10/03/25 18:27:16 fBYgzuVU
>>123
>複数の神々がいないとなれば詩篇82章に反しませんか。
詩篇82は、81から続く<詩>です。詩であって事実ではありません。
詩篇81・・・
あなたの中に異国の神があってはならない。
あなたは異教の神にひれ伏してはならない。
わたしが、あなたの神、主。
詩篇82.1~7
神は神聖な会議の中に立ち、神々の間で裁きを行われる。・・・
わたしは言った。「あなたたちは神々なのか。皆、いと高き方の子らなのか」と。
しかし、あなたたちも人間として死ぬ。君侯のように、いっせいに没落する。
129:神も仏も名無しさん
10/03/25 18:34:24 fBYgzuVU
>>123
>また死海文書に含まれる世界最古の旧約聖書でも申命記に「神の子ら」という
>複数の神的存在が明記されております。
死海文書は読んでません orn
>古来神様は預言者に対して「私は唯一絶対神である」と告げられたと伺って
>おります。これは神々の方便の一つだそうです。
>もし「実は私以外にも神が存在するのだ。」と言えば、預言者は命がけで布教
>などするでしょうか。
これは論理的に成立しないでしょう。
全知全能なる神が複数いたら、全知全能ではなくなるのでは?
A神とB神で意見対立が生じたらどうなります。
神が複数いることはありえません。
130:神も仏も名無しさん
10/03/25 18:54:11 fBYgzuVU
>>12
>善一筋で欲のないアダムは神と変わらない存在だったからでしょう。
それでいけないのはなぜですか。
>大芸術家の神はこの3次元界を創られた際に、この物質界での神の
>如き存在(人)が地上に物質でエデンの園を顕現することを望まれたと
>伺いました。
であればなおさら、アダムを神のごとく造るべきだったでしょう。
神が創造に失敗した理由がよくわかりません。
>物質界での高度な科学技術を開発する為には全く欲のないアダムでは
>完成形ではなかったようですね。
>かと言って闇の箇所が増大した科学者では人類と地球を滅ぼしてしまい
>ますから、光と闇との調和が重要です。
要するに全知全能なのに失敗したわけですよね。その理由が不明。
それに光と闇との調和もよくわかりません。
>私の話の中には聖書にも仏典にもないことが含まれておりますが、皆様の
>智恵と内なる神性にて認識願います。
こういう場所では、共通語で話すべきだろうと思います。
そうしないと議論にならないかも。
131:神も仏も名無しさん
10/03/25 19:09:00 fBYgzuVU
ウィキの「自由意志」も難しい。難しくて理解できない。
これが深遠なる哲学なのかという感じ。
多くの哲学者が脳みそを絞ってきた古いテーマなのですね。
132:神も仏も名無しさん
10/03/25 19:44:36 p+gXK1IY
>>131
自我の存在と自由意志は切り離せないんです
133:神も仏も名無しさん
10/03/25 19:49:41 fBYgzuVU
「自由意志」の背後には虚無が控えている。
虚無と言えば、ニーチェ、サルトル、カミュなどですか。
世界は「不条理」 という考え方でしょう。
つまるところ神の否定
134:神も仏も名無しさん
10/03/25 19:51:23 p+gXK1IY
人それぞれに課せられた決定論(宿命)を背負い
そこからどう脱却していくのかということです。
自由意志とは重き荷(宿命)を背負いながらその苦
に打ち勝つ為の神から与えられた最大の武器なのです
135:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 19:54:28 p+gXK1IY
マイスター・エックハルト
神性の無です。
神とは存在ではなく認識という次元なのです
136:神も仏も名無しさん
10/03/25 19:57:46 fBYgzuVU
>>134
人間が決定論(宿命)の下にあるなら、そもそも自由意志がありえない。
神が与えた宿命に対抗することは神への反逆でしょう?
そんな武器を与えるはずがないし、
与えられたとしても神に勝てるわけがないと思う。
137:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:02:46 fBYgzuVU
>>135
エックハルトはそのような理解をしたようですね。
でも個人的には誤っていると思う。
神とは「在りて在る者」、存在するものです。
無ではありません。
138:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:06:21 p+gXK1IY
>>136
宿命はあっても運命は変えられるのです。
自由意志とは神への帰依して宿命と立ち向かう
強さの為に発揮されるものなんです
139:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:11:21 C24lG64z
>エリアの生まれ変わりの洗礼者ヨハネも斬首を予知して恐れなかったかと思います。
ヨハネはエリヤの生まれ変わりではありません。
スレリンク(psy板)l50
この事については↑のスレで言い尽くしてあるので御覧下さい。
>もしイエス様に不本意があったとしたら、「自身が贖いの子羊」だと利用される
つスレリンク(psy板:575番)
>根拠は福音「良い種に良い実、悪い種に悪い実」は「因果応報の法」でしょう。
>ガラテヤ人への手紙6:7でも、「人は自分で蒔いた物を、刈り取ることになる。」
つスレリンク(psy板:142番)
>また聖霊ですが、聖エイレナイオスの証言にもありますように、彼の時代までは
>イエス様の「真の弟子」達に降下して、癒し、悪霊を追い出し、死者も生き返らせる
>という奇跡が続出しておりました。
エクソシストは実在します。
>あれから、わずか2千年しか経っておらず、神経綸から見れば瞬きするほど。
>神様もイエス様も聖霊も何ら変わらず活動しておられますが、聖霊による奇跡
>はどこへ行ったのでしょうか?
バチカン公認のものは「以降も」一応ありますね。というか普通のクリスチャンは聖霊を
単なる奇跡使用のためのエネルギー源だとか媒介だとは考えていないと思います。
140:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:11:32 p+gXK1IY
>>137
ひたすら神性の無です
純然たる神は無であり
知性認識されるもので存在そのものではありません
しかし神は神の偉大さ故 個々に表現せずにはおられないのです。
141:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:11:53 fBYgzuVU
>>138
イスラエルのことですか。
ヤコブはももの関節をはずして神に勝ちましたものね。
142:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:15:38 p+gXK1IY
マイスター・エックハルト
『神は存在する故に認識するのではなく、
認識する故に存在すると考える』
143:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:19:36 p+gXK1IY
『知性認識は神の形相をもつと言い得る。何故ならば
神そのものは知性認識そのものであり、存在ではないからである』
と言っているということは
神とは存在するのか存在しないのか?
という次元ではなく知性認識できるかできないかという問題だということなのですよね。
144:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:20:30 fBYgzuVU
>>142
その考え方は誤ってます。
認識を優先するのは、仏教の唯識ではないでしょうか。
145:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:23:11 p+gXK1IY
>>144
その上です。
仏陀は存在する二極の対立から脱却は説きましたが
アートマンは説きませんでした。
146:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:25:02 fBYgzuVU
認識は、認識対象があって初めて可能になります。
無は認識できません。
何もないものを認識できると思うのは妄想です。
147:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:28:41 fBYgzuVU
>>145
無からの天地創造をイメージできますか。
具体的にどうイメージしますか。
148:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:30:12 C24lG64z
>複数の神々がいないとなれば詩篇82章に反しませんか。
>>128さんが引用されたように(原型はどうであれ)唯一神論と調和化されてますね。
ちなみに>>141さんの紹介内容も旧約聖書中で調和化済みです。
ホセア書12章5節では天使ということになっています。
>これは神々の方便の一つだそうです。
>もし「実は私以外にも神が存在するのだ。」と言えば、預言者は命がけで布教
>などするでしょうか。
そのために費やされる人生、命の重みをわかっているのですか?
あなたこそ「預言者を軽く見」てるのではありませんか?
彼らを神々の計算に利用させているではありませんか。否定していた
「複数の神々」の掌上で操作されている、と知ったら彼らはどれだけ屈辱に思うでしょうか。
149:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:33:38 p+gXK1IY
>>146
それは個人個人の技量によるものです。
が、認識対象が粗雑なもの例えば目に見えるもの。
これが信仰の対象としての偶像を利用したもの
心が成熟されていくと認識の対象物が微細なものでも
認識できるようになり
ついには対象がなくても認識できるようになります。
これが最高の知性認識なのです。
ここに辿りつく自由意志を人間はだれでも備えています。
すでに与えられている人間の特権ですね
150:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:38:09 fBYgzuVU
>>149
よく理解できないのですが、中願派の「空」のことですか。
151:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:40:21 p+gXK1IY
>>147
『天地創造』 当事の人間としては最高の想像力ですね。
しかし 最高の知性認識は言語表現を超越しています。
そしてイメージも、今の人間の方がはるかに豊かです。
創世記なんかよりもっと凄いSFXのシナリオがいくらでも存在します。
人のイメージを遥か上をいくのが神なのです。
152:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 20:44:46 p+gXK1IY
>>150
では話をキリストの御言葉から紐解きますと
復活したキリストが、弟子のトマスに
『あなたは(復活した)私を見たので信じたのか?
見ないで信じるものはさいわいである』
ヨハネ:20-29
と言われたことは、目に見なくても事実を認識する
最高の知性を育てよとの教えでもあります。
これができるのは、人間の心が感覚の限定と理性の限定を超える
この特異な能力を持っているということです。
現世の諸々の事物に目を奪われること無く
この自由意志でこの知性認識を磨きなさいとの お教えですね。
153:神も仏も名無しさん
10/03/25 20:59:41 fBYgzuVU
>>151-152
聞き方が悪かったけど、無から物質が現れるプロセスを聞きたいのです。
物質が現れないと天地創造も不可能ですよね。
154:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 21:10:16 p+gXK1IY
>>153
天地創造に拘っていますね。
まー 一応聖書の言葉ですから軽視はできませんけど・・
エックハルトの言葉を引用すると
神と考えられるような神は真の神ではなかった。神を神と考えている限り、
「我」性の引力圏内である。むしろそのような神によって「我」性の方が益々ふくらむのである
『 神との合一 』とは天地創造という話とは異次元なのです。
つまりは天地創造も人間そのものの我性の圏内だということです。
155:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 21:15:48 p+gXK1IY
>>153
まー 無→意思→音(言葉)→物質
じゃないですか?
156:神も仏も名無しさん
10/03/25 21:34:11 fBYgzuVU
>>154-155
神が人間を創造したから、人間は神にたどり着けるのだと思う。
これがエックハルトで「神の合一」と表現されのでしょう。
しかしそれが「無」であることはない。
あなたは自分で神が「無」であることを確かめましたか。
それからもうひとつ、無 → 意思 → 音 → 物質なら、
物質にも意思がある? あるいは人間に意思がある?
→の順序から言えば、物質や人間には意思がないように見えます。
157:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 21:41:21 p+gXK1IY
>>156
創造論は当時の人達が造った最高の神話ですからね。
宗教哲学科学が全てまとまらないと最高の知性認識には
たどり着けません
あと物質は意思の残骸です。
人間は単なる物質ではありません 自由意志のある神の最高の作品ですからね
158:神も仏も名無しさん
10/03/25 21:48:54 fBYgzuVU
>>157
究極的に無であるということは、人間存在の本質は無であるということと同じ。
無である存在の自由意志もやはり無。
これって不条理の哲学、サルトルやカミュの考え方ですよね。
159:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 21:56:31 p+gXK1IY
>>158
ここに不動なる永遠の安息、平安、寂静があるのです。
永遠の命とは被造物すなわち無.
