10/03/27 08:27:33 y6NKBC3E
>>185
>聖書は、天命論、宿命論、予定説を前提にして成立している。
ユダヤ教の三大宗派の中でもエッセネ派は一番予定説、つまり
「神の経綸」(青写真)を強く信じておりました。
(死海文書の宗規要覧を調べた学者の見解です。)
ただし、天命・宿命・運命の中で運命は人の意思で変えられると
伺っております。
例えば、家族で車に乗ってディズニーランドへ旅行に行くのが
「天命」で決まっておりましても、行き方「宿命」はある程度
決まっておりましても、車中でどのように過ごすのか「運命」は
自由意志次第でしょう。
例えば、終末の訪れが「天命」で決まっておりましても、どのような
大災害がどれだけの規模で起きるのか「宿命」はある程度決まって
おりましても、生き残る側なのか滅びる側なのか「運命」は自由意志
次第でしょう。
「自由意志」はあります。
その根拠は「人は神性を宿した神の子」だからです。
子に自由意志が無ければ親にも自由意志が無いことになりますからね。