【論点】  キリスト教  【議論】at PSY
【論点】  キリスト教  【議論】 - 暇つぶし2ch2:つきみ ◆axxqpqAvWg
10/03/20 11:34:42 oN055xBv
2get

3:のぞみちゃん ◆1XjRibJyX.
10/03/20 12:02:51 qmlEklsC
>>2
つきみにハイレベルは無理と思う。。。


>>1
> キリスト教に関するハイレベルのテーマを議論するスレです。


4:神も仏も名無しさん
10/03/20 12:29:25 iEJWkSmj
テーマがハイレベルであればいい。議論の中身は問われないのでしょう。
ブラバッキーとかシュタイナーとかもハイレベルになると思う。

5:神も仏も名無しさん
10/03/20 13:43:41 e80keDjM
キリスト教の議論はもっとテーマをしぼったほうがいいんじゃないか



6:神も仏も名無しさん
10/03/20 18:30:46 7ke/VZZ6
表面的にはスエデンとかグノーシスとかを論じるけど、
つきつめればキリスト教そのものがまな板にのっている感じですか。

7:神も仏も名無しさん
10/03/20 18:43:48 7ke/VZZ6
>>5
人気がありそうなら単独スレに移し、
ここではそれ以前の、気になるテーマを話したらどうでしょうか。


8:飯塚豊
10/03/20 18:53:38 mJrxnB5c
ストア派を排斥せよ
TOP OF THE POPS
拡声器で大ヴォリュームで歌う
無益な教切ならば
キェルケゴールを読む
いい加減にしろ!
商業主義よ!
聖教新聞引き裂いて
俺の立場は何時でも奇跡を起こす
無益な教説よ
我らは地球を破壊するぐらいの大ヴォリュームで
三日後の復活に生きようぜ
奴らが生存のたうち回ってる間に
奴らで釣りしようぜ!!!!!!!!!

9:神も仏も名無しさん
10/03/20 19:02:34 7ke/VZZ6
神がいるのかいないのか、これはすでに単独スレで議論されている。
 
しかし神がいる場合、その神はビッグバンの前からいるのか、
ビッグバンによって誕生したのか、
これはまだ議論されていないでしょう?
 
神がビッグバンの前からいるなら、
グノーシスや新プラトン主義の言い分もわからないではない。

10:神も仏も名無しさん
10/03/20 19:42:31 7ke/VZZ6
神がビッグバン以前からいたら何が問題かと言えば、
神がこの世を創造したはずなのに、この世に悪がはびこっていることだ。
 
この悪の起源はどこにあるのか。
神は全能なのだから、その起源は神にあるともいえる。
ゆえに、この世を創造した聖書の神は悪であり、この世は悪であり、
あの世にいる至高神(一者)こそ、本当の神である。
 
これがだいたい、グノーシス、新プラトン主義だろうか。
キリストを設定するのがグノーシス、キリストを設定しないのが新プラトン主義

11:神も仏も名無しさん
10/03/20 20:00:22 7ke/VZZ6
ユダヤ教、キリスト教では、この世の悪を説明するために、
アダムとイブの失楽園を用意している。
 
しかしこの話には無理があると思う。
神は全能なのに被造物に無視されてしまう → ありえない。

12:神も仏も名無しさん
10/03/20 20:09:41 WRNhsW9c
>>9
少なくとも通常のユダヤ・キリスト教では神は初めから存在していた、ということに
異論を唱える人はいないんじゃないか?

>>10
新プラトン主義では一者からの流出過程の最低位あたりが悪として規定されるようなもの
なんじゃない?例えば行き過ぎた肉欲とか。その意味では善悪二元論ではないと思う。


13:神も仏も名無しさん
10/03/20 20:16:08 7ke/VZZ6
神がこの世を造ったという考え方は一般的である。
かりにそうだとすれば、この世には悪が存在するわけだから、
神のなかに悪が存在するのではないか、ということになってしまう。
 
神は悪をも抱えた存在なのか。
グノーシスも新プラトン主義もキリスト教もスエデンボルグも、
無意識にせよ、そのように想定していると思う。

14:神も仏も名無しさん
10/03/20 20:28:46 7ke/VZZ6
>>12
神は最初から存在する、ユダヤ・キリスト教もその通りだと思います。
 
確かに、グノーシスと新プラトン主義は、善と悪の二元論と言うより、
精神と物質、霊と肉、あの世とこの世のような二元論でしょうね。
かじり始めた未熟者なのでどんどん突っ込んでください。

15:神も仏も名無しさん
10/03/20 20:41:51 WRNhsW9c
>>14
いや、少なくとも新プラトン主義はすべてにおいて一元論で
精神と物質等の差異は流出の高次か低次かの相対的なものだと思うよ。
ちょうど光源から遠ざかれば遠ざかるほど暗闇に近づくようなもので。

逆に一元論(一神論ではなく)を取らないユダヤ・キリスト教における
悪の起源のほうが議論の対象としては面白いんじゃない?

16:神も仏も名無しさん
10/03/20 21:26:27 7ke/VZZ6
それではユダヤ・キリスト教における悪の起源にしましょう。
これに関してはヤコブ・ベーメが一元的に追求しているようです。
 
彼は世界の始まりを<虚無>と想定し、虚無が自己展開をし、
天使界 → 大地の創造 → 人間の創造となるという。
  
天使界には二種類の天使(怒りの暗い火、愛の明るい火)が創造される。
天使は自由意志を持っているが、怒りの暗い火である天使(ルシファー)が
自由をマイナス方向にむける → これが悪の起源であると。
 
ベーメにとっては虚無が神であり、この虚無という一元から、
善悪二元の天使に展開し、悪の起源を説明しようとする。
しかしその展開過程がすっきりしない。無理がある。

17:神も仏も名無しさん
10/03/20 21:38:33 7ke/VZZ6
マイスター・エックハルトは、
「神は原初、無であった。しかしこの状態では安らげない。」という。
これはベーメと同じ神認識・宇宙認識である。


18:神も仏も名無しさん
10/03/20 21:51:29 7ke/VZZ6
神が最初から存在し、神がこの宇宙を創造したと仮定すると、
神に悪が内在しているという矛盾が生じてしまう。
 
この矛盾を解決するには、神とこの宇宙を切り離す必要がある。
そのためにはどうしたらよいか。
神はビッグバンのときに、この宇宙と共に双子のように生じた、
と仮定すればよいのではないだろうか。
 
神は命であり、この世は命の器である。

19:神も仏も名無しさん
10/03/20 22:02:18 7ke/VZZ6
ビッグバンのときに、虚無が、神と物質とに分かれる。
この世は三次元に物質として誕生する。
神は四次元に命として誕生する。
 
神は時間を超越する存在であり、誕生した瞬間に、
永遠に存在するものとなる。永遠の昔から存在しているのである。

20:神も仏も名無しさん
10/03/20 22:13:59 WRNhsW9c
>>16
いやあ、思いっきり強引な悪の起源論だという気がするなあw
虚無からいきなり天使界はないだろ、とw

俺はユダヤ・キリスト教はそもそもが複数の伝承からなる神話群を
含んでるから当初から矛盾の塊だと思ってるんだよね。
それを神学的になんとか体系付けようとしてきた。
だから傍目から見るとどうしても「それちょっと無理じゃね?」って
思える部分をたくさん含んでる。

まあそう言っちゃ元も子もないので敢えてユダヤ・キリスト教に沿って
悪の起源を考えると、やっぱり神が人間に自由意志を与えた、というところに
帰着するような気がするんだよね。その自由意志によって神の命令に逆らったというのが
悪の起源だ、と。キリスト教ではイヴを誘惑した蛇はサタンということになってるらしいけど
じゃあサタンさんはどっから出てきたのか、と。

それこそルシファーであれベルゼブブであれ自由意志の存在を前提にしないと
悪の起源は説明できない。

結局、神=全き善、その神の命令に背く行為=悪、という規定。
神の被造物である人間に悪が生じたのは、まさに自由意志による神命への背きである、と。

21:神も仏も名無しさん
10/03/20 23:03:13 7ke/VZZ6
>>20
まったくもって正論ですね。すんなり読めました。
 
ベーメの話はもちろん、虚無から天使創造まで一挙に進むのではなく、
悪の起源としては天使(ルシファー)の離反ということです。
それから天使にも自由意志が与えられている。
 
神を全き善とすると、その被造物も全き善であり、
自由意志に関係なく悪は生じないだろう、というのが当初の疑問です。
悪を思いつく動機がない。
サタンの誘惑だとすれば、サタンを造った神に責任が生じる。
神の中に悪が存在していることになる。

22:神も仏も名無しさん
10/03/20 23:23:36 7ke/VZZ6
ビッグバンで神とこの世とが共に双子のように誕生したなら、
神を全き善として想定することも可能になる。
 
神(命)とこの世(物質)とは相互に依存しているのであり、
どちらかひとつでは存在しないし、逆に融合してしまうこともできない。
命は何重ものベールに包まれてこの世に奇跡的に生まれる。
本質としては、命や物質は善でもないし悪でもない。

23:神も仏も名無しさん
10/03/20 23:36:24 7ke/VZZ6
では悪の正体は何かと言えば、肉体の<死>だろうと思う。
器としての肉体に宿った命は、肉体の<死>を悪と受け取ることで
悪が生じるのではないだろうか。
 
悪があるということは、善が想定されているのであり、善とは<命>。
こうして、神(命)は善であり、この世(物質)は悪になる。
あれっ、これってグノーシス? 

24:神も仏も名無しさん
10/03/20 23:51:01 7ke/VZZ6
神はビッグバンで誕生した
 
神(命)とこの世(物質)を区別する ・・・ 最初から二元論
神は唯一 ・・・ 創造神以外に、至高神を想定しない
この世は命の器であり、神の相手であり、この世なくしては神も存在しない
 
グノーシスとは違うよね

25:神も仏も名無しさん
10/03/21 08:10:35 yvDt9zK9
>>8スウェーデンボルグは霊界日記にこう記した
パウロは最悪の使徒だ
そして神の御名によって悪霊から護衛されているとも




26:神も仏も名無しさん
10/03/21 08:28:32 yvDt9zK9
霊『神』と水『魂』と血『体』が三位一体ならば
復活で聖霊になる
カリスマ『霊的賜物』はもう古い
弱さのうちに復活で生命が宿るなら
飯塚さんは学会批判はしない方がいい
愛『神』でもってハムラビ法典でもない
預言する賜物もわかるけど異言を使う事も必要だ
ヒルティの幸福論が云うように
貴方は40代過ぎたら幸せだろう
プラトン的イデアより神の奥義は
終わりのラッパとともに朽ちる物が朽ちない物に変えられる
イエス・キリストの後の世の復活は
信じる人と信じない人がいる

27:神も仏も名無しさん
10/03/21 09:09:39 yvDt9zK9
三位一体ならば確かにビックバンで神も誕生する
肉の死が神の死でもある
意志『魂』の死から一歩進んで
聖書の規定では神『霊』はアルファでオメガだ
旧約聖書の規定では天地創造神
『最初に言葉ありき』が有名だ
世の終わり『永遠の生命』を説いても
肉に依存する霊と肉の分裂霊か肉か
魂の復活は信仰に肉を従わせたときの
バビロン『世』の価値の終わりにあるのでは


28:神も仏も名無しさん
10/03/21 11:36:17 roFO6CFN
グノーシスの定義をしておこう。
1966年、グノーシスの国際学会での提言(筒井賢治『グノーシス』より)
 
① 反宇宙的二元論
  この宇宙は劣悪な創造神が造ったもので、この創造神は善なる至高神と
  対立的な関係にある。
 
② 人間の内部に「神的火花」「本来的自己」が存在するという確信
  人間は創造神の造ったものであるが、その中に、至高神に由来する要素が
  わずかだけ閉じこめられている。
 
③ 人間に自己の本質を認識させる救済啓示者の存在
  人間は②に気付かないでいるが、至高神から使いがやってきて、人間に
  自分の本質を認識せよと促す。キリスト教の場合はイエス・キリスト

29:神も仏も名無しさん
10/03/21 12:10:02 roFO6CFN
 <新プラトン主義>
① 超知性的な最高始元「一者」を設定している
② イデア界において「ヌース」と「魂」を区別している
③ 流出説を承認している
④ 我々の魂の最高始元との合一の可能性を承認している
 
「一者」からの流出は「ヌース」から「魂」を経て、段階をふんで「質料」に行き着く。
「質料」の中でも一番最低な状態とは「闇」であり、それは「光の欠如した状態」である。
「悪」は、こうした欠如した状態の便宜上の呼び方である。
 
