
6:7「人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。 」
ご自身の説かれた「因果の法」が間違って伝えられることを嘆かれた
との仮説を立てております。
570:前世は一在家
10/04/23 02:03:22 mNAH0GLY
現世(この世)から見た地獄は暗く汚れているかと存じます。
神界から見た現世も同様でしょう。
ミッションを終えた御子神を父神は早く神界へ戻したいと思われる
のも自然ではないでしょうか。
しかし、神の預言者達は大抵頑強で、自殺もできません。
誰かに処刑されるのも肉体を離れて神界へ戻るオプションの一つ
だという仮説を立てます。
イエス様がユダに「あなたの仕事をしなさい」と指示されたことは
なかったでしょうか。
571:ユダ ◆H4PjzeaE8Q
10/04/23 06:57:20 OEYdJ7Yi
ユダはイエスとマグダラのマリアと三角関係にあった。
女に産まれたということでイエスの子供を産めるマリア。
そのマリアの思いに答えないイエス。
まぁ痴情のもつれだな。
572:20
10/04/23 07:21:36 HCmUWW3w
>>569>>570
まず実際のイエスの発言と、福音記者や使徒、さらには口承によって改変・創造された
イエスの発言を区別しなければイエス固有の思想を取り出すことは難しいでしょう。
しかしイエス自身によって書かれたものがないわけですから、これは実質非常に困難です。
よって史的イエスの実像に迫るには単なる聖句の引用ではなく、当時の社会的・経済的・
政治的・宗教的・文学的背景から妥当な線を類推する以外にないわけです。
例えばマルコからの引用でも
「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、
また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(10:45)
「これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である」(14:24)
とあるわけですから、これをイエスの実際の言葉として扱えば
「イエスの教えに人がいけにえで救われるという教義はありません。」という主張を
裏付ける根拠はどこにもありません。
当時のローマによるユダヤ人支配の政治的社会的状況やユダヤ人社会内部での
パリサイ派・律法学者と貧民・罪人との対立という社会的宗教的状況を考えれば
福音記者が程度の差こそあれ4人ともイエスの言動を旧約の預言の成就に結びつけて
記述したのは何の不思議もありません。そしてご承知のように旧約は枚挙にいとまがないくらい
犠牲に関する記述で満ち溢れているわけです。
決して在家さんの仮説を否定するつもりはありませんが、仮説を検証するためには
やはり聖句を抜粋する以上のものが必要になると思われます。
また「なぜイエスは苦悩していたのか」に関する私の推測は>>563のとおりですが
これはあくまでもイエスの言葉を事実と仮定した場合の推測です。
573:20
10/04/23 07:23:53 HCmUWW3w
>>571
こういう発想は全くなかったけど、意外に本当だったりするのかもw
574:前世は一在家
10/04/24 07:27:10 ZUqO5Evx
>>563 20氏
>自分が犠牲の子羊として死に、かつ復活する必要性を認識していたイエスには
>「犠牲の子羊」が神において不名誉であるなどという認識は微塵もなく、
>ましてや誤解など恐れてもいない。
イエスが毎年クリスマスに復活して、毎年イースターで十字架にかかれば、
人類のその年の罪が消えると思い違い(誤解)をする人たちが出てまいりませんか。
罪を設定したのが天の父であれば、それを御子が消していては意味をなさない
のではと考えております。
「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」という真理は、釈尊の「因果の法」と
相通じております。
どの時代のいかなる人も、自分で積んだ罪(カルマ)は自分で刈り取る(償う)
という真理(法)です。
確かに別のシナリオの期待はあったかも知れませんね。同感です。
イエス様が絶大なる評価をされた洗礼者ヨハネが所属していた可能性が高い
エッセネ派では動物などの生贄を神にささげることは認めておりません。
まして御子を神の犠牲にすることなど論外だということが根拠の一つです。
575:神も仏も名無しさん
10/04/24 10:41:39 0b7QYCQl
>>754
スレリンク(psy板:142番)
576:神も仏も名無しさん
10/04/24 10:57:41 E/QQJ/nD
御子を神の犠牲によるという発想がすでにお笑い。
577:神も仏も名無しさん
10/04/24 10:58:15 0b7QYCQl
アンカーミス>>574
自業自得説ってのは突き詰めると当時のパリサイ側・律法主義者の論理になってしまう。
律法守れない奴は、ただ悪いのであってコケにされて当然だと。神の教え破ってるんだから当然。
>イエスが毎年クリスマスに復活して、毎年イースターで十字架にかかれば、
>人類のその年の罪が消えると思い違い(誤解)をする人たちが出てまいりませんか。
実際にみかけたことあるの?というか「記念する」祭りなんだから、
そんな解釈があるとは思えないが……
>罪を設定したのが天の父であれば、それを御子が消していては意味をなさない
>のではと考えております。
あがないによる救いは信仰でもって完成する。単純にチャラになるわけではない。
URLリンク(www.gotquestions.org)
一在家さんは信仰は持っているのに、宗教が違うだけで、信仰者が持つ
「神は~~してくださる」という心情(信条)に理解を示さなくなるように見える。
578:20
10/04/24 20:54:28 LnLk4SZU
>>574
>>577さんとそれほど変わらないかもしれませんが一応付け加えると
> イエスが毎年クリスマスに復活して、毎年イースターで十字架にかかれば、
> 人類のその年の罪が消えると思い違い(誤解)をする人たちが出てまいりませんか。
イエスの贖いは一度きりのことで、そのイエスを信じることで信仰者は救われる、と
いうのがキリスト教、少なくともプロテスタント系のキリスト教であって、毎年自動的に
罪が帳消しになると思っている人はいないと思います。
> 罪を設定したのが天の父であれば、それを御子が消していては
それがまさに恩寵の意味だと思います。
> 「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」という真理は、釈尊の「因果の法」と
> 相通じております。
少なくともキリスト教においては因果の果は神の介在によって発動されるもので
それゆえに例え罪を犯したとしても、同様に神の介在によって許しが与えられるという
発想になっているのではないでしょうか。
続きます。
579:20
10/04/24 21:16:29 LnLk4SZU
>>574 続き
> イエス様が絶大なる評価をされた洗礼者ヨハネが所属していた可能性が高い
> エッセネ派では動物などの生贄を神にささげることは認めておりません。
> まして御子を神の犠牲にすることなど論外だということが根拠の一つです。
たしかに洗礼者ヨハネがエッセネ派の一宗派に属していた、ないしはエッセネ派と