供給される側から供給するものになるということです。
160:神も仏も名無しさん
10/03/25 22:01:12 fBYgzuVU
>>159
永遠の命ではなくて永遠の無ではないですか
それは無神論ですよ
161:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 22:09:06 p+gXK1IY
>>160
いいえ無神論じゃありませんよ
究極の神との合一です
無を否定するところに我性の引力が働いてしまい
純然たる神を見失う結果を招くのです。
162:前世は一在家
10/03/25 22:15:17 ejKEzSI1
>>117
>至高神のほかに複数の神々がいるとなれば十戒の第一に違反してませんか。
>「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」
>>128
>詩篇81・・・
>あなたの中に異国の神があってはならない。
>あなたは異教の神にひれ伏してはならない。
>わたしが、あなたの神、主。
>
>詩篇82.1~7
>神は神聖な会議の中に立ち、神々の間で裁きを行われる。・・・
神霊界に複数の神々が存在し、それぞれが教団(異教)を従えていると
柔軟に解釈すれば、なんら不思議でなく矛盾もございませんね。
日本神道の神々と仏教の神々とが戦って、後者の守護力が勝って
日本に仏教が広まったという歴史もありますので納得です。
エホバが「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」
と言われた時は、多神の中で一神を信ぜよという意味だったことに
なります。
アラーが「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」
と言われた場合も同様でしょう。
なんだか数千年間続いた多神教と一神教との争いが空しかったことの
ようですね。
163:前世は一在家
10/03/25 22:16:04 ejKEzSI1
>>130
>要するに全知全能なのに失敗したわけですよね。その理由が不明。
>それに光と闇との調和もよくわかりません。
そうですか、「全知全能」をネタに一つお話をします。
昔々、神様Aと神様Bがおられ、一人の男に語りかけました。
神A「私は全知全能の神である。私以外に神はいない。」
神B「あなたは私の起こした奇跡を見て全知全能だと思っているが、
実は全知全能という神はいないのです。」
神A「全知全能の神は七日間で世界を創造したのである。」
神B「世界の創造には神代暦で7代もかかったのです。」
神A「神の似姿として最初の人のアダムを創造した。」
神B「神の子、人を創造するまでに失敗も多く、馬や猿なども創りました。」
さて、この一人の男は神様Aと神様Bのいずれを信じますか?
それとも両方とも信じませんか?
このお話のポイントは「全知全能」は、神の預言者への神様の自己申告だった
ということです。
「光と闇との調和」の法については、ある賢人が「正反合一」とかいう言葉で
別の表現をしましたね。
164:神も仏も名無しさん
10/03/25 22:18:29 fBYgzuVU
>>161
そういった究極の神、無との合一をはたしましたか。
それとも本の受け売りですか。
165:つきみ ◆axxqpqAvWg
10/03/25 22:27:48 HQUTnVH5
神と人間のキャパの違いを思うと、合一。並列化は無理。
神の一部と繋がる。
個々の器によって受け取る。
そういう感覚というか体験ですね。
神に包まれたという感覚は理解できますが、それは合一じゃないですね。
166:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 22:31:24 p+gXK1IY
>>164
うん修行中です。
全てのことに決して揺れない心になるためのね。
無 不動心とは悲しみや不安という感情に
自分自身が引きずり込まれない
ためのもの
イエスや仏陀のように慈悲深さを伴わうものです
167:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 22:32:39 p+gXK1IY
>>165
それは今生での自分の技量の
限界を見極めているのでしょうか?
168:つきみ ◆axxqpqAvWg
10/03/25 22:40:35 HQUTnVH5
>>167
いいえ、どこまで行けるかわかりません。
しかし、肉の思いを抱えながら神と完全な合一は僕の器では無理です。
ですから、弱い自分を主に委ねる。その恵みに感謝します。
弱いからこそ、不完全であるからこそ理解し体験できる恵みです。
169:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 22:42:16 p+gXK1IY
エックハルトのこの言葉は素晴らしい
神がお前に神の賜物を与え給うにせよ、与え給わぬに
せよ、お前は安らかに満足しなければならない
無しで済ますということは、それを受けないという仕方で受けることである。
「その時一体何の不足があり得ようか。そして確かに、受けることによって
よりも無しで済ますことによって一層本来的に神を受容するのである」
170:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 22:44:33 p+gXK1IY
>>168
>肉の思いを抱えながら
誰でもあります。
しかし脱却を目指して進むなら
必ずその努力に報いてくれることを
僕は信じています。
171:つきみ ◆axxqpqAvWg
10/03/25 22:53:00 HQUTnVH5
>>170
君は談話室のレスのような肉の思いと本気で戦う必要がある。
172:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 22:56:08 p+gXK1IY
>>171
戦う必要などないのさ、 実はね。
手綱をもって手なずければいい
173:神も仏も名無しさん
10/03/25 22:57:46 fBYgzuVU
>>169
今も昔も最初に神がいたことになっているから、
エックハルトのように究極に無を想定するのはやむをえないと思う。
ヤコブ・ベーメも同じように考えている。
二人とも神秘体験があり、何らかの真実を語っているのでしょう。
174:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/25 23:02:26 p+gXK1IY
究極の知性認識は神性の無です。
空気も食も真の自己存在には不要です。
この体感を確固たるものにするための修行は
愉しい道なのです。
175:神も仏も名無しさん
10/03/25 23:06:09 fBYgzuVU
人間は実は食べないで生きていられる、
という本を読んだことがある。がんばってください。
176:前世は一在家
10/03/25 23:22:00 qP1owQrQ
>>139
>ヨハネはエリヤの生まれ変わりではありません。
『[我汝らに告ぐ。エリアは既に来たれり。然れど人々はこれを知らず、反って
心のままにあしらへり。 かくの如く、人の子もまた人々より苦しめらるべし。]
ここに弟子たちパプテスマのヨハネを指して言い給 ひしなるを悟れリ。』
(マタイ17章12~13節)
イエス様は洗礼者ヨハネを「人の子としては最も偉大」だと絶賛され、
彼の水の洗礼も進んで受けておられます。
モーゼも人の子ですから、モーゼを含むすべての預言者達よりも偉大な
洗礼者ヨハネはエリアの再来であっても不思議ではないと認識しております。
因みに洗礼者ヨハネはパリサイ、サドカイ派を「まむしの子孫」と罵倒して
洗礼を拒絶しておられますので、その他の彼の特徴も含めてエッセネ派の
可能性が高いと研究者達から見なされております。
そして、エッセネ派は動物の生贄は一切認めないことが特徴です。
もしイエス様が元はエッセネ派であれば、「過越しの子羊」にされることは
どれだけ屈辱的であったことかと推察しております。
命が惜しくてゲッセマネで祈られたわけではないと仮説を立てております。
177:神も仏も名無しさん
10/03/25 23:36:44 C24lG64z
>洗礼者ヨハネはエリアの再来であっても不思議ではないと認識しております。
だから、そうみなされていたのであって「生まれ変わり」とは見られていない、と書いてます。
>そして、エッセネ派は動物の生贄は一切認めないことが特徴です。
この件については真偽も出典もわかりませんが、仮に事実だとしてもその発想は理解できます。
彼らは社会から離れ厳しい自力修行をしてました。こういう人々の間で
「自分のことは自分で面倒見ろ」方式の思考が育まれるのも頷けます。
ここで再度スレリンク(psy板:142番)を提示します。
仮にイエスやヨハネが元エッセネ派だとすると、彼らはエッセネ派を脱退したと考えます。
新約聖書では、律法学者ですらある部分は評価されているのに、エッセネ派は言及さえされていません。
彼らはエッセネ式修行に意味を見出さず、社会に出て他者の重荷を背負うことを選んだのだと思われます。
178:前世は一在家
10/03/26 06:33:08 HYNS2+sA
>>177
>仮にイエスやヨハネが元エッセネ派だとすると、彼らはエッセネ派を脱退したと考えます。
>新約聖書では、律法学者ですらある部分は評価されているのに、エッセネ派は言及さえされていません。
エッセネ派は仏教に喩えると上座部(小乗)に近いかもしれません。
一方、衆生済度に立ち上がられたイエス様らはご指摘の通り大乗に似ております。
また新約を編纂し正統化した権威は「マムシの子孫」と罵倒されたパリサイ派、サドカイ派でなかったでしょうか。
そうであればエッセネ派は記載されないと推察します。
また、近年の研究成果の中で、最後の晩餐のあった2階建てはエルサレムのエッセネ派本部に近いという報告もあるようです。
イエス様は以前にもその会場を利用していたことが新約からも読み取れるでしょう。
179:神も仏も名無しさん
10/03/26 08:00:47 +GYXK6ko
>また新約を編纂し正統化した権威は「マムシの子孫」と罵倒されたパリサイ派、サドカイ派でなかったでしょうか。
どう考えてもクリスチャンです。
>そうであればエッセネ派は記載されないと推察します。
「そうであれば」の前後が全くつながっていません。
180:神も仏も名無しさん
10/03/26 18:03:22 rw4JdpsM
>>162
>神霊界に複数の神々が存在し、それぞれが教団(異教)を従えていると
>柔軟に解釈すれば、なんら不思議でなく矛盾もございませんね。
教団があるのは人間界ですね
>日本神道の神々と仏教の神々とが戦って、後者の守護力が勝って
>日本に仏教が広まったという歴史もありますので納得です。
信者である人間同士の争いですね
181:神も仏も名無しさん
10/03/26 18:11:47 rw4JdpsM
>>162
>エホバが・・・
>アラーが・・・
>なんだか数千年間続いた多神教と一神教との争いが空しかったことの
>ようですね。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、
どれも旧約の創世記を聖典にし、同じ神を信仰しているのだから、
複数の宗教になっても多神教とは言いません。
182:神も仏も名無しさん
10/03/26 18:27:11 rw4JdpsM
>>163
>このお話のポイントは「全知全能」は、神の預言者への神様の自己申告だった
>ということです。
単なる人間が「自分は神だ」と言っても説得力がないですね。
なかにはだまされて信じる人間もいるでしょうけど。
しかしそういう話ではなくて、
真実の神が複数存在したら、論理的に矛盾しませんか、という質問です。
>「光と闇との調和」の法については、ある賢人が「正反合一」とかいう言葉で
>別の表現をしましたね。
ある賢人とはだれのことですか。
それから、闇とは光の欠如であって、光の反対ではないのです。
光と闇は、調和も合一もしないように思いますよ。
183:神も仏も名無しさん
10/03/26 18:29:09 5Nwxo5xL
消えろ盲信者。
184:神も仏も名無しさん
10/03/26 19:18:48 rw4JdpsM
人間には自由意志かあるのか、ないのか。
このテーマは、キリスト教ばかりでなく、
イスラム教やユダヤ教でも議論されている一大テーマのようですね。
個人的には自由意志を否定する予定説に傾いている。
185:神も仏も名無しさん
10/03/26 19:54:26 nmb8UI8w
聖書には預言者が登場する。そしてイエスは終末を預言する。
これらを信じるのは、自由意志を否定し、天命を受け入れることである。
自由意志を主張したら、預言者も終末預言も成立しないからだ。
神の約束とはそういうことである。
聖書は、天命論、宿命論、予定説を前提にして成立している。
186:神も仏も名無しさん
10/03/26 20:20:03 nmb8UI8w
しかしヨナ書は<自由意志>を思わせる。
ヨナは「あと40日すれば、ニネベの都は滅びる。」と預言する。
ニネベの人々は神を信じ、悪の道を離れた。神は災いを起こすのをやめた。
神は、人間の思いと行いを見て、預言を撤回したのである。
福音書では、ヨナ書によってイエスの三日後の復活が説明されている。
なぜヨナ書なのか、カンのいい人はすぐにわかるだろう。
終末預言がはずれる可能性を示唆しているのだ。
187:神も仏も名無しさん
10/03/26 20:39:20 nmb8UI8w
ヨナ書は作り話である、ニネベは内陸の都市だから。
クジラの腹から三日後に吐き出されたという話も荒唐無稽だが、
ニネベ周辺にクジラ自体がいないのである。
この作り話から取材し、三日後の復活を説明したのは失敗だったと思う。
作り話に取材した作り話、三日後の復活の信憑性を危うくするからである。
それでもヨナ書なのは、終末預言の意味をわからせたいからだろう。
ということで、預言を覆したという自由意志は作り話でした。残念。
188:神も仏も名無しさん
10/03/26 20:49:03 nmb8UI8w
イスラム教の信仰条件に、<天命>を信じるという項目がある。
六信五行は、唯一神の宗教をうまく要約していると思う。
六信・・・アッラー 天使 啓典 預言者 来世 天命
五行・・・信仰告白 礼拝 断食 喜捨 巡礼
189:神も仏も名無しさん
10/03/26 21:27:07 nmb8UI8w
キリスト教としてはイエスの復活に重点があり、
ヨナ書の三日後については、ほとんど語られていないのではないだろうか。
しかしヨナ書によれば、イエスはヨナであり、預言をはずしてしまう。
イエスによって、神を信じ、悔い改めれば預言は成就しない。
こう考えると、福音の読み方は二通りあることがわかる。
① 終末は確実であり、終末後の救いに希望を抱きつつ死者の如く生きる。
② 終末預言から離れる。自分の問題として、神を信じ、悔い改める。
190:神も仏も名無しさん
10/03/26 21:41:44 nmb8UI8w
自由意志は難しいので、昨日のエックハルトにもどりますね。
神を<無>とするか、神を<命>にするかは重要である。
なぜなら、神探し、自分探しの方向が異なってくるからである。
神を無とするなら、自分を無とすることが目的になり、それが試みられる。
たとえば、過酷な修行であり、終日の瞑想である。
神を命とするなら、命を知ることが目的になり、修行や瞑想は退けられる。
そうではなくて日々の生活の中に命を探そうとする。
191:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/26 21:54:45 2FHAQDi4
ある経験がありイエスを信じるようになり、義捐金や人々のあやまちをゆるすよう努め、肉の欲・目の