「イデア」・・・プラトンは物質世界、現象世界のうえにイデア界(叡智界)を想定する
「一者」 ・・・新プラトン主義が想定した、イデア界以上の究極の原理 
「ヌース」・・・知性、精神、理性。イデアを認識するための理性的能力のこと
「質料」 ・・・物質的な存在

30:神も仏も名無しさん
10/03/21 12:43:42 roFO6CFN
その定義から、グノーシスは善である至高神を頂点にする一元論である。
それなのに創造神という悪が存在している。 → 二元論
 
新プラトン主義も同じであり、究極の「一者」から流出する一元論である。
それなのに光のとどかない闇(悪)が存在している。 → 二元論
 
どちらにも一元論と二元論を混在させている誤りがある。

31:神も仏も名無しさん
10/03/21 13:02:07 roFO6CFN
グノーシス、新プラトン主義の問題はまだある。
悪を清算したところの、善なる至高神、究極の「一者」とは何なのか。
 
ヤコブ・ベーメが言うところの<虚無>ではないのか。
悪と無関係の純粋の善は、善とは言えないものになってしまう。
空? 空とはちがう。それは<虚無>だろう。
だれも<虚無>を神だなどと思わない。

32:神も仏も名無しさん
10/03/21 16:37:39 hrg519v6
神(命)と物質が区別できるなら
この世は二元論であり、最初から二元論で説明できるだろう。
 
生物の存在しない宇宙は死の世界でしかない。
ここに神の命が降り注ぎ、無数の生物、命ある固体が誕生する。
 
人間とは物質に命が宿った存在である。
人間は最初から、命と物質の二重性のなかに置かれている。
創世記には、神はドロ人形を造り、そこに命の息を吹き込んだとある。

33:20
10/03/21 16:56:40 9PO4I+OP
>>21
ども。

> 神の中に悪が存在していることになる。

俺の考えはちょっと違って、聖書に明示的に書かれていようがいなかろうが
人間であれサタンであれ神の被造物であることを前提にすれば
自由意志の存在を想定しないと「神=全き善」から「悪=神命への背き」が生じる余地はない、
というもの。だから「神の中に悪が存在していた」というのとはちょっと違う。
つまり自由意志による神命への背き自体が、善ではないもの、すなわち悪、ということ。
裏を返せば聖書に記述されているアダムとイヴの神命への背き自体が自由意志の証明に
なってるんじゃないかな。

ということで自由意志と悪は聖書的には不即不離の関係にあるって考えてるわけね。

34:神も仏も名無しさん
10/03/21 17:05:58 9PO4I+OP
>>24
神をビッグバンで誕生させるのはどうなんだろうねw
ユダヤ・キリスト教の考えからすれば受け入れられないものだろうし
逆に現代科学の考えからすればわざわざ神を誕生させる必要はないだろうし。

俺は生命っていうのは、
1. 自己複製
2. 変異
3. 代謝 
の3つの要件を満たしている物質だと思ってるから命と物質に区別はつけてないんだよね。
もちろんこの3つの特徴は物質の進化(宇宙の進化)の中で生じたもの。
だから一部のクリスチャンが主張しているような現代科学とキリスト教の融和っていうのは
少なくとも原理的にはあり得ないと思ってる。

35:神も仏も名無しさん
10/03/21 17:07:09 hrg519v6
命が物質に宿る? そのためには、
想像できないような神秘的なワザ、プロセスがあるのだろう。
 
そのなかに、物質に植えられた命が根付くかどうかという問題がある。
自分という個体を愛し、物質を愛さなければ根付かない。
こう推理すれば、個体の土台は自己愛にある、と言っていいだろう。
 
どの生き物も自己愛によって生きている。
自己愛が悪なのではない。それがなければ物質に命が宿らない。
神によって自己愛を持つように造られているのだ。

36:神も仏も名無しさん
10/03/21 17:13:44 9PO4I+OP
>>28-29
これは勉強になるなあ。

>>32
> 神(命)と物質が区別できるなら
> この世は二元論であり、最初から二元論で説明できるだろう。

ユダヤ・キリスト教の世界観では物質も神の被造物になるんだろうから
そこはユダヤ・キリスト教とは違うところだね。


> ここに神の命が降り注ぎ、無数の生物、命ある固体が誕生する。

これは聖書的にも融和性がある考えかも。

37:神も仏も名無しさん
10/03/21 17:50:40 hrg519v6
>>33
創世記からは、自由意志によって神命にそむいたから悪なのではなく、
そう仕向けられたような印象を受けます。
神は全能なのだから、アダムがそむくことを予見していたはず。
  
予定説とも関係し、自由意志のテーマは難しいですね。
少し考える時間をください。

38:神も仏も名無しさん
10/03/21 18:01:04 hrg519v6
>>34
命の3つの要件はわかるが、命と物質を区別しないのは不可解ですね。
物質から命はどうもがいてもできないでしょう。

39:神も仏も名無しさん
10/03/21 18:18:30 hrg519v6
>>33
神は全能なのだから、アダムが命令にそむくこともわかっていたはず。
だとすればアダムに自由意志があったのかどうか。
釈迦の手のひらの孫悟空かもしれない。
 
自由意志は見せかけであり、実際には予定説ではないでしょうか?

40:神も仏も名無しさん
10/03/21 18:20:19 OM+qmQQs
ハイレベルより聖職者による性的虐待を撲滅するにはどうするか考えろ

41:神も仏も名無しさん
10/03/21 18:33:05 hrg519v6
>>40
間接的につながっていると思う
ほんとうのキリスト教が明らかにされたら → 性的虐待も撲滅される


42:神も仏も名無しさん
10/03/21 18:38:37 9PO4I+OP
>>37
なるほどね。
キリスト教スレでこういうこと言っちゃうのはやや反則気味なんだけど
俺は聖書を整合的に読むのは無理がある、と思うんだよね。
たしかに全知全能の神であればアダムが背くことを予見していた、
それゆえアダムが自由意志によって背いたのではなく神によって背くよう仕向けられた、
というのがより整合的な読み方になるけど、はたして創世記記者・編者が
そこまで考えて記したのかは大いに疑問。

アダムとイヴの物語は死と労働の起源を古代ユダヤ民族が神話的に説明したものなんだと
思う。なぜ人間は死ななければならないのか、なぜ辛い労働をしなければならないのか、
といった素朴な疑問に対する神話的回答。それを神の創世神話の一環として
経典編さんの際に取り込んだものなんじゃないかな。
しかも伝承資料は目的や意図、及び時代を異にした複数の記者・編者・集団によるもので、
例えばアダムとイヴの物語のように相矛盾する神話を聖書の中に併記してるのは、
そういった複数の集団の政治的な調整・妥協の産物であったというような説も
批判的な聖書学の中では一般化してるみたいだしね。

もちろんこういった考えとは真っ向から対立する考え(聖書の無誤・無謬性を前提にするものなど)
もあるわけだから、聖書の解釈っていうのは本当に難しいね。


43:神も仏も名無しさん
10/03/21 18:38:52 hrg519v6
自由意志があるから悪が生じた、ということであれば、
自由意志を与えなければいいわけですよね?
神はなぜ自由意志を与えたのか。

44:神も仏も名無しさん
10/03/21 18:42:55 9PO4I+OP
>>38
うーん、この辺は考え方の違いだから溝を埋めるのは難しいかな。
生物学・生命科学に沿った生命の捉え方と、そうではない捉え方。
どちらが正しい・間違っているっていうんじゃなくて立場の違いみたいなものだと
思うよ。例えば俺の場合は逆に物質から区別された生命というのは不可解になってしまう。

45:神も仏も名無しさん
10/03/21 18:44:38 9PO4I+OP
>>39
そうかもしれない。すべては神の筋書き通りというのも否定はできないね。
よくは知らないけど自由意志を否定するキリスト教の宗派なり神学者なりも
いるんじゃないかな。

46:神も仏も名無しさん
10/03/21 18:52:45 9PO4I+OP
>>43
あくまでも憶測の域を出ないけど
神が人間に自らの意志で善を目指すことを良しとされた、っていうんじゃダメ?
もちろん神が全知全能であれば、なんでそんなかったるいことをわざわざ
しなきゃらないの?ってなっちゃうけどね。
一応神は自分に似せて人間を作った、ということは神に自由意志がある限り
人間にも自由意志を与えた、って言えないこともないんじゃない?

47:神も仏も名無しさん
10/03/21 19:04:30 hrg519v6
>>45
予定説ではカルヴァンが有名ですよね。
 
自由意志もわかるのですが、最近は予定説のほうに傾いています。
その理由は霊魂です。霊魂は、命の始まりであり、形をもった命です。
その霊魂が、人間の思いをすべて知り、すべて保存している。
だから予定説であり、実はこれが「命の書」なのです。

48:神も仏も名無しさん
10/03/21 19:13:41 9PO4I+OP
>>47
カルヴァンっていうとどうしても資本主義との関連を連想しちゃって
神学的な側面についてはよく知らないんだけど
カルヴァンって完全に人間の自由意志を否定してるの?
いや、おそらく徹底的に人間の自由意志を否定した神学体系のほうが
聖書的にはより整合性があると思って。

> その霊魂が、人間の思いをすべて知り、すべて保存している。
> だから予定説であり、

ここのところの論理展開がちょっとよくわからないから
もう少し詳しく説明してもらえるとありがたいです。

49:神も仏も名無しさん
10/03/21 19:34:52 hrg519v6
>>46
何が善なのか、これが問題なのだけど、
神が地上の個体に用意したのは<自己愛>という思い。
 
この自己愛はキリスト教で否定されるべきものです。
自己愛が悪、しかし自己愛を否定したら地上で生きられない。
 
この地上の生き物は、神の似姿とか鏡像のようなものです。
自己愛によって、神は自分自身を地上に表現している。
これが神の善では?

しかしその神に従えば、自己愛という悪に落ち込んで行くしかない。
それを救うために、イエス・キリストがやって来た?

50:神も仏も名無しさん
10/03/21 20:06:54 hrg519v6
>>48
解説書程度ですが、カルヴァンによれば、
救われる者も、捨てられる者も、最初から決まっている。
 
神は命であり、その命が物質界に降りてくるとき、命は明確な形を持つ。
神は大海である。しかし個体は水滴のようなものである。
その水滴が霊魂であるが、その霊魂には神に似た不思議な能力があり、
人間の精神も肉体もここから生じてくる。
 
仏教で言うアラヤ識や根本識のイメージだろうか。

51:神も仏も名無しさん
10/03/21 21:29:01 hrg519v6
>>48
というか、霊魂の存在を信じていないでしょう?
霊魂を信じられないと予定説を理解できないかもしれない。
 
神の命 → 霊魂 → アラヤ識 → マナ識 → 意識 
と展開し、物質のなかに命が宿る。
 
これがグノーシス、新プラトン主義で「流出」と言われる現象であり、
神の命がこぼれ落ちることで物質界に人間が誕生します。

52:神も仏も名無しさん
10/03/21 21:46:45 9PO4I+OP
>>49
> 神が地上の個体に用意したのは<自己愛>という思い。

自己愛のみじゃなくて自己愛も含む、ってことだよね?

人間が地上で生きていくために、神は人間に自己愛も含んだ人間性を与え
それが悪の淵源になっている。その悪から人間を救うために使わされたのが
イエス・キリストである、ということかな?自己愛が神の表現というのはよくわからないけど。

53:神も仏も名無しさん
10/03/21 21:51:09 9PO4I+OP
>>50
ども。

仏教まで持ち出されるとさらに混乱してしまうw
その霊魂の時点ですでに救われる者・救われない者が定まっている、
ということかな?

54:神も仏も名無しさん
10/03/21 22:01:41 hrg519v6
聖霊によって救われるのはなぜ困難なのか。
  
これは当たり前の話であり、神は
人間が簡単に自己愛から離れないようにしている。
そんなことを予定していないのである。
 
人間は試練によって砕かれないと自己愛から決して離れない。
神によってそういうふうに造られている。 
 
しかし聖霊を受けるには自己愛を離れなければならない。
だから難しいのだ。

55:神も仏も名無しさん
10/03/21 22:02:46 9PO4I+OP
>>51
> というか、霊魂の存在を信じていないでしょう?

