10/03/25 19:05:42 D7ccuX2v
>>341
>中論の訳書(平川彰訳)には、「相対性(相待性)」という言葉がちりばめられて
>います。「相対性」なしでは、彼の「相互依存性・関係性」の論理は成立し得ない。
面というのは、つまり対立しない。
簡単にいうと溶暗していることであって、これを仏教では「如」として代々伝えていた。
これを論理的には不可と思われていたが、龍樹の独特の論法において解き明かされることになる。
この「相対性(相待性)」というのが、つまり論理になる。
(これを世俗言語慣習における勝義諦の説明の意)
つまり相対性というのは、あくまでも論理的解釈に過ぎんのですよ。
(これは間違いではないが、あくまでも仮説です)
>すべてが相対性である(時間的因果関係ではない)からこそ、
>「面」という概念が生じ得るのではないでしょうか。
いやいや、相対ではなく一瞬にして過去の記憶が連結する。
(これがオバケだったり、妄想だったり、過去生だったり、輪廻転生に連結する)
これを道元は「連続性」などと眼蔵には記してあって、
前後栽断するが、この連続性は現存する。
(これを縁起の現観とも言ったりする)
この正体は「五蘊作用」です。
この世のあらゆるものは五蘊作用であります。
五蘊は「色」でありますが(現象ですから)、五蘊皆空であり、
これが色即是空の意です。