深い関係があった、ということは十分に推測できることだと思います。
またイエスが洗礼者ヨハネに対して絶大なる評価を与えていたのも福音書の記述を
読む限り事実であったのでしょう。しかしだからといって、イエスがエッセネ派と
その教義を共有していたと推論するのは早計であるように感じます。
厳しい戒律と禁欲で知られるエッセネ派とイエスの言動には著しい違いが見られます。
(収税吏や罪人とともに食事をしたり信仰によって罪を許したりなど)
またイエスは動物などの犠牲を禁止しているというよりも形式化した律法細則や
祭儀に対して批判をしているわけですから、伝統的なユダヤ教の犠牲の概念を
棄却したとは結論づけられないのではないでしょうか。
むしろイエスはユダヤ教に則りながら、それを新しい次元(新約)によって
更新しようとしたのだと思います。つまり once and for all の自らの犠牲において
神と人間との和解(atonement)を具現化し、ユダヤ教の犠牲の概念に
新たなる、そして最終の形を与えようとしたのではないでしょうか。
580:前世は一在家
10/04/24 23:36:37 WHN6NfGA
>>579 20氏
>むしろイエスはユダヤ教に則りながら、それを新しい次元(新約)によって
>更新しようとしたのだと思います。つまり once and for all の自らの犠牲において
>神と人間との和解(atonement)を具現化し、ユダヤ教の犠牲の概念に
>新たなる、そして最終の形を与えようとしたのではないでしょうか。
20氏の仮説は認識致しました。
ただ、そのような崇高なイエス様の想いがあれば、イエス様ほどの方が
別のシナリオを望まれたというのが不自然かなと思料します。
>>577
>自業自得説ってのは突き詰めると当時のパリサイ側・律法主義者の論理になってしまう。
>律法守れない奴は、ただ悪いのであってコケにされて当然だと。神の教え破ってるんだから当然。
本当に自業自得はパリサイ派の論理ですか?
「よい種は、よい実を結ぶ」というイエス様の教えがあったと思いますが。
581:前世は一在家
10/04/24 23:58:04 WHN6NfGA
>>577
>一在家さんは信仰は持っているのに、宗教が違うだけで、信仰者が持つ
>「神は~~してくださる」という心情(信条)に理解を示さなくなるように見える。
人は神の似姿にて、神の子であり、父神は神の子達を深く愛しておられますと
伺っております。
この理解はエッセネ派ユダヤ教、トマスの福音書とは共通しております。
また、3共観福音書とも矛盾しておりませんのでは。
「神は~~してくださる」という心情(信条)は同感です。
ただ、神が人の罪を代わりに消すのであれば真理(法)に反するのでは
と思っております。
582:20
10/04/25 00:17:06 f+pYipMr
>>580
> ただ、そのような崇高なイエス様の想いがあれば、イエス様ほどの方が
> 別のシナリオを望まれたというのが不自然かなと思料します。
たしかにそうですねえ。私の推論には矛盾があるように私自身も感じます。
私自身のイエス観は今のところ>>579で述べたようなものなのですが
マルコ、マタイにおけるイエスの発言を事実と仮定すると>>563のような推論に
なってしまいます。この場合にはやはり矛盾を内包した人間としてのイエスの苦悩
ということになろうかと思います。
ただしマルコ、マタイにおけるイエスの絶命間際の言葉は詩篇からの引用とも
解釈できるわけですから、この言葉すら旧約に合わせたマルコの創作という
可能性は捨てきれないと思います。そもそもこの言葉が疑いようもない
イエス自身の言葉だったとすれば、ルカやヨハネでいくら彼らのイエス像・神学に
合わないからと言っても、そんな大事な言葉を改変・削除することなどなかったでしょう。
おそらくは4福音記者とも本当の最後の言葉は知らなかったのではないでしょうか。
そう考えると史的イエスの実像に迫ろうとする際
この最後の言葉にあまり重点を置くのはやや危険かなとも思います。
583:神も仏も名無しさん
10/04/25 01:28:11 YJpMz3PW
>>580
>本当に自業自得はパリサイ派の論理ですか?
「突き詰めれば」
手を差し伸べることをせず、ふりかざすだけなら、そうなる。
基準に達しきれなかった者を脱落者としてそのまま除外すると言うこと。
>ただ、神が人の罪を代わりに消すのであれば真理(法)に反するのでは
リンク先読んだ?単純に消す(チャラ)のではない。クリスチャン側にも自分達、
人類の罪深さの自覚がある。
584:前世は一在家
10/04/25 02:04:05 2IR610U7
>>582
>ただしマルコ、マタイにおけるイエスの絶命間際の言葉は詩篇からの引用とも
>解釈できるわけですから、この言葉すら旧約に合わせたマルコの創作という
>可能性は捨てきれないと思います。
本当は「エリ、エリ」とイエス様は叫ばれた思います。
マタイ伝で筆者が「エリアを呼んでいる。」と弟子達以外にも聞いたことを
証言しているからです。
マルコ伝「エロイ、エロイ」は創作というより、うっかりした記載かと。
日頃マルコはアラム語を多用しており、「エロイ」はアラム語で、その
ヘブライ語は「エリ」だからです。
585:神も仏も名無しさん
10/04/25 02:09:11 YJpMz3PW
イエスや新約の記者たちが前提としていたものを踏まえる必要がある。
「よい種は、よい実を結ぶ」や「自分の巻いた種を刈り取る」
こうした発言・記述も旧約聖書の土台なしでは書かれていない。
ヨブ記のような現代人から見ると理不尽な物語も真理として受け入れた上で
(イスラエルの)神を崇め、神の正義なるものを信じている。
現代日本人と(こうあるべきと考える)応報観にズレがあっても
それはごく当たり前のことと言える。
個人的にはイエスのヨブ記講義を読んでみたいと思う。
586:前世は一在家
10/04/25 07:59:42 /cjJUmzh
>>584
(マルコ伝 14:51-52)
「ある若者が素肌に亜麻布だけをまとって、イエスの後についていたが、
人々が逮捕しようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げ去った。」(註マルコ伝の筆者)
イエス様が十字架にかかって四十年後(紀元70年頃)に、亜麻布を捨てて
裸で逃げた(恥ずかしい)若者がマルコ伝にしっかりと、十字架の日は
過越の祭の第一日目と明記しております。
そして、ルカ伝、マタイ伝の筆者も同じ日を十字架の日と記載しております。
しかし、自称「イエスに愛された弟子(ヨハネ 21:20)」はヨハネ伝の中で、
イエス様の十字架は過越の祭の第一日目の前日(祭の準備の日)としております(ヨハネ 19:14)。
さて、裸で逃げ出した若者(マルコ伝)と自称イエスに愛された弟子(ヨハネ伝)とが
大切な十字架の実行日を一日違えておりますことが、確認できたことと存じます。
私はマルコ伝の筆者に真実性を感じますし、ヨハネ伝の筆者には異質性を感じました。
この板ではグノーシスが批判されております。
しかしヨハネ書簡(福音書、手紙)の筆者は、光言語(光と闇の対句)を多用する
グノーシスの影響を受けた人であります。
因みに3共観福音書やトマス伝では光言語の記載は無いでしょう。
ヨハネ書簡を最初に担いだエイレナイオスの根拠に賛同する現代神学者はおりますか?