信じていない、というよりもわからない、という感じかな。
ただ俺の場合は自分で何かを論理構成していく時には
できるだけ論理的な整合性だけじゃくて実証的な整合性も
考えるくせがあるから、その意味では霊魂の存在を前提にして
考えることはないと思う。
たしかにそうなるとそういった論理展開を理解するのは難しいかもね。

56:神も仏も名無しさん
10/03/21 22:20:54 hrg519v6
>>52
大筋でそんなことかと思います。
 
>自己愛が神の表現というのは 
生き物を地上に存続させるためには自己愛が欠かせない。
そして生き物によって神が表現されている。
生き物の世界は、鏡に映した神の姿のようなものですか。
 
パウロのローマ書1.20
神の永遠の力と神性は被造物に現れており、
これを通して神を知ることができます。

57:神も仏も名無しさん
10/03/21 22:29:08 hrg519v6
>>53
霊魂の時点で決まっている。しかし実際には、
救われるのか救われないのかわからないから、救われると思って努力する
しかないのだろう。過ぎ去ってから明らかになる。

58:神も仏も名無しさん
10/03/21 22:37:18 hrg519v6
>>55
若いときの苦労は買ってでもしろ、というのは、
試練によって心を砕かれ、聖霊体験をするためではないかと思う。
霊魂体験は瞑想でしょう。

59:神も仏も名無しさん
10/03/21 22:42:38 9PO4I+OP
>>56
なるほど。

> パウロのローマ書1.20
> 神の永遠の力と神性は被造物に現れており、
> これを通して神を知ることができます。

これ、そういう観点から読んだことはなかったので、そういう解釈もありなんだな、と
ちょっと感心。

>>57
俺みたいな俗人は決まってるなら努力はしないで、どうせ決まってるなら
なるようにしかならないや、ってなっちゃうけどねw
ちなみにカルヴィニズムが勤勉と蓄財に結びついたのは
自分が救われる予定の者だということをみんなが競って世間に示そうとしたからだったらしいw

>>58
瞑想か… そういえば全くやったことがない…


60:神も仏も名無しさん
10/03/21 22:49:49 hrg519v6
>>59
予定説の例としてヨブ記もあげられるかもしれない。
神に許されたサタンが、ヨブをどん底に落として左右する話ですよね。
個人の努力や自由意志を超えた力が働いている。

61:神も仏も名無しさん
10/03/21 23:13:28 9PO4I+OP
>>60
なるほどねえ。ヨブ記を読んだときは「これってちょっと酷くね?」くらいしか感じなかったw
ちょっと真面目に言うと、誠実で立派な人がなぜ悲惨な目に合うことがあるか、という疑問に
対する聖書の回答という感じで読んでた。
それでも最後はちゃんと裕福になって、世の中の不条理をもっとユダヤ教的な叡智で
斬り込んでくれるのかと思ってたから、えらく失望したのを覚えてる。え、これでおしまい?って
感じで。

どうも旧約ではコヘレトくらいしか感銘を受けたものがなくて…
ラビにでもついて学ばないとヘブル語聖書の叡智は紐解けないのかもね。



62:神も仏も名無しさん
10/03/22 15:27:35 HDE6spTP
>>61
コレヘトには諸行無常の響きがありますね。
この書の12.7に「塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。」とあり、
まったく同感です。しかし12.6「白銀の糸は・・・砕けて落ちる。」の意味が
いまだによくわからない。死の瞬間を描写したのか。
 
旧約は興味深いけど、分量が多くて簡単には読みきれないですね。
個人的にはヨブ記が一番好きです。
しかし確かに、最後の<結び>は少し安易な感じがする。
誰かがつけたしたような印象がある。

63:神も仏も名無しさん
10/03/22 18:30:04 NwNfrOjP
キリスト教は、一元論なのか二元論なのか、はっきりしないもどかしさがある。
創世記の冒頭には「初めに、神は天地を創造された。」とある。
ではその神は、いつ、どこで、どうやって誕生したのか。
それが語られていないのだ。
 
神が、永遠の昔から存在したというなら、神は虚無である。
しかし聖書を読み進めていくと、神が霊であったり命であったりもする。
神が霊であるなら、神はどこかで物質(チリ)と分かれたのだ。
分かれることによって神になった。

64:神も仏も名無しさん
10/03/22 18:41:49 NwNfrOjP
神という一元論で世界を説明するのか、
神と物質という二元論で世界を説明するのか、
 
これは真偽を判定するリトマス試験紙のようなものである。

65:神も仏も名無しさん
10/03/22 18:53:21 NwNfrOjP
天も地もない。何もない状態とは虚無である。
そこに神がいたとしたら、その神は<虚無>である。
神が虚無? そんな主張はウソだろう。

66:神も仏も名無しさん
10/03/22 19:20:50 NwNfrOjP
聖書に一元論のような記述が散見するのは、
ビッグバンや進化論を知らなかった時代のせいだと割り引こう。
神を霊、命とする発想は二元論である。
 
神は霊であり命である。だからこそ神は人格神なのであり、
だからこそ神は見え、神に触れることができ、神の声が聞こえるのである。
ただ単に、幽霊のように存在するわけではない。

67:神も仏も名無しさん
10/03/22 19:46:55 NwNfrOjP
一元論的な印象を受けるのは、神智学・人智学だろうか。
 
神智学はブラバッキー(1831~1891)の降霊術に始まるオカルト
シュタイナー(1861~1925)は神智学から離れて人智学を提唱する
 
ブラバッキーについてはオカルトが入り口であり、
シュタイナーについてはシュタイナー教育が入り口になるのではないか。
   ・・・シュタイナー教育については批判が多い。


68:つきみ ◆axxqpqAvWg
10/03/22 20:40:43 Bx+Z9+9O
>>65
「運動」のない世界で実存としての何かが存在しえるか?
これは3次元の限界。それ以上の認識は不可能だよ。

>>66聖書は究極は一元論。神・霊・真理などを阻むモノとして、
霊に対する肉のような対立項を設定したにすぎない。
それを二元論と誤解すると、サタンや悪霊とかが、信仰を阻むものとして
利用される。
キリスト教系新興宗教は全て二元論だ。

69:神も仏も名無しさん
10/03/22 21:09:44 PhgJ6Sln
始まりって何だろうね?
無から有の始まりなんて、妄想じゃないのかね?
神なんて必要あるのか?

70:つきみ ◆axxqpqAvWg
10/03/22 21:33:06 Bx+Z9+9O
始まりは、時間が流れ始めた時。つまり空間が生まれた時。
それ以前は時間も空間もない、つまり無だね。

神が必要かどうか?神話の神は必要ない。


71:神も仏も名無しさん
10/03/22 21:46:36 1YXSXhti
>>68 
>「運動」のない世界で実存としての何かが存在しえるか?
>これは3次元の限界。それ以上の認識は不可能だよ。
 
神はこの世と関係しあうことで存在している。
人間は神の分霊であり、それゆえに神の認識は不可能ではない。

>聖書は究極は一元論。神・霊・真理などを阻むモノとして、
>霊に対する肉のような対立項を設定したにすぎない。
>それを二元論と誤解すると、サタンや悪霊とかが、信仰を阻むものとして
>利用される。
 
霊と肉の対立は二元論です。一元論と二元論の混在が問題なのです。
 
>キリスト教系新興宗教は全て二元論だ。
 
具体的に、どう二元論なのですか。

72:神も仏も名無しさん
10/03/22 21:51:15 1YXSXhti
>>69
無から有が始まった・・・これがビッグバン仮説ですか。
神や信仰が必要ないと思うのはその人の自由です。


73:神も仏も名無しさん
10/03/22 21:53:27 nwv1RDti
>>62
ども。
そうそう。その諸行無常の響きがたまらないんですw
12:6についてちょっと調べてみました。
どうやら62さんのおっしゃるとおり、死の瞬間を描写したもののようです。
同じ死の瞬間にしても、大まかに言って二通りくらいあるみたい。
一つは、4つのオブジェクトで人体の終焉を象徴した、というもの。
具体的には、銀の紐が脊髄、金の鉢が頭(脳)、水差しが心臓、滑車が胃または血管、
の象徴。
もう一つは、人体の象徴ではなく重要な物の破壊によってこの世での人生の終焉を表した、
というもの。
(調べたのはBible Knowledge Commentary, Nelson New Illustrated Bible commentary,
Expositor's Bible Commentary です。)


> しかし確かに、最後の<結び>は少し安易な感じがする。
> 誰かがつけたしたような印象がある。

前にも書いたけど、どうしても聖書、特に旧約は複数の作者なり集団なりによる
執筆・編纂があったように思えてならないんだよなあ。しかも宗教的な意味での
政治的意図による後の追加・改変が加わってるように思えてならない。
だから福音派の人たちが言うような聖書の無誤・無謬性は、それはないでしょ、って
思ってしまう。


74:つきみ ◆axxqpqAvWg
10/03/22 21:53:52 Bx+Z9+9O
だからね、霊と肉は二元ではなく、霊一元を阻む肉でしかないんです。

キリスト教系新興宗教はサタンの影響を強調します。
病気、貧困、不信仰(今日は疲れてるから教会行きたくないな。程度)
をサタンによって説明します。


75:神も仏も名無しさん
10/03/22 22:07:37 1YXSXhti
>>73
「銀の糸は・・・」の意味、やはり死の暗喩でしたか。
何か厳粛な印象ですものね。
 
聖書の読み方は難しいですね。
距離を持って読み、よくわからないときは放置することにしています。

76:神も仏も名無しさん
10/03/22 22:16:15 1YXSXhti
>>74 
>霊一元を阻む肉でしかないんです。
この意味がよくわからない。対立しているから阻む、のではないのですか。
対立物と言うほどじゃないということですか。

>キリスト教系新興宗教はサタンの影響を強調します。
>病気、貧困、不信仰(今日は疲れてるから教会行きたくないな。程度)
>をサタンによって説明します。
 
神とサタンの対立、という二元論ですね。
しかし神がサタンを造ったとすれば、一元論に吸収されてしまうのでは?

77:神も仏も名無しさん
10/03/22 22:25:24 1YXSXhti
>>73
4つのオブジェクトによる象徴のほうがいいですね。
大切な命が壊れてしまった、という残念な思いが伝わってきます。


78:神も仏も名無しさん
10/03/22 22:35:04 nwv1RDti
すんません。俺だけかもしれないけど、一元論・二元論の定義がいまいち判然としない。
一元論というのは、ある一つのモノによって統一的にすべてを説明するものでしょ?
例えばデモクリトス(原子)、マルクス(一応物質)、バークリー(観念)、ヒューム(知覚)、
スピノザ(神=実質的に物質)など。
二元論っていうのは全く異なる原理の二つのものによって全てを説明するもの。
例えばデカルト(精神と物質)。まあ大雑把に言えばこういうことだよね?

すべては神の被造物、と言った場合、神と被造物の二元論なのか
被造物は神由来だから一元論なのか?
新プラトン主義というかプロティノスなんかでは一元論の立場だけど、他はみんな二元論?

