10/03/25 18:21:09 SvkxPsm2
>>334
>相対性とは違う。
中論の訳書(平川彰訳)には、「相対性(相待性)」という言葉がちりばめられて
います。「相対性」なしでは、彼の「相互依存性・関係性」の論理は成立し得ない。
「面」というのは、「時間概念を排除した一瞬における現象の把握」という点で
理解できるが、すべてが相対性である(時間的因果関係ではない)からこそ、
「面」という概念が生じ得るのではないでしょうか。
>つまり、相対ってのは古いんだよw
>今はそんな時代じゃない。
「相対」でなければ、「絶対」ということになりますね。その「絶対」は、
宗教などではなく、「全人類に共通する普遍」でなければならない。答えは
自ずから明らかでしょう。
>>335
>りっぱな曹洞宗僧侶(日本大乗の徒)だよw
へぇー、片山先生は、曹洞宗の住職さんだったのですかw。それにしては、原始仏教や
テラワダ関係の著書や訳書ばかりですね。やっぱりちょっとオカシイw。道元に関する
著書があれば教えてください。
それと、竜樹の「相互依存性・関係性」や、大乗起信論の「真如としての衆生心」の
概念は、釈迦の「名前」だけは借りていても、釈迦の思想の「原型」は止めない、
全く別の思想のように思えます。私が、「コペルニクス的転回」と称する所以です。
それとも、釈迦の「原型」には、前者の思想の萌芽がどこかに見出せますか。