10/03/25 23:36:44 C24lG64z
>洗礼者ヨハネはエリアの再来であっても不思議ではないと認識しております。
だから、そうみなされていたのであって「生まれ変わり」とは見られていない、と書いてます。
>そして、エッセネ派は動物の生贄は一切認めないことが特徴です。
この件については真偽も出典もわかりませんが、仮に事実だとしてもその発想は理解できます。
彼らは社会から離れ厳しい自力修行をしてました。こういう人々の間で
「自分のことは自分で面倒見ろ」方式の思考が育まれるのも頷けます。
ここで再度スレリンク(psy板:142番)を提示します。
仮にイエスやヨハネが元エッセネ派だとすると、彼らはエッセネ派を脱退したと考えます。
新約聖書では、律法学者ですらある部分は評価されているのに、エッセネ派は言及さえされていません。
彼らはエッセネ式修行に意味を見出さず、社会に出て他者の重荷を背負うことを選んだのだと思われます。