79:神も仏も名無しさん
10/03/22 22:42:50 nwv1RDti
>>77
うん。ただやっぱりそういう解釈に何か具体的な根拠があるわけでもなさそう。
古代ユダヤ民族は脊髄を銀の紐で表す習慣があったとか、そういう資料のようなものがあれば
もっと確度は増すんだろうけどね。

解釈って、書き手の意図あるいはその背景的文化を読み解く立場と
読み手の側の創造的解釈って立場があるだろうから
後者の立場をとれば、いろいろと矛盾や不可解な部分を含んだ旧約聖書って
様々な知恵を導き出すにはもってこいなのかも、とふと思った次第。

80:神も仏も名無しさん
10/03/22 22:46:47 1YXSXhti
>>78
前半は同じように理解しています。
 
すべては神の被造物、と言った場合は、
被造物は神由来だから一元論になるのではないでしょうか。
グノーシスも一元論(至高神と創造神とをつなぐ神話が重要になる)
 
プラトンは二元論でしょう。精神と物質の対立を想定しただけ。
聖書ははっきりしない。二元論のほうが優勢に思う。

81:神も仏も名無しさん
10/03/22 22:55:47 nwv1RDti
>>80
ほうほう。
プラトンは精神と物質というより本質と仮象だからなんだか微妙w
プロティノスは光源と光の関係だから一元論(暗闇は言い換えれば無)じゃない?
たしかに聖書はなんだかよくわからないね。さっきのコヘレトの文章みたいに
一方は土に返り一方は神の元に返るわけだから二元論的だしね。

82:神も仏も名無しさん
10/03/22 22:58:23 1YXSXhti
>>79
個人的には納得しました。感謝です。
それにしても注解書を3冊も持っているのですか。すごいですね。
 
宗教は趣味なので、かってに想像して遊んでいる方です。
コレヘトもよかったけど、旧約外典のシラ書もなかなかよかったです。
こういう書は若いうちに読むべきですね。箴言は難しい。

83:神も仏も名無しさん
10/03/22 23:07:07 1YXSXhti
>>81
それほどの知識はないので、けっこういい加減な話をしています orn
プラトンはだいぶ前に読んだのでほとんど忘れたが、本質と仮象でしたか。
後ろから光を当てられ、その影を見ている、という話を覚えている。

84:神も仏も名無しさん
10/03/22 23:14:55 nwv1RDti
>>82
俺もクリスチャンではないので、そんなに深く勉強してるわけじゃないです。
注釈書3冊というよりソフトウェアの形式で持ってるものだから
何十冊っていう感じ。でも全くの宝の持ち腐れで、さっきみたいな機会がないと
ほとんど使用しないんですよ、これがw

旧約の外典はまだ読んでないから、そのうち暇を見つけて読もうかな。
シラ書か。覚えておきますね。

>>83
もちろん俺も知識ないので、かな~りいい加減なこと言ってると思いますですw

85:神も仏も名無しさん
10/03/22 23:26:30 1YXSXhti
新プラトン主義はもちろん一元論ですね
ヘーゲルも一元論(正反という対立を認めているのに合で一元論)
  
二元論を説いているのは何でしょうかね。
ミトラ教やゾロアスター教?
マニ教はグノーシスなのに二元論?


86:神も仏も名無しさん
10/03/22 23:38:03 rIu/p1jh
高エネルギー真空の崩壊がビッグバンだとしたら、ただの変換。
無から有なんて訳の分らないものではない事になる。

87:神も仏も名無しさん
10/03/22 23:51:32 1YXSXhti
>>86
言葉にするとわけがわからなくなる。認識の限界を超えているのかも。
無から有、その中心にあるのがビッグバン。
合(虚無) → 正(神) → 反(物質) という展開をしているのか。

88:神も仏も名無しさん
10/03/22 23:53:26 iVQMFdzk
>>87
認識の限界と存在の有無は一致しない。
正と反の定義がおかしい。

89:神も仏も名無しさん
10/03/22 23:58:17 1YXSXhti
>>88
ばれたか。すまん orn

90:神も仏も名無しさん
10/03/23 17:40:28 rd9cjjbh
プロテスタントが異端であるという根拠を挙げておきます。

・初代教会から続く伝統的な七つの秘跡が無い。

・初代教会から続く正統的な使徒継承が無い。
 使徒継承とは司教の存在を意味する。
 分派には司教がいない。

・司祭を叙階できるのは司教のみである。
 按手による権能は使徒の後継者である司教のみが有する。

・伝統的に認められていた正典を、
 身勝手な独断により聖書から除外したのが分派。
 カトリックとプロテスタントでは聖書の巻数が違う。

91:神も仏も名無しさん
10/03/23 17:44:32 F8eTyTfu
教会で扱われる音楽には何か効果があるのか
仏教的なパーカッションにアジア人である日本人は共感する気がする

92:神も仏も名無しさん
10/03/23 17:54:45 2LREcwmi
>>90
カトリックからの提案ですか。
どれも大きなテーマであり、機会があれば順次論じたいですね。


93:神も仏も名無しさん
10/03/23 18:02:56 2LREcwmi
>>91
欧米人と日本人の感性は異なっていますよね。
日本人は、キリスト教より、旧約のユダヤ人に近いかもしれない。
水や塩で清め、戦争があれば敵将の首を切る。

94:神も仏も名無しさん
10/03/23 18:28:15 2LREcwmi
わき道にそれ、信仰義認と予定説の違いを明確にしよう。
 
信仰義認は、行いに関係なく、信じれば救われると主張している。
これに対して予定説は、救いには行いも信仰も関係ないと主張している。
 
信仰義認は予定説を受け入れられない。
しかし予定説は信仰義認を受け入れられる。予定説>信仰義認

95:神も仏も名無しさん
10/03/23 18:55:11 2LREcwmi
予定説は自由意志を否定する。
 
理由・・・自由意志で救いが得られるなら神の恩寵が成立しない。
神の恩寵は、神に発し、神に帰せられるべきものである。
人間が参加する余地はまったくない。

96:神も仏も名無しさん
10/03/23 19:07:04 Jjkw4YSQ
あらW
これ  ID:rd9cjjbh雹ぐるんさんなんですか?W

URLリンク(www.img5.net)


97:神も仏も名無しさん
10/03/23 19:22:11 2LREcwmi
少なくても「救い」に関しては、
神は自由意志を否定しているように思える。なぜ?
 
神がビッグバンによって誕生したからだろう。
虚無が虚無であることを拒んだときにビッグバンが発生した。
そのとき、神と宇宙とが同時に、双子のように誕生した。
 
そのために神も物質も虚無を選択する自由がない。
神は神であり続け、物質は物質であり続ける。
破滅して虚無に帰ろうとする選択肢が最初から存在しないのだ。
 
神にも自由意志がない。人間に自由意志があるはずがない。

98:神も仏も名無しさん
10/03/23 19:39:48 2LREcwmi
神がこの世で、自然法則を超えて干渉できないように見えるのは、
神も完全な自由意志を持っていない証拠だろう。
 
自然法則を無視した奇跡はマユツバ

99:神も仏も名無しさん
10/03/23 20:05:19 rd9cjjbh
>>90 追加

鬼畜米英はプロテスタントの国であり、
北米大陸の先住民を虐殺したのは分派のプロテスタントです。

分派は、大聖人も極悪人も同列に評価する霊的共産主義です。
異端者の悪平等にはゾッとする嫌悪感があります。
福音を知らない人は幼児でさえも救われない、と
主張する分派は異常なのです。

100:神も仏も名無しさん
10/03/23 21:54:22 tCbGu28s
人智学を提唱したシュタイナーは、ユダヤ人、中国人、日本人、アボリジニ、
アメリカ・インディアンを、これ以上発展する見込みのない退廃人種と決めつけ、
アーリア人種が世界を指導し、黒人やアジア人を教育すべきだとした。
 
シュタイナーの370巻にものぼる著作集の中には、黒人やアジア人を蔑視し、
からかうような記述が数多くあり、確信的な人種差別思想であるとする批判が
近年欧州各国の政府機関やマスメディアから頻繁に出されている。

101:神も仏も名無しさん
10/03/23 22:21:37 tCbGu28s
神智学には根本人種という考え方があり、
第一根本人種から第七根本人種へと順次進化していくという。
日本人は第四根本人種になり、アーリア人は第五根本人種に分類される。
つまり日本人はアーリア人より劣っている、という差別思想である。
 
この差別思想は人間の構造からも主張される。人間は魂を
肉体→エーテル体→アストラル体→メンタル体へと進化させている。
このレベルで言えば、日本人はアストラル体であり、
アーリア人はその上のメンタル体らしい。

102:神も仏も名無しさん
10/03/23 23:17:51 tCbGu28s
アボリジニ、アメリカ・インディアンの迫害には欧米の差別思想がある。
この思想はキリスト教に由来するのかもしれない。
キリスト教徒である自分たちは救われている、という選民思想である。
 
神智学や人智学は、
近代になってキリスト教が魅力を喪失していくことへの危機感から、
意図的に作られたような感じがある。
普遍性を建前に差別の延命を謀っているのかもしれない。

103:中山車
10/03/23 23:25:24 I9bvwq+T
ノアの子に黒人も黄色人種もいないからだよ

つまり人間じゃないって認識なんじゃないかな

104:神も仏も名無しさん
10/03/23 23:29:28 k4RFhQM7
>>70
>始まりは、時間が流れ始めた時。つまり空間が生まれた時。
>それ以前は時間も空間もない、つまり無だね。

神霊界は時間も空間も我々の時空とは異なっていると伺っております。
つまり神界の頂点におられる至高神は時間・空間を超えた存在であり、
まず三次元界の時間を創り、次に空間を創られ、子の神々を創造された。

次に子の神々は地球や生物、人類を順番に創造されます。

人の創造にあたって、神の分霊ともいうべき「光の箇所」を与えますが、
それでは善一途で神と変わらず、ある理由があって「闇の箇所」も人に
宿します。神の経綸の一環でしょう。
換言しますと、アダムは完成品ではなく、光と闇との調和を保った存在が
完成形と言うのかも知れません。

闇の箇所は自己愛、欲望を生み出しますが、努力して向上を目指すのも
欲があるからです。
アスリート、芸術家、科学者などは自己実現欲の強い現われでしょう。
高度な科学文明を建設するのも上位の欲が必要です。

神の似姿として創られた人は既に霊と心と体が三位一体となっておりますが、
そのことに気付いておりません。

「内なる神」に気付けとイエスは説き、法華経は内なる仏性を説き、それを
悟った者が天国の住人「完全なる人間」、「仏」であり、涅槃に至った境地か
と存じます。

以上、私の信仰表明にて失礼します。


105:神も仏も名無しさん
10/03/23 23:33:12 k4RFhQM7
>>104
>次に子の神々は地球や生物、人類を順番に創造されます。

詩篇82章に複数の神々や神の子の記載があるような。

詩82:1 神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、裁きを行われる。

詩82:6 私は言う、「汝らは神だ、汝らは皆いと高き者の子だ。」
詩82:7 「しかし、汝らは人のように死に、もろもろの君の一人のように倒れるであろう」。

複数の神々が出席される会議のことが説かれているように読めます。
または「人は神だ」と読めますね。


106:神も仏も名無しさん
10/03/23 23:51:27 k4RFhQM7
>>93
>欧米人と日本人の感性は異なっていますよね。
>日本人は、キリスト教より、旧約のユダヤ人に近いかもしれない。

ユダヤ教のラビ達が日本神道を調べておりますことは結構有名です。
ソロモンの時代のユダヤ教と古神道に共通点が多いので、イスラエルの
消えたレビ族(祭祀担当)が日本に逃げてきたのではないかということの
ようです。

実際、伊勢神宮の多くの灯篭にはダビデ紋章が描かれておりますね。
伊勢、イッセはエッセネと発音(言霊)が似ておりますし。

また最近のヒトゲノムの研究成果の一つに、日本人には世界中の人々の
遺伝子が見られる稀有な国だということです。
超古代に日本から世界に広がったという仮説も立てられます。
レビ族が故郷に帰ってきたと。

まあ、旧約に出てくるユダヤ人は白人ではなく、小アジア系だったという
説もありますね。

107:神も仏も名無しさん
10/03/23 23:51:52 tCbGu28s
>>103
>つまり人間じゃないって認識なんじゃないかな
一言でいえば、そういうことでしょうね
>>104-105
在家氏ですか。文章に特徴があるのでばればれですね。

108:神も仏も名無しさん
10/03/23 23:54:45 k4RFhQM7
>>107
この板では皆さん名無しが多いからです。


109:神も仏も名無しさん
10/03/24 00:14:35 VoG1kcvr
>>90
>プロテスタントが異端であるという根拠を挙げておきます。
>・初代教会から続く伝統的な七つの秘跡が無い。

☆異端と正統と真の弟子
「異端」という言葉は自称「正統」が作り出した造語ですので
ナンセンスですね。

「いずれがイエス様の真の弟子が多いですか?」または
「いずれが聖霊のみ働きが活発ですか?」と質問したら
より公平な回答が得られるかと存じます。

真の弟子については、初期教父の聖エイレナイオスの証言が
参考になりますので再掲します。「異端」反駁の著者ですし。
「私は教会の多くの兄弟姉妹が預言の能力を持ち、霊を通じてあらゆる国の言語を語り、
人間の目から隠されている事柄を明らかにし、神の秘密を啓示するのを見ております。」
「真のイエスの弟子は、本当に悪霊を祓う、未来に起こることを予見する人々もいる。
幻視を見て予言を語るのだ。また、手をかざすことによって病を癒し、完全な健康体に
する人もいる。然り、さらにまた、既に述べたように死者さえ蘇った事例がある。」
(Irenaeus,Libros Quinque Adversus Haereses 5.6.1 (Cambridge,1851))


110:神も仏も名無しさん
10/03/24 07:58:10 ktH10yuN
比喩的な表現や慣用句を理解せずに、
聖書の御言葉を、
字義どおり、語義どおりに
そのまんま受け取る馬鹿がプロテスタント福音派。

111:神も仏も名無しさん
10/03/24 09:43:00 1V9gWv75
>虚無が虚無であることを拒んだときにビッグバンが発生した。

言葉遊び出宇宙は生まれたか?