根拠「ケルビムの四つの生き物がいる。」(エゼルキエル書1:5-10、黙示録4:7)
587:前世は一在家
10/04/25 09:10:28 /cjJUmzh
■エイレナイオスの神学 (参考:異端反駁Ⅰ~Ⅴ)
以下に概要を箇条書きにします。
・「ロゴス=イエス」は「知恵=聖霊」と共に「神の両手」であり、万物に先立って存在した。
・神は無から世界の素材を創造し、御子と聖霊によって万物を形造り、最後に人間を「神の形と神との類似性に従って」創造した。
・御子によってその肉体と魂に「神の形」を与えられ、聖霊によってそれに「神との類似性」が結び付けられて、「完全な人間」となるべく人間は創造された。
・言わば「幼児」の状態にあった人間はその弱さゆえの堕罪によって、聖霊による「神との類似性」を喪失してしまった。
・「神の両手」は人類を見捨てず、人間を教育しその完成に向けて成長せしむる為の「神の経綸」の為に働き続ける。
・終末論的未来に、人間の「肉体」は「霊」によって復活させられ、神を見て不死性を与えられる。
・人間は最終的に「神のかたちと神との類似性に従って」完成される。(Ⅳ 38:3-4)
☆御子が人間となった受肉の出来事に、人間が神化されて「神の子」となる完成が対応するのである。(Ⅲ 19:1)
私もエイレナイオスを少し誤解していたようです。
彼が「人間が完成し神化する」と説いていたことが検証されたからです。
でも、カトリックやプロテスタントでは如何でしょうか?
588:前世は一在家
10/04/25 09:14:29 /cjJUmzh
>>587
>■エイレナイオスの神学 (参考:異端反駁Ⅰ~Ⅴ)
東京大学の大貫教授(西洋古典学専門)の著書「ロゴスとソフィア」より
異端反駁の訳を参照しております。
589:20
10/04/25 10:48:56 f+pYipMr
>>584
なるほど確かに周囲の人が「エリア」と聞き違えたというマルコ・マタイのエピソードを考慮に入れると
「エロイ(エリ)」に類する言葉を発した可能性は残りますね。
もし「ラマ サバクタニ」まで言ったのであれば、これはアラム語であること、イエス及び周囲の
弟子たちは日常的にはアラム語で会話していたらしいこと、二資料仮説が正しいとすれば
マタイはマルコを参照していること、などからやはり「エロイ」と叫んだ可能性の方が高いのでは?
ただそうだとしても、イエスは神(父)に対する呼び掛けとしては Abba を用いているので
いきなり呼び掛けとしてエロイはやはり不自然と感じられます。本当にイエスの言葉だとすれば
イエス自身が朦朧とした意識の中で詩篇からの引用として発した言葉か
イエスの曖昧な発声をただ単にこの言葉を伝えた人が詩篇の言葉として聞き取っただけ
という気がします。いずれにしても真相は簡単には解けそうもないですね。
590:20
10/04/25 10:56:06 f+pYipMr
>>585
> こうした発言・記述も旧約聖書の土台なしでは書かれていない。
イエスをはじめその周囲の人たちが骨の髄まで旧約聖書及びユダヤ教の伝統に
浸かっていた、という大前提はものすごく重要ですね。
これは新約を読む上で絶対に忘れちゃいけないことだと思う。
591:20
10/04/25 11:14:03 f+pYipMr
>>586>>587
この日にちのズレに対しては、一部のコメンタリーなどではユダヤ社会における一日の始まりが
夕方からであること、カレンダーの違いなどで説明されることもあるようですが、私の知る限り
ほとんどのコメンタリーではこの説を否定的に捉えています。ただこの辺は全く詳しくないので
実際のところはどうなのか私にはわかりません。
私も4福音書の中ではマルコが一番イエスの姿をよく捉えているんじゃないかという気がしてます。
マタイは旧約の預言の成就という視点が全面に出過ぎているし
ルカはイエスの神話化・美化が著しい。ヨハネはイエスを完全に神と捉え神学的な捉え方が
強い。素人の考えでいうとヨハネを正典に加えたことでイエスの神化と三位一体という
極めてユニークな教義の方向性が決定的になったという印象があります。
ヨハネ福音書とグノーシスの関係については私自身にあまり知識がないので
わかりませんねえ。たしかにグノーシスっぽいと言われればそうも思えるし。
592:前世は一在家
10/04/25 12:15:21 /cjJUmzh
>>591 20氏
>素人の考えでいうとヨハネを正典に加えたことでイエスの神化と三位一体という
>極めてユニークな教義の方向性が決定的になったという印象があります。
「禁じられた福音書」のペイゲルス教授も神学者の多くは異端とされた福音書
と同様にヨハネ伝の筆者も正体不明だとの見解だそうです。
若い指導者エイレナイオスの熱烈推薦でヨハネ伝が入り、当時ヨハネ伝には
否定的だった司教達もいたそうです。
593:前世は一在家
10/04/25 12:24:12 /cjJUmzh
>>589
>もし「ラマ サバクタニ」まで言ったのであれば、これはアラム語であること、イエス及び周囲の
>弟子たちは日常的にはアラム語で会話していたらしいこと、二資料仮説が正しいとすれば
>マタイはマルコを参照していること、などからやはり「エロイ」と叫んだ可能性の方が高いのでは?
