10/03/19 18:35:21 iynJ+wv6
また、>>86はリアルな知り合いのようなので、
≪Aで「所属者」で「托鉢」で生計を立てている≫人が最低一人は居るってことだw
(羨ましい限りだな・・w って>>86は『それ』をしないの?)
けど、特殊なケース(そこに「自身の志」「覚悟」(「周囲の理解」)が堅固に確立されている)
ではあるよね? 仮に病院にかかっってしまった時とかは、
生活保護者やホームレスの人と同じように扱ってもらうことになるのかな?
断っても、運ばれて治療されちゃったら医療費生じちゃうしw
師匠とマンツーマンってのは、師匠もまた同じように行脚して同行してないとならないよね。
でなきゃ、或る程度まで進んだ段階(あとは一人でも大丈夫という段階)で行脚に移る、と。
※(それは、学びの途上にある者は
「所属」し「定住」し「庇護を受け」「師に就く」期間と場所、その期間を過ごす保証
がなければならない、ということでもある。)
参:
URLリンク(www.seiho110.org)l
URLリンク(oshiete1.goo.ne.jp)l
つーか、こういう点でも、「行政」「世間」そして「業界」から「【認められていない】在り方」だ、っていうのが
>>81-82とかには解んないんだろうな・・・w
そもそも、
《宗教者が皆、86の例のような形で「社会の中に存在すること」》を【人々は】許容し得るのか?と。
※勿論、《伝統各宗派が「布教の中での啓蒙」によって認知させるべき》、とは言えるのであるが・・・。