112:神も仏も名無しさん
10/03/24 09:45:13 GMw3RHFO
>神がこの世で、自然法則を超えて干渉できないように見える

すげーな。物理学者もまだ知らない自然法則をよくご存知な>>98

113:神も仏も名無しさん
10/03/24 19:27:47 W/1030tz
>>111
話が逆。宇宙の始まりを言葉で表現したらですね。
>>112
神が自然法則を超えたという具体例を知っている?

114:神も仏も名無しさん
10/03/24 19:35:38 W/1030tz
人間には自由意志があるのかないのか


115:神も仏も名無しさん
10/03/24 21:23:56 Vl4qj2jE
スエデンボルグは、人間には自由意志がないのに、
自由意志があるかのように生かされている、というようなことを書いていた。
 
その理由は、自由意志で行動していると思わなければ、
その結果に対する責任を感じることはなく、改良されることもないからだと。
 
いまのところ、これが正解のように思える。

116:神も仏も名無しさん
10/03/24 21:37:35 Vl4qj2jE
>>104 
>神霊界は時間も空間も我々の時空とは異なっていると伺っております。
>つまり神界の頂点におられる至高神は時間・空間を超えた存在であり、
>まず三次元界の時間を創り、次に空間を創られ、子の神々を創造された。
 
子の神々とは具体的にどんな名前になりますか。
いざなぎや、いざなみも含まれますか。

117:神も仏も名無しさん
10/03/24 22:13:39 Vl4qj2jE
至高神のほかに複数の神々がいるとなれば十戒の第一に違反してませんか。
 
「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」

118:神も仏も名無しさん
10/03/24 22:25:44 Vl4qj2jE
>>104
>人の創造にあたって、神の分霊ともいうべき「光の箇所」を与えますが、
>それでは善一途で神と変わらず、ある理由があって「闇の箇所」も人に
>宿します。神の経綸の一環でしょう。
 
その「闇の箇所」とは何であり、わざわざ悪を与える理由は何ですか。
善である神に、与えるべき悪があったのはなぜでしょうか。

>換言しますと、アダムは完成品ではなく、光と闇との調和を保った存在が
>完成形と言うのかも知れません。
 
神はなぜアダムを完成品にしなかったのですか。

119:神も仏も名無しさん
10/03/24 22:34:09 L54VN1kH
イヤミなやつだから

120:神も仏も名無しさん
10/03/24 23:16:43 TQFugbOW
グノーシスによれば、聖書の神は偽神であり、この世は失敗作らしい

121:神も仏も名無しさん
10/03/24 23:23:39 TQFugbOW
現代の脳科学は、意志の形成過程を明らかにしつつあるという。
予定説にとっては有利な展開になっている。

122:神も仏も名無しさん
10/03/24 23:43:01 tvcGSrow
隣のキリスト教板ではほとんど無視された内容を再掲します。

>神自身が人間としての弱さと極限の苦しみを味わったという犠牲
>約束されていた「聖霊」の降臨の成就、そして12弟子らによる証しが真実であること

イエス様が神ならば十字架の処刑、ゲッセマネでの祈り「この杯」は簡単に回避
できましたよ。
「神の預言者」だったから、ご自身を遣わした神(天の父)の思し召しに従った
のでしょう。

神の預言者を軽く見ないで下さい、皆さん命を失うことは恐れませんよ。
エリアの生まれ変わりの洗礼者ヨハネも斬首を予知して恐れなかったかと思います。
もしイエス様に不本意があったとしたら、「自身が贖いの子羊」だと利用される
ことを予知されたからではないでしょうか。

根拠は福音「良い種に良い実、悪い種に悪い実」は「因果応報の法」でしょう。
ガラテヤ人への手紙6:7でも、「人は自分で蒔いた物を、刈り取ることになる。」
更にエッセネ派(多分、イエス様が誉めた洗礼者ヨハネ所属)は人の代わりに
動物を生贄にするのは認めていなかったです。

また聖霊ですが、聖エイレナイオスの証言にもありますように、彼の時代までは
イエス様の「真の弟子」達に降下して、癒し、悪霊を追い出し、死者も生き返らせる
という奇跡が続出しておりました。

あれから、わずか2千年しか経っておらず、神経綸から見れば瞬きするほど。
神様もイエス様も聖霊も何ら変わらず活動しておられますが、聖霊による奇跡
はどこへ行ったのでしょうか?

もし、教会内で聖霊の働きが見られなくなったとしたら、エイレナイオスと
ニケーア会議以降に何かが変わってしまったのだと推論することが自然かと
存じます。


123:前世は一在家
10/03/25 00:09:42 l3/QPSTp
>>117
>至高神のほかに複数の神々がいるとなれば十戒の第一に違反してませんか。
>「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」

複数の神々がいないとなれば詩篇82章に反しませんか。
>詩82:1 神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、裁きを行われる。
>詩82:6 私は言う、「汝らは神だ、汝らは皆いと高き者の子だ。」

また死海文書に含まれる世界最古の旧約聖書でも申命記に「神の子ら」という
複数の神的存在が明記されております。

古来神様は預言者に対して「私は唯一絶対神である」と告げられたと伺って
おります。これは神々の方便の一つだそうです。
もし「実は私以外にも神が存在するのだ。」と言えば、預言者は命がけで布教
などするでしょうか。

>>116
>子の神々とは具体的にどんな名前になりますか。 いざなぎや、いざなみも含まれますか。

神の御子達の名前は旧約では出てこないようです。
グノーシスでは、イエスとかソフィアとかいう御子の名前が登場しますが。


124:前世は一在家
10/03/25 00:24:29 l3/QPSTp
>>118
>>換言しますと、アダムは完成品ではなく、光と闇との調和を保った存在が
>>完成形と言うのかも知れません。
> 
>神はなぜアダムを完成品にしなかったのですか。

善一筋で欲のないアダムは神と変わらない存在だったからでしょう。

大芸術家の神はこの3次元界を創られた際に、この物質界での神の
如き存在(人)が地上に物質でエデンの園を顕現することを望まれたと
伺いました。

物質界での高度な科学技術を開発する為には全く欲のないアダムでは
完成形ではなかったようですね。
かと言って闇の箇所が増大した科学者では人類と地球を滅ぼしてしまい
ますから、光と闇との調和が重要です。

私の話の中には聖書にも仏典にもないことが含まれておりますが、皆様の
智恵と内なる神性にて認識願います。


125:紅音矢 ◆R/kUipgeiA
10/03/25 00:36:50 GJmT5T2r
にしても、どう考えたら「オーマイゴッド」なんて馬鹿げた口が聞けるんだろ。
お前の神はキリストじゃねぇのかよ。

「苦しい時の神頼みはみんなするが、
うれしい時に神に感謝するのはみんな忘れている」~マーフィーの法則

こういうプロ市民はキリスト教徒のフリをしているだけのクズだろう。
賠償金ボッたくるのが奴らの狙いだからな。

「強欲なトヨタよ、恥を知れ!」 ブレーキが効かなくなるも「神の力」で減速して助かった女性、米公聴会で証言
URLリンク(blog.livedoor.jp)

126:神も仏も名無しさん
10/03/25 18:04:08 fBYgzuVU
>>122
イエスが神ではないという主張にはおおよそ同意です。
しかし聖霊については、まず聖霊を定義するべきではないでしょうか。
そうしないと話が混乱すると思う。

127:神も仏も名無しさん
10/03/25 18:20:16 DDPDGlkm
あらW
これ チチモミのID:rd9cjjbh ID:ktH10yuN雹ぐるんさんなんですか?W

URLリンク(www.img5.net)



128:神も仏も名無しさん
10/03/25 18:27:16 fBYgzuVU
>>123 
>複数の神々がいないとなれば詩篇82章に反しませんか。
 
詩篇82は、81から続く<詩>です。詩であって事実ではありません。
 
詩篇81・・・
あなたの中に異国の神があってはならない。
あなたは異教の神にひれ伏してはならない。
わたしが、あなたの神、主。

詩篇82.1~7 
神は神聖な会議の中に立ち、神々の間で裁きを行われる。・・・
わたしは言った。「あなたたちは神々なのか。皆、いと高き方の子らなのか」と。
しかし、あなたたちも人間として死ぬ。君侯のように、いっせいに没落する。

129:神も仏も名無しさん
10/03/25 18:34:24 fBYgzuVU
>>123 
>また死海文書に含まれる世界最古の旧約聖書でも申命記に「神の子ら」という
>複数の神的存在が明記されております。
 
死海文書は読んでません orn

>古来神様は預言者に対して「私は唯一絶対神である」と告げられたと伺って
>おります。これは神々の方便の一つだそうです。
>もし「実は私以外にも神が存在するのだ。」と言えば、預言者は命がけで布教
>などするでしょうか。
 
これは論理的に成立しないでしょう。
全知全能なる神が複数いたら、全知全能ではなくなるのでは?
A神とB神で意見対立が生じたらどうなります。
神が複数いることはありえません。

130:神も仏も名無しさん
10/03/25 18:54:11 fBYgzuVU
>>12 
>善一筋で欲のないアダムは神と変わらない存在だったからでしょう。
 
それでいけないのはなぜですか。

>大芸術家の神はこの3次元界を創られた際に、この物質界での神の
>如き存在(人)が地上に物質でエデンの園を顕現することを望まれたと
>伺いました。
 
であればなおさら、アダムを神のごとく造るべきだったでしょう。
神が創造に失敗した理由がよくわかりません。

>物質界での高度な科学技術を開発する為には全く欲のないアダムでは
>完成形ではなかったようですね。
>かと言って闇の箇所が増大した科学者では人類と地球を滅ぼしてしまい
>ますから、光と闇との調和が重要です。
 
要するに全知全能なのに失敗したわけですよね。その理由が不明。
それに光と闇との調和もよくわかりません。
 
>私の話の中には聖書にも仏典にもないことが含まれておりますが、皆様の
>智恵と内なる神性にて認識願います。
 
こういう場所では、共通語で話すべきだろうと思います。
そうしないと議論にならないかも。

131:神も仏も名無しさん
10/03/25 19:09:00 fBYgzuVU
ウィキの「自由意志」も難しい。難しくて理解できない。
これが深遠なる哲学なのかという感じ。
多くの哲学者が脳みそを絞ってきた古いテーマなのですね。

132:神も仏も名無しさん
10/03/25 19:44:36 p+gXK1IY
>>131
自我の存在と自由意志は切り離せないんです

133:神も仏も名無しさん
10/03/25 19:49:41 fBYgzuVU
「自由意志」の背後には虚無が控えている。
 
虚無と言えば、ニーチェ、サルトル、カミュなどですか。
世界は「不条理」 という考え方でしょう。
つまるところ神の否定

134:神も仏も名無しさん
10/03/25 19:51:23 p+gXK1IY
人それぞれに課せられた決定論(宿命)を背負い
そこからどう脱却していくのかということです。
自由意志とは重き荷(宿命)を背負いながらその苦
に打ち勝つ為の神から与えられた最大の武器なのです

135:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 19:54:28 p+gXK1IY
マイスター・エックハルト

神性の無です。
神とは存在ではなく認識という次元なのです

136:神も仏も名無しさん
10/03/25 19:57:46 fBYgzuVU
>>134
人間が決定論(宿命)の下にあるなら、そもそも自由意志がありえない。
神が与えた宿命に対抗することは神への反逆でしょう?
そんな武器を与えるはずがないし、
与えられたとしても神に勝てるわけがないと思う。

137:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:02:46 fBYgzuVU
>>135
エックハルトはそのような理解をしたようですね。
でも個人的には誤っていると思う。
 
神とは「在りて在る者」、存在するものです。
無ではありません。

138:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:06:21 p+gXK1IY
>>136
宿命はあっても運命は変えられるのです。
自由意志とは神への帰依して宿命と立ち向かう
強さの為に発揮されるものなんです

139:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:11:21 C24lG64z
>エリアの生まれ変わりの洗礼者ヨハネも斬首を予知して恐れなかったかと思います。

ヨハネはエリヤの生まれ変わりではありません。
スレリンク(psy板)l50
この事については↑のスレで言い尽くしてあるので御覧下さい。

>もしイエス様に不本意があったとしたら、「自身が贖いの子羊」だと利用される

スレリンク(psy板:575番)

>根拠は福音「良い種に良い実、悪い種に悪い実」は「因果応報の法」でしょう。
>ガラテヤ人への手紙6:7でも、「人は自分で蒔いた物を、刈り取ることになる。」

スレリンク(psy板:142番)

>また聖霊ですが、聖エイレナイオスの証言にもありますように、彼の時代までは
>イエス様の「真の弟子」達に降下して、癒し、悪霊を追い出し、死者も生き返らせる
>という奇跡が続出しておりました。

エクソシストは実在します。

>あれから、わずか2千年しか経っておらず、神経綸から見れば瞬きするほど。
>神様もイエス様も聖霊も何ら変わらず活動しておられますが、聖霊による奇跡
>はどこへ行ったのでしょうか?