ヘブライ語でも同じく「ラマ サバクタニ」だそうです。
>>591
>マタイは旧約の預言の成就という視点が全面に出過ぎているし
マタイ伝ではイエス様がエルサレム入城時のロバの数を2頭として
おり、マルコ伝とルカ伝での1頭と違えております。
マタイ伝ではゼカリア書の「(あなたの王は)ロバに乗ってくる。
荷を負うロバの子、子ロバに乗って。」という預言にあわせたよう
ですね。
もし聖霊によって記載された聖書であれば、筆記者の意図によって
記載内容が変更されることもないかと存じます。
594:20
10/04/25 13:18:21 f+pYipMr
>>592
> 若い指導者エイレナイオスの熱烈推薦でヨハネ伝が入り、当時ヨハネ伝には
> 否定的だった司教達もいたそうです。
それはわかる気がするなあ。ヨハネは共観福音書と比べるとあまりにも異質だから
初期の司教さんたちも大いに困惑したでしょうね。
>>593
> ヘブライ語でも同じく「ラマ サバクタニ」だそうです。
一応いくつかのコメンタリで調べたんですが、すべてアラム語となっていました。
代表として学術的な水準の高さで有名なWBCからそのまま該当箇所を抜粋しておきますね。
In Matthew’s version of these words, “Eli” represents the Hebrew, “My God,”
while the following words are Aramaic for “Why have you forsaken me?”
It appears that Jesus, rather than quoting the words in Hebrew, quoted them
in their Aramaic equivalent (using the language he normally spoke) and that
Matthew altered the word for “God” (the Aramaic ελωι in his Markan source)
to ηλι (Hebrew, “my God”), perhaps with an eye on the confusion with the name
of Elijah in v. 47.
(Hagner, D. A. (2002). Vol. 33B: Word Biblical Commentary)
> もし聖霊によって記載された聖書であれば、筆記者の意図によって
> 記載内容が変更されることもないかと存じます。
聖書の無謬性を主張する方々は、この辺もいろいろと弁明しているようですが
かな~り苦しいw 別に霊感を受けて書いたと言ってもいいけど素直に記述の
矛盾や記者による意図的改変などを認めた方が神に対しても誠実な態度だろうに
などと俗人の私などは考えてしまいます。
595:神も仏も名無しさん
10/04/25 14:48:30 trkCxlZA
面白いのはアリウス派もヨハネ伝を聖書として用いてたらしいということ。
URLリンク(www.shinchosha.co.jp)
アリウス派のウルフィラが訳したゴート語訳には列王記除く全巻が含まれる。
URLリンク(www1.ocn.ne.jp)
イエスの神性を信じないエビオン派は
>彼らはマタイ福音書のみを受け入れ、
ていたらしい。
URLリンク(www.geocities.jp)
こちらのサイトだとヘブル人福音書も使ってた。
596:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/25 15:25:59 45Nu0ijj
魔境を恐れることなく修行に勤しむのが
真の行者だといえる
597:前世は一在家
10/04/25 17:05:22 /cjJUmzh
>>595
>面白いのはアリウス派もヨハネ伝を聖書として用いてたらしいということ。
そうですね。
更にエイレナイオスの頃のグノーシス主義者達の愛読書がヨハネ伝だった
ということです。
ヨハネ伝をベースに拡張創作していく人々に対しても、エイレナイオスは
必死で異端だと認定していたようです。
598:神も仏も名無しさん
10/04/25 17:08:43 trkCxlZA
アリウス派はエホバの証人方式でヨハネ伝と
自分達の教義とを摺り合わせしていたのか。
599:前世は一在家
10/04/25 18:16:54 /cjJUmzh
死海文書(クムランテキスト)の巻物の年代決定方法を紹介します。
①書体学上の年代
筆写生が書いたり転写しているテクストの文字の書き方、書体により
年代を推定する方法。
②AMS(加速器質量分析)による分析
カーボン14法による分析に必要な量は数グラムですが、最近開発
されたAMS法では1ミリグラムの有機物の飼料で年代を推定可能。
1990年、イスラエル古物局のアミール・ドローリ局長はAMS法で
クムラン・テキストの年代測定を行いました。
イザヤ書(旧約)の年代測定結果
①書体学法:前335年~前327年
②AMS法:前202年~前107年
600:前世は一在家
10/04/25 18:18:06 /cjJUmzh
>>599
イザヤ書(旧約)の年代測定結果
①書体学法:前335年~前327年
②AMS法:前202年~前107年
クムラン・テキストの中で古い物はAMS法で前405年と測定済み。
Wiki「聖書」でも、「現存する最古の写本は紀元前1世紀頃書かれたと
される死海写本に含まれている。」と記載。
グノーシスと関係がある・ないの議論の対象外でしょう。
そのクムラン・テキストの申命記32:8では、sons of God(み名はEl)
と記載されており、創造主の生み出された複数の神々の存在が登場します。
そういう意味では、生み出された神々は「神の御子」であり、神々により
創られた神の似姿の人は「神の子」であり、本来は異なるかと思料します。
ただし、イエス様のように「神の御子」が受肉した人の場合は「神の預言者」
であり、「神の御子(神々の中の御一方)」でもあるかと存じます。
601:前世は一在家
10/04/25 18:33:46 /cjJUmzh
>>600
グーグルにてキーワード「Dead Sea Scrolls Deuteronomy 32:8 El」で
検索すれば、最近の研究成果や論文が英語で多数確認できます。
602:神も仏も名無しさん
10/04/25 19:38:43 tCs2TjLG
グノーシス主義は人間即神也の思想です。
603:20
10/04/26 00:34:52 JZBdkDWp
>>600
死海写本は思っていたよりも古いですね。
NET Bibleの訳注によるとクムラン・テキストでは sons of God
