10/03/24 23:43:01 tvcGSrow
隣のキリスト教板ではほとんど無視された内容を再掲します。
>神自身が人間としての弱さと極限の苦しみを味わったという犠牲
>約束されていた「聖霊」の降臨の成就、そして12弟子らによる証しが真実であること
イエス様が神ならば十字架の処刑、ゲッセマネでの祈り「この杯」は簡単に回避
できましたよ。
「神の預言者」だったから、ご自身を遣わした神(天の父)の思し召しに従った
のでしょう。
神の預言者を軽く見ないで下さい、皆さん命を失うことは恐れませんよ。
エリアの生まれ変わりの洗礼者ヨハネも斬首を予知して恐れなかったかと思います。
もしイエス様に不本意があったとしたら、「自身が贖いの子羊」だと利用される
ことを予知されたからではないでしょうか。
根拠は福音「良い種に良い実、悪い種に悪い実」は「因果応報の法」でしょう。
ガラテヤ人への手紙6:7でも、「人は自分で蒔いた物を、刈り取ることになる。」
更にエッセネ派(多分、イエス様が誉めた洗礼者ヨハネ所属)は人の代わりに
動物を生贄にするのは認めていなかったです。
また聖霊ですが、聖エイレナイオスの証言にもありますように、彼の時代までは
イエス様の「真の弟子」達に降下して、癒し、悪霊を追い出し、死者も生き返らせる
という奇跡が続出しておりました。
あれから、わずか2千年しか経っておらず、神経綸から見れば瞬きするほど。
神様もイエス様も聖霊も何ら変わらず活動しておられますが、聖霊による奇跡
はどこへ行ったのでしょうか?
もし、教会内で聖霊の働きが見られなくなったとしたら、エイレナイオスと
ニケーア会議以降に何かが変わってしまったのだと推論することが自然かと
存じます。