バチカン公認のものは「以降も」一応ありますね。というか普通のクリスチャンは聖霊を
単なる奇跡使用のためのエネルギー源だとか媒介だとは考えていないと思います。

140:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:11:32 p+gXK1IY
>>137
ひたすら神性の無です
純然たる神は無であり

知性認識されるもので存在そのものではありません
しかし神は神の偉大さ故 個々に表現せずにはおられないのです。

141:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:11:53 fBYgzuVU
>>138
イスラエルのことですか。
ヤコブはももの関節をはずして神に勝ちましたものね。

142:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:15:38 p+gXK1IY
マイスター・エックハルト
『神は存在する故に認識するのではなく、
        認識する故に存在すると考える』


143:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:19:36 p+gXK1IY
『知性認識は神の形相をもつと言い得る。何故ならば
        神そのものは知性認識そのものであり、存在ではないからである』

と言っているということは
神とは存在するのか存在しないのか?
という次元ではなく知性認識できるかできないかという問題だということなのですよね。


144:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:20:30 fBYgzuVU
>>142
その考え方は誤ってます。
認識を優先するのは、仏教の唯識ではないでしょうか。

145:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:23:11 p+gXK1IY
>>144
その上です。
仏陀は存在する二極の対立から脱却は説きましたが

アートマンは説きませんでした。

146:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:25:02 fBYgzuVU
認識は、認識対象があって初めて可能になります。
無は認識できません。
何もないものを認識できると思うのは妄想です。

147:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:28:41 fBYgzuVU
>>145
無からの天地創造をイメージできますか。
具体的にどうイメージしますか。

148:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:30:12 C24lG64z
>複数の神々がいないとなれば詩篇82章に反しませんか。

>>128さんが引用されたように(原型はどうであれ)唯一神論と調和化されてますね。
ちなみに>>141さんの紹介内容も旧約聖書中で調和化済みです。
ホセア書12章5節では天使ということになっています。

>これは神々の方便の一つだそうです。
>もし「実は私以外にも神が存在するのだ。」と言えば、預言者は命がけで布教
>などするでしょうか。

そのために費やされる人生、命の重みをわかっているのですか?
あなたこそ「預言者を軽く見」てるのではありませんか?
彼らを神々の計算に利用させているではありませんか。否定していた
「複数の神々」の掌上で操作されている、と知ったら彼らはどれだけ屈辱に思うでしょうか。

149:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:33:38 p+gXK1IY
>>146
それは個人個人の技量によるものです。
が、認識対象が粗雑なもの例えば目に見えるもの。
これが信仰の対象としての偶像を利用したもの

心が成熟されていくと認識の対象物が微細なものでも
認識できるようになり
ついには対象がなくても認識できるようになります。
これが最高の知性認識なのです。

ここに辿りつく自由意志を人間はだれでも備えています。
すでに与えられている人間の特権ですね



150:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:38:09 fBYgzuVU
>>149
よく理解できないのですが、中願派の「空」のことですか。

151:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:40:21 p+gXK1IY
>>147
『天地創造』 当事の人間としては最高の想像力ですね。
しかし 最高の知性認識は言語表現を超越しています。
そしてイメージも、今の人間の方がはるかに豊かです。
創世記なんかよりもっと凄いSFXのシナリオがいくらでも存在します。
人のイメージを遥か上をいくのが神なのです。


152:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:44:46 p+gXK1IY
>>150
では話をキリストの御言葉から紐解きますと

復活したキリストが、弟子のトマスに
『あなたは(復活した)私を見たので信じたのか?
見ないで信じるものはさいわいである』
                             ヨハネ:20-29

と言われたことは、目に見なくても事実を認識する
最高の知性を育てよとの教えでもあります。
これができるのは、人間の心が感覚の限定と理性の限定を超える
この特異な能力を持っているということです。
現世の諸々の事物に目を奪われること無く
この自由意志でこの知性認識を磨きなさいとの  お教えですね。

153:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:59:41 fBYgzuVU
>>151-152
聞き方が悪かったけど、無から物質が現れるプロセスを聞きたいのです。
物質が現れないと天地創造も不可能ですよね。

154:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 21:10:16 p+gXK1IY
>>153
天地創造に拘っていますね。
まー 一応聖書の言葉ですから軽視はできませんけど・・

エックハルトの言葉を引用すると
神と考えられるような神は真の神ではなかった。神を神と考えている限り、
「我」性の引力圏内である。むしろそのような神によって「我」性の方が益々ふくらむのである

『 神との合一 』とは天地創造という話とは異次元なのです。
つまりは天地創造も人間そのものの我性の圏内だということです。


155:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 21:15:48 p+gXK1IY
>>153
まー  無→意思→音(言葉)→物質
じゃないですか?



156:神も仏も名無しさん
10/03/25 21:34:11 fBYgzuVU
>>154-155
神が人間を創造したから、人間は神にたどり着けるのだと思う。
これがエックハルトで「神の合一」と表現されのでしょう。
しかしそれが「無」であることはない。
あなたは自分で神が「無」であることを確かめましたか。
 
それからもうひとつ、無 → 意思 → 音 → 物質なら、
物質にも意思がある? あるいは人間に意思がある?
→の順序から言えば、物質や人間には意思がないように見えます。 

157:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 21:41:21 p+gXK1IY
>>156
創造論は当時の人達が造った最高の神話ですからね。
宗教哲学科学が全てまとまらないと最高の知性認識には
たどり着けません

あと物質は意思の残骸です。
人間は単なる物質ではありません 自由意志のある神の最高の作品ですからね

158:神も仏も名無しさん
10/03/25 21:48:54 fBYgzuVU
>>157
究極的に無であるということは、人間存在の本質は無であるということと同じ。
無である存在の自由意志もやはり無。
これって不条理の哲学、サルトルやカミュの考え方ですよね。

159:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 21:56:31 p+gXK1IY
>>158
ここに不動なる永遠の安息、平安、寂静があるのです。
永遠の命とは被造物すなわち無.
供給される側から供給するものになるということです。

160:神も仏も名無しさん
10/03/25 22:01:12 fBYgzuVU
>>159
永遠の命ではなくて永遠の無ではないですか
それは無神論ですよ

161:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 22:09:06 p+gXK1IY
>>160
いいえ無神論じゃありませんよ
究極の神との合一です
無を否定するところに我性の引力が働いてしまい
純然たる神を見失う結果を招くのです。


162:前世は一在家
10/03/25 22:15:17 ejKEzSI1
>>117
>至高神のほかに複数の神々がいるとなれば十戒の第一に違反してませんか。
>「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」

>>128
>詩篇81・・・
>あなたの中に異国の神があってはならない。
>あなたは異教の神にひれ伏してはならない。
>わたしが、あなたの神、主。
>
>詩篇82.1~7 
>神は神聖な会議の中に立ち、神々の間で裁きを行われる。・・・

神霊界に複数の神々が存在し、それぞれが教団(異教)を従えていると
柔軟に解釈すれば、なんら不思議でなく矛盾もございませんね。

日本神道の神々と仏教の神々とが戦って、後者の守護力が勝って
日本に仏教が広まったという歴史もありますので納得です。

エホバが「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」
と言われた時は、多神の中で一神を信ぜよという意味だったことに
なります。
アラーが「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」
と言われた場合も同様でしょう。

なんだか数千年間続いた多神教と一神教との争いが空しかったことの
ようですね。


163:前世は一在家
10/03/25 22:16:04 ejKEzSI1
>>130
>要するに全知全能なのに失敗したわけですよね。その理由が不明。
>それに光と闇との調和もよくわかりません。

そうですか、「全知全能」をネタに一つお話をします。

昔々、神様Aと神様Bがおられ、一人の男に語りかけました。
神A「私は全知全能の神である。私以外に神はいない。」
神B「あなたは私の起こした奇跡を見て全知全能だと思っているが、
実は全知全能という神はいないのです。」

神A「全知全能の神は七日間で世界を創造したのである。」
神B「世界の創造には神代暦で7代もかかったのです。」

神A「神の似姿として最初の人のアダムを創造した。」
神B「神の子、人を創造するまでに失敗も多く、馬や猿なども創りました。」

さて、この一人の男は神様Aと神様Bのいずれを信じますか?
それとも両方とも信じませんか?

このお話のポイントは「全知全能」は、神の預言者への神様の自己申告だった
ということです。

「光と闇との調和」の法については、ある賢人が「正反合一」とかいう言葉で
別の表現をしましたね。


164:神も仏も名無しさん
10/03/25 22:18:29 fBYgzuVU
>>161
そういった究極の神、無との合一をはたしましたか。
それとも本の受け売りですか。

165:つきみ ◆axxqpqAvWg
10/03/25 22:27:48 HQUTnVH5
神と人間のキャパの違いを思うと、合一。並列化は無理。
神の一部と繋がる。
個々の器によって受け取る。
そういう感覚というか体験ですね。

神に包まれたという感覚は理解できますが、それは合一じゃないですね。

166:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 22:31:24 p+gXK1IY
>>164
うん修行中です。
全てのことに決して揺れない心になるためのね。
無 不動心とは悲しみや不安という感情に
自分自身が引きずり込まれない
ためのもの
イエスや仏陀のように慈悲深さを伴わうものです


167:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 22:32:39 p+gXK1IY
>>165
それは今生での自分の技量の
限界を見極めているのでしょうか?

168:つきみ ◆axxqpqAvWg
10/03/25 22:40:35 HQUTnVH5
>>167
いいえ、どこまで行けるかわかりません。
しかし、肉の思いを抱えながら神と完全な合一は僕の器では無理です。
ですから、弱い自分を主に委ねる。その恵みに感謝します。
弱いからこそ、不完全であるからこそ理解し体験できる恵みです。

169:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 22:42:16 p+gXK1IY
エックハルトのこの言葉は素晴らしい

神がお前に神の賜物を与え給うにせよ、与え給わぬに
                     せよ、お前は安らかに満足しなければならない

無しで済ますということは、それを受けないという仕方で受けることである。
「その時一体何の不足があり得ようか。そして確かに、受けることによって
よりも無しで済ますことによって一層本来的に神を受容するのである」



170:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 22:44:33 p+gXK1IY
>>168
>肉の思いを抱えながら
誰でもあります。
しかし脱却を目指して進むなら
必ずその努力に報いてくれることを
僕は信じています。

171:つきみ ◆axxqpqAvWg
10/03/25 22:53:00 HQUTnVH5
>>170
君は談話室のレスのような肉の思いと本気で戦う必要がある。

172:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 22:56:08 p+gXK1IY
>>171
戦う必要などないのさ、 実はね。
手綱をもって手なずければいい



173:神も仏も名無しさん
10/03/25 22:57:46 fBYgzuVU
>>169
今も昔も最初に神がいたことになっているから、
エックハルトのように究極に無を想定するのはやむをえないと思う。
ヤコブ・ベーメも同じように考えている。
二人とも神秘体験があり、何らかの真実を語っているのでしょう。

174:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 23:02:26 p+gXK1IY
究極の知性認識は神性の無です。
空気も食も真の自己存在には不要です。
この体感を確固たるものにするための修行は
愉しい道なのです。

175:神も仏も名無しさん
10/03/25 23:06:09 fBYgzuVU
人間は実は食べないで生きていられる、
という本を読んだことがある。がんばってください。


176:前世は一在家
10/03/25 23:22:00 qP1owQrQ
>>139
>ヨハネはエリヤの生まれ変わりではありません。

 『[我汝らに告ぐ。エリアは既に来たれり。然れど人々はこれを知らず、反って
心のままにあしらへり。 かくの如く、人の子もまた人々より苦しめらるべし。]
ここに弟子たちパプテスマのヨハネを指して言い給 ひしなるを悟れリ。』
(マタイ17章12~13節)