マソラ本文では sons of Israel、七十人訳では angels of God で
クムラン・テキストが疑いなくオリジナルである、と書いてありました。
といってもNETの訳者たちは the heavenly assembly という訳を採用してましたが。
> ただし、イエス様のように「神の御子」が受肉した人の場合は「神の預言者」
> であり、「神の御子(神々の中の御一方)」でもあるかと存じます。
第二神殿以降のユダヤ教ではYahweh唯一神信仰がユダヤ教徒の間では
定着していっているので、イエス本人や福音書記者の間でイエスを
「神々の中の御一方」という考え方はないように思います。
604:神も仏も名無しさん
10/04/26 00:53:11 1ya0IkDG
聖書を元にした成功本があるらしいけどね
605:前世は一在家
10/04/26 06:47:37 3ajbyi7C
>>603
>マソラ本文では sons of Israel、七十人訳では angels of God で
>クムラン・テキストが疑いなくオリジナルである、と書いてありました。
特にギリシャ語聖書の原本だという見解だそうですね。
>第二神殿以降のユダヤ教ではYahweh唯一神信仰がユダヤ教徒の間では
>定着していっているので、
旧約には「神々の会議」とか「他国の神を信仰してはならない」とか詩篇等に
記載があります。
あちこちの国に神がいても、「私以外の神を信じてはならない」というのが
本来の唯一神信仰の定義かも知れませんよ。
つまり、神的存在は一つという意味ではなく、一つの神のみを信仰するという
意味です。
606:神も仏も名無しさん
10/04/26 20:40:48 4Hbb0PBn
偶像を造る者は皆むなしく、彼らの喜ぶところのものは、なんの役にも立たない。
その信者は見ることもなく、また知ることもない。ゆえに彼らは恥を受ける。
だれが神を造り、またなんの役にも立たない偶像を鋳たか。
見よ、その仲間は皆恥を受ける。その細工人らは人間にすぎない。
彼らが皆集まって立つとき、恐れて共に恥じる。
鉄の細工人はこれを造るのに炭の火をもって細工し、鎚をもってこれを造り、
強い腕をもってこれを鍛える。彼が飢えれば力は衰え、水を飲まなければ疲れはてる。
木の細工人は線を引き、鉛筆でえがき、かんなで削り、コンパスでえがき、
それを人の美しい姿にしたがって人の形に造り、家の中に安置する。
彼は香柏を切り倒し、あるいはかしの木、あるいはかしわの木を選んで、
それを林の木の中で強く育てる。あるいは香柏を植え、雨にそれを育てさせる。
こうして人はその一部をとって、たきぎとし、これをもって身を暖め、
またこれを燃やしてパンを焼き、また他の一部を神に造って拝み、刻んだ像に造ってその前にひれ伏す。
その半ばは火に燃やし、その半ばで肉を煮て食べ、あるいは肉をあぶって食べ飽き、
また身を暖めて言う、「ああ、暖まった、熱くなった」と。
そしてその余りをもって神を造って偶像とし、その前にひれ伏して拝み、
これに祈って、「あなたはわが神だ、わたしを救え」と言う。(イザヤ書44:9-44:17)
607:神も仏も名無しさん
10/04/26 20:45:45 4Hbb0PBn
天を創造された主、すなわち神であってまた地をも造り成し、これを堅くし、
いたずらにこれを創造されず、これを人のすみかに造られた主はこう言われる、
「わたしは主である、わたしのほかに神はない。
わたしは隠れたところ、地の暗い所で語らず、ヤコブの子孫に『わたしを尋ねるのはむだだ』と言わなかった。
主なるわたしは正しい事を語り、まっすぐな事を告げる。
もろもろの国からのがれてきた者よ、集まってきて、共に近寄れ。
木像をにない、救うことのできない神に祈る者は無知である。
あなたがたの言い分を持ってきて述べよ。また共に相談せよ。
この事をだれがいにしえから示したか。だれが昔から告げたか。
わたし、すなわち主ではなかったか。わたしのほかに神はない。
わたしは義なる神、救主であって、わたしのほかに神はない。
地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、
そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ。(イザヤ書45:18-45:22)
608:神も仏も名無しさん
10/04/26 22:01:17 BoLB/JsL
七日で地球が出来る分けねーじゃんバッカじゃねーの
609:神も仏も名無しさん
10/04/26 23:14:11 x2jLOPUo
イエスや福音書記者たちが、預言書に明記された唯一神論を踏まえない。
ありえねー
610:神も仏も名無しさん
10/04/27 00:01:23 KV3nirUa
意味もわからず聖書を読むのは退屈ですね~~+
611:前世は一在家
10/04/27 06:53:46 xXjYtMog
>>603 20氏
グーグルにて「Dead Sea Scrolls Deuteronomy 32:8 EL」で検索すれば
「死海文書」版の申命記32:8の多くの解説や論文を英語で読むことができます。
★Dr. Michael S. Heiserの論文その1
”Are Yahweh and El Distinct Deities in Deut. 32:8-9 and Psalm 82?”
至高神(El)の子ら(神々)の中の一方がYahwehだったと解釈したMark S. Smith教授
の学説も紹介しております。
(はじめにより)
The argument is put forth that these texts suggest Yahweh was at one time
a junior member of the pantheonパンテオン under El the Most High至高神,
but that he has now taken control as king of the gods.
Mark S. Smith’s comments are representative:
異端として焚書された「ユダの福音書」も大戦後に発見され研究が進んでおります。
ユダ伝では、ある日弟子たちが旧約の神(Yahweh)に祈っているのをご覧になった
イエス様が「私は至高神の名を知っている」と微笑まれました。
「ユダの福音書」と「死海文書」とがシンクロし出して、真実が輝きだしているように
感じます。
至高神(El、エロヒム)はYahwehのことなのか、それともYahwehの父神なのか、
至高神Elはイエス様の本当の「天の父」だったのか否か?