欲・持ち物の誇りを楽しんでいた頃・・・・・実際に人格神と対話した(本当のことである)
【わが神】
―わたしが空腹のときに食べさせ~旅人であったときに宿を貸し~『主よ、いつ、わたしたちは、あな
たが空腹のであるのを見て食物をめぐみ』『わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにした
のは』
―イエスは聖霊に満ちて~荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて~そのあいだ何も食べず―
―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―
―イエスはさまざの病苦と~貧しい人々は福音を聞かされている―
神(創造主)は貧しい人々を助けることを望まれているのではなく、「わたしの兄弟のように、衣
食があれば足りる」ような暮らしの人々を望まれている。そういった質素な暮らしの人々が、空腹
のときに食べさせたり宿を貸したりすること。
神が創造されたのは、森や林など大自然である。肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろうと努
めない人々は、天国で神と暮らすことはできない。
楽しみとしてゆるされるのは大自然で、貧しく最も小さい者となるか、肉の欲を捨て貧しい人に食
物をめぐみ、死後も神とともに暮らせる人々を、全世界探し求められている。
192:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/26 21:55:43 2FHAQDi4
【あなたがたの父なる神】
―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている―
―もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである―
―悪魔はイエスを~世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あ
なたにあげましょう。それらはわたしに任されていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから―
聖霊に満ちて荒野・・・神が創造された自然を楽しむより、富や権威や栄華を得るためにあくせく
すること、衣食があれば足りるような心得て暮らさず、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを得ようと
する人々を善いこともするが、悪いこともしでかすかもしれない「そのままの人」にした。
神が言われるには、富・自分の権威・栄華・肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを得ようとする人々を、
「神の左」「地の奴隷」「悪魔の子」「土に帰る」天国で神と一緒に暮らすことができず、「地で生き
続ける」全世界どこに生まれるかわからない「旅をさせる」と言われ、神の敵の者であると。
信仰が深いと思いながら、わたしの兄弟のように貧しくもなく、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを
捨て去ろうと努めない人々は、天国に入ることはできず、地(下界=この世)に閉じ込められ、さ
ばきの時まで、地で生き続ける。=既に裁かれている。
193:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/26 21:58:31 2FHAQDi4
【奥義】
天国は―この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたが
たがたにできない事は、何もないであろう―という言葉が真実となり、そこに入るのは「わたしの兄弟」
のように、「肉の欲・目の欲・持ち物の誇りが一切満たされない状態」か、信仰に熱心で、それらを取り
除かねば、永遠の国に入ることはできない。
後になる人々は、「何一つ正しいことはない」「誇るな」として、神に対して罪の者でしかない。
聖霊=神が創造された自然、わたしの兄弟とわたしの兄弟にいつ施し与えたか、衣食があれば足り、肉
の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ったイエスを尊敬・正しい存在と讃美して、世を支配する天上に
いる悪の霊を讃美せず、
―「人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。この奥義は大きい―
―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、そ
の言葉どおりになるであろう―
神に救われるのは、わたしの兄弟、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろうと努める人々だけで
あると。その他の人々は、神に対して全く信仰のないようなつもりで誇らず、世と妥協せず、御言葉
を受け入れるなら、世で救われる。
―あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう― 神が望まれるのは完全な世界に生ま
れることで、不完全なこの地の人々も、完全な者をよしとし、人であることを誇らないならば、地の者
も救われる。善いことをしても、神に対して(しました)と少しでも思ってはいけない。
194:神も仏も名無しさん
10/03/26 22:26:33 nmb8UI8w
>>191-193
神が命であれば、神は喜怒哀楽のある人格神であり、
神を見、神の声を聞き、神に触れることもあるのだろうと思います。
味がすることはあっても、匂いを嗅ぐということはない。
195:神も仏も名無しさん
10/03/26 23:42:30 YvcJx7NT
前半は結構良スレだったのに
なんか最近変な方向に行ってる。。。
196:前世は一在家
10/03/27 07:45:25 y6NKBC3E
>>182
>ある賢人とはだれのことですか。
>それから、闇とは光の欠如であって、光の反対ではないのです。
>光と闇は、調和も合一もしないように思いますよ。
正確には「正反合」を説いた賢人とはヘーゲルのことです。
(解説)
全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)
ヘーゲルの弁証法は、暗黙的な矛盾を明確にすることで発展させていく。その過程のそれぞれの段階は、その前の段階に暗黙的に内在する矛盾の産物とされる。
(私見)
人は己のうちに光の個所(神性)と闇の個所(欲心)という矛盾を含んでおり、互いに対立しあいますが、その対立の中で生活をしております。
譬えますと、美味しい善哉もその成分に甘い砂糖と辛い塩という矛盾を含んでおりますが、互いに結びついて成立しております。
197:前世は一在家
10/03/27 08:04:20 y6NKBC3E
>>181
>ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、
>どれも旧約の創世記を聖典にし、同じ神を信仰しているのだから、
>複数の宗教になっても多神教とは言いません。
同じ神を信仰しているから「一神教」という定義のことですね。
私が詩篇 81-82の啓示から指摘したことを下記に整理します。
・詩篇の啓示の主は旧約の神様だとします。
・旧約の神から見て異国の神々が存在します。
・その事実は「汝らは神なり」という言葉が証明します。
・ある時神々の会合がありました。
・旧約の神は、他の神々は全て自分より劣ると評価されました。
これも神様から預言者への自己申告であり、本当に旧約の神が
一番上位なのかは人には分からず、ただ信じるのみです。
私はグノーシス主義者ではありませんが、旧約の神の他に
複数の神が存在するという神学では一致しております。
換言しますと、旧約は「一神教」ですが、数箇所に「複数神」に
関する啓示が含まれております。
神界でも人智では図り難い、神々の競い合いがあるようですね。
多分、他の神々も預言者を遣わして「私以外の神を信じてはならない」
との啓示をおろされていると推察します。
198:前世は一在家
10/03/27 08:27:33 y6NKBC3E
>>185
>聖書は、天命論、宿命論、予定説を前提にして成立している。
ユダヤ教の三大宗派の中でもエッセネ派は一番予定説、つまり
「神の経綸」(青写真)を強く信じておりました。
(死海文書の宗規要覧を調べた学者の見解です。)
ただし、天命・宿命・運命の中で運命は人の意思で変えられると
伺っております。
例えば、家族で車に乗ってディズニーランドへ旅行に行くのが
「天命」で決まっておりましても、行き方「宿命」はある程度
決まっておりましても、車中でどのように過ごすのか「運命」は
自由意志次第でしょう。
例えば、終末の訪れが「天命」で決まっておりましても、どのような
大災害がどれだけの規模で起きるのか「宿命」はある程度決まって
おりましても、生き残る側なのか滅びる側なのか「運命」は自由意志
次第でしょう。
「自由意志」はあります。
その根拠は「人は神性を宿した神の子」だからです。
子に自由意志が無ければ親にも自由意志が無いことになりますからね。
199:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/27 09:34:28 nrqU0D4g
【神様 言葉を語られる】
自分にとって最大の出来事。
神様は、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを貪りながら、少々、貧しい人々などをあわれんで義捐金などを
しても、神様に信仰がありとされない。「わたしの兄弟」のように、信仰により「肉の欲・目の欲・持ち
物の誇りを捨て去ろうと努め、衣食があれば足りるような心得の暮らし」で、空腹の人々に食べさせ、宿
を貸したりすること。
「わたしの兄弟のように最も小さい人々や肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろう」とする人々は、
「土に帰らず」神様に逢い、私と暮らせる者となれると。
神様が創造されたのは森や林などの大自然で、永遠の命のために楽しみとしてゆるされたのは、自然を楽
しむくらいで、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りではない。信じながら、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを
満たそうとすると、強い勢いで叱られる。
200:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/27 09:35:16 nrqU0D4g
【滅びの悪魔・悪霊】
神を信じながら、(平和でよい世の中だ、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを満たせる幸せな世の中だ)
(人々のあやまちをゆるすように努め、隣人を愛するように努めるようにすればよい)(宗教は道徳的な
ことを教えているだけ)と思って暮らしていた時、神様は言葉を語られた。
富や権威や栄華を得ようとすること、衣食があれば足りるような心得で暮らさず、肉の欲・目の欲・持ち
物の誇りを貪ろうとする世は、神様の支配ではない、悪魔の支配であると。
そして人々は、「神の左」「地の奴隷」「悪魔の子」「呪いの子」となって、「土に帰り」再び「地で生
まれ」、最後には滅ぼされ、永遠に神様に逢えることはない者となると。
善いこともすれば、悪いこともしでかすかもしれない「そのままの人」として、地で生き続ける。
いくら道徳的に正しいようなことを心に抱いても、世と肉欲をもって神様を信じること、神様に忌み
嫌われている。
201:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/27 09:36:33 nrqU0D4g
【肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを全て捨て去ることができない人々】
「からし種一粒ほどの信仰もない」人々のように、信仰の浅い者と強く心得、「何一つ正しい者ではない」
「誇れない者」として神様の言うことを聞き、
―わたしが空腹のときに食べさせ~旅人であったときに宿を貸し~『主よ、いつ、わたしたちは、あな
たが空腹のであるのを見て食物をめぐみ』『わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにした
のは』
―イエスは聖霊に満ちて~荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて~そのあいだ何も食べず―
―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―
いつもそのように望まれている方がいらっしゃると心得、イエスを尊敬・正しい者と讃美し、その
うえで御言葉を善いと受け入れ、地で生き続ける人々も幸福となる。
―敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ―という言葉を受け入れようと努め
ても、神様にとって、悪魔の子から、やっと人らしくなった程度。
世の終わりには、世から出たものを完全に離れ、神様のみに従わないといけない。
202:神も仏も名無しさん
10/03/27 12:47:51 mdTZgRqk
猿は猿です!って御言葉があるって言ってた
(きゅー約聖書っていうらしい)
URLリンク(www.nicovideo.jp)
203:神も仏も名無しさん
10/03/27 13:36:34 nM5hphqQ
>>196
すでに指摘したように、闇は光が欠如した状態です。光と闇は対立してません。
したがって、光と闇が調和することも合一することもありません。
砂糖と塩も同じであり、在家氏が(解説)で書いているように、
これらは己のうちにある矛盾ではありません。
弁証法を誤解していますね。
204:神も仏も名無しさん
10/03/27 13:43:30 nM5hphqQ
>>197
在家氏は多神教を信じている、ということですね。
205:神も仏も名無しさん
10/03/27 13:59:14 nM5hphqQ
>>198
天命、宿命、運命に区別し、
段階的に、決定論と自由意志を両立させる考え方ですね。
しかしこの考え方には欠点があります。天命(旅行先)で死ぬのも、
宿命(途中ルート)で死ぬのも、運命(車の中)で死ぬのも、
死ぬことに変わりないからです。
マタイ10.30
「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」
206:神も仏も名無しさん
10/03/27 14:22:57 nM5hphqQ
人間の五感は、見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる、である。
この五感は、より根源的なものという観点から、順序をつけられそうである。
たとえば、触れる → 見る → 聞く → 味わう → 嗅ぐ
嗅覚の退化は、嗅覚から離れることによって二足歩行が可能になったことに
関係している。こういった理由から、神を見ても、神を嗅ぐことは
ありえないのか。いやもともと神に匂いがないのだろう。
207:神も仏も名無しさん
10/03/27 15:28:24 gV/OS7GS
五感は一定程度生存に必要な範囲で限定的に発達したものに過ぎないのではいか?