イエス様は洗礼者ヨハネを「人の子としては最も偉大」だと絶賛され、
彼の水の洗礼も進んで受けておられます。
モーゼも人の子ですから、モーゼを含むすべての預言者達よりも偉大な
洗礼者ヨハネはエリアの再来であっても不思議ではないと認識しております。

因みに洗礼者ヨハネはパリサイ、サドカイ派を「まむしの子孫」と罵倒して
洗礼を拒絶しておられますので、その他の彼の特徴も含めてエッセネ派の
可能性が高いと研究者達から見なされております。

そして、エッセネ派は動物の生贄は一切認めないことが特徴です。
もしイエス様が元はエッセネ派であれば、「過越しの子羊」にされることは
どれだけ屈辱的であったことかと推察しております。

命が惜しくてゲッセマネで祈られたわけではないと仮説を立てております。


177:神も仏も名無しさん
10/03/25 23:36:44 C24lG64z
>洗礼者ヨハネはエリアの再来であっても不思議ではないと認識しております。

だから、そうみなされていたのであって「生まれ変わり」とは見られていない、と書いてます。

>そして、エッセネ派は動物の生贄は一切認めないことが特徴です。

この件については真偽も出典もわかりませんが、仮に事実だとしてもその発想は理解できます。
彼らは社会から離れ厳しい自力修行をしてました。こういう人々の間で
「自分のことは自分で面倒見ろ」方式の思考が育まれるのも頷けます。
ここで再度スレリンク(psy板:142番)を提示します。

仮にイエスやヨハネが元エッセネ派だとすると、彼らはエッセネ派を脱退したと考えます。
新約聖書では、律法学者ですらある部分は評価されているのに、エッセネ派は言及さえされていません。
彼らはエッセネ式修行に意味を見出さず、社会に出て他者の重荷を背負うことを選んだのだと思われます。

178:前世は一在家
10/03/26 06:33:08 HYNS2+sA
>>177
>仮にイエスやヨハネが元エッセネ派だとすると、彼らはエッセネ派を脱退したと考えます。
>新約聖書では、律法学者ですらある部分は評価されているのに、エッセネ派は言及さえされていません。

エッセネ派は仏教に喩えると上座部(小乗)に近いかもしれません。
一方、衆生済度に立ち上がられたイエス様らはご指摘の通り大乗に似ております。

また新約を編纂し正統化した権威は「マムシの子孫」と罵倒されたパリサイ派、サドカイ派でなかったでしょうか。
そうであればエッセネ派は記載されないと推察します。

また、近年の研究成果の中で、最後の晩餐のあった2階建てはエルサレムのエッセネ派本部に近いという報告もあるようです。
イエス様は以前にもその会場を利用していたことが新約からも読み取れるでしょう。


179:神も仏も名無しさん
10/03/26 08:00:47 +GYXK6ko
>また新約を編纂し正統化した権威は「マムシの子孫」と罵倒されたパリサイ派、サドカイ派でなかったでしょうか。

どう考えてもクリスチャンです。

>そうであればエッセネ派は記載されないと推察します。

「そうであれば」の前後が全くつながっていません。

180:神も仏も名無しさん
10/03/26 18:03:22 rw4JdpsM
>>162 
>神霊界に複数の神々が存在し、それぞれが教団(異教)を従えていると
>柔軟に解釈すれば、なんら不思議でなく矛盾もございませんね。
 
教団があるのは人間界ですね

>日本神道の神々と仏教の神々とが戦って、後者の守護力が勝って
>日本に仏教が広まったという歴史もありますので納得です。
 
信者である人間同士の争いですね

181:神も仏も名無しさん
10/03/26 18:11:47 rw4JdpsM
>>162 
>エホバが・・・
>アラーが・・・
>なんだか数千年間続いた多神教と一神教との争いが空しかったことの
>ようですね。
 
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、
どれも旧約の創世記を聖典にし、同じ神を信仰しているのだから、
複数の宗教になっても多神教とは言いません。

182:神も仏も名無しさん
10/03/26 18:27:11 rw4JdpsM
>>163 
>このお話のポイントは「全知全能」は、神の預言者への神様の自己申告だった
>ということです。
 
単なる人間が「自分は神だ」と言っても説得力がないですね。
なかにはだまされて信じる人間もいるでしょうけど。
しかしそういう話ではなくて、
真実の神が複数存在したら、論理的に矛盾しませんか、という質問です。

>「光と闇との調和」の法については、ある賢人が「正反合一」とかいう言葉で
>別の表現をしましたね。
 
ある賢人とはだれのことですか。
それから、闇とは光の欠如であって、光の反対ではないのです。
光と闇は、調和も合一もしないように思いますよ。

183:神も仏も名無しさん
10/03/26 18:29:09 5Nwxo5xL
消えろ盲信者。

184:神も仏も名無しさん
10/03/26 19:18:48 rw4JdpsM
人間には自由意志かあるのか、ないのか。
  
このテーマは、キリスト教ばかりでなく、
イスラム教やユダヤ教でも議論されている一大テーマのようですね。
個人的には自由意志を否定する予定説に傾いている。

185:神も仏も名無しさん
10/03/26 19:54:26 nmb8UI8w
聖書には預言者が登場する。そしてイエスは終末を預言する。
これらを信じるのは、自由意志を否定し、天命を受け入れることである。
自由意志を主張したら、預言者も終末預言も成立しないからだ。
神の約束とはそういうことである。
 
聖書は、天命論、宿命論、予定説を前提にして成立している。

186:神も仏も名無しさん
10/03/26 20:20:03 nmb8UI8w
しかしヨナ書は<自由意志>を思わせる。
 
ヨナは「あと40日すれば、ニネベの都は滅びる。」と預言する。
ニネベの人々は神を信じ、悪の道を離れた。神は災いを起こすのをやめた。
神は、人間の思いと行いを見て、預言を撤回したのである。
 
福音書では、ヨナ書によってイエスの三日後の復活が説明されている。
なぜヨナ書なのか、カンのいい人はすぐにわかるだろう。
終末預言がはずれる可能性を示唆しているのだ。

187:神も仏も名無しさん
10/03/26 20:39:20 nmb8UI8w
ヨナ書は作り話である、ニネベは内陸の都市だから。
クジラの腹から三日後に吐き出されたという話も荒唐無稽だが、
ニネベ周辺にクジラ自体がいないのである。
 
この作り話から取材し、三日後の復活を説明したのは失敗だったと思う。
作り話に取材した作り話、三日後の復活の信憑性を危うくするからである。
それでもヨナ書なのは、終末預言の意味をわからせたいからだろう。
 
ということで、預言を覆したという自由意志は作り話でした。残念。

188:神も仏も名無しさん
10/03/26 20:49:03 nmb8UI8w
イスラム教の信仰条件に、<天命>を信じるという項目がある。
六信五行は、唯一神の宗教をうまく要約していると思う。 
  
六信・・・アッラー 天使 啓典 預言者 来世 天命
五行・・・信仰告白 礼拝 断食 喜捨 巡礼

189:神も仏も名無しさん
10/03/26 21:27:07 nmb8UI8w
キリスト教としてはイエスの復活に重点があり、
ヨナ書の三日後については、ほとんど語られていないのではないだろうか。
しかしヨナ書によれば、イエスはヨナであり、預言をはずしてしまう。
イエスによって、神を信じ、悔い改めれば預言は成就しない。
 
こう考えると、福音の読み方は二通りあることがわかる。
① 終末は確実であり、終末後の救いに希望を抱きつつ死者の如く生きる。 
② 終末預言から離れる。自分の問題として、神を信じ、悔い改める。

190:神も仏も名無しさん
10/03/26 21:41:44 nmb8UI8w
自由意志は難しいので、昨日のエックハルトにもどりますね。
 
神を<無>とするか、神を<命>にするかは重要である。
なぜなら、神探し、自分探しの方向が異なってくるからである。
 
神を無とするなら、自分を無とすることが目的になり、それが試みられる。
たとえば、過酷な修行であり、終日の瞑想である。
 
神を命とするなら、命を知ることが目的になり、修行や瞑想は退けられる。
そうではなくて日々の生活の中に命を探そうとする。

191:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/26 21:54:45 2FHAQDi4
ある経験がありイエスを信じるようになり、義捐金や人々のあやまちをゆるすよう努め、肉の欲・目の
欲・持ち物の誇りを楽しんでいた頃・・・・・実際に人格神と対話した(本当のことである)

【わが神】
―わたしが空腹のときに食べさせ~旅人であったときに宿を貸し~『主よ、いつ、わたしたちは、あな
たが空腹のであるのを見て食物をめぐみ』『わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにした
のは』
―イエスは聖霊に満ちて~荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて~そのあいだ何も食べず―
―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―
―イエスはさまざの病苦と~貧しい人々は福音を聞かされている―

 神(創造主)は貧しい人々を助けることを望まれているのではなく、「わたしの兄弟のように、衣
 食があれば足りる」ような暮らしの人々を望まれている。そういった質素な暮らしの人々が、空腹
 のときに食べさせたり宿を貸したりすること。

 神が創造されたのは、森や林など大自然である。肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろうと努
 めない人々は、天国で神と暮らすことはできない。

 楽しみとしてゆるされるのは大自然で、貧しく最も小さい者となるか、肉の欲を捨て貧しい人に食 
 物をめぐみ、死後も神とともに暮らせる人々を、全世界探し求められている。



192:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/26 21:55:43 2FHAQDi4
【あなたがたの父なる神】
―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている―
―もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである―
―悪魔はイエスを~世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あ
なたにあげましょう。それらはわたしに任されていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから―
 
 聖霊に満ちて荒野・・・神が創造された自然を楽しむより、富や権威や栄華を得るためにあくせく
 すること、衣食があれば足りるような心得て暮らさず、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを得ようと
 する人々を善いこともするが、悪いこともしでかすかもしれない「そのままの人」にした。

神が言われるには、富・自分の権威・栄華・肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを得ようとする人々を、
「神の左」「地の奴隷」「悪魔の子」「土に帰る」天国で神と一緒に暮らすことができず、「地で生き
続ける」全世界どこに生まれるかわからない「旅をさせる」と言われ、神の敵の者であると。

 信仰が深いと思いながら、わたしの兄弟のように貧しくもなく、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを
 捨て去ろうと努めない人々は、天国に入ることはできず、地(下界=この世)に閉じ込められ、さ
 ばきの時まで、地で生き続ける。=既に裁かれている。

193:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/26 21:58:31 2FHAQDi4
【奥義】
天国は―この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたが
たがたにできない事は、何もないであろう―という言葉が真実となり、そこに入るのは「わたしの兄弟」
のように、「肉の欲・目の欲・持ち物の誇りが一切満たされない状態」か、信仰に熱心で、それらを取り
除かねば、永遠の国に入ることはできない。

後になる人々は、「何一つ正しいことはない」「誇るな」として、神に対して罪の者でしかない。
聖霊=神が創造された自然、わたしの兄弟とわたしの兄弟にいつ施し与えたか、衣食があれば足り、肉
の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ったイエスを尊敬・正しい存在と讃美して、世を支配する天上に
いる悪の霊を讃美せず、

―「人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。この奥義は大きい―
―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、そ
の言葉どおりになるであろう―

 神に救われるのは、わたしの兄弟、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろうと努める人々だけで
 あると。その他の人々は、神に対して全く信仰のないようなつもりで誇らず、世と妥協せず、御言葉
 を受け入れるなら、世で救われる。

―あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう―  神が望まれるのは完全な世界に生ま
れることで、不完全なこの地の人々も、完全な者をよしとし、人であることを誇らないならば、地の者
も救われる。善いことをしても、神に対して(しました)と少しでも思ってはいけない。


194:神も仏も名無しさん
10/03/26 22:26:33 nmb8UI8w
>>191-193
神が命であれば、神は喜怒哀楽のある人格神であり、
神を見、神の声を聞き、神に触れることもあるのだろうと思います。
味がすることはあっても、匂いを嗅ぐということはない。

195:神も仏も名無しさん
10/03/26 23:42:30 YvcJx7NT
前半は結構良スレだったのに
なんか最近変な方向に行ってる。。。

196:前世は一在家
10/03/27 07:45:25 y6NKBC3E
>>182
>ある賢人とはだれのことですか。
>それから、闇とは光の欠如であって、光の反対ではないのです。
>光と闇は、調和も合一もしないように思いますよ。