インターネットがグローバルに普及した21世紀に、カトリックが焚書した文献群が
次々に「復活」し、ニケーア公会議の再検証(審判)が行われる日が到来している
かと存じます。
612:ユダ改め石狩雄大
10/04/27 08:10:05 amOaMfq/
イエス様の本当の「天の父」の御名は何度か
書いていますがYahwehでもElでもありません。
「愛」を意味する全ての言葉が主の御名です。
軽々しく「愛している」などと言ってはいけないのです。
神への冒涜ですから。
613:神も仏も名無しさん
10/04/27 09:25:47 ns1ycrln
>>611
1・多神教時代の残滓部分を伝えた・書いた人(詩篇82篇とか)の信仰
2・唯一神論の明記・異教神=偶像の否定を伝えた・書いた人(それら以外の聖書全体、例としてイザヤ書)の信仰
3・明記された後、それを預言書として受入れていた人々(イエスや福音書記者)の信仰
4・あなたの信仰
1と4、2・3を区別しましょう。この三つは別個のものです。
区別しているなら、そのように書きましょう。
614:神も仏も名無しさん
10/04/27 10:03:12 8jT6ep96
エロヒムの複数形は威厳、卓越を示す「強意複数形」と呼ばれることば。
エロヒムの後に単数形の述語動詞や形容詞が使われているので、エロヒムは一人称である。
エロヒムは「神々(複数)」と訳すのではなく「偉大な神(単数)」と訳すべきである。
至高神=天の父=エロヒム=YHWH
615:前世は一在家
10/04/27 22:43:16 pWorbN3c
>>613
>1・多神教時代の残滓部分を伝えた・書いた人(詩篇82篇とか)の信仰
>2・唯一神論の明記・異教神=偶像の否定を伝えた・書いた人(それら以外の聖書全体、例としてイザヤ書)の信仰
>3・明記された後、それを預言書として受入れていた人々(イエスや福音書記者)の信仰
>4・あなたの信仰
>1と4、2・3を区別しましょう。この三つは別個のものです。
あるクリスチャンから聖書は聖霊によって書かれたと伺いました。
申命記や詩篇を書いた人と、それ以外の旧約を書いた人とは別だ
と言われる貴兄はクリスチャンですか?
616:携帯20
10/04/27 22:56:51 DlFF88/G
20です。ま~た規制食らってます。しばらくはROMになりそう。
ひとことだけ書いておくと文書仮説を大筋で認めるかどうかでユダヤ教に対する見方は違ってくると思います。
617:神も仏も名無しさん
10/04/27 23:11:49 mBKyJpFS
>>615
聖書を構成する書物の一つ一つがその場の発案で書かれたわけではないでしょう。
元ある伝承を集めたものになってます(創世記のエロヒム資料とか)。
イザヤ書も第一イザヤ、第二イザヤ、って分け方がされてますね。
同じ本にも、それぞれの伝承を生み出した人々と、後代に編集して本にまとめた人々とがいます。
本にした人々の時代では既に唯一神論化が進んでいたと考えられます。
異教の神々やその名前は記述されますが、それらがサタンのような登場キャラとして
聖書の本文にあらわれることもありません。「バアルの預言者たち」をやっつける話は
あってもバアルが嵐をもたらしたり、バアルをモーセやエリヤがボコったという話はなし。
残滓部分もさらに調和化が進みます(ヤコブと神が相撲をとる話がじつは天使ということにされたり)。
>>606-607のような記述を神の預言として受け入れた以降の世代の(イエス含む)ユダヤ人、
福音書記者が多神論をとると思いますか?聖書を多神論とみなすと思いますか?
618:前世は一在家
10/04/27 23:32:32 3m7K905n
>>617
「わたしのほかに神はない。」という台詞は異教の神々も使われて
おります。預言者に対する神様の常套句でしょうか。
神の自己申告ですので、それを信じて仰ぐことが「信仰」でしょう。
でも、「神の子らの数に従い」とか「汝らは神なり」という聖句が旧約
に登場します以上、複数の神的存在を否定できないと申しております
次第です。
619:神も仏も名無しさん
10/04/27 23:37:58 mBKyJpFS
>>618
>「わたしのほかに神はない。」という台詞は異教の神々も使われて
>おります。
バアルやアシェラが(サタンやら悪霊がなりすましたものではなく)
実際の神としてそう発言している章句が聖書にあるんですか?教えて下さい。
>神の自己申告ですので、それを信じて仰ぐことが「信仰」でしょう。
「>>606-607のような記述を神の預言として受け入れた以降の世代の(イエス含む)ユダヤ人、
福音書記者」は聖書で説かれた唯一論を信じている、ということですね。
620:前世は一在家
10/04/28 00:02:07 3m7K905n
>>619
神の預言として受け入れた以降の世代でも、ユダの福音書記者は唯一論は
信じていなかったようです。
グノーシスを異端として焚書しましたカトリックですが、ギリシャ語聖書の
オリジナルと分析されている最古のクムランテキストに「sons of God」が
明記されております以上、どうされるのでしょうか。
1)クムランテキストを一読して、自身の見解を整理する
2)クムランテキストは読まずに、従来の信仰を維持する
まだ2千年しか経っておりませんから、イエス様の本来の教えがどうで
あったのか、ニケーア公会議での時間切れの多数決が正しかったのかを
再検証することも可能かと思料します。
621:神も仏も名無しさん
10/04/28 00:08:53 OrNF3RRc
参考までに。
一神崇拝の要求は聖書的信仰の最大の特色の一つであるが(出20:2申6:4)
旧約聖書では、当初は他の神々の存在が前提にされており(士11:24サム上26:19)
そのうえでイスラエルの神ヤハウェ以外の神々の崇拝を禁じる拝一神教的な性格
のものであったと考えられる。
しかしバビロニア捕囚(前6世紀)前後にはヤハウェ以外にいかなる神の存在をも
認めない唯一神教的神観が確立した(イザ44:6;45:5-7)
ユダヤ教、キリスト教、イスラームはそれぞれ旧約聖書からこの意味での唯一神観を
継承したが、キリスト教においてはイエスの死後、「神の子」であるイエス・キリスト
における神性(ヨハ1:1、18;フィリ2:6)と神の唯一性がどう関係するかをめぐって
キリスト論論争が起こり、最終的には三位一体論の形成につながった。
(山我哲雄) 岩波キリスト教辞典
622:神も仏も名無しさん
10/04/28 00:27:16 jTHGJDa+
>>620
もう一度確認です。
「>>606-607のような記述を神の預言として受け入れた以降の世代の(イエス含む)ユダヤ人、
福音書記者」は聖書で説かれた唯一論を信じている、ということですね?