基本性能の範囲にも偏りが有るし、精度や分解能も到底十分ではない。
感覚情報自体、神についてどうこう言えるようなレベルの代物だろうか?
208:神も仏も名無しさん
10/03/27 17:05:05 Gw4GG0Oe
>>207
スエデンボルグではないが、自然的な感覚は粗雑です。
しかし霊的感覚が存在し、しかも日常的に体験しています。
何かを話すときは、一瞬のひらめきをたよりに、次々につむぎ出されます。
この一瞬のひらめきが霊的感覚のレベルなのだと思います。
209:神も仏も名無しさん
10/03/27 17:28:45 Gw4GG0Oe
>>198
>ユダヤ教の三大宗派の中でもエッセネ派は一番予定説、つまり
>「神の経綸」(青写真)を強く信じておりました。
>(死海文書の宗規要覧を調べた学者の見解です。)
エッセネ派を根拠にしなくても間に合うでしょう。
>ただし、天命・宿命・運命の中で運命は人の意思で変えられると
>伺っております。
自由意志の問題を理解していますか。
どんな領域で、なぜ自由意志が問題にされているのでしょうか?
>「自由意志」はあります。
>その根拠は「人は神性を宿した神の子」だからです。
>子に自由意志が無ければ親にも自由意志が無いことになりますからね。
人間に自由意志があったら、神の自由意志を侵害できませんか。
時と場合によっては、人間と神とが衝突します。
210:神も仏も名無しさん
10/03/27 18:21:36 Gw4GG0Oe
聖書にはいくつも気になる記述がある。創世記15.17もそのひとつ。
これはいったい何ですか。どなたか教えてください。
日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と松明が
二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。
211:前世は一在家
10/03/27 18:43:47 Bk6BIdba
>>203
>すでに指摘したように、闇は光が欠如した状態です。光と闇は対立してません。
>したがって、光と闇が調和することも合一することもありません。
死海文書の宗規要覧では、人には光の箇所と同時に闇の箇所を宿し、
だからいかなる義人も罪人であると記載されております。
(逆にいかなる罪人も義人になり得ます。)
>砂糖と塩も同じであり、在家氏が(解説)で書いているように、
砂糖が欠如した状態が塩ですか? 塩が欠如した状態が砂糖ですか?
砂糖と塩とは元々異質で味覚上では甘いと辛いとで対立します。
さて「光の箇所」とは聖霊のようなものかとイメージしております。
小学校で習うような秒速何万キロで直進する「光」や、光の影にできる
「闇」とは異なる意味だと解釈しております。
「神は光なりき」と言った場合、秒速何万キロで移動して静止できない
光をあなたはイメージされますか?
私は神々しくて直視できないほどの光の集合体をイメージしております。
または燃えさかる炎のような智生体でしょうか。
また一神教も多神教も汎神教も視点が違ったり、定義の仕方が違うだけ
だと思料しております。
212:前世は一在家
10/03/27 18:54:40 Bk6BIdba
>>205
>しかしこの考え方には欠点があります。天命(旅行先)で死ぬのも、
>宿命(途中ルート)で死ぬのも、運命(車の中)で死ぬのも、
>死ぬことに変わりないからです。
天変地異で死ぬことも、寿命で死ぬことも、自殺することも
死ぬことに変わりないのですか?
殉教される方も大勢の人々を助けて死ぬかたもおられます。
死んで終わりという唯物論者ならばそうかも知れませんが、これらの
死に方はカルマ、罪の量がまったく異なっていることがお分かりかと
存じます。
仏教では来世の姿や境遇が、キリスト教でも天国・煉獄・地獄の
往き先が異なってくるかと存じます。
213:神も仏も名無しさん
10/03/27 18:58:34 YleklZho
>私は神々しくて直視できないほどの光の集合体をイメージしております。
何で小学校から幼稚園に退行するんですか?
214:前世は一在家
10/03/27 19:00:10 Bk6BIdba
>>209
>人間に自由意志があったら、神の自由意志を侵害できませんか。
>時と場合によっては、人間と神とが衝突します。
子が成長して親と意見が対立するのも、また親にとって嬉しい
ことではないでしょうか。
完璧な親はいないということを前提にしております。
私の譬え話では神様Bタイプは全知全能ではないと自己申告されて
おられます。
215:前世は一在家
10/03/27 19:44:29 Bk6BIdba
>>213
>>私は神々しくて直視できないほどの光の集合体をイメージしております。
>何で小学校から幼稚園に退行するんですか?
そうですか。
シバの炎の中で神を見たモーゼも似たようなインプレを感じたかと
思います。
かのモーゼでさら眩しくて土下座しておられませんでしたか。
216:神も仏も名無しさん
10/03/28 11:41:35 qz62zcgq
>>211
>死海文書の宗規要覧では・・・
死海文書やエッセネ派を持ち出しても根拠になりませんよ。
自慢じゃないけど、何しろ知らないのだから。
>砂糖と塩とは元々異質で味覚上では甘いと辛いとで対立します。
だから、砂糖と塩、甘いと辛いは、弁証法の対立ではないのです。
ちなみに、甘いと辛いのほかに、まずい、渋い、苦いなどがあります。
217:神も仏も名無しさん
10/03/28 11:46:59 mvWMma65
まずい??
218:神も仏も名無しさん
10/03/28 11:52:01 qz62zcgq
>>211
>さて「光の箇所」とは聖霊のようなものかとイメージしております。
前にも言ったと思うけど、まず聖霊を定義しないと混乱します。
小学校で習う「光」ではなくて、光の集合体のことだと言われても
いったい何のことかさっぱりわかりません。
219:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/28 11:58:26 P1l2DKAn
―敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ― そういった言葉を戒めとして受け
入れ、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りは、それほど問題ないものとして暮らしていた。
【神様は心の内も行動も全て知っておられる】
「信仰に足りないことがある。肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろうと努め、衣食があれば足りるよ
うな暮らしをせよ。」「神と富とに兼ね仕えることはできない。豊かな生活のため、肉の欲や持ち物を得よ
うとして、あくせく働いてはいけない。」と。
母が写真をプリントしてほしい、自分がプリンターで印刷しようとした時も、デジタルカメラで写真を
撮ろうとした時も、何を食べようかといって喜んで買い物をする時も、スポーツ観賞や映画鑑賞、TVを
観ることですら、神様はそれらから離れるよう強く望まれている。
今まで気にもしなかった
―聖霊に満ちて~荒野~そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた―
生活にゆとりのある者が人助けをして神に信仰があると思う誤った見解
―わたしが空腹のときに食べさせ~『主よ、いつ、わたしたちは』~『わたしの兄弟であるこれらの最も
小さい者』―
220:神も仏も名無しさん
10/03/28 11:58:53 qz62zcgq
>>218
まずいはなかったか orn
>>211
>「神は光なりき」と言った場合・・・
「神は光なりき」の出典を教えてください。
>また一神教も多神教も汎神教も視点が違ったり、定義の仕方が違うだけ
>だと思料しております。
そんなことはありませんよ。
キリスト教の唯一神と、ギリシャ神話の神々は違うし。
221:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/28 11:59:28 P1l2DKAn
【神様に言われて知ったこと】
自分の見解(最も小さい者は気の毒だから助けなさい)ではなく、
最も小さい者のほうが罪はなく、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去って生きれば天国に入り、神様に
逢い一緒に暮らせる。あなたも、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去るよう努め、衣食があれば足りる
ような心得で暮らし、わたしの兄弟である最も小さい者を助け、土に帰ることなく天国に入れる者となりな
さい。
神様が創造されたのは、森や林・川や海・空や太陽や月などの自然で、人の欲の物ではないと。楽しみとし
てゆるされたのは、自然を楽しむくらいである。
《信仰の深いふりをして》
信仰の深いふりをして、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを何も問題ないと思い込み、また、神を信仰しよう
とする人に、それらのことは何も問題ないという人を非常に心配されている。神様の敵となってはいけない。
―わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海
の深みに沈められる方が、その人の益になる―
愛に反する行為を戒めないと同様、信仰の深いふりをして肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろう
と努めない人々は、神様は敵意を抱かれ、怒っていらっしゃることを知っている。
222:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
10/03/28 12:00:58 P1l2DKAn
【その他の人々は悪魔の子か】
富や権威・栄華を得ることにあくせくし、衣食があれば足りるような心得で暮らさず、肉の欲・目の欲・持
ち物の誇りを得て暮らす人々、善いこともするが、悪いこともしでかすかもしれないそのままの人。
神の左・地の奴隷となって、地で生き続け、最後には患難に遭い滅ぼされる。肉欲を捨て去ろうとせず信じ
る人々は、天上にいる悪の霊を礼拝しているのであると。
【からし種一粒ほどの信仰もない・神に対して犯罪人(罪人)】
何ひとつ正しいことはない・誇るな。
―聖霊に満ちて~荒野~そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた―
神が創造されたのは自然である。衣食があれば足り、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去られた。
わたしの兄弟。いつ、空腹のときに食物をめぐみ・・・イエス・キリストを正しい・尊敬・讃美。
神に対して犯罪人(罪人)は、世と自分のことを絶対正しいとしてはいけない。本当は天国のため、神が創
造された自然を楽しむくらいはゆるされ、衣食があれば足りるような暮らしでないといけないと。悪魔では
なくイエスとつながっていること。
―自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ― 善い行為だけでは誰も神に義とされない。善い正しい神様
が存在し、地の者は何ひとつ正しいことはないと知ってから、御言葉を戒めとして受け入れ救われる。
「地の者は愛」であると。肉の欲に満ちることではなく、聖霊に満ちることをよしとしなさい。イエスを讃
美し続けなさい。神様はまた地に来ると。その時責め立てに遭わないようにしておきなさいと。
223:神も仏も名無しさん
10/03/28 12:08:03 qz62zcgq
>>212
「生きる側」と「滅びる側」で説明したのは、在家氏です。>>198
それからカルマの話を持ち出していますが、カルマの法則こそは決定論。
自由意志とカルマの法則を同時に説いたら自己矛盾です。
224:神も仏も名無しさん
10/03/28 12:14:26 qz62zcgq
>>214
>子が成長して親と意見が対立するのも、また親にとって嬉しい
>ことではないでしょうか。
>完璧な親はいないということを前提にしております。
神と人間を、親子の関係でとらえてはだめでしょう?
親と子の関係は、人間と人間の関係です。
>私の譬え話では神様Bタイプは全知全能ではないと自己申告・・・
神なのに全知全能ではない?
