10/03/26 21:54:45 2FHAQDi4
ある経験がありイエスを信じるようになり、義捐金や人々のあやまちをゆるすよう努め、肉の欲・目の
欲・持ち物の誇りを楽しんでいた頃・・・・・実際に人格神と対話した(本当のことである)
【わが神】
―わたしが空腹のときに食べさせ~旅人であったときに宿を貸し~『主よ、いつ、わたしたちは、あな
たが空腹のであるのを見て食物をめぐみ』『わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにした
のは』
―イエスは聖霊に満ちて~荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて~そのあいだ何も食べず―
―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―
―イエスはさまざの病苦と~貧しい人々は福音を聞かされている―
神(創造主)は貧しい人々を助けることを望まれているのではなく、「わたしの兄弟のように、衣
食があれば足りる」ような暮らしの人々を望まれている。そういった質素な暮らしの人々が、空腹
のときに食べさせたり宿を貸したりすること。
神が創造されたのは、森や林など大自然である。肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろうと努
めない人々は、天国で神と暮らすことはできない。
楽しみとしてゆるされるのは大自然で、貧しく最も小さい者となるか、肉の欲を捨て貧しい人に食
物をめぐみ、死後も神とともに暮らせる人々を、全世界探し求められている。