10/03/18 14:14:31 5uaJHNGY
>>11
>しかしながら人間は何故に宗教に嵌るんでしょ?
>これが一番肝心ですね。
>私はそれは「感性」かと思います。
その「感性」はどこから発生しますか。物としての身体に宿る生命でしょう。
死者には、宗教行為は不可能です。そして、その身体は、物がなければ一瞬も
維持できません。
物には関係ないのなら、佛教には何故多数の仏像があるのですか。キリスト教徒
が、醜悪なイエスの磔像や当時の陰惨な拷問処刑道具である十字架さえも
崇めるのは何故ですか。偶像崇拝を禁じるイスラムのモスクでも、美麗なステンド
ステンドグラスで飾られているのは何故ですか。彼等が、物である身体を何度も
動かして祈るのは何故ですか。物による身体を動かして、南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経
を唱えるのは何故ですか。人間は、生命は物によってしか維持できないことを本能
的に知っているから、具象を離れた精神性という宗教の倒錯から、生命維持に不可欠
な具象を取り戻そうとする人間の本能的な努力です。
他人の感動は、自分の感動ではありません。「他人の感動の話(でっち上げかも知れない)」
に影響されて、「具象を離れた精神性」という「狂気」に導かれる。これを「宗教による
洗脳」と呼ぶ。どの宗教でも同じです。生まれたばかりの赤ん坊には、宗教などありません。
生命を維持しようとする生存本能だけです。狂気とは「具象を離れた精神性」と定義できる。
古代人の自然宗教は、生存のための「手段」として発生した。創唱宗教は、例外なく、開祖の
精神障害の症状としての観念過剰から、自然宗教における生存との関係を断ち切り、本来、生存
の「手段」に過ぎなかった宗教を、こともあろうに生存の「目的」とする倒錯に陥ったのです。
創唱宗教の信者は、この開祖の「精神性の狂気」が感染した結果に過ぎません。精神病は、患者
と常時接触する者に感染します。精神医学では、これを「感応精神病」と呼びます。