ではその神は、何ができて何ができないのですか。
225:神も仏も名無しさん
10/03/28 15:48:11 PdSt8zrq
>>218
脳がユルいんだから追及しちゃ駄目w
雰囲気だけでボケ~っと思ってるだけで、全然理詰めで考えられないのw
226:預言者
10/03/28 16:22:06 5Jd2wmuA
もうすぐサタンがあらわれる。
サタンは、キリストそっくりな姿をしている。
最初のうちは、平和の使者としてふるまい
ノーベル平和賞を受賞する。
ヨーロッパ連合の軍事総統にえらばれ、権力の座につく。
権力をもったとたん、恐怖政治をしき、
全人類に「獣の数字」をつけ、コンピューターで
全人類を奴隷化する。
宗教戦争をひきおこし、ユダヤとイスラムの全面戦争を画策する。
悪魔の軍団(ニセ救世主の十字軍)を組織し、
世界を征服する。
世界中の都市で死体の山ができる。
ヨーロッパ連合が、中国を侵略し、
かつてなかった戦争をひきおこす。
その先の運命を知りたければ、予言書を読め。
227:神も仏も名無しさん
10/03/28 16:25:13 fJIkbYnn
ソース出せ
228:預言者
10/03/28 16:38:22 5Jd2wmuA
世界中に予言書は存在する。
229:前世は一在家
10/03/28 17:54:19 kZb39W0+
>>218
>前にも言ったと思うけど、まず聖霊を定義しないと混乱します。
私も聖霊はよく分かりませんが、「鳩のように舞い降り」「舌のように降下」
してくるという記述から光速や音速でなく、ゆっくり動くようです。
掌から聖霊による洗礼(バブテスマ)で癒すという記述から、オーラとか
「気」と呼ばれるものに似ているように思います。
以上、神やイエス様や十二使徒達がまとっていた「気」のようなものだと
私は思っておりますが、新約や旧約での他の記述(表現)をご存じの方々は
ご紹介いただければ幸いです。
230:前世は一在家
10/03/28 17:56:56 kZb39W0+
>>220
>「神は光なりき」の出典を教えてください。
貴兄はクリスチャンではないのでしょうか。それでは一部を紹介します。
(ヨハネ伝)
1:8 彼(ヨハネ)は光ではなく、光について証しをするために来た。
1:9 その光は、真の光で、世に来てすべての人を照らすのである。
12:46 わたしは光として世に来た。
(ヨハネ書1)
1:5 わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、
神は光であり、神には闇が全くないということです。
(詩篇)
84:11 主なる神は日です。
(エゼキエル書)
11:22 時にケルビムはその翼をあげた。輪がそのかたわらにあり、イスラエルの神の栄光がその上にあった。
11:23 主の栄光が町の中からのぼって、町の東にある山の上に立ちどまった。
参考(出エジプト記)
3:2 主の使は、しばの中の炎のうちに現れた。彼らを見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。
231:前世は一在家
10/03/28 18:20:24 kZb39W0+
>>223
>それからカルマの話を持ち出していますが、カルマの法則こそは決定論。
>自由意志とカルマの法則を同時に説いたら自己矛盾です。
カルマの法、輪廻の法などは「因果の法」を前提にしておりますね。
イエス様も釈尊もともに「悪因悪果、善因善果」と説かれておりませんか。
皆さんが悪因を積むのか善因を積むのかは、自由意志に託されております。
もし悪因を積むことが決定論で決まっていれば、イエス様も釈尊も説法される
必要はなかったことと思料します。
232:前世は一在家
10/03/28 18:21:59 kZb39W0+
>>224
>神なのに全知全能ではない?
>ではその神は、何ができて何ができないのですか。
>>163にて、既に譬え話でご説明しております。
神が全知全能だとどうして貴兄は思われましたか?
聖書にそう記載されてましたか?
もし、そうならば聖書は神からの啓示ですから、神様の預言者への
自己申告となりますよ。
コーランもまた、神からの啓示で同様でしょう。
233:神も仏も名無しさん
10/03/28 18:33:32 TZ/Y1685
>>232
自己申告でもかまわない。
だとすると聖書の大半は自己申告だから
その自己申告が正しくないとするなら
(つまり全知全能は嘘だとするなら)
聖書は論拠としての正当性を失うね。
234:前世は一在家
10/03/28 18:57:54 kZb39W0+
>>225
>雰囲気だけでボケ~っと思ってるだけで、全然理詰めで考えられないのw
エイレナイオスの師であったユスティノス(165年頃没)は、ストア派、
ピュタゴラス派、プラトン派の哲学の師に学んで失望を繰り返しました。
そして最後に彼は、人間の精神はそれ自体、真実を発見する力を持たないと
結論して落胆しました。
ある日、彼は浜辺で老人に会い、「哲学者よりも古い人々で義人であり
聖霊によって語る預言者達がいて、彼らは論理的な論証はなどはせん。」
それを聞いたユスティノスは哲学を捨てて、洗礼を受け、後に初期の
教父と呼ばれるようになったそうです。
以上のお話でお伝えしたかったことは、ご自身でお分かりかと存じます。
235:前世は一在家
10/03/28 19:00:56 kZb39W0+
>だとすると聖書の大半は自己申告だからその自己申告が正しくないとするなら
正しいか否かは、聖書の教えを実践した結果を順次検証していくことですね。
これは仏教や他の信仰でも共通するアプローチです。
236:神も仏も名無しさん
10/03/28 19:09:47 TZ/Y1685
>>235
個人の実践・信仰のあり方として、それは尊重します。
でも相手が誰かも分からない掲示板では
客観性を伴わない個人の実感を根拠とした議論は
成立しないでしょ?
237:神も仏も名無しさん
10/03/28 21:08:30 Gi8ynPSe
>>229
>私も聖霊はよく分かりませんが、「鳩のように舞い降り」「舌のように降下」
>してくるという記述から光速や音速でなく、ゆっくり動くようです。
>掌から聖霊による洗礼(バブテスマ)で癒すという記述から、オーラとか
>「気」と呼ばれるものに似ているように思います。
光ではなく、オーラや気のようなものなのですか。
かなりいい加減な聖霊ですね。 聖霊から論じた >>122 は何だったの?
238:神も仏も名無しさん
10/03/28 21:15:25 Gi8ynPSe
>>230
「神は光であり、・・・」はヨハネ書1でしたか。
しかし、聖書の冒頭1.3には次のように書いてある。
「神は言われた。光あれ。こうして光があった。」とある。
239:神も仏も名無しさん
10/03/28 21:26:27 Gi8ynPSe
>>231
>カルマの法、輪廻の法などは「因果の法」を前提にしておりますね。
>イエス様も釈尊もともに「悪因悪果、善因善果」と説かれておりませんか。
悪因悪果、善因善果は前提と言うより、カルマの法則の中身ではないでしょうか。
カルマという言葉自体は「行為」ということかと。
>皆さんが悪因を積むのか善因を積むのかは、自由意志に託されております。
>もし悪因を積むことが決定論で決まっていれば、イエス様も釈尊も説法される
>必要はなかったことと思料します。
現世が来世を決める。現世は過去世によって決められる。
ということであれば、人間は因果の鎖によって縛られているのであり、
その鎖から自由ではありえない、という話です。
カルマの法則とは決定論です。
240:神も仏も名無しさん
10/03/28 21:26:30 rt++NJro
>>238
光が光として進めるようになるのは宇宙が始まってからだいぶ経ってから
↓
宇宙の晴れ上がり(うちゅうのはれあがり、Transparent to radiation)は、ビッグバン理論において宇宙の始まり以来、初めて光子が長距離進めるようになった時期を指す。これはビッグバンからおよそ38万年後であるとされる。
241:神も仏も名無しさん
10/03/28 21:30:45 Gi8ynPSe
>>240
ビッグバンによって神が誕生したとすれば理解できます。
光は神自身ではなく、神<の>光なのでしょう。
242:神も仏も名無しさん
10/03/28 21:49:08 Gi8ynPSe
>>232
>>神なのに全知全能ではない?
>>ではその神は、何ができて何ができないのですか。
> >>163にて、既に譬え話でご説明しております。
全知全能の神はいない、と言っているのはわかる。
しかしそういった神に、何ができて何ができないのか不明です。
あの譬えでわからせようとするほうが無理でしょう。
>神が全知全能だとどうして貴兄は思われましたか?
>聖書にそう記載されてましたか?
ヨブ記42.1~2
ヨブは主に答えて言った。
あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
243:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/28 23:24:33 GhuHcuaY
まぁまぁ ラチのあかん議論を続けていますねぃ
パブテスマも我執からの脱却が無ければ無意味です。
エックハルトは言っています。
我性から脱却すれば 内なる神はもはやその力量を外に
出さずにはいられない。 とね
つまりなんですな。
パブテスマより我性の脱却が先なんですよ
244:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/28 23:28:08 GhuHcuaY
しかし大切なことがあります。
自我も神を求める自我でなければいけません
ですから自我がなくなっては神を求めることができませんので
すなわち自我は神を求めることだけに発揮せねばいけません
ということなのです。
245:神も仏も名無しさん
10/03/29 10:48:10 Cz9Aa141
>>244
信仰は自主性の放棄および他者からの制約の受け入れにより精神と行動の安定は得られるが、他方で多様な可能性を過剰に抑圧する効果もある
信仰しか見ない立場ではみずからバランスを取るのは難しい
246:神も仏も名無しさん
10/03/29 18:20:01 YCFOFUDS
>>243-244
無との合一が主張されていないので、だいたい理解できました。
まあ、多少の行き過ぎがないと、真実に到達できないということもありますね。
在家氏とのやり取りは、楽しみながら学ばせてもらっているのです。
ていねいに応じてくれる在家氏に感謝してます。
247:神も仏も名無しさん
10/03/29 18:47:40 YCFOFUDS
高橋信次は物質とエネルギーの二元論を主張している。
高エネルギーが神であり、宇宙意識であり、
この宇宙意識との合一を目指すことが生きている目的になる。
ビッグバンではなく、循環宇宙を想定している。
248:神も仏も名無しさん
10/03/29 19:07:14 YCFOFUDS
エネルギー → 物質 → エネルギー → 物質
神=宇宙意識(高エネルギー) → 霊魂=個人意識(高エネルギー)
二元論のようだが、質量とエネルギーの等価原理 E=MC^2 によって、
氏の二元論は結局、一元論に吸収されてしまうのではないか。
宇宙意識と個人意識の合一(梵我一如と同じ)を説いているから、
やはり二元論ではなく一元論なのだろう。
249:神も仏も名無しさん
10/03/29 19:44:25 YCFOFUDS
氏は三次元(この世)以上を九次元まで区別する。
九次元・・・宇宙界(高橋信次、釈迦、イエス、モーセなどメシアたち)
八次元・・・如来界(ミカエル=ルター、ガブリエル=カルヴァン、ラファエル、
ウリエル、レオナルド・ダヴィンチ、シュバイツァーなど400名以上)
ムハンマドは八~七の間に位置する。
七次元・・・菩薩界(宮沢賢治、日蓮、空海、パウロ=親鸞、ペテロ=矢内原忠雄、
