10/03/19 09:13:12 iynJ+wv6
>>60
そうだろうか?w
(仮に君が、教義を底流として言葉を紡いでいたとしてもw)寧ろ、
日常的解説として、ノーマルな文章になっていないから、
(→【彼にとっての】ツッコむ取っ掛かりが無いから)、
結果、スルーになってるってだけじゃね?
ワシも臨席してたあの頃は、今のような矛先の向け方で、君にも絡んでいたような気がするが?
今、君がやっていることは、教義の講義或いは【教義による】反駁、指摘、批判ではなく、
彼に対する単なる分析評価、横からの野次・からかい、でしかないと思うがね・・w
【彼のテリトリー外、語彙・概念の外のこと】だから、スルー対象になってるんじゃないかね・・。
また、教義面の本質、核(コア)に関しては、完全なる平行線であり、
彼もそれを自覚しつつ、自身の位置取りを転換させる気もさらさらないようだw
それは、Snダニヤの章と絡んで聖と俗の視線の違い(≒価値基準の取り方の違い)
に話が及んだ際の彼の一連の発言にはっきりと見て取れる。
彼は、【「仏教的価値観」を微塵たりとも認めていない】。当然、融合させた視線(≒中、帰一)も認めないw
そんな彼に、どれだけ教義面で指摘しても糠釘だ。
(ワシも(おそらく縁起馬鹿も―今は完全スルーに移行しているようだがw―)
ROM者の為の書き込みと化しているのが現状だよ。
また、ケリがつく一歩手前で逃亡、その件に関してのスルー、は教義面だけでなく日常面でもよく見られる。
あとは、壊れたレコードプレイヤーのように、核心に迫る前の「周縁のことがら」を延々と繰り返すだけだ。
(一例は、五感の知覚と認識及びその信頼に関するものだろうが、構図は教義面でも同様だ。))