正確には「正反合」を説いた賢人とはヘーゲルのことです。

(解説)
全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)
ヘーゲルの弁証法は、暗黙的な矛盾を明確にすることで発展させていく。その過程のそれぞれの段階は、その前の段階に暗黙的に内在する矛盾の産物とされる。

(私見)
人は己のうちに光の個所(神性)と闇の個所(欲心)という矛盾を含んでおり、互いに対立しあいますが、その対立の中で生活をしております。

譬えますと、美味しい善哉もその成分に甘い砂糖と辛い塩という矛盾を含んでおりますが、互いに結びついて成立しております。


197:前世は一在家
10/03/27 08:04:20 y6NKBC3E
>>181
>ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、
>どれも旧約の創世記を聖典にし、同じ神を信仰しているのだから、
>複数の宗教になっても多神教とは言いません。

同じ神を信仰しているから「一神教」という定義のことですね。

私が詩篇 81-82の啓示から指摘したことを下記に整理します。
・詩篇の啓示の主は旧約の神様だとします。
・旧約の神から見て異国の神々が存在します。
・その事実は「汝らは神なり」という言葉が証明します。
・ある時神々の会合がありました。
・旧約の神は、他の神々は全て自分より劣ると評価されました。

これも神様から預言者への自己申告であり、本当に旧約の神が
一番上位なのかは人には分からず、ただ信じるのみです。
私はグノーシス主義者ではありませんが、旧約の神の他に
複数の神が存在するという神学では一致しております。

換言しますと、旧約は「一神教」ですが、数箇所に「複数神」に
関する啓示が含まれております。

神界でも人智では図り難い、神々の競い合いがあるようですね。
多分、他の神々も預言者を遣わして「私以外の神を信じてはならない」
との啓示をおろされていると推察します。


198:前世は一在家
10/03/27 08:27:33 y6NKBC3E
>>185
>聖書は、天命論、宿命論、予定説を前提にして成立している。

ユダヤ教の三大宗派の中でもエッセネ派は一番予定説、つまり
「神の経綸」(青写真)を強く信じておりました。
(死海文書の宗規要覧を調べた学者の見解です。)

ただし、天命・宿命・運命の中で運命は人の意思で変えられると
伺っております。

例えば、家族で車に乗ってディズニーランドへ旅行に行くのが
「天命」で決まっておりましても、行き方「宿命」はある程度
決まっておりましても、車中でどのように過ごすのか「運命」は
自由意志次第でしょう。

例えば、終末の訪れが「天命」で決まっておりましても、どのような
大災害がどれだけの規模で起きるのか「宿命」はある程度決まって
おりましても、生き残る側なのか滅びる側なのか「運命」は自由意志
次第でしょう。

「自由意志」はあります。
その根拠は「人は神性を宿した神の子」だからです。
子に自由意志が無ければ親にも自由意志が無いことになりますからね。


199:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/27 09:34:28 nrqU0D4g
【神様 言葉を語られる】
自分にとって最大の出来事。

神様は、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを貪りながら、少々、貧しい人々などをあわれんで義捐金などを
しても、神様に信仰がありとされない。「わたしの兄弟」のように、信仰により「肉の欲・目の欲・持ち
物の誇りを捨て去ろうと努め、衣食があれば足りるような心得の暮らし」で、空腹の人々に食べさせ、宿
を貸したりすること。
「わたしの兄弟のように最も小さい人々や肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろう」とする人々は、
「土に帰らず」神様に逢い、私と暮らせる者となれると。

神様が創造されたのは森や林などの大自然で、永遠の命のために楽しみとしてゆるされたのは、自然を楽
しむくらいで、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りではない。信じながら、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを
満たそうとすると、強い勢いで叱られる。


200:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/27 09:35:16 nrqU0D4g
【滅びの悪魔・悪霊】
神を信じながら、(平和でよい世の中だ、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを満たせる幸せな世の中だ)
(人々のあやまちをゆるすように努め、隣人を愛するように努めるようにすればよい)(宗教は道徳的な
ことを教えているだけ)と思って暮らしていた時、神様は言葉を語られた。

富や権威や栄華を得ようとすること、衣食があれば足りるような心得で暮らさず、肉の欲・目の欲・持ち
物の誇りを貪ろうとする世は、神様の支配ではない、悪魔の支配であると。
そして人々は、「神の左」「地の奴隷」「悪魔の子」「呪いの子」となって、「土に帰り」再び「地で生
まれ」、最後には滅ぼされ、永遠に神様に逢えることはない者となると。

善いこともすれば、悪いこともしでかすかもしれない「そのままの人」として、地で生き続ける。

 いくら道徳的に正しいようなことを心に抱いても、世と肉欲をもって神様を信じること、神様に忌み
 嫌われている。


201:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/27 09:36:33 nrqU0D4g
【肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを全て捨て去ることができない人々】
「からし種一粒ほどの信仰もない」人々のように、信仰の浅い者と強く心得、「何一つ正しい者ではない」
「誇れない者」として神様の言うことを聞き、

―わたしが空腹のときに食べさせ~旅人であったときに宿を貸し~『主よ、いつ、わたしたちは、あな
たが空腹のであるのを見て食物をめぐみ』『わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにした
のは』
―イエスは聖霊に満ちて~荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて~そのあいだ何も食べず―
―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―

 いつもそのように望まれている方がいらっしゃると心得、イエスを尊敬・正しい者と讃美し、その
 うえで御言葉を善いと受け入れ、地で生き続ける人々も幸福となる。
―敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ―という言葉を受け入れようと努め
ても、神様にとって、悪魔の子から、やっと人らしくなった程度。

世の終わりには、世から出たものを完全に離れ、神様のみに従わないといけない。



202:神も仏も名無しさん
10/03/27 12:47:51 mdTZgRqk
猿は猿です!って御言葉があるって言ってた
(きゅー約聖書っていうらしい)
URLリンク(www.nicovideo.jp)

203:神も仏も名無しさん
10/03/27 13:36:34 nM5hphqQ
>>196 
すでに指摘したように、闇は光が欠如した状態です。光と闇は対立してません。
したがって、光と闇が調和することも合一することもありません。
 
砂糖と塩も同じであり、在家氏が(解説)で書いているように、
これらは己のうちにある矛盾ではありません。
弁証法を誤解していますね。

204:神も仏も名無しさん
10/03/27 13:43:30 nM5hphqQ
>>197 
在家氏は多神教を信じている、ということですね。

205:神も仏も名無しさん
10/03/27 13:59:14 nM5hphqQ
>>198
天命、宿命、運命に区別し、
段階的に、決定論と自由意志を両立させる考え方ですね。
 
しかしこの考え方には欠点があります。天命(旅行先)で死ぬのも、
宿命(途中ルート)で死ぬのも、運命(車の中)で死ぬのも、
死ぬことに変わりないからです。
 
マタイ10.30
「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」

206:神も仏も名無しさん
10/03/27 14:22:57 nM5hphqQ
人間の五感は、見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる、である。
この五感は、より根源的なものという観点から、順序をつけられそうである。
 
たとえば、触れる → 見る → 聞く → 味わう → 嗅ぐ 
嗅覚の退化は、嗅覚から離れることによって二足歩行が可能になったことに
関係している。こういった理由から、神を見ても、神を嗅ぐことは
ありえないのか。いやもともと神に匂いがないのだろう。

207:神も仏も名無しさん
10/03/27 15:28:24 gV/OS7GS
五感は一定程度生存に必要な範囲で限定的に発達したものに過ぎないのではいか?
基本性能の範囲にも偏りが有るし、精度や分解能も到底十分ではない。
感覚情報自体、神についてどうこう言えるようなレベルの代物だろうか?

208:神も仏も名無しさん
10/03/27 17:05:05 Gw4GG0Oe
>>207
スエデンボルグではないが、自然的な感覚は粗雑です。
しかし霊的感覚が存在し、しかも日常的に体験しています。
何かを話すときは、一瞬のひらめきをたよりに、次々につむぎ出されます。
この一瞬のひらめきが霊的感覚のレベルなのだと思います。

209:神も仏も名無しさん
10/03/27 17:28:45 Gw4GG0Oe
>>198 
>ユダヤ教の三大宗派の中でもエッセネ派は一番予定説、つまり
>「神の経綸」(青写真)を強く信じておりました。
>(死海文書の宗規要覧を調べた学者の見解です。)
 
エッセネ派を根拠にしなくても間に合うでしょう。

>ただし、天命・宿命・運命の中で運命は人の意思で変えられると
>伺っております。
 
自由意志の問題を理解していますか。
どんな領域で、なぜ自由意志が問題にされているのでしょうか?
 
>「自由意志」はあります。
>その根拠は「人は神性を宿した神の子」だからです。
>子に自由意志が無ければ親にも自由意志が無いことになりますからね。
 
人間に自由意志があったら、神の自由意志を侵害できませんか。
時と場合によっては、人間と神とが衝突します。

210:神も仏も名無しさん
10/03/27 18:21:36 Gw4GG0Oe
聖書にはいくつも気になる記述がある。創世記15.17もそのひとつ。
これはいったい何ですか。どなたか教えてください。
 
日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と松明が
二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。

211:前世は一在家
10/03/27 18:43:47 Bk6BIdba
>>203
>すでに指摘したように、闇は光が欠如した状態です。光と闇は対立してません。
>したがって、光と闇が調和することも合一することもありません。

死海文書の宗規要覧では、人には光の箇所と同時に闇の箇所を宿し、
だからいかなる義人も罪人であると記載されております。
(逆にいかなる罪人も義人になり得ます。)

>砂糖と塩も同じであり、在家氏が(解説)で書いているように、
砂糖が欠如した状態が塩ですか? 塩が欠如した状態が砂糖ですか?
砂糖と塩とは元々異質で味覚上では甘いと辛いとで対立します。

さて「光の箇所」とは聖霊のようなものかとイメージしております。
小学校で習うような秒速何万キロで直進する「光」や、光の影にできる
「闇」とは異なる意味だと解釈しております。

「神は光なりき」と言った場合、秒速何万キロで移動して静止できない
光をあなたはイメージされますか?
私は神々しくて直視できないほどの光の集合体をイメージしております。
または燃えさかる炎のような智生体でしょうか。

また一神教も多神教も汎神教も視点が違ったり、定義の仕方が違うだけ
だと思料しております。


212:前世は一在家
10/03/27 18:54:40 Bk6BIdba
>>205
>しかしこの考え方には欠点があります。天命(旅行先)で死ぬのも、
>宿命(途中ルート)で死ぬのも、運命(車の中)で死ぬのも、
>死ぬことに変わりないからです。

天変地異で死ぬことも、寿命で死ぬことも、自殺することも
死ぬことに変わりないのですか?
殉教される方も大勢の人々を助けて死ぬかたもおられます。

死んで終わりという唯物論者ならばそうかも知れませんが、これらの
死に方はカルマ、罪の量がまったく異なっていることがお分かりかと
存じます。

仏教では来世の姿や境遇が、キリスト教でも天国・煉獄・地獄の
往き先が異なってくるかと存じます。


213:神も仏も名無しさん
10/03/27 18:58:34 YleklZho
>私は神々しくて直視できないほどの光の集合体をイメージしております。

何で小学校から幼稚園に退行するんですか?

214:前世は一在家
10/03/27 19:00:10 Bk6BIdba
>>209
>人間に自由意志があったら、神の自由意志を侵害できませんか。
>時と場合によっては、人間と神とが衝突します。

子が成長して親と意見が対立するのも、また親にとって嬉しい
ことではないでしょうか。
完璧な親はいないということを前提にしております。

私の譬え話では神様Bタイプは全知全能ではないと自己申告されて
おられます。


215:前世は一在家
10/03/27 19:44:29 Bk6BIdba
>>213
>>私は神々しくて直視できないほどの光の集合体をイメージしております。
>何で小学校から幼稚園に退行するんですか?

そうですか。
シバの炎の中で神を見たモーゼも似たようなインプレを感じたかと
思います。
かのモーゼでさら眩しくて土下座しておられませんでしたか。


216:神も仏も名無しさん
10/03/28 11:41:35 qz62zcgq
>>211 
>死海文書の宗規要覧では・・・
 
死海文書やエッセネ派を持ち出しても根拠になりませんよ。
自慢じゃないけど、何しろ知らないのだから。

>砂糖と塩とは元々異質で味覚上では甘いと辛いとで対立します。

だから、砂糖と塩、甘いと辛いは、弁証法の対立ではないのです。
ちなみに、甘いと辛いのほかに、まずい、渋い、苦いなどがあります。


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