マイトレーヤ、ヘレン・ケラー、達磨など約2万人)
六次元・・・神界(道元、法然、アインシュタインほか約1億数千名)
五次元・・・霊界(人類は兄弟であると自覚する世界)
四次元・・・幽界(この現象界とは比較にならないほど調和した世界)
三次元・・・現象界
地獄界・・・ヒトラー、スターリン
250:神も仏も名無しさん
10/03/29 20:10:47 9/FUv1HV
高橋信次はそこまで高位の霊ではない。
善人ではあるが。
251:神も仏も名無しさん
10/03/29 20:17:14 YCFOFUDS
ここには神智学のブラバッキー、シュタイナーなどは出てこない。
しかし神智学は神智学で、五段階に区別して独自の分類を行う。
第五段階(より高度な惑星への転生)・・・ジュワル・クール大師
第四段階(十字架での磔刑)・・・イエス ブラバッキー クリシュナムルティ
サイババ ババジ ラーマ・クリシュナ ラアマ・マハリシ
第三段階(山上での光り輝く変容)・・・ベイリー3.2 リンカーン3.3
第二段階(霊的洗礼)・・・空海 ヒトラー シュタイナー2.2 法然2.4
第一段階(霊的人間の誕生)・・・家康と道元1.5 親鸞1.8 最澄1.9
ヒトラーが評価されていることと、
イエスとブラバッキーが並んでいることが気になる。
252:神も仏も名無しさん
10/03/29 20:26:47 YCFOFUDS
>>250
それでは高橋信次を九次元から削除したいと思います。
ウィキ情報であり、おかしなことを言っていたら突っ込んでください。
253:神も仏も名無しさん
10/03/29 20:32:02 9/FUv1HV
でわ指摘するがヒトラーはルシフェルと通ずるほどであり
評価が低い。第3にするべき。
254:神も仏も名無しさん
10/03/29 20:38:55 YCFOFUDS
>>253
それは高橋信次の分類ですね。
そういえば神智学の分類には<地獄界>がないですね。
255:前世は一在家
10/03/29 21:23:23 DjUKORIE
>>242
>全知全能の神はいない、と言っているのはわかる。
>しかしそういった神に、何ができて何ができないのか不明です。
(ヨブ記)
42:2 あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
42:4 「聞け、私は語ろう。私は汝に尋ねる、私に答えよ。」
もう、貴兄(の内なる神)はご自身で答えを見出しておられますよ。
256:前世は一在家
10/03/29 21:24:09 DjUKORIE
(一服)「無」とか「空」は宗教板で多用ですが。
「空」は「縁起の法」から展開されていると認識しております。
「縁起の法」は「因果の法」と異なり「時間」や「運動」を
含みません。
この板で時々登場する宇宙の始まりのビッグバンと現在と
未来は同時に存在となります。
釈尊が悟られて説かれた法(真理)は「因果の法」です。
天才哲学者の龍樹は著書「中論」の中で「八不」を証明し、
「不去」、「不生」より「時間」も「運動」も無いとして
おります。
私も「中論」を読みましたが、論敵の有部をあて馬にして、
「去りつつあるものは去る」は机上(言語論理世界)では
矛盾していることを指摘し「去りつつあるものは去らず」を
証明しております。
どこまでも机上で空を論じた訳ですので、皆さんの足許の蟻さんを
「去りつつあるものは去らず」と108回唱えながら観察し、
リアル世界にて「時間」も「運動」も無いのか否かを体感すれば
分かります。
257:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/29 21:50:59 +HNukJ4X
>>245
>信仰しか見ない立場ではみずからバランスを取るのは難しい。
そんな理屈無意味ですよ。
要は自己の魂をまとう肉体とこの二元的世界から
いかにして開放し自由になるか。
ということなんですから。
要は魂の開放 自由です
258:神も仏も名無しさん
10/03/29 21:59:24 YCFOFUDS
>>255
右手と左手を交錯して祝福するのがイスラエルの神なのです。
こうされると頭が混乱してしまう。
259:神も仏も名無しさん
10/03/29 22:10:24 Cz9Aa141
>>257
自由になるとどのようないいことがあるのでしょうか
260:神も仏も名無しさん
10/03/29 22:12:54 YCFOFUDS
大工Bはたった7日で家を作った。しかし雨漏りのする失敗作だった。
大工Bはほんとうに大工なのかとみんなから非難された。
しかし大工Bは大工とはこんなものだと居直った。
261:神も仏も名無しさん
10/03/29 22:20:49 YCFOFUDS
>>256
三次元世界には時間と空間があり、四次元世界にはそれらがないのです。
神、四次元世界の存在は、時間を超越し、空間を超越しています。
262:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/29 22:21:48 +HNukJ4X
>>259
あらゆる苦から開放されます
完全なる浄福と甘露を永遠味わうのです
263:前世は一在家
10/03/29 22:46:22 mroIanVw
>>163
>神A「神の似姿として最初の人のアダムを創造した。」
>神B「神の子、人を創造するまでに失敗も多く、馬や猿なども創りました。」
神様Bは人間を創造するまで幾度もトライしました。
今の人間からDNAを98%まで近づけたのがチンパンジーでした。
だからチンパンジーはいつまで経ってチンパンジーのままです。
私は神様Aよりも神様Bを信じております。信仰表明です。
264:神も仏も名無しさん
10/03/29 23:06:26 Cz9Aa141
>>262
>あらゆる苦から開放されます
それは生きていないのと同じです
苦は生きるための警戒信号だからです
>完全なる浄福と甘露を永遠味わうのです
そのような脳がシャブ漬けのような状態が本当の幸せと言えるのでしょうか
265:神も仏も名無しさん
10/03/29 23:10:12 Cz9Aa141
>>263
そういう観点なら人間も失敗作のひとつですが
266:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/29 23:17:07 +HNukJ4X
>>264
何にも依存せずただ神だけを求め
魂の開放に努めるならばこれほどの賜物はありません
真の自由です
267:神も仏も名無しさん
10/03/29 23:34:43 Cz9Aa141
>>266
真の自由かどうかはわかりませんが、全て神に依存した自主性放棄状態でしょう
268:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/30 13:19:58 wYiHl3Od
>>267
自主性? 聞こえはいいんですけど。
自我、自尊心、自己都合といった類の意思が
働いている時点で呪縛の苦しみが付きまといます。
269:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/30 13:23:42 wYiHl3Od
>>267
それと「全て神に依存する」
ということは自主性うんぬんのレベルとはちがいますね。
神に依存するということは、
例えば アシジの聖フランシスコのように全てを捨てる覚悟がなければ
神への依存にはなりませんから。
自分の意思で自己の放棄をせねばなりません。
270:神も仏も名無しさん
10/03/30 14:08:38 xwRtN2Dw
>>268
>自我、自尊心、自己都合といった類の意思が
>働いている時点で呪縛の苦しみが付きまといます。
自我と苦しみは対です
苦しみと生も対です
逃れようとするのが間違い
271:神も仏も名無しさん
10/03/30 14:14:09 EEzooYgm
>>269
>神に依存するということは、
>例えば アシジの聖フランシスコのように全てを捨てる覚悟がなければ
>神への依存にはなりませんから。
>自分の意思で自己の放棄をせねばなりません。
アシジの聖フランシスコレベルで全てを捨てたなどと考えるのは素朴すぎます
自分で考える部分が少しでもあればそこは神への依存ではありません
272:神も仏も名無しさん
10/03/30 18:59:27 t5YrVJJb
高橋信次は、霊魂は<この世とあの世>を<輪廻転生>しており、
<霊魂を向上させること>が人生の目的であると主張する。
神智学もよく似ている。霊魂は<輪廻転生>しており、
<霊魂を向上させること>が人生の目的である。
高橋信次との違いは輪廻転生する場所である。
神智学では、この地球か、あるいは、地球以外の別の星への転生である。
この世だけであり、あの世を想定していない。
神智学にはあの世がない。
273:神も仏も名無しさん
10/03/30 19:18:33 t5YrVJJb
神智学はあの世を想定しない。
したがって神智学には天使も悪魔もいない。天国も地獄もない。
ただ霊魂の上下があるだけである。
ヒットラーはユダヤ人虐殺が評価されている
シュタイナーは神智学を脱退したので評価されない
274:神も仏も名無しさん
10/03/30 19:36:52 t5YrVJJb
神智学では、人間を三重構造とし、特殊な用語で表現する。
<1> 低位我・・・物質界の人間、パーソナリティー
① 肉体
② エーテル体
③ アストラル体・・・感情体
④ メンタル体 ・・・精神体
<2> 高位我・・・魂、個人性
① コーザル体・・・転生の記憶がある
② ブッディ・・・直観
③ アートマ・・・霊的意思
<3> モナド・・・純粋霊、在天の父
① 聖霊(活動知性) ② 子(愛と知恵) ③ 父(意思と力)
275:神も仏も名無しさん
10/03/30 20:16:55 t5YrVJJb
モナドは純粋霊であり、宇宙の根本粒子として存在する。
ここから宇宙が始まるわけだから、この考え方は明らかに一元論である。
高橋信次はエネルギーを基本にする一元論である。
それに対して神智学はモナドを基本にする一元論である。
276:神も仏も名無しさん
10/03/30 22:58:40 4mw6oS11
神智学はあの世を想定しないから天国も地獄もない。
そのかわり、この地上に、天使的な人々、退廃的な人々などを想定する。
霊魂は<輪廻転生>しながら、この地上で進歩あるいは退歩していく。
進歩するか退歩するかを決めるのは<カルマの法則>である。
こうして神智学の重要なキーは<輪廻転生>と<カルマの法則>になる。
277:神も仏も名無しさん
10/03/30 23:14:31 4mw6oS11
純粋霊モナドだけで一元論的に宇宙が成立するなら、
人間の霊魂は神のレベルであって向上する必要性自体がまったく生じない。
それなのに輪廻転生やカルマの法則を持ち出すのは、
どこかから悪が流れ込んだことになる。
カルマの法則は決定論だから自由意志は存在しない。
モナドの中に悪が最初から存在していたのか。
神智学も一元論のワナにはまっている。
278:神も仏も名無しさん
10/03/30 23:31:38 4mw6oS11
神智学は特殊な用語で特殊な分類を行っている。
根本人種 >>101 霊魂の五段階 >>201 人間の三重構造 >>274 など。
分類が重要なのはわかるが、その基準がまったく不明であり、
なんとか大師の託宣ではオカルトである。
レムリア、アトランティスなどは単なる伝説にすぎない。
279:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/30 23:32:26 wYiHl3Od
>>271
アシジの聖フランシスコが全てを棄きったか
どうかは解かりません。
しかし棄てる覚悟はあったと思います。
ここ重要です。
>自分で考える部分
自分で考え見出すための基準、尺度。
ここが重要なのです。
自分に無色透明な神性の基準がそなわっているかどうか?
そしてそのためにじっくり自分を見つめる時間をさいているのかどうか?
