10/03/27 18:43:47 Bk6BIdba
>>203
>すでに指摘したように、闇は光が欠如した状態です。光と闇は対立してません。
>したがって、光と闇が調和することも合一することもありません。
死海文書の宗規要覧では、人には光の箇所と同時に闇の箇所を宿し、
だからいかなる義人も罪人であると記載されております。
(逆にいかなる罪人も義人になり得ます。)
>砂糖と塩も同じであり、在家氏が(解説)で書いているように、
砂糖が欠如した状態が塩ですか? 塩が欠如した状態が砂糖ですか?
砂糖と塩とは元々異質で味覚上では甘いと辛いとで対立します。
さて「光の箇所」とは聖霊のようなものかとイメージしております。
小学校で習うような秒速何万キロで直進する「光」や、光の影にできる
「闇」とは異なる意味だと解釈しております。
「神は光なりき」と言った場合、秒速何万キロで移動して静止できない
光をあなたはイメージされますか?
私は神々しくて直視できないほどの光の集合体をイメージしております。
または燃えさかる炎のような智生体でしょうか。
また一神教も多神教も汎神教も視点が違ったり、定義の仕方が違うだけ
だと思料しております。