10/03/18 20:26:20 POuSkDDi
>>30
>>33
「感性」も、「現実界(現象界)の具体的状況」に応じて自由に変化しますね。
同じ食べ物でも、空腹の時(生命が要求する時)は美味いが、満腹の時は不味い。
人間には、様々な論理が可能だが、論理が結果的に生存の方向に向っている
場合にのみ、その論理を「正しい」という。
死体の絵を見て美しいと思う者はいない。(例外は、イエスで狂わされたクリスチャン
だけ。イエスの醜悪な裸の磔像や、当時の陰惨な拷問処刑道具である十字架さえ
崇拝する)。
いずれも、生存本能(生命)が根源です。そして、個の生命は、他の生命及び
万物との関係性においてのみ存在し得る。例えば、我が存在するのは、他者が
我を知覚するからである。いくら「我思う、故に我あり」と思ってみても、
他者が知覚してくれなければ、単なる幽霊。正しくは、「(他との関係において)
我在り、故に我思う」とすべきであった。西洋哲学の誤謬の根源だと思う。
竜樹の空の思想は、実は、現象界の構成原理。現象界が関係性という抽象観念
だから、「空」なのである。厳然として実在する現実界が「幻」という意味で
はない。
ところで禅は、宗教自体の洗脳の解放も可能ですか。理論的には出来るはず
ですね。「自己弁護(自己正当化)」は、宗教の最も著しい特徴です。