理屈を並べても体感がともなわなければ時間の浪費をするだけです。
280:神も仏も名無しさん
10/03/30 23:46:56 4mw6oS11
>>279
自分がどの程度の人間なのか、それを確かめるには夢がいいです。
夢の中できちんと行動すること、それが大事なのです。
白い子猫が後をついてくる。わたしは手のひらに子猫をのせた。
白い成犬がわたしにすりよってくる。わたしはその感触を感じている。
281:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/30 23:56:31 wYiHl3Od
>>280
神様は例えば
10タラント持っている人がそのまま大切に10タラント
保守するよりも
1タラント持っている人が2タラントに増やす人を
我が子だとして喜ばれるのです。
身持ちの豊かさよも、そして事の大小よりも
その{『心』の在りかたをしっかり見ておられるのです。
282:神も仏も名無しさん
10/03/31 00:09:30 5WEeJ/wO
>>281
不思議な体験はけっこうありますね。
でも人に話したものはここでは書けない。身元がばれるから。
結論を言えば「神はいる」ということですか。
神は在りて在る者です。オチ
283:名も無きイエスの証と仏陀の法
10/03/31 00:15:06 TPocSos5
>>282
>神は在りて在る者です
いや神は認識するが故に存在するものです。
ですから否定するものには存在せず
人のその認識の度合いによって神の栄光の響きは違うものなのです。
284:前世は一在家
10/03/31 06:44:05 u+hM8yIQ
>>263
>神様Bは人間を創造するまで幾度もトライしました。
>今の人間からDNAを98%まで近づけたのがチンパンジーでした。
>だからチンパンジーはいつまで経ってチンパンジーのままです。
でも神の似姿は肉体ではなく、霊ということです。
神性(神の霊質)をコピーされております。
よって自由意志が神にあるように、人(神の子)にもあります。
神経綸があるように、人にも運命を変えることができるでしょう。
「神は汝の内にあり」ということを、「人の子(イエス様)は汝のうちにあり」
と説かれていたと記憶しますが、出典は調べておきます。
285:神も仏も名無しさん
10/03/31 17:24:09 e12Ju3Wg
>>283
たとえば命があることは、よほどの変人でなければだれも疑わない。
でもその存在を認識しようとすると認識できない。
認識するがゆえに存在する、とはそのへんの機微を語りたいのでしょう。
286:神も仏も名無しさん
10/03/31 17:53:14 e12Ju3Wg
根本人種という分類は、
神智学の差別思想を示すものとして重要である。 >>101
第一根本人種・・・エーテル人種、地球上から消滅している。
第二根本人種・・・これも消滅している。
第三根本人種・・・レムリアにいた人種、黒人系
第四根本人種・・・アトランティスにいた人種、セム族、蒙古族、日本人
第五根本人種・・・アーリア人種、地球上でもっとも進歩した人々
第六根本人種・・・まだ出現していない
第七根本人種・・・この周期の最後の人種。何もわかっていない。
287:神も仏も名無しさん
10/03/31 18:06:15 e12Ju3Wg
この分類 >>286 を見ると、
第一と第二は地球上から消滅してしまった。
第三と第四は消滅した大陸に住んでいた生き残りである。
第五のアーリア人種こそがこの地球の住民である、と主張している。
黒人、蒙古人、日本人などは、消えた大陸の人種であり、
滅びてしまって当然の人種にされているのである。
288:神も仏も名無しさん
10/03/31 18:29:32 e12Ju3Wg
輪廻転生とカルマの法則だけでは、
日本人も黒人もそこに含まれているのだろうと楽観的に思ってしまう。
しかし神智学は、霊魂の向上から日本人も黒人も除外しているのであり、
この地球上から消滅すべき人種であると定義する。
神智学にいた人智学開祖シュタイナーは言っている。
日本人、ユダヤ人、アボリジニなどは、改良の見込みがない退廃人種だと。
神智学と人智学が差別思想に汚染されている、ということだけでなく、
日本人ならそんな馬鹿げた話を認めるわけにはいかないのだ。
289:神も仏も名無しさん
10/03/31 18:49:00 e12Ju3Wg
神智学は霊魂不滅とか輪廻転生とかカルマの法則とか、
仏教とよく似た概念を使用する。そこで仏教に近いのかと誤解する。
しかし仏教とは異なる。神智学はあの世を認めない。
神智学はオカルトであり、差別思想にまみれている。
290:神も仏も名無しさん
10/03/31 21:41:02 /TitvJX2
★ やはり人間には<自由意志>が存在しなかった。
人間は過去と未来の情報によって判断する。
① 未来の情報・・・未来のことはわからない。
② 過去の情報・・・過去の経験と学習
瞬時に判断する場合は、過去の情報もほとんど役に立たない。
時間があったとしても、ぼんやりした情報しか引き出せない。
なぜなら、①の制約があり、因果の予測が困難だから。
③ 結果として実際の判断は、毎回毎回「カケ」のようなものである。
自由意志とは、その美名を口実にした、「カケ」の責任転嫁である。
人間は何も知らない未来の責任を取らされている。
291:神も仏も名無しさん
10/03/31 21:48:57 /TitvJX2
>>284
>でも神の似姿は肉体ではなく、霊ということです。
>神性(神の霊質)をコピーされております。
これは正しそうに思える。
>よって自由意志が神にあるように、人(神の子)にもあります。
>神経綸があるように、人にも運命を変えることができるでしょう。
これは疑問です。
なぜなら、神は霊だが、人間は霊と肉とを生きているからです。
292:神も仏も名無しさん
10/03/31 23:02:35 VUrFa4AG
自由意志を主張する人たちは、
たとえば、右の道に行こうが、左の道に行こうが、あなたの自由ではないか、
というようなことを根拠にしているのではないだろうか。
しかし、少し考えればわかると思うけど、
右の道に何が待ち受けているのか、左の道に何が待ち受けているのか、
それがまったくわからないのである。
未来を知らない人間には、どちらも選択できないのがほんとうだろう。
それなら、何もしないで、じっとしているのが正解ではないか。
しかしそれではラチが開かない。だからカケをしながら生きている。
293:神も仏も名無しさん
10/03/31 23:18:03 VUrFa4AG
自由意志がある? そんなものはないのではないか。
人間は四六時中、カケを繰り返しながら未来を切り開いている。
ばくち人生ではないか。
こう考えると、自由意志は結果責任を問うための口実、のようにも思える。
社会や共同体の維持のためには結果責任を問う必要があるのだ。
自由意志とは社会的な便宜だと理解することもできる。
しかしこういった理解は、問題の本質からそれてしまうような気がする。
それより、ばくち人生の意味をしつこく追求すべきだろう。
それを追求した作品がある。ヨブ記である。
294:神も仏も名無しさん
10/03/31 23:45:02 VUrFa4AG
高橋信次の主張はエネルギーを基本にする一元論である。
霊魂の存在を認め、人間はあの世とこの世を輪廻転生を繰り返している。
その目的は霊魂の成長である。
人間はカルマの法則に支配されている。
<自由意志>によって善を選択することで霊魂は成長する。
そのための方法として、仏教の八正道と、キリスト教の反省(悔い改め)を
提示する。・・・方法論は正しいと思う。
一元論が持っている誤り、そこからくる歪みはお約束である。
それは九次元まで設定する次元論、梵我一如的な考えに現れている。
まあ、わりにまともな主張をしている。
295:神も仏も名無しさん
10/04/01 00:00:25 f+02eq/Q
ヨブは正しいと思われることを実践していた。
正しさは、ヨブの判断であり、選択であり、自由意志である。
ヨブは神の道を歩んでいると思い込んでいた。
しかしひどい災難がやってきた。
物語はここから始まる。
296:前世は一在家
10/04/01 00:03:39 qg8Yp5nf
>>291
>これは疑問です。
>なぜなら、神は霊だが、人間は霊と肉とを生きているからです。
人は「肉体有の神の子」だということでしょうか。
297:神も仏も名無しさん
10/04/01 00:04:23 f+02eq/Q
ヨブは自分が正しいと思うことを実践していた。
これは仏教でいう八正道である。
高橋信次の話でもある。
298:神も仏も名無しさん
10/04/01 00:06:56 f+02eq/Q
>>296
その違いは決定的であり、神と人間をわける分水嶺です。オチ
299:前世は一在家
10/04/01 00:18:50 qg8Yp5nf
>>294
>それは九次元まで設定する次元論、梵我一如的な考えに現れている。
横レスですが、4次元の霊界でも幾層も存在します。
この辺りはスウェデンボルグも説かれていたのではないでしょうか。
同じ霊界という括りであっても、一層違うと出会うことはできないそうです。
夫婦や親子兄弟でも霊界では再会することも少ないと伺っております。
換言しますと霊界だけでも低級霊界から高級霊界までで九次元以上は
あるかと存じます。
その上の神界も何階層もあるようですから、あまり「九」という数には
こだわらなくても宜しいかと存じます。
「九」次元が最高位というのは、そこまで行かれた方の自己申告としては
正しいのかも知れません。
「全治全能」が神から神の預言者への自己申告であるのと似ております。
300:真理名・も無きイエスの証と仏陀の法
10/04/01 10:17:29 1as1gsQb
>>292
右も左でもありません
自由意志によって“中道”を行くことが
全ての人に必要なのですから
301:真理名・も無きイエスの証と仏陀の法
10/04/01 10:24:09 1as1gsQb
>>293
実に短絡的な結論じみた意見ですね。
勝つか負けるか、成功か失敗か 楽か苦か 安心か不安か
のいい方ばかりを選ぼうとするから “苦” がいつも
付きまとうのです。
所詮このようなものは滅びるもの
永遠ではありませんので、 惑わされないことが一番
ギャンブル的人生を送ることは人生そのものが翻弄の旅をいくことになります。
302:神も仏も名無しさん
10/04/01 17:32:10 h8G8UloJ
>>300
人生は二者択一、第三の道はありません。
コンピューターは三進法ですか。二進法ですね。
303:神も仏も名無しさん
10/04/01 17:47:29 h8G8UloJ
>>301
人生は荒波。翻弄されるのです。
人生に翻弄されないために出家する人たちがいる。
アシジの聖フランシスコもそのひとり。
304:真理名・も無きイエスの証と仏陀の法
10/04/01 17:49:49 1as1gsQb
>>302
右も左も滅び行く道です。
なぜなら例えて言いますと
左右とは二極なのです。
二極に惑わされない生き方
それを選ぶことは人間の自由意志でできるのです。
305:真理名・も無きイエスの証と仏陀の法
10/04/01 17:54:35 1as1gsQb
>>303
>人生は荒波。翻弄されるのです。
そもそも西洋人がそう結論付けて
哲学、宗教伝統を築いてきているので問題なのです。
306:神も仏も名無しさん
10/04/01 18:14:46 h8G8UloJ
>>299
次元とは、ものの広がりをあらわす基準だそうです。
線は一次元、面は二次元、空間は三次元です。
時間は三次元なのか四次元なのかはっきりしないようですね。
面は線の展開、空間は面の展開だとすれば、
面や空間は時間を含んでいるとも言えるでしょう。
問題は霊界です。神を、時間を超越した四次元とするなら、
霊界は三次元から四次元に対応するファジーではないでしょうか。
現象界に広がりを持たないので、
霊界は次元として把握されることはできないと思います。
霊界の<層>の違いを次元として認識することはできません。
307:神も仏も名無しさん
10/04/01 18:37:17 h8G8UloJ
>>304-305
それは竜樹の空ですね。この現実を夢、幻とするから、
中道などとのんきなことを言っていられるのです。
空・仮・中は頭のなかだけです。
308:真理名・も無きイエスの証と仏陀の法
10/04/01 18:52:33 1as1gsQb
>>307
中道とは、 極端に悦楽に溺れたり
極端に苦行の道を行かないということです。
309:神も仏も名無しさん
10/04/01 19:19:38 h8G8UloJ
>>308
極端に走らないのは大前提であり、当然のことです。
そうではなくて、海に行くのか山に行くのか、という話です。
わたしたちは日常的に、あれかこれか、という選択を常に行っています。
その選択の話であり、それがバクチではないかと思うのです。
たぶん実存主義が提起した問題意識です。
310:真理名・も無きイエスの証と仏陀の法
10/04/01 19:32:00 1as1gsQb
>>309
バクチという認識がいけないと思います。
そういう観点で物事を見てしまうと
上手く行くかいかないか、 損か得かという見方になってしまいます。
うまく行こうが行くまいが、損しようが利益を得ようが
平等の境地で両方を受け入れる事が
神の御旨に適う境地なのですから
311:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/01 19:39:23 1as1gsQb
エックハルトは言っています
先ず自己を放下しなさいと
312:神も仏も名無しさん
10/04/01 22:25:33 Djxsx4dM
>>310
未来が見えないから、どんな選択もカケ、バクチになるのです。
>>311
あなたは自己を放下できましたか。
313:神も仏も名無しさん
10/04/01 22:42:13 Djxsx4dM
霊界はどこにあるのか。だいたいの見当はついている。
心の中、奥深いところに入り口がある。
この世の空間ではない。だから次元で語ることはできない。
あえて言えば、それは三次元から四次元(神)に対応するファジーであり、
次元ではなく<層>として存在している。
通常の意味における次元は、一次元から四次元までである。
314:神も仏も名無しさん
10/04/01 22:55:47 hyn/MHC1
もはや妄想の領域
315:ユダ ◆g7GKFCX7nU
10/04/01 22:57:36 41iq8ijA
神智学は思考のゲームなので・・・
316:神も仏も名無しさん
10/04/01 23:06:47 Djxsx4dM
高橋信次は宇宙のエネルギーを神であると考える。
エネルギーは等価原則によって物質になり、一元論的な宇宙論になる。
しかしこの神認識は、唯物主義に落ち込むスキがある。
高橋信次の「あの世」はどこにあるのか。
神はこの宇宙にいるのだから、「あの世」もこの宇宙にあるのではないか。
そうであれば、差別思想は別にして、例の神智学と似ている。
神智学は「あの世」を想定しない。
この宇宙の中には根本粒子である純粋霊モナドが存在している。
しかしモナドは素粒子を思わせ、唯物主義のような印象を受けるのだ。
317:ユダ ◆g7GKFCX7nU
10/04/01 23:09:18 41iq8ijA
GLAにおける宇宙観は穴のないバームクーヘンだと思えばいい。
318:神も仏も名無しさん
10/04/01 23:16:25 Djxsx4dM
>>317
なるほど。では神智学の宇宙観には穴が開いていると?
319:ユダ ◆g7GKFCX7nU
10/04/01 23:20:01 41iq8ijA
なにせ見ないで知ろうという学問だからな。
ソースは数少ない霊能者だのみ。
320:神も仏も名無しさん
10/04/01 23:23:29 EOwRU2jp
>>319
霊能者って妄想や幻聴の強いヒトではないの?
