10/03/06 22:55:22 JeMC7S0E
>>167
A:「アダムは百三十歳になったとき、自分に似た、自分をかたどった男の子
をもうけた」(創世記5.3)
(みことば)で、三の数や、七の数がで出てきますが、これはどこに出てきても
内的意味では、聖なるもの、神聖不可侵なものを指しています。
つまり、時間その他が意味する状態を指します。
最古代の人たちは、自分たちの数を持っていましたが、三、七、十、十二などの
数や、それに他の数を加えたりして、教会の状態を理解し、教会の多様性を表し
ました。
したがって、「百三十歳」とは、男の子を産んだときの年齢のことではなく、これは
新しい教会の誕生以前の期間を示します。
なお、「自分に似た」とは信仰の面で、「自分をかたどって」とは、愛の面を表します。
「セト」の名をもつ教会が、最古代の教会に最も近いことを言います。
創世記第11章に記されているセムの系図についても
洪水後の諸教会は、三つ存在しました。第一はノアと言われ、第二がエベルで、第三は
ヤコブです。ノアの息子、セムの誕生とは、第二古代教会の草分けをを指します。
「セム」とは、内的信心一般を示します。
「アルパクシャドが、三十五年生きた」とは、セムの教会の第二の状態の始まりを
示します。先に説明したように、(みことば)では、数字の大小は期間の大小を示して
いるのではなく、あるものの状態を示しているだけです。
教会の生まれる年齢が早くなっているわけではありません。