10/03/22 01:11:46 IIy44cL0
>>165 (URLリンク(21dzk.l.u-tokyo.ac.jp))
どの語も、大正蔵経の検索で300件以上ヒットするくらい文脈は様々。
殆どが「経」でなく註釈なので当然と言えば当然か・・。
「一切衆生悉有仏性」だけが大乗涅槃経中に見える語。
阿含には、唯一「央掘魔羅經」の中に一箇所見られる。
が、「如来蔵」の語や「文殊」菩薩が出てきたりとか、その他にも大乗色満載。
その点でも、大乗仏教特有の考え方と言っていいと思う。
央掘魔羅經の該当部分。
爾時文殊師利語央掘魔羅言。如來藏者有何義。
若一切衆生悉有如來藏者。一切衆生皆當作佛。一切衆生皆當殺盜邪婬妄語飮酒等不善業《迹》。
何以故。【一切衆生悉有佛性】當一時得度。若有佛性者。當作逆罪及一闡提。
*その時、文殊師利、央掘魔羅に語って言わく、如来蔵とは何の義(どのような意味)で有るだろうか。
もし一切衆生の悉くに如來藏有らば、一切衆生は皆、当に仏となるべきものである。
一切衆生は皆、殺盜邪婬妄語飮酒等不善業を《なしている・なしてきた》。(→自分には読み下し不能www)
何を以っての故に。【一切衆生は悉く仏性を有する故に】。
若し仏性を有するなら、逆罪をなした者及一闡提でさえも、当に一時に(一度に・瞬時に)度することを得ん。
(若有我者我界。當度一切有。是故世間。無有我無有界。一切法無我是諸佛教。
佛告文殊師利。一切衆生有如來藏。爲無量煩惱覆如瓶中燈。)
思うに、(「如来蔵」の語と併用されていることからも)、
阿含とはいえ既に「仏性」の意味が確定され、定着した後の用例に見えるので、(文脈による語義の確定の経緯等は)、
やはり大乗涅槃経の方から見なきゃならないのかと思う。(よって、それは他の人に譲るw)
いずれにしろ意味は、『衆生は皆例外なく、「仏としての要素」を既に性質として(→本性として)持っている』で良いと思う。
文脈の多くは、『だから、「既に悟っている、救われている、衆生(凡夫)は既に仏である、
悲観するな、現状を否定するな、修行をあきらめるな」』というものになると思われる。
(田上はどう説明してるんだろう・・?w)