321:神も仏も名無しさん
10/04/01 23:27:46 Djxsx4dM
>>319
ほんとですね。学問を自称していることが恥ずかしくないのかと。
ヒマラヤの奥地に大師級の聖者がいたらしいですね。
322:神も仏も名無しさん
10/04/01 23:30:31 41iq8ijA
一般的にはそうだが幻聴は霊の声を聞いている可能性もある。
大概霊能力も遺伝すろ。
えらく感の鋭い奴いるだろ?そういう奴の延長が霊能者。
323:前世は一在家
10/04/01 23:32:36 NQFnM6zk
隣のキリスト板とのマルチポストになり済みません。
「神の子」と「神の御子」の定義を整理します。
至高神(または創造主)が生み出された神々は「神の御子」と
します。
旧約(死海文書版)の申命記に登場する「神の子らの数に従い」
の場合の「神の子=神の御子」。
詩篇82に登場する「汝らは神なり」も同様でしょう。
そして神の似姿で肉体ありの人類は「神の子」。
つまり「神の御子」は人類の創造以前から存在していたという
ことで「神の子」と区別はできるかと存じます。
イエス様は人類の創造以前から存在されていたと思われますので
「神の御子」であり、人に受肉された神の預言者、教師ということか
と認識しております。
ヨハネ伝の筆者は「神の御子」を記載し、トマス伝の筆者は「神の子」
を記載していたのであれば、ともに正しいことになります。
324:神も仏も名無しさん
10/04/01 23:51:14 Djxsx4dM
神の御子である証拠はやはり自己申告ですか。
新興宗教の神々のようですね。
ヨブの場合は、ヨブのほうから、相手を神であるとを認めてますよね。
それからもうひとつ、人間を神の子にすると、人間とは何でしょうか。
人間という言葉があるのだから人間でいいのでは?
325:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/02 00:54:08 cG5TP9xa
>>312
言うなれば吉も凶も両方享受するのが人生ですね。
そのように人生を送るのが大方の人ですから。
吉や幸運だけを受けたいと思うのが普通で
だから人は占いやお祓いや幸運を願って
神社などで参拝します。
ですが、表裏一体のものを片方だけうけとりることなど
所詮無理なのです。
326:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/02 01:00:15 cG5TP9xa
>>312
苦楽に一喜一憂する人生を選ぶか
所詮泡のように浮かんでは消える世の事物である
苦楽に惑わされずまたは翻弄されることの無い
その背後にある不動なるものを感知できることを
望んでそれに向かう人生を送るのかは
その人個人個人の自由ですから
327:真理・名も無きイエスの証は仏陀の法
10/04/02 02:00:29 cG5TP9xa
自己の放下の最中ですねー
自我は神への探求に使いたいものです。
328:前世は一在家
10/04/02 06:36:09 UMavSMyk
>>324
>人間を神の子にすると、人間とは何でしょうか。
「人」は本来神の子でも、罪(カルマ)を積み、神性を失っている
のが現状でしょうか。
本来の「人」に「間(あいだ)」、距離があるのが、「人間」かも
知れません。
329:ユダ ◆g7GKFCX7nU
10/04/02 08:42:15 VeEnLatQ
人と人間は違うからね。
幼虫と蝶みたいなもの。
330:前世は一在家
10/04/02 22:42:06 nxRkpzpq
>>329 ユダさん
私もユダの福音書を読みました。
やや暗い聖像や聖画と違って、快活なイエス様が登場されて共感しました。
フィリポ伝のイエス様もいつも3人のマリア様と歩いておられて、明るい方だった
ようですね。
2千年前のことで恐縮ですが、記憶されてましたら教えて下さい。
Q.イエス様は「眼前に完全なる人を立たせよ」と言われましたが、その真意は?
Q.イエス様は至高神に祈られたそうですが、御名は「エルヒム」の単数形の「エル」でしたか?
過去世のことは記憶に無い場合は、私見で結構です。
331:神も仏も名無しさん
10/04/02 23:58:55 GvbJuosy
私の記憶プロテクトはイエスにしか外せず
答えられるのは
「完全な人を立たせよ」とは
「肉」「霊」「魂」の三位一体を全て立たせる事。
「霊」は「心」とイコール。
規制中なんで質問があるのならこちらへ。
スレリンク(operatex板)
332:前世は一在家
10/04/03 06:51:58 02CLtYGK
>>331 ユダさん
ご回答を有難うございました。
「魂霊肉」を私達は「霊心体」の三位一体と言っております。
特に「魂」を立たせることが重要かと存じます。
規制中板も一読しました。優しいお友達が多いようでいいですね。
333:前世は一在家
10/04/05 06:31:48 ozcS9xaA
>332
「完全な人を立たせよ。」とは「霊心体」が三位一体であることを
真に認識せよということかも知れません。
特に霊の奥の魂が神の似姿であるということを悟りて、神化(神成、テオシス)
せよということかと。
334:神も仏も名無しさん
10/04/05 12:16:45 xpV+SPel
動物虐待する人間は死ねさらせ
335:神も仏も名無しさん
10/04/05 17:56:41 wGSAEzUV
ヴェーダの成立が紀元前2000年から600年頃とすると、
旧約聖書はそれ以後である。
旧約がヴェーダの影響を受けていたかどうか。
ヴェーダにおいて、師が伝えた教義に対し、それを
聞いていた人々は、その教義の内容はまさに正しいと
承認する意で「オーム」と、唱えていた。
旧約におけるヘブライ語のa-men,amenは通常副詞形で
使われていたとされている。
a-men,amenは動詞amenの派生語であり、意味的には
他人によって述べられた内容に対する同意、承認を
示していた。
英語の、certainly,verily,surelyと同じように
考えられる。
The International Standard Bible Encyclopaedic(Amenの項)
を参照してみると、omを、omen,emunとし、それらをa-men,amen
の語源、又はサンスクリットよりの借用語としている。
このことからも、旧約聖書と、ヴェーダの関係が伺える。
336:20
10/04/06 00:02:24 yVLIWRIx
ども。
つい最近読み始めた本に自由意志と悪の起源について、たまたま興味深い記述が
あったんで一応紹介。(A History of Christian Doctrine Vol 1 by William Shedd)
ちなみにこのSheddさんという人はカルヴィニストの流れをくむ長老派の神学者だそうです。
関係ある部分の議論の流れを簡単にまとめると
creationは無からの創造。developmentは創造されたものを前提とする展開。
improvementと異なり展開の方向性に善悪はない。神による創造からの展開では
罪(悪)の発生は説明出来ず、罪(悪)は人間が自由意志の乱用によって
無から創造したもので、これによって本来の神による創造からの妥当な展開が
置き換えられてしまった、って流れ。
もともと悪の起源を主題的に論じてる箇所じゃないので、論点の流れは
悪の起源論に沿うように若干修正したけど、カルヴァンの神学を奉じているはずの
Sheddさんも、罪(悪)の起源は人間の自由意志(の乱用)って言ってることになるね。
興味があればグーグルブックスで検索すれば引っかかるので読まれたし。
該当箇所はIntroductionの中の§4. Development discriminated from Improvement
の部分。100年以上前の本だからちょっと読みにくいけどね。
337:前世は一在家
10/04/06 06:50:09 5ONhvacS
>>336
>罪(悪)の発生は説明出来ず、罪(悪)は人間が自由意志の乱用によって
>無から創造したもので、これによって本来の神による創造からの妥当な展開が
>置き換えられてしまった、って流れ。
死海文書の中の宗規要覧(ユダヤ教エッセネ派)には、人は光の箇所と同時に
闇の箇所を宿して創造されたと記載されております。
ですから、自由意志にて、義人にも罪人にも、神にも獣にもなり得るとの
ことです。
338:前世は一在家
10/04/06 06:53:22 5ONhvacS
闇の箇所は欲心です。
欲心から執着や妬みや憎しみが生じ、苦しみの原因となります。
でも、願い、自尊心、自己実現欲も生じて、努力し成長、進歩
しますね。
339:やさしい人類は10年後に絶滅か? 国連が警告
10/04/06 07:09:33 rRmMGtEG
>>334
大切な・・・大きな差 NASAけは人の為ならず……我が為なり
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(bbs68.meiwasuisan.com)
340:神も仏も名無しさん
10/04/09 00:04:56 obPy9brW
>>336
規制があったので返事が遅れました。
紹介のSheddさんを見たのですが、わたしには語学力がなく、分量も多く、
とても読めません。要約してくれた内容をベースにしたいです。
悪が生じたのは「自由意志」を過剰に行使したからであり、
悪も(救済も)「自由意志」の使い方次第である、ということなのでしょう。
しかし自分をコントロールするのは困難です。
パウロはできないと言っています。
悪は容易でも、善の領域においては「自由意志」がなかなか機能しません。
341:神も仏も名無しさん
10/04/09 00:12:31 obPy9brW
>>329
人は変態する。青虫 → さなぎ → 蝶
342:神も仏も名無しさん
10/04/09 00:23:52 obPy9brW
>>335
アーリア人の宗教だから共通の言語・文化的土壌があり、
オームとアーメンにつながりを推測することは可能でしょうね。
ただしオームは、オウム真理教を思い出してしまう。
イスラムではアーミンですか。
343:神も仏も名無しさん
10/04/09 18:46:49 YpgUkDyR
いままでの議論を整理しますね。
主要な論点は、善そのものである神が創造したこの世に(この地球に)、
悪や不幸(貧病争)があるのはなぜか、ということです。
20氏によれば、人間の自由意志によって悪や不幸が生じたと。
在家氏も同じく自由意志を認めています。
エックハルト氏は視点が異なり、行為の結果に左右されない不動心を選択する、
という意味で自由意志を認めています。
これに対してカルバンは、予定説、決定論を主張しているようです。
344:神も仏も名無しさん
10/04/09 19:03:45 YpgUkDyR
カルバンの予定説とは、神は全知全能だから、
救われる者も捨てられる者も、創造の最初から決まっているという話。
創造の最初から全部決まっているのだから決定論でもある。
人間の自由意志などまったくありえない。
というわけで、自由意志と予定説はまっこうから対立しています。
345:神も仏も名無しさん
10/04/09 19:27:05 YpgUkDyR
自由意志を主張することは、その意志の結果責任を取ることだから、
善因善果、悪因悪果というカルマの法則に直結する。
さらに、今生で責任が取れない場合もあるから、
その場合は来世で責任を取るはずだ、という話になり、
輪廻転生が主張され、その主体として霊魂不滅が主張される。
346:神も仏も名無しさん
10/04/09 19:49:04 YpgUkDyR
ここで矛盾に気がつきませんか。
善なる神からスタートするのに、神に造られた人間の自由意志のなかに、
なぜか善と悪、つまり悪が存在するのですね。
善なる神からスタートする・・・これは一元論です。
善因善果・悪因悪果に支配される自由意志・・・これは二元論です。
一方で一元論を主張し、他方で二元論を主張したら矛盾です。
347:神も仏も名無しさん
10/04/09 20:33:42 +I3fegje
そんなあなたには、シャンカラの不二一元論。
348:神も仏も名無しさん
10/04/09 22:56:13 3hBnLmYh
不二一元論は梵我一如を説く一元論です。
他の一元論も一元論であれば、梵我一如と似たような考え方を説いてます。
一元論であれば梵我一如、梵我一如であれば一元論という関係ですね。
ちなみに梵我一如とは、ブラフマン(梵・宇宙真理)と
アートマン(我)とが一如であるとする考え方・・・ほぼ神人合一
349:神も仏も名無しさん
10/04/09 23:27:07 3hBnLmYh
「神には自由意志があるのだから、人間にも自由意志があるはずである。」
この考え方は誤っているように思う。
なぜなら、善なる神は、悪を思うような存在ではないからである。
神は悪を選択できない、という意味において、神には自由意志がない?
また、神が神をやめることもできない?
神は全能ではないのか。いや、全能でないのではなく、
やればできるのだが、やらないだけだと考えることも可能である。
350:ユダ ◆g7GKFCX7nU
10/04/09 23:30:38 mfFZ9uTd
>>349
まあ当たってる。やる時はやるからな、奴は。
351:前世は一在家
10/04/09 23:57:01 YTaxFxKp
>>439
>神は全能ではないのか。いや、全能でないのではなく、
全知全能は神の預言者に対する自己申告ですよ。
Michael S. Heiser博士の論文
”Are Yahweh and El Distinct Deities in Deut. 32:8-9 and Psalm 82?”
至高神(El)の子ら(神々)の中の一方がYahwehだったと解釈した
Mark S. Smith教授(ニューヨーク大)の学説も紹介しております。