グノーシス派の話をしてるんじゃないですよ。ヤハウェを【至上の唯一神であると】信じ、
預言書を(彼から降された啓示として)信じるユダヤ人の話をしてるんです。
>グノーシスを異端として焚書しましたカトリックですが、ギリシャ語聖書の
>オリジナルと分析されている最古のクムランテキストに「sons of God」が
>明記されております以上、どうされるのでしょうか。
他の部分が多神論否定にまみれている以上、問題とされないでしょう。
(被造物たる)人類か天使のことと解することでしょう。
神とイスラエルとのつながりは親子関係になぞらえられているので都合が良い。
これも前に書いた気がしますが。
623:20
10/04/28 00:38:23 QJ/vX0hN
なんか規制が解けたみたい
>>611 在家さん
>>501に書いた通り、すでに読ませてもらってます。
で、そこに書いたように私にはどちらが正しいのか判断はできません。
>>605
> あちこちの国に神がいても、「私以外の神を信じてはならない」というのが
> 本来の唯一神信仰の定義かも知れませんよ。
いわゆる拝一神か唯一神か、ってやつですね。
私の言いたいことは>>613>>617さんに見事に言われてしまっているので
私もバビロン捕囚時代ないし第二神殿時代以降のユダヤ教は唯一神信仰だと思ってます。
>>620
> ギリシャ語聖書の
> オリジナルと分析されている最古のクムランテキストに「sons of God」が
> 明記されております以上、どうされるのでしょうか。
横レスですが、クムランテキストは申命記、詩篇を含むユダヤ教テキストをマソラ本文より
よりオリジナルに忠実に再現しているというだけで
文書仮説を前提とすれば、聖書学的には多神教時代の残滓ということで
処理できる問題だと思います。ただその文書仮説そのものが正しいかどうかは別問題ですが。
ユダヤ人の信仰の問題としては、第二神殿時代以降はそういった
「多神教時代の残滓」部分は解釈によって唯一神信仰と矛盾しないよう処理されてるのだと
思います。ちょうど現代の福音派の人たちのコメンタリでそれは天使だとかイスラエルの民だとか
解釈するように。
624:前世は一在家
10/04/28 06:40:27 W+jTCDyY
>>621
>一神崇拝の要求は聖書的信仰の最大の特色の一つであるが(出20:2申6:4)
>旧約聖書では、当初は他の神々の存在が前提にされており(士11:24サム上26:19)
>そのうえでイスラエルの神ヤハウェ以外の神々の崇拝を禁じる拝一神教的な性格
>のものであったと考えられる。
>しかしバビロニア捕囚(前6世紀)前後にはヤハウェ以外にいかなる神の存在をも
>認めない唯一神教的神観が確立した(イザ44:6;45:5-7)
>(山我哲雄) 岩波キリスト教辞典
真に的を得た情報の紹介を有難うございました。
海外の研究者達の論文でも、「拝一神教から唯一神への変遷の経緯」を
記載したものが確認できます。
文献学的にはイスラエルの神ヤハウェに「私以外を拝むな」と命令された
ことがルーツかと認識しております。
625:前世は一在家
10/04/28 06:41:36 W+jTCDyY
>>622
>ユダヤ人、 福音書記者」は聖書で説かれた唯一論を信じている、ということですね?
本当に信じていたのかは分かりませんが、 拝一神の立場をとったということかと
存じます。
>(被造物たる)人類か天使のことと解することでしょう。
都合が悪いから、イスラエルの神ヤハウェ以外の神々を「天使」や
「イスラエルの子孫」に書き換えてしまったという行為が正しいのでしょうか?
譬え話をしますと、釈尊の説かれた「因果の法」は、「空」論理に都合が悪い
から「時間」を除いた「縁起の法」を支持する大乗仏教徒達をどう見ますか。
モーゼが若い頃には異国の神々が信仰対象だったのでしょう。
日本神道の神々、仏教を守護した梵天たちもまた異国の神々になります。
626:前世は一在家
10/04/28 06:48:16 W+jTCDyY
>>623 20氏
>いわゆる拝一神か唯一神か、ってやつですね。
>私の言いたいことは>>613>>617さんに見事に言われてしまっているので
>私もバビロン捕囚時代ないし第二神殿時代以降のユダヤ教は唯一神信仰だと思ってます。
既に>>624でレスしましたが補足します。
モーゼやイエス様から見て「複数の神々」が存在したのかどうかをニケーア
以前の文献にて検証しております。
神の預言者が、神の独り子になり、更に神自身へと変遷する経緯も隣の板
では対話しております。
627:20
10/04/28 07:33:36 QJ/vX0hN
>>626
> モーゼやイエス様から見て「複数の神々」が存在したのかどうかをニケーア
> 以前の文献にて検証しております。
>
> 神の預言者が、神の独り子になり、更に神自身へと変遷する経緯も隣の板
> では対話しております。
これは大切な作業だと思います。正典化されたものを中心に議論を組み立てるのは
神学的な態度としては間違いではないかもしれないけど歴史学的・文献学的態度としては
偏ったものになってしまいますからね。
私自身は今のところそこまで対象にできるほどの時間的余裕が無いので
在家さんにはぜひ研究・精査を続けていただきたいと思います。
628:神も仏も名無しさん
10/04/28 19:53:25 TkIM+2r2
>>625
>本当に信じていたのかは分かりませんが、 拝一神の立場をとったということかと
>存じます。
>>606-607を読みましたか?
>都合が悪いから、イスラエルの神ヤハウェ以外の神々を「天使」や
じゃあどうすればいいんですかね?我々は千年以上も間違って唯一神教を信じてた馬鹿でした、
イザヤ等はそこを取り違えた偽預言者でした、とクリスチャン側が屈すればいいんでしょうか。
あなたはそれで満足しますか。
>「イスラエルの子孫」に書き換えてしまったという
私は、聖書の成り立ちそのものが唯一神論への移行の歴史、だと言うだけです。
現行の(旧約)聖書に収録された書の中でその立場は完結してます。イエスの時代には言わずもがな。
>行為が正しいのでしょうか?
倫理的な是非やら神界の裏事情は扱いません。過去の事実を知らない哀れでアホな古代ユダヤ人や福音書記者が
勝手に唯一神教にした、という矮小の仕方もしませんし。いたずらに彼らの誠意を勘ぐりもしません。
ユダヤ教徒やキリスト教徒がそのように解釈する理由にも理解をもとうと考えます。
629:神も仏も名無しさん
10/04/28 20:46:02 ppIaja6/
キリスト教の本屋さん
URLリンク(www.nikkihan.co.jp)
Category:キリスト教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キリスト教に関するカテゴリ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
Category:カトリック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カトリックに関するカテゴリ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
Category:東方正教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ギリシャ正教、東方正教会とも呼ばれる正教会に関するカテゴリ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
Category:プロテスタント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プロテスタントに関するカテゴリ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
Category:日本基督教団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本最大の合同教会である日本基督教団のカテゴリ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
630:前世は一在家
10/04/29 10:31:27 tWLEoGlp
>>628
>イザヤ等はそこを取り違えた偽預言者でした、とクリスチャン側が屈すれば
>いいんでしょうか。
イザヤは預言者ですから、神から聞いた通りに語ればいいのです。
ただ申命記や詩篇を語った預言者や詩人のことを知らなかったのでしょう。
そして、士師記、サムエル記上の筆記者のこともご存じなかったかと。
(Judges 11:24)
Wilt not thou possess that which Chemosh thy god giveth thee to possess?
So whomsoever the LORD our God shall drive out from before us,
them will we possess.
(Samuel 1 26:19)
They have now driven me from my share in the LORD's inheritance and have said,
'Go, serve other gods.'
631:前世は一在家
10/04/29 10:34:26 tWLEoGlp
>>630
異教でも神は預言者やシャーマン、巫女に対して「私以外の神を信じてはならない」
としばしば言われます。 神様の常套句、方便かも知れませんね。
もし「私以外にも神がおりますが、私を信じなさい」と言われましたら、
預言者も命がけで宣教されたでしょうか? 疑問ですね。
私は色々な宗教の聖典を読む際には、「一貫性」を最も重視しております。
神の啓示や聖霊による聖典であれば、当然終始一貫しております。
どの章とどの章とを比べても矛盾はございません。
しかし、人間の知恵で作られた宗教の場合は、一貫性に疑問箇所が存在します。
例えば、10年前の啓示と最近の啓示とに微妙に相違が見られる等々です。
預言者の言葉をそのまま伝えれば矛盾はないのですが、知識の高い編集者が
加筆するとそこに矛盾が生じますので検証できます。
このことは神様でなくても、イエス様や釈尊の高弟が加筆した場合でも同様に
検証できます。
以上、私のスタンスは本来のイエス様の教えはどうであったのかの検証にあり、
手段としてニケーア公会議以前の文献も参考にしております。
よってクリスチャン側が屈する必要などまったくございません。
ご一緒にカトリックが成立する前のイエス様の教えを探していただければ
幸甚です。
632:神も仏も名無しさん
10/04/29 11:29:35 AeaIh1dA
>>630
>異教でも神は預言者やシャーマン、巫女に対して「私以外の神を信じてはならない」
>としばしば言われます。神様の常套句、方便かも知れませんね。
具体例をどうぞ。
>もし「私以外にも神がおりますが、私を信じなさい」と言われましたら、
>預言者も命がけで宣教されたでしょうか?
バガヴァッド・ギーターはクリシュナと言う一神を至高の神として崇め、帰依せよ、
という経典ですが、ふつうに他の神々に言及し、それを聴いたアルジュナは
戦いを厭う態度を改め、(クシャトリアとしてのダルマに従うことに決め)また戦闘へと身を投じます。
>疑問ですね。
煽ってけしかけるために、事実でも無いこと(しかも根本的な信仰箇条)を神が言う、という発想を
信仰者がするものでしょうか?私は「いたずらに彼らの誠意を勘ぐりもしません。(>>628)」
633:神も仏も名無しさん
10/04/29 11:30:21 AeaIh1dA
>私は色々な宗教の聖典を読む際には、「一貫性」を最も重視しております。
違いますね。過去のある状態を取り上げて、後代の変化した信仰に
押し付けているだけです(「初期の神観→未来の書物に当て嵌め」)。
旧約後期の預言者や以降の信徒(「後期の神観→過去の書物に当て嵌め」)
とは逆のことを行っているわけですね。
後者は単に表現方法として調和化し、あなたは編者の過失でこれを行います。
さらにあなたは後期以降のものにすら多神論(>>625)に違い無い、という大前提を当て嵌めます。
初期の残滓部分と調和化させ「一貫性」を成り立たせるため、後期の預言者や信徒の信仰を
言い回しを変えて否定します。
>よってクリスチャン側が屈する必要などまったくございません。
あなたは625で「神々」と読まなければ不誠実と断じたではありませんか。
誤謬にとどまるのも勝手だ、という意味あいなのですかね。
634:20
10/04/29 13:46:01 n1vq4jhK
>>631
在家さんのお立場としては、
1. 神は存在する。
2. 神は無謬・無矛盾である。
3. 預言者の言葉は神の言葉を伝えるので無謬・無矛盾である。
4. よって聖典に矛盾があれば、それは預言者以外の人間による加筆・修正である。
5. ユダヤ・キリスト教の正典には矛盾がある。
6. 以上より、正典以外の文書を検証することによって矛盾を除去し
本来の神またはイエスの教えを再構築する必要がある。
ですね。
1~3までは聖書を神・聖霊の息吹によって書かれたものとするクリスチャンと共通です。
4~5については上記のクリスチャンは見かけ上の矛盾であって実際は矛盾ではないと考えます。
従って6については正典化そのものが神・聖霊の働きによるもので正典以外の文書は
基本的に神の教えを読み解く際に必要不可欠なものではないと考えます。
私の場合は世俗的な立場で、1から3までは最初から否定はしませんが、前提とはしません。
4~5については1~3を前提としないアプローチであるため、聖書を人間が作り、伝え、編集
したものと仮定し、その仮定に沿って読む限り正典には矛盾が見られると考えます。
従って6については正典以外を検証する必要は認めるものの、矛盾を取り除くのではなく
矛盾を合理的に説明し、ユダヤ教・キリスト教の実像に迫りたいと考えます。
どの立場も間違いというものではなく、単に立場の違いであると思います。
しかし私が以前に「文書仮説を大筋で認めるとすれば」と書いたのは、もし在家さんが
これを大筋で認めているのであれば>>633さんの批判が正しいことになり
在家さんの推論に無